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中西理の下北沢通信(旧・大阪日記) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-08-31 「演劇の新潮流2 多田淳之介

[]「演劇新潮流2 ポストゼロ年代へ向けて 第5回 東京デスロック多田淳之介」レクチャー&映像上映

主宰・中西理(演劇舞踊評論)=演目選定

東京デスロック「再生」(2006年)

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 東心斎橋のBAR&ギャラリーを会場に作品・作家への独断も交えたレクチャー(解説)とミニシアター級の大画面のDVD映像で演劇を楽しんでもらおうという企画がセミネール「演劇新潮流」です。今年は好評だった「ゼロ年代からテン年代へ」を引き継ぎ「ポストゼロ年代へ向けて」と題して現代の注目劇団劇作家をレクチャーし舞台映像上映も楽しんでいただきたいと思います。

 今回取り上げるのは東京デスロック多田淳之介です。多田青年団の演出部に所属するとともに富士見市民文化会館キラリ☆ふじみの芸術監督にも就任、日本の公立劇場芸術監督としては最年少として話題になっています。2009年1月より東京デスロック東京公演休止を宣言、地域との連携を提唱するなどそれまでの首都圏劇団にはなかったスタイルは彼に続く若い世代に新たなロールモデルを提供する役割も果たしています。

福岡県北九州市八幡東区枝光にある枝光本町商店街アイアンシアターにて開催された

「えだみつ演劇フェスティバル2010」公演前後に行われた「えだトーク」

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 今年の新シリーズ「ポストゼロ年代へ向けて」では現代口語演劇の流れから少し離れた新潮流をポストゼロ年代演劇と位置づけ、柴幸男(ままごと)、三浦直之(ロロ)、篠田千明(快快)らを紹介してきました。ポストゼロ年代演劇と呼ばれる彼らには共通の特徴をまとめてみると1.その劇団に固有の決まった演技・演出様式がなく作品ごとに変わる2.作品に物語のほかにメタレベルで提供される遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する3.感動させることを厭わない――などですが、もともと現代口語演劇から出発しながら世代的には少し下であるこれらの若手の作家たちと同じような特徴の作品にいち早く取り組んでいた先駆者といえそうなのが、多田淳之介です。

 東京デスロック旗揚げ当初から、演劇の枠組みを揶揄するかのような作風で知られていましたが、2006年よりスタートした「演劇を見直す演劇シリーズ」で役柄を全く固定しない作品(「3人いる!」)、全編造語による作品(「別」)、全く同じストーリーを繰り返し続ける作品(「再生」)を立て続けに発表し、実験演劇の様相を強め、同世代の作家のなかでいち早く平田オリザの現代口語演劇くびきから脱出しました。2007年よりスタートした「unlockシリーズ」では、演劇の最大の魅力を「目の前に俳優がいること」にフォーカスし、俳優の身体的な「疲れ」を前面に押し出す作風に挑戦しました。2008年以降はシェイクスピア作品を手がけることが多く、本日もその一部を紹介していきたいと思ってますが、ロミオとジュリエットでは「目隠し鬼」を、マクベスでは「椅子取りゲーム」を中心に構成するなど、「遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する」というポストゼロ年代演劇の演出手法でシェイクスピアを相次ぎ手がけています。今回は劇団から提供された関西では初公開の映像資料を基に多田の作品世界に迫りたいと思います。

【日時】8月31日(水) 7時半〜

【演目】「3人いる!」「2001年―2010年宇宙の旅」「WALTZ MACBETH」「ROMEOJULIETJAPAN ver.」「その人を知らず」など

レクチャー担当 中西理

【場所】〔FINNEGANS WAKE〕1+1 にて 【料金】¥1500[1ドリンク付]

※[予約優先]  定員20人ほどのスペースなので、予約をお願い致します。当日は+300円となりますが、満席の場合お断りすることもあります。

【予約・お問い合わせ】 ●メール fw1212+110831@gmail.com  あるいは BXL02200@nifty.ne.jp(中西) 希望日時 お名前 人数 お客様のE-MAIL お客様のTEL お客様の住所をご記入のうえ、 上記アドレスまでお申し込み下さい。 06-6251-9988 PM8:00〜 〔FINNEGANS WAKE]1+1 まで。 web:fw1plus1.info  Bridge Gallery & Bar 〔FINNEGANS WAKE〕1+1 大阪市中央区東心斎端1-6-31 リードプラザ心斎橋5F (東心斎橋清水通り。南警察署2軒西へ)


東京デスロック2001年12月、動物電気俳優として活動していた多田淳之介を中心に活動を開始。
作・演出の多田は並行して2003年より青年団演出部に所属し、若手自主企画の作・演出、青年団リンク二騎の会の演出も手がける。

2007年より東京デスロック青年団内のユニット「青年団リンク 東京デスロック」としての活動を開始。青年団俳優によるキャストの充実、青年団のバックアップによる制作面での充実を得て、翌2008年より青年団リンクから独立。劇団としてのポテンシャルを着実に高めていっている。

劇団は本公演と並行して、劇場以外で上演する“CARAVANシリーズ”、役・物語言語等の既成概念を検証する“演劇を見直す演劇”を展開。

2007年より演劇の最大の魅力を「目の前に俳優がいること」と位置付け演劇の可能性を追求する “unlockシリーズ”を開始。一貫して「演劇」のあり方、自明性を疑った地点から、アクチュアルな演劇を立ち上げる活動を行っている。

2008年より「現前する身体による戯曲の現前化」という演劇根本原理をもって演劇への再評価を目指す“REBIRTHシリーズ”を開始。
また、2008年度より埼玉県富士見市民文化会館キラリ☆ふじみを拠点として活動するキラリンクカンパニーとなり新たな活動の場を広げる、2009年よりは東京公演を休止し、演劇上演の根源、その先にあるものを見つけるべく、新展開に挑む。

http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001026

2011-08-27 ヨーロッパ企画「ロベルトの操縦」@京都府立芸術文化会館

[]ヨーロッパ企画ロベルトの操縦」@京都府立芸術文化会館

f:id:simokitazawa:20110831180120g:image

<<作・演出>>上田

<<音楽>>木暮晋也

<<出演>>

石田剛太 酒井善史 角田貴志 諏訪雅 土佐和成 中川晴樹 永野宗典 西村直子 本多力 山脇唯/山本真由美

中山祐一朗阿佐ヶ谷スパイダース

2011-08-21 上海太郎カンパニー「阿呆(a fool)」@伊丹・アイホール

[]上海太郎カンパニー「阿呆(a fool)」@伊丹アイホール

アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)

アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)

 構成・振付・脚本・演出:上海太郎 振付:室町

 舞台監督:谷本誠[CQ]  照明:吉本有輝子

 音楽多久雅三,駿田千佳 音響:Alain Nouveau

 衣裳:勝原理江、井本惇子[演劇秘 密結社ピーピー ・スー]

 宣伝美術:東學[188] 宣伝写真:山田徳春(STUDIO 500G.)

 制作:松井康人,石垣佐登子  企画・製作:上海太郎カンパニー

 出演:

 上海太郎 :チャーリー

 室町瞳  :アルジャーノン、アリス(養護学校教師)

 浅野彰一[あさの@しょーいち堂]:ニーマー教授(プロジェクト主任)、父親マットほか

 坂本さやか:ストラウス博士、パン屋の主人ドナーの妻ほか

 堀江勇気[尼崎ロマンポルノ]:助手バートほか

 加門功 :パン屋の主人ドナー

 浦川舞奈:母親ローズ

 駿田千佳

 増井友紀子[悲願華]

 構成・振付・脚本・演出:上海太郎とあり、そのクレジットに間違いはないが、今回はオリジナル・ストーリーというよりもダニエル・キース「アルジャーノンに花束を」をほぼ原作通りの筋立てで舞台化した。

 上海太郎といえばマイムダンスを中心にした無言劇の作者として知られるが、新カンパニーとして「上海太郎カンパニー」を立ち上げた後は旗揚げ公演こそは上海太郎舞踏公司時代の代表作「Rhythm」の再演*1であったが、従来のマイムに加えてセリフや歌もふんだんに取り入れた新しいスタイルに変貌を遂げつつある。しかも前回作品は「不思議の国のアリス」、今回は「アルジャーノンに花束を」とよく知られた原作の舞台化であることも興味深い。

 「アルジャーノンに花束を」については「なぜいまこの作品を」との疑問を持ったことも確かだが、この作品の上演の大きな動機としては20年前から「この作品をいつか舞台でとの思いがあった」ということで、作品自体の主題がどうであるというようなことよりも、ひとりの役者として知恵遅れから天才的な頭脳までの主人公チャーリーの変貌を演じてみたいということが大きかったようだ。

 もっともこの作品はミュージカルチャーリー」や日本国内では劇団昴による舞台化、さらに映画テレビドラマにもなっているのだが、ドラマ化はそう簡単なことではない。というのは原作はチャーリーの一人称で書かれていて、知的障碍者の一人称描写という特異な文体が主題である知能の変化にリアリティーを与える大きな要因になっているのだが、ナレーションなどが自由に入れられる映画はともかく、舞台化においては目に見える部分だけでこれを演技により表現しなくてはならず大きなハードルとなっているのだ。

 もう1つの問題はハツネズミのアルジャーノンの存在で、知能を持ったネズミという存在をどのように表現するのかというのはこちらもクローズアップが自由に出来る映画はともかく演劇の場合は大きな問題なのだ。

 上海太郎版は少し漫画アニメめいたタッチにはなったが、看板女優である室町瞳がマイムダンスを駆使してアルジャーノンをセリフなしで演じ、この難問を強行突破した。さらに独自の工夫としてはアルジャーノンが知能の証明として振付を覚えてバレエ白鳥の湖」(劇中ではおやじギャグそのものだが「白チューの湖」と呼ばれている)を踊るという趣向を取り入れたことだ。

 特筆すべきなのはバレエダンサーとしての経験も持つ室町だからこそ可能なことだが、この「遊びの趣向」とのいえる「白チューの湖」がほぼ原典そのものの「白鳥の湖」の振付(プティパ=イワノフ版)を室町が忠実に踊っていて、最後の方ではアルジャーノンの知能が次第に減退してきて思ったように踊れなくなるという演出もあるから余計にそうなのだが、特に前半はバレエとしてちゃんと成立しているほどしっかりと踊っている。クラシックの名曲をアカペラで歌った上海太郎舞踏公司Bでもそうだったが、ネタもののようなものでも、一切手を抜かずに全力投球するとことが上海太郎の魅力でもある。ちなみにこの場面の後半ではこちらはおせじにも本物のバレエダンサーのようとはいわないけれど(笑い)、上海自身もほぼ原振付に近いバレエに挑戦している。

 もっとも、芝居全体の印象ではダンスパントマイムの集団劇のスタイルだった「上海太郎舞踏公司」時代と異なり、特に上海室町以外の役者たちは関西弁の会話を演じており、オーソドックスなストレートプレイ(会話劇)に近い。キャスト的にもこのカンパニーレギュラー陣的な存在となりつつある坂本さやか浦川舞奈はともかく、残りは浅野彰一、堀江勇気[尼崎ロマンポルノ]らマイムダンスなど身体表現的な技術より、通常の俳優としての演技を重視したキャスティングにもなっていて、そういう意味でも少なくとも今回のスタイルの変化は「集団マイムなどに必要なパフォーマーが集まらないから」ではなくて、上海太郎舞踏公司時代とは表現したいものの方向性に違いがあることもうかがえて興味深い。実は公演後に分かったのだが、今回はスケジュールの関係で実現はしなかったが、上海太郎はこの芝居についニーマー教授(プロジェクト主任)役で彼のそとばこまち時代の僚友である川下大洋(Piper)にオファーを出していたのだという。川下の出演舞台などのスケジュールがすでに決まっていて、結局は実現しなかったのだが、もし実現していたら川下が上海の演出の舞台に出演するのはそとばこまち退団後初めてとなっていたはずで、それまでの上海ならこういうキャスティングはほぼ考えられないから、実現しなかったのは残念きわまりないが、上海のスタイルがそとばこまちを退団して上海太郎舞踏公司を旗揚げした時に一変して以来の大きな変貌をとげる前哨戦のようなところがあったのかもしれない。

[]堂島リバービエンナーレ2011「ECOSOPHIA - アート建築」@堂島リバーフォーラム


出品作家は、アニッシュ・カプーア、石井七歩、新津保建秀、大庭大介、

安部典子、斎藤雄介、渋谷慶一郎杉本博司チームラボ池田剛介

杏橋幹彦、森万里子青山悟、マーティン・フリードの14組。

建築家は、磯崎新、藤村龍至、浅子佳英、原口啓+三木慶吾、柳原照弘、

永山祐子、隈研吾の7組です。また、音楽家坂本龍一も本展のために

書き下ろした約16分の楽曲で参加します。(以上、敬称略)


  

  

2011-08-20 劇団野の上「不識の塔」@こまばアゴラ劇場

[]劇団野の上「不識の塔」@こまばアゴラ劇場

■出演

乗田夏子 藤本一喜 鳴海まりか 山田百次 三上晴佳(渡辺源四郎商店) 佐々木英明(特別出演)

スタッフ 舞台美術/鈴木健介(青年団) 照明/高野実華(弘前大学劇研マップレス) 相談役/赤刎千久子

題字/FUJIMOTO☆KAZUKI 制作劇団野の上

 《東京公演》主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場 企画制作劇団野の上/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場

技術協力:鈴木健介(アゴラ企画) 制作協力:木元太郎(アゴラ企画) 芸術監督:平田オリザ

■協力 青年団・渡辺源四郎商店・弘前大学劇研マップレス劇団夢遊病社・青森大学演劇健康・青森山田高等学校演劇専攻科・夏井澪菜

明治の終わり。津軽は石目屋村(いしめやむら)の山中に、高さ20メートル幅6メートルのレンガ造りの巨大な塔が突如として現れた。施工主はその辺り一帯を開拓した権堂主(ごんどうつかさ)。主は開拓記念として自らその塔を建てた。大正の中頃。自らの死期を悟った主は、塔に身内を集め最後の願いを託すのだった・・・。〜津軽に現存する塔と実在した人物をモデルに、劇団野の上が描く予測不能な男と女のお話。

 劇団野の上は元弘前劇場山田百次、乗田夏子、 藤本一喜らによって結成された劇団弘前劇場同様に津軽地方地域語(方言)を使うが弘前劇場のそれが現代口語としての地域語の微妙な変化を通じて、その背後に潜む隠された関係性を提示する「関係性の演劇」であったのに対して、作・演出の山田百次が持ち込んだのはまったく異なるアプローである。

 速射砲のように繰り出される津軽方言はよそ者にはほとんど意味が分からないほどだ。だが、実際に舞台を見てみると生身の俳優から発せられるセリフは単なる「意味を伝達する言葉」ではなく、それ自体が意味を超えて、モノ性・身体性を持って観客に迫ってくる。さらに野の上では東京関西の洗練された舞台ではちょっとありえない野性味あふれる女優たちがそうした方言の魅力をさらに拡大しているが、むき出しの魅力の爆発にはただただ圧倒されるしかないのだ。

 劇団野の上は山田弘前劇場時代に上演した「臭う女」の再演で旗揚げし、その後、第2回公演としては「ふすまとぐち」を上演したが、これらはいずれも家族の問題などを取り上げた現代劇だった。これに対して、今回は明治の終わりごろに実在した人物を取り上げた。

f:id:simokitazawa:20110916021600j:image:medium:left 表題にもなった「不識の塔(不識塔)」は青森県西津軽郡西目屋村にあるレンガ造りの不思議な形をした塔である。老朽化のために補強工事がなされていて、当時の姿を実際に見ることは難しいようだが、建物自体は現存している。明治時代に事業家として成功した斎藤主(つかさ)という人物が建てた塔なのだが、奇妙なのはその形だけではなくて、死期を悟った斎藤が「遺体は永久保存の処置をして不識塔に埋葬するように」との遺言を残したため、藤の死後、遺族は遺言にしたがい、ホルマリン等を使った遺体の処置をしてもらい、塔の祭壇の下に埋葬したというまるで昔の推理小説にでも出てきそうな逸話があり、山田はこの不思議な人物に興味を持って舞台化を試みたと思われる。

もっとも、舞台は一応、斎藤主をモデルにした権堂主(ごんどうつかさ)という人物は登場するが、実際の斎藤の伝記的事実を基にした評伝劇などではまったくなくて、かなりブラックな土俗的コメディーともいえるものに仕上がっている。 

2011-08-14 「『イジチュール』の夜」@京都造形大学春秋座

[]マラルメ・プロジェクト「『イジチュール』の夜」@京都造形大春秋

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マラルメ全集I 詩・イジチュール

マラルメ全集I 詩・イジチュール

朗読に基づく実験的パフォーマンス

ステファヌ・マラルメ『イジチュール』の夜

2010/7/24マラルメ・プロジェクト』

京都芸術劇場春秋

撮影:清水俊洋企画:浅田彰、渡邊守章

構成・演出:渡邊守章

朗読:渡邊守章、浅田彰

音楽・音響:坂本龍一

映像・美術:高谷史郎

ダンス白井剛寺田みさこ

昨年、『マラルメ全集』(全5冊、筑摩書房)の完結を記念して、19世紀フランス詩人ステファヌ・マラルメテクスト『半獣神の午後』と「エロディアード――舞台」をとりあげ、難解をもってなるマラルメの詩の身体的音楽性を、音楽と映像と朗読(フランス語と日本語)によって、春秋舞台において検証する試みを行った。

この企画は、いわゆるワーク・イン・プログレスであり、今年度は『イジチュール』*に挑戦するが、この作品はまさに「キマイラ」つまり「頭が獅子で、胴が山羊、尾が龍で口から炎を吐く」という「存在し得ないもの」の喩に引かれる「幻想獣」のイメージにふさわしい。

『イジチュール(Igitur)』は、ラテン語で「かくて、従って」などを意味する副詞的接続詞だが、この哲学的小話では、みずからが「絶対」として自殺を企てる若者の名前であり、虚構設定の上では、マラルメの分身である。1860年代の後半、すでに悪化していたその神経障害は、文字を書いたり、語ったりすることが不可能な状態にまで立ち至っていた。それを乗り切るために、自らの存在論的な危機を主題に「虚構の物語」を書くことを思い立ち、そうすることで、言わば類似療法(オメオパティー)の戦略で、「毒ヲモッテ毒ヲ制ス(similia similibus)」べく、この哲学的小話を書いたのである。

定型詩(劇詩も含む)、散文詩以外の、「小話(コント)」という言語態(書き方)と、主題そのものの困難さが、詩人にこの「哲学的小話」を完成させなかったが、その没後、娘婿のエドモン・ボニオ博士が、遺稿の束の中から発掘し、1925年にガリマール社から刊行する。未完の、しかも未定稿を解読したものであるにもかかわらず、その断章の中から、「文学そのものの存在論」の最も先鋭な思考が煌いていて、爾来、モーリス・ブランショからジャック・デリダに至る20世紀文学の思考の最先端部が、そこに「書くこと」の根拠に関わる最も過激で深遠な思考を読み取ってきたから、文学創造を論じようとする者にとって『イジチュール』は、避けては通れないテクストとなったのだった。

今年度は昨年の経験を受けて、渡邊守章と浅田彰による朗読、坂本龍一による音楽・音響、高谷史郎による映像・美術に加え、白井剛寺田みさこダンスも加わり、一層創り込んだ舞台を立ち上げる予定である。

[京都造形芸術大学舞台芸術研究センター所長・教授演出家 渡邊守章]

※渡邊守章による『イジチュール』の本文全訳は、『全集1』本冊pp.189-241に、

 解題・注釈は別冊pp.397-496に読まれる。

ステファヌ・マラルメの哲学的小話(コント)「イジチュール」を渡邊守章、浅田彰が朗読。坂本龍一生演奏音楽を担当、ダムタイプの高谷史郎が映像、パフォーマー・ダンサーとして白井剛寺田みさこが出演した。

ステファヌ・マラルメというとクロード・ドュビッシーが作曲してニジンスキーの手によりバレエ作品になった「牧神の午後への前奏曲」の原作がマラルメによる「半獣神の午後」だったというぐらいの知識しかない。ドュビッシーの「牧神の午後」については中学生のころに初めて聞いてからものすごく好きな楽曲であったし、バレエ版もニジンスキー版の再現だけでなくて、ジェローム・ロビンズ振付のものもけっこう好きでこれまでも何度か見ていて割と気に入っている。

「牧神の午後への前奏曲」ニコラ・ルリッシュ

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 だが、残念ながら原作のマラルメ「半獣神の午後」*1というのがどういう詩だったのかも含め、マラルメの詩句にはずっと以前に少しぐらいはななめ読みぐらいはしたことがあったとして、ほとんどまったく記憶がない程度。ましてや、未完成作品でもあり、どちらかというとかなり難解な部類に入るとして知られる「イジチュール」の朗読による詩句の理解は容易なことではなくて、それに集中するとそれに付随する音楽、映像、ダンスのことはどこかに飛んで行ってしまう両者を同時進行で味わうというのは、私にとって苦手な作業で難しいことだったといわざるをえなかった。

 今回の場合、「イジチュール」を翻訳した渡邊守章ありきの企画 *2でそれに浅田彰をはじめとしたほかの出演者が協力してという形式をとっている。それゆえに朗読抜きでパフォーマンスというのは企画趣旨から言えば考えにくいところではあるが、高谷史郎の映像がすでに書き言葉(文字)としてのマラルメの「イジチュール」の詩句を取り入れていたことからすれば朗読は朗読だけ、パフォーマンスは朗読抜きでダンスと映像、音楽を中心にした完全なダンスパフォーマンスとして展開した方がよかったのではないか。私の性向のせいもあるが詩の朗読を聴いて想像力をイメージとして膨らませたいとところで音楽はともかく映像やダンスというビジュアルイメージがあると想像力が制限されてしまうし、ダンスを見る時には逆にテクストから離れた自由な想像のもとに見たいと思わせるものがあり、今回のパフォーマンスでは朗読とそれ以外の要素が互いに互いを阻害しているように感じられて仕方なかったのだ。

 「イジチュール」そのもの*3については断片的なテクストの寄せ集めのように感じられていまいち「半獣神の午後」のようにはひとつのイメージが浮かび上がってくるというわけにはいかなかった。そのため、特に白井剛寺田みさこダンスパフォーマンスについてはそれが何を意味しているのかがはっきり分からなかった。あれがイジチュールという人だったのかどうかは判然としないけれど、どうやらマラルメ自身あるいはその分身的存在を演じたと思われた白井剛に対して、鏡に映った影のようにも、どこか彼岸からきた「死神」のいうにも見えたのだが、いくらなんでも「死神」というのはあまりにベタだし……寺田みさこ演じる黒いドレスの女が何を象徴していたのだろうか。寺田白井の2人によるダンスシーンはなんとも美しかった。それはよかったのだが、その意味合いについては朗読に耳を傾けながらなんとかそ理解しようと試みたのだが、私の理解力不足のためか、それはどうも判然としないのだった。隔靴掻痒の思いだけ残ったのが、もどかしかった。 

*1マラルメ「半獣神の午後」 http://ipod.hanaful.org/archives/faune.html

*2:「マラルメ・プロジェクト2――『イジチュール』の夜」のこと http://www.kyoto-art.ac.jp/blog-theater/2011/07/2987/

*3:『イジチュール』或いは無名の夜々http://ci.nii.ac.jp/naid/110006998343

2011-08-13 山田うんソロダンス「ディクテ」@京都芸術センター

[]山田うんソロダンス「ディクテ」@京都芸術センター

テキスト 「ディクテ」 (テレサ・ハッキョンチャ

振付&出演  山田うん

アフタートーク 池内靖子 (立命館大学教員) 

日替りゲスト7/12 松田正隆劇作家演出家)7/13 レベッカ・ジェ二スン(京都精華大学教員)

2011-08-10 SPAC「野田版 真夏の夜の夢」「天守物語」wondelandレビュー

[]SPAC「野田版 真夏の夜の夢」「天守物語」wonderlandレビュー

SPAC「野田版 真夏の夜の夢」「天守物語」wonderlandレビュー(http://t.co/7sSVbOm)執筆。少し長文ですが宮城聰の小論にもなっています。興味のある人はぜひ覗いてみてください。感想などもいただけると嬉しいです。

2011-08-06 マレビトの会と東京デスロック「再/生」@KAIKA

[]マレビトの会「マレビト・ライブvol.1〜3総集編 N市民 緑下家の物語」@京都芸術センター

2011年5月。京都。わたしたちの住むこの都市の上に、もうひとつ都市のすがたが浮かび上がる。その都市名前はN市。ある日をさかいに、そのN市の住人たちがわたしたちの都市のほうへと顔を出すようなことになったのである。N市の異様な出来事がこの都市のほうへと徐々に滲み出して来たとも言える。たとえば、街角の公園で、なにかを語り合っている二人の男がいたとしたら、その二人の話に注意深く耳を傾けてみると、どうやらこのわたしたちの現実のこととは事情が違うようなのだった。つまり、その二人は、この都市にいながらにして、N市の現実を生きているのである。そのようなN市の奇妙な住人たちは、この街の様々なところでその特異な存在を現すことになるのだろう。ただし、その現れようは、まことに微妙なので見逃すこともあるかもしれない

「マレビト・ライブ」プロジェクト・メンバー:

生実慧、今野恵子、児玉絵梨奈、島崇、鈴木孝平、武田暁、中本章太、西村麻生松田正隆森真理子、山口惠子、山口春美、和田ながら

主催:マレビトの会

共催:京都芸術センター

助成:公益財団法人セゾン文化財団、財団法人アサヒビール芸術文化財団

 松田正隆のマレビトの会*1はマレビト・ライブと題して今年の5月から3回にわたって、京都市内の公園や廃校となった小学校の跡などでブログツイッターなど最小限の告知だけに情報をとどめたゲリラ的な公演活動を実施してきた。今回はその総集編として「マレビト・ライブvol.1〜3総集編 N市民 緑下家の物語」として京都芸術センターでの公演を開催した。


2012年に新作を発表することを目指して、2011年度は上演のための継続的な習作の発表と試演会を「マレビト・ライブ」と題し行います。

「マレビト・ライブ」では、ツイッターSNSブログによる事前告知等を行い、毎回、劇場外のさまざまな場所を舞台に上演します。

2011年5月。京都。わたしたちの住むこの都市の上に、もうひとつ都市のすがたが浮かび上がる。

その都市名前はN市。

ある日をさかいに、そのN市の住人たちがわたしたちの都市のほうへと顔を出すようなことになったのである。N市の異様な出来事がこの都市のほうへと徐々に滲み出して来たとも言える。

たとえば、街角の公園で、なにかを語り合っている二人の男がいたとしたら、その二人の話に注意深く耳を傾けてみると、どうやらこのわたしたちの現実のこととは事情が違うようなのだった。つまり、その二人は、この都市にいながらにして、N市の現実を生きているのである。

そのようなN市の奇妙な住人たちは、この街の様々なところでその特異な存在を現すことになるのだろう。ただし、その現れようは、まことに微妙なので見逃すこともあるかもしれない。

<スケジュール>

マレビト・ライブ vol.1

◯日時:2011年5月7日(土)15:00〜18:00

◯場所:生祥児童公園麩屋町六角通り南西角)

*無料・予約不要、直接会場にお越しください。

*上演時間内、お好きな時間にお越しください(途中出入り自由)。混雑する場合は譲り合ってご覧ください。

*雨天の場合は、翌日5月8日(日)に延期します。その場合は、マレビトの会ブログツイッターにてお知らせいたします。



◯日時

2011年6月4日(土)14:00〜18:00

◯場所

・アパートの一室/緑下稲光の家(京都市左京区内)上演時間15分 (全8回ループします)

・ミック/マリーの居酒屋京都市左京区田中飛鳥井町44)上演時間20分(全6 回ループします)

京都造形芸術大学 青窓館5階/ビルの屋上(京都市左京区北白川通 鞍馬口通り 南西角)上演時間10分(全8回ループします)

※無料・予約不要

※3会場で実施します。各会場ご自由にお回り下さい。


「マレビト・ライブ」プロジェクト・メンバー:

生実慧、今野恵子、児玉絵梨奈、島崇、鈴木孝平、武田暁、中本章太、西村麻生松田正隆森真理子、山口惠子、山口春美、和田ながら

助成:公益財団法人セゾン文化財団


◯日時:2011年7月9日(土)15:00〜18:00

◯会場:元・立誠小学校、および、その周辺(京都市中京区備前島町310-2/木屋町蛸薬師下ル)

阪急電車河原町駅」1番出口より徒歩3分/※京阪電車祇園四条」4番出口より徒歩5分

*無料・予約不要

*上演時間内、途中出入り自由

*元・立誠小学校の1階受付にて会場地図を配布します

「マレビト・ライブ」プロジェクト・メンバー:

生実慧、今野恵子、児玉絵梨奈、島崇、鈴木孝平、武田暁、中本章太、西村麻生松田正隆森真理子、山口惠子、山口春美、和田ながら

助成:公益財団法人セゾン文化財団

マレビト・ライブ 特別試演会

2011年夏頃 京都市劇場で発表予定

主催・問合せ:マレビトの会/〒606-8205 京都市左京区田中上柳町21、3号室

TEL&FAX 075-708-8025

MAIL info@marebito.org

WEB http://www.marebito.org/

BLOG http://marebitonokai.blog118.fc2.com/

Twitter http://twitter.com/marebito_org

マレビト・ライブ用Twitter http://twitter.com/marebito_live

「マレビト・ライブ」プロジェクト・メンバー:

生実慧、今野恵子、児玉絵梨奈、島崇、鈴木孝平、武田暁、中本章太、西村麻生松田正隆森真理子、山口惠子、山口春美、和田ながら

助成:公益財団法人セゾン文化財団

<上演について>・・・・松田正隆

1、劇を演じることが演劇とすれば、

劇とはなにか。ということである。

劇(ドラマ)が生まれること(変容)に着目したい。それは、劇(ドラマ)という概念への問いかけでもある。「劇」自身を模索するためにはあらかじめ劇的である装置にまみれている既存の劇場を離れ、私たちのこの現実に「劇の生まれる可能性のある場所」を移行し、その劇の「立ち現れ」を注意深く観察したい。あるいは、立ち現れないこと(劇であることの失敗)をも注視すること。

2、個の物語(私の記憶)と公共の物語(集合的記憶)の対立の劇(ドラマ)を描く。その対立への応答をフィクションとしての物語で提出すること。

3、中断。この現実の持続とその現実の上に顔を出す虚構の持続に、中断をもたらすこと。

4、現代におけるインターネット上の体験と現実社会での体験(上演)との演劇的な関係のあり方を探ること。

以上がマレビト・ライブの上演の目的である。

<「ヒロシマナガサキ」シリーズから「マレビト・ライブ」へ>

松田正隆長崎に住む自身の父親に取材し、ドキュメンタリーの手法を用いて描いた『声紋都市—父への手紙』(2009・フェスティバル/トーキョー共同製作)、戦後、平和公園(PARK)を中心に復興を遂げた広島を取材し、広島出身の若手写真家・笹岡啓子とともに舞台化した『PARK CITY』(2009・山口情報芸術センターびわ湖ホール共同製作)、そして、広島朝鮮半島における「もうひとつヒロシマ」と呼ばれ、いまも多くの広島での被爆者が住む町・ハプチョンに取材した『HIROSHIMA—HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会』(2010・フェスティバル/トーキョー、京都国際舞台芸術祭 共同製作)。これら一連の「ヒロシマナガサキ」シリーズの最新作に向けた「マレビト・ライブ」では、「N市」を題材に松田正隆が新たに書き下ろす「都市の記憶」の架空の物語が、現実の街の中で交差します。

松田正隆はマレビトの会を設立して以来、従来の演劇では自明な物語の解体、演出、演技の実験などを手掛けてきたが、展覧会方式などと呼ばれた「HIROSHIMA—HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会」(2010・フェスティバル/トーキョー、京都国際舞台芸術祭 共同製作)など近作で試みたのは「劇場という制度」「公演という制度」への問い直しであったかもしれない。

 マレビト・ライブはその延長線上にある演劇実験と考えることができる。5月から3回にわたって行われたその公演を見ることは残念ながら記録された写真*2からそれがどういうものであったかということを想像すればそれは劇場以外の場所で上演された一種の巡回式野外劇(一部室内も)であったようだ。 

 最近はフェスティバルトーキョーなどで何度かにわたって来日公演を行い注目されたリミニ・プロトコルなどドイツのポストドラマ演劇のことなどが取りざたされているが、こういうものは日本国内でも前例がなくはないもので、そういうことをあまり知らない(と思われる)海外演劇の専門家(研究者)たちの論には常々違和感を感じるところもあった。

 なかでも重要な前例と私が考えているのは1990年代に東京を中心に野外からギャラリーカフェなどさまざまな場所で「場所から発想する」演劇を上演してきたトリのマーク(通称)*3の挑戦であった。

[]東京デスロック「再/生」@KAIKA

SUMMER TOUR YOKOHAMA - KYOTO - FUKUROI

演出:多田淳之介

出演:夏目慎也 佐山和泉 佐藤誠 間野律子 (以上東京デスロック

   石橋亜希子青年団) 坂本

東京デスロック「再/生」には若干のセリフはあるけれど、ほぼ全編が音楽とそれに合わせて動く俳優たちの身体所作によって構成されている。ただ、その音楽の多くが「歌詞」のあるボーカル曲となると、曲想だけではなく、そこで歌われている意味内容も作品の意味合いに関係してこざるえなくて、スタイル自体は最近よくある、「演劇なのかダンスなのかよくわからない舞台」の一種ということもでき、作品自体は抽象化され、普遍的な要素も持つものだが、今回の場合は「再/生」すなわち「再び生きる」ということをモチーフにしたポスト3・11の「再生への思い」がストレートに伝わってきた。

  冒頭部分に女性が出てきて、「幸福じゃなかった、今は幸福である」などと語る場面はチェルフィッチュの「わたしたちは無傷な別人である」を一瞬思わせたのだが、そんな印象は舞台の進行とともに吹き飛んでしまう。その後はセリフがほとんどなくて、途中でまた短く「焼肉」の会話が出てくるけれど、セリフ(戯曲)の代わりに音楽とそれに付随した一連の身体所作だけで進行する。

 出演しているのは全員俳優ダンサーではないので、動き自体が別段面白いというわけではない。それでも舞台を飽きないで見続けるのは、役者たちが演じている総体が観客に想起させる「意味」の世界があるからだ。

2011-08-02 ベビー・ピー「七福神!」@京大西部講堂前広場

[]ベビー・ピー「七福神!」@京大西部講堂広場

f:id:simokitazawa:20110804034340j:image:w360

ベビー・ピー 第10回公演 「七福神!」

[構成・演出]根本コースケ

[出演]門脇俊輔 首藤慎二 根本コースケ 森上洋行 柳原良平(ぬるり組合) 松田早穂 丹生みほし

[STAFF]舞台監督平林

舞台吉田聡

美術:小西由悟

照明:ぷっちヨ(劇団愉快犯)

音響:井上まどか

イラスト:山さきあさ彦

制作:林保美、村田絢加、小澤希、菊地諒(劇団ケッペキ)

   ベビー・ピー

テント:唐仁原俊博

[協力]ニットキャップシアター、ぬるり組合、劇団愉快犯、中野劇団西部講堂連絡協議会、イーリャダスタルタルーガス、KAIKA、劇団ケッペキ

 京大西部講堂前の広場に張られたテントで上演される野外劇といえばいわば季節の風物詩のようなもので以前は当時この西部講堂に拠点を置いていた遊劇体をはじめいくつかの劇団がここで公演をして、私も何度も見に来たものだが、その遊劇体が最後にここで野外公演をしたのが2001年9月のこと*1。その同じ年の11月には劇団犯罪友の会が「紫陽花の指絵」を上演しているが、おそらくこれが関西地元劇団による西部講堂前での最後の公演でその後はここでの野外公演は東京劇団が何回か来て上演した以外はやられていなかったのではないかと思う。

 そういう意味で今回10年前の上演などを知るメンバーはおそらくひとりもいないと考えられる若手劇団「ベビー・ピー」の手でここ西部講堂前での野外テント劇が復活、上演されたということは一種伝統の継承という意味できわめて画期的なことではないだろうか。というのはここ数年京都の若手劇団の関係者の間から野外のテント芝居が打ちたいけれどどうやったらいいのかのノウハウが分からないとの声を聞いていたからだ。もっとも今回のテント芝居の劇場のノウハウは遊劇体などかつてここを本拠地にしていた先輩劇団から受け継いだものというのではなくて、メンバーの何人かが出演していた劇団どくんごなどでの体験を基にして独自に工夫したものであるらしい。だが、そうだとしてもここで新たにテント劇場のノウハウを持った、あるいはノウハウを継承できる受け皿になりうる集団が現れたということは現在はあまり野外公演をやっていない先輩劇団にとっても嬉しいことだったのではないかと思う。少なくとも観客としてここでこれを見ることができた私はひさびさの経験がとても嬉しいものであった。

 もっとも、芝居の中身についていえばベビー・ビーの芝居にはアングラ臭の強いほかの野外劇上演集団と比べると少し違いがあった。表題の「七福神!」というのは出演している7人の役者たちのことであろうか。どんな話が展開されるんだろうと注目して見ていくのだが、どうやらこれは全体としてひとつ物語が紡がれるというよりはそれぞれの役者が演じるバラバラの短編が並べられたオムニバス作品であるらしいということが途中で分かってくる。

 コントのような場面もあればなにかロシア小説と思われるテクストドストエフスキー?)を抜粋し構成したひとり芝居、「ソクラテスの弁明」の一部分、月に上ってしまった女性を追いかけた男を描いたファンタジー風の物語紙芝居風の芝居と内容はかなりバラエティーに富んでいて、(続く)

 

*1タイタスプロジェクト(桃園会+遊劇体+他)「のにさくはな」 京大西部講堂前特設野外劇場