涼宮ハルヒの憂鬱 12話

http://d.hatena.ne.jp/cherry-3d/20060622/1150971768を見て、かなり納得したので勝手に補足。


「今回のハルヒの唄はあまりに上手すぎるのである」っていうのには、全く持って同意で、アニメ版では代役を上手くこなしすぎだと思います。
アニメでは元のメンバーが四人になってて、ん?と思ったんですが、原作では三人なんですよね。原作では、あくまでハルヒ長門の二人で一人の代役をこなしていたに過ぎません。ハルヒ一人で、一人分を上手くこなしたって訳ではないんですよね。
その分歌う曲は二曲になってますけど、そのために一曲目から周りにすごく受け入れられてるところにも違和感あったんですが、その理由としてハルヒが楽譜とにらめっこしてないというのが挙げられると思います。バニーガールの格好に対して、唄とギターがやたらと上手くて、でも楽譜をずっと見たまま歌ってるっていう奇妙さに原作では周りの人は石化してたんですけど、楽譜を見ないで曲が二曲になることで、そういった違和感をほとんど観客が感じていなくて、一曲目から受け入れてしまっているというのは、あまりにも上手くやりすぎです。
原作のこの話でのハルヒの役割は、あくまで代役を完璧にしすぎないことによって、元の人がすごいんじゃないかと思わせるための引き立て役であるのに対し、アニメだと少々完璧すぎるのではないかと。


あと、ハルヒのことは難しいのでラストについて言うと、キョンハルヒに引きずられていて、そこで視点を上げちゃうのもなんか違う気がします。
原作では、「しょうがないので俺も走」っているのですが、それをすることの理由として、
「何故かって?
ハルヒの手が俺から離れるには、まだ時間がかかりそうだったからさ」
と言っているのですが、そんなこと言いつつ走ってるっていうのがキョン君もそれを楽しんでいる何よりの証拠だってことなんですけど、そういったキョン君の事情を平然とスルーするあたりがなんとも。


アニメ自体は楽しんではいますけど、ニュアンスの辺りに違和感があるので、言葉にしておきたいというのがやはりあるので。