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2006-10-09

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                                                        天瀬裕康

 乾信一郎と広島図書

  中学生向け雑誌を中心に   


 広島図書の教育雑誌の概観

 戦後間もない一九四六年八月六日、広島の教師らによる広島児童文化振興会が、タブロイド版二頁の機関誌『ぎんのすず』を発刊した。

 同紙は財政的に無理があったので、広島印刷株式会社が肩代わりして、十月から雑誌形態の『ぎんのすず』が刊行されることになった。

 翌四七年四月には中学生向け『科学新聞』を創刊、五月には広島印刷株式会社出版部をもとに、広島図書株式会社が設立された。

 この『ぎんのすず』には低学年の『ギンノスズ』、高学年の『銀の鈴』があり、同年九月には中学生向けの『銀鈴』も創刊された。

 さらに同年十一月には『科学新聞』を改題し、中学生向け科学雑誌『新科学』を創刊している。


 『青空』創刊の前後と周辺

 小学生用《ぎんのすず》から中学生向けの『銀鈴』が発刊されたころ、もっとも好意的な態度を取った作家の一人は、海野十三だった。

 この『銀鈴』は一九四八年の四月、これを引き継ぎながらも女子中学生向けに編集した『青空』を、飛翔号として改題・刊行した。 実質的には『青空』の創刊号である。この年の十月には、《ぎんのすず》の総計は五〇万部となっている。

 そして一九四八年一〇月号から、乾信一郎が『青空』の執筆陣に加わったのであった。


 『青空』における乾作品

 四八年一〇月号「絵のない額縁」絵・蕗谷虹児、小説――舟木文江は古道具屋にあった額縁が欲しかったので、小遣いを出して買ったが絵がない。そこで父親の友人である森島画伯が描いてくれることになったが、キャンパスがないので額縁の後ろの壁に描いた。そのとき父親が転勤になったので、額縁と絵はそのままで行くことになる。

 四九年一月号「二つのスエター」絵・鈴木寿雄、小説――仲よし女子中学生六人グループの中で、長島初子と鈴木やす子の二人は、うまくゆかない。リーダー格の山野は頭を痛めているが、ある時、この二人以外はスエターを着ているのに気付き、二人に相手のスエターを編ますよう、話を持ちかける。二人はお互いに、相手に似合うのを作ろうと競争して、その結果、友情の塊のようなスエターができた。

 四九年四月号「花の友だち」絵・鈴木寿雄、小説――宮沢タイ子は、一人っ子だが世話好きな中学生で、いつも小さい子がもぐれついてくる。なにしろ大人の世界は、泥棒とか人さらいとか、怖いのである。じっさい、五つのミヨちゃんが、さらわれた。そしてヨーコちゃんも、いなくなる。だがタイ子たち子どもの活躍で、人さらい団の一味八人は捕まったのだった。

 四九年一一・一二月合併号「おせんちコント」三つの軽妙なコントが約一頁の中に入っている。「うそつき星」トモ子とアイ子が星を詠んだ詩を朗読しあう。星はパチパチまばたいて可愛い、でも本当はとてもデカイ。うそつきだ!「たえなる楽の音」ソラ子は、月光のもとでヴァイオリンを弾いていると、涙が出そうになる。じゃあ耳に綿を詰めとくといい、とアオ子。「植物の教科書」ハナ子は花が好き。ある日、体じゅう花だらけで学校に来た。級友が驚くと、彼女は言った。今日は植物の試験でしょ。


 『理科と社会科』の発刊

 中学生向けの『銀鈴』が女子学生を対象にした『青空』として発刊された一九四八年四月、副読本『理科の友』も刊行されている。前述の『新科学』など、この系列は男子中学生を念頭に置いていたが、十二月には中学生向け『新社会』が創刊された。

一九四九年四月、『新科学』と『新社会』を合併した中学生向け『理科と社会科』が創刊された。

 ちなみに、この時点で《ぎんのすず》の総計は一〇〇万部を突破しており、五月には広島印刷株式会社が広島図書の方に吸収合併され、広島図書は一段と大きくなっている。


 『理科と社会科』中学1年生

 四九年四月号「大きいものと小さいもの」絵・岩本晃、小説――密林の大きな象は、小さなハエやアブに悩まされる。十頭の象のカシラも胸の傷に小さな虫が来るので、困っていた。そのころ一頭だけで暮らしていた性質のよくない象が、カシラに喧嘩をしかけてきた。激しい闘争のすえカシラは敗れ、象の掟に従い群れから出てゆく。しかし、新しいボスは人気がなかった。仲間内の一頭が元のカシラに会ったのを期に、仲間が集まって暮らすようになる。

 四九年五月号「ガリレオの望遠鏡」絵・斉藤長三、物語――むかしは、太陽が地球のまわり廻っている、と考えられていたが、ガリレオ・ガリレイは望遠鏡を発明して、古い考えを打ち壊した。また、大小二つの鉄の球が、同じ速度で落ちることも、実験で示した。

 二四年六月「末広兄弟」絵・三芳悌吉、連載小説・全6回――末広家の七人兄弟のうち、二番目の正二は腕白だが、悪い少年ではない。しかし父母は手をやいて「ろくでなし」と叱る。夏休みに、末広家に下宿している三浦先生が田舎から「遊びに来ないか」と誘われたので、兄の健一と行くことになる。正二は駅でブラブラしていて汽車に乗り遅れたので、竹内と言う友達の家に一人で遊びに行く。正二がいないので、みんな大騒ぎだが、そんなことなど彼は知らない。大きな屋敷だから、田舎よりいい、とおもったのだが、金持ちの生活にも厭きて上野に行き,街の屋根を眺めていたら浮浪児が来た。そこで仲間になり大阪へ行くが、正二には家があることが分かって、仲間はずれにされる。どこに行けばよいのか分からないので、おまわりさんから金を借りて東京に帰ると、みんなが心配しているのが分かった。これまでは、カボチャの出来損ない、などと叱られていたが、いないよりは、いたほうがよいのだ。そう思うと愉快になった。これからは、お父さんから「カボチャ!」と言われても。腹は立てないだろう。


 『理科と社会科』中学2年生

 四九年五月号「埋もれそうになった二大発見」絵・岩本晃、読物――害虫駆除に使うDDTの開発は、一八七四年にオットー・ツァイドラーの書いた六行の報告書から始まった。抗生物質のペニシリンは、一九二八年にA・フレミングが細菌培養中のトラブルから見つけたものである。どちらも一度は捨てられかけたものだが、あとで大きな仕事になったのであった。

 四九年一二月号「自動車王の少年時代」絵・松野一夫、伝記――アメリカの大自動車メーカーであるフォード社を創設したヘンリー・フォードの家は百姓だった。子どものころから機械いじりが好きで、川の水の流れで機械を動かすことを考えたり、時計の部品を探すのに、三里も歩いてデトロイトに行ったりした。その後蒸気自動車を改良して、現在のような自動車を作ったのである。

  

          *

 乾信一郎が、広島図書の教育雑誌『青空』や『理科と社会科』なども含めた《ぎんのすず》系諸誌に寄稿していたのは、彼が戦後、NHKラジオドラマで活躍しだすよりも少しまえの時代であった。

 当時のシナリオなど貴重な資料は、熊本県立図書館・熊本近代文学館に保管されている。

 なお、『青空』等の少女雑誌に関しては、熊本県菊池郡菊陽町の菊陽町図書館がよく揃えている。

 次回は、そうした資料も交えながら、乾信一郎の足跡に触れてみたい。



(2006年10月9日)





★これ以前の「時空外彷徨」(1〜18号)は、以下の『新青年』研究会サイトをご覧下さい。

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