2010-07-28
もはやこの国に死刑を執行する資格などありはしないだろう
死刑というのは文字通り「命を断つ」刑罰であり、本邦において最高の厳罰となっている。
今回千葉法相が死刑執行にサインしたことにはいくつもの問題がある。
まず、サインした日付は7月24日という話であるので、同26日に議員失職が確定している法相にとっては、事実上議員大臣として最後の仕事にも等しい。
そもそも千葉法相は「死刑廃止議連」に名を連ねていた(過去)のではなかったか?だとすると、その議員が議員として最後の仕事として「死刑を執行した」ということになる。法相としての立場、というのはあるだろうが、それでは議連に名を連ねていた意味は何だったのか?しかもアムネスティ議員連盟にも名を連ねていた。法相という立場上、これらの議連から外れる、という行動自体は、今回の事態を想定してのものだ、と見ることはできる。法相として執行者の立場でもあり、執行する際にその議連に所属していることは問題視されるだろうから。
しかし、そうだとすると、一番最悪のタイミングでそのカードを切ったことになる。
確かに千葉法相は落選し、議員資格を失った。それは事実だ。しかし、今回千葉氏の得票数は落選者中最多となっている。
過去の千葉氏の得票はどうだったか?
第18回参院選 510,371 3位当選(民主党2候補計約115万票)
第20回参院選 843,759 3位当選(民主党2候補計約190万票)
第22回参院選 696,739 4位落選(民主党2候補計約144万票)
第20回参院選は民主党が明らかに勝ち過ぎているので、それを考えれば第18回参院選よりも千葉法相は今回の方が票を伸ばしている。民主党計でも伸びている。今回の民主党の神奈川における選挙戦は「現役大臣なら安泰」という胡坐をかいて序盤を過ごし、無名新人に多くを割り当て過ぎたため、3位と4位が逆転した戦略ミスによる失敗でしかない(ちなみにもう一つの要因はあきらかに「みんなの党」の党勢を見誤ったことにあると思われる)。千葉法相が「死刑を執行しない」ことに対して民意がそれを否定したわけではないだろう。
戦略ミスで落選しようが、落選は落選なので、言ってしまえば「ただの人」ではあるわけだが、それでも「弁護士」なのだ。過去の経歴や言動に、必ずしも支持できない点が少なくないものの、千葉氏が法相として起用されたのは「弁護士」としての経歴もあるはずで、死刑廃止等の氏の遍歴を見れば、それが民主党としてのメッセージであろう、と受け取るべきではないのか。「議員失職を大臣で救済するのはおかしい」「議員失職に伴い大臣を辞めるべきだ」という批判は、少なくとも憲法規定に反していない上、それは「通例」としてはあったかもしれないが、留任させたことでどうこう、というのはおかしな話ではないか。今回「死刑制度の存廃」など一度として選挙の争点になったことなどなかったのだから。
死刑執行は執行において大臣のサインを必要とする刑罰であり、それは他の刑罰と異なり、最後の最後までそれが正しいことなのか、問題はないのか、を考え、一部でも僅かでも疑義があれば、その執行を止めるためでもある。
仮に数カ月の間死刑が執行されなかったとして、それだけで「職務怠慢」とするのであれば、小泉内閣時の杉浦法相は事実上(「執行しない」発言は撤回したとはいえ)在任中の執行がなかったことはどうなのか(他にも複数の在任期間中の未執行法務大臣は存在する)。
また、6ヶ月という規定は「長く執行を待つことは無用な苦痛を与えるから」という理由で設定されたものであり、「6ヶ月以内に執行する」ということが自己目的化することは好ましい政策とは言えない。それを言うならば、執行まで平均7年以上かかっている現状は、過去の法務大臣も責任を負うべきだろう。再審請求などの期間は6ヶ月にカウントしないとしても、だ。
今回死刑を執行された死刑囚は、その罪状についてはどう考えても凶悪犯であり卑劣な犯行としか言い様がないものだが、上記を踏まえてもこの時期の執行には疑問を持たざるを得ない。
一つは問責というその職責適任者かどうかを問う提起がされている時期の執行、ということであり、もう一つは議員資格失効が確定し、失職直前に執行されている、ということにある。前者については、「問責そのもの」の理由が甚だ薄弱で、こんな理由で問責を通していれば今後あらゆる理由が問責の対象になりかねず、突っぱねることもできたはずだし、突っぱねるべきだった。後者については、前者の状況に対しての「執行したのだから適職だ」ということを主張したいのであれば、なお最悪で、それは必然的に「自己の正当性を補強するための死刑執行」という「執行しない以上に恣意的判断」と言わざるを得ない。しかも千葉法相は議員失職直後の7月27日に「死刑は大変重い刑であり、これまでも慎重に対応されてきた」と発言し「(死刑判決確定後も)再審が起こされていないとか、心身に問題がないかも含め、死刑は慎重にならざるをえない刑罰だ」と述べている。この言葉は何だったのか?
挙句に執行後の会見で存廃を含めた死刑の在り方についての勉強会を立ち上げる指示を出したことを述べてさえいる。この発言を額面通り受け取れば、「議論のために殺した」と言うほかなく、そうでなければこの発言そのものが、過去の言動と今回の執行の矛盾批判を避けるために、「保身としての指示を出した」としか考えられない。さらに最悪な執行と言わざるを得ないだろう。
もちろん広汎な議論は行われるべきだし、そもそも死刑合憲説は占領下の1948年のものが根拠となっている。この合憲説そのものが、いわゆるA級戦犯処刑直前、という極めてデリケートな政治情勢下で下されたものであることは考慮しておいて良いだろう。この合憲判断については「応報論」ではなく「威嚇効果」「隔離効果」での判断となっていることも留意点ではあろう。
さらに酷いのはこれに対する公明党の「民意を得られなかった人が引き続き職務に携わることがいかがなものかと問われているときに、こうしたことを行うのは国民の理解は得られない」との発言で、散々「執行しない」ことを責め、その結果(それだけではないにしても)落選したことを「民意を得ていない」と責めていたわけで、それまでの発言を文字通り受け取るなら「民意を汲んで執行した」としかならないはずだが、まるで道理が通らない。
責める側も責める側で、「法相のクビを取る」ことにしか興味がなく、死刑執行をその政争の具として扱うことに躊躇しない姿勢は、それだけで「死刑廃止を選択するに値する」政治状況と言わざるを得ない。
もともと死刑が「大衆に見せる」刑としての側面もあり、それに対して必ずしも否定をするわけではないのだが、今回の一連のものはその「死刑そのもの」が持つ意味合いではなく、「死刑」そのものを見せものとするただの政争に過ぎない。果たして我々はこの醜悪極まる(そして執行待ちだったとはいえ)2人の命を奪った行為を、今後も観劇し続けたいのか、今回問われてくるのは最終的にはそういうことなのだろう。当事者を除けば死刑の執行は「社会正義」を確認する行為であり、また酷い場合は「閉塞状況に対するガス抜き」としての祝祭作用を得る行為でしかない。
まともな取り調べの可視化も行われず、強引な取り調べや無理な調査、場合によっては証拠や証人の捏造さえも行われることもあり得る状態で、この死刑という刑罰を、いまやその本来意義とは外れた形で見せ物化してしまった今回の行為は、現代日本における相当に重い汚点であることは間違いない。千葉法相は指揮権発動についても危うい発言をしていたが、今回の行為は最早議員以前に、また弁護士以前に、あまりに権力を自身のために振い過ぎた、人として問題がある行為であるだろう。そして、そうするよう追い込んだ要因の一つは野党の職務怠慢批判であり、マスコミの居座り批判であることは疑い得ない。寄ってたかって死刑囚を玩具にして弄んだ、という事実を一体どう受け止めれば良いのか。
考えれば考えるほど、自分には「最早死刑を廃止するしかあるまい。まともな判断力と洞察力をもった人間がいないのだから」としか結論が出ないのだが。
また、千葉法相には可視化など、いくつか実現に扱ぎ付ける道筋をつけて欲しいテーマもあり、過去のあれやこれやに目をつぶっても暫定支持、という立場だったが、これについては金輪際撤回させて頂く。間違いなく最低の法相と言わざるを得ない。本人が否定しようが、そう受け取られることを承知でやったのであれば、なぜサインした段階で公表しなかったのか、またなぜサインしたのか、についての説明がない以上、何の言い訳も聞く気は無い。同時に、公明党も元から支持していないとはいえ、「『生命・生活・生存』を尊重する公明党の人間主義」といった綱領はまるで看板にもならないものだ、ということとして対峙するし、美辞麗句もそう判断する。マスコミもこの件に関しては同罪だろう。法的に問題がないから引き続き大臣として残って構わない、という点について「何でも適法ならいいのか」という批判はあるだろうが、その批判の一つが「死刑執行有無による適格性」であった以上、それに対する自身への言説は当然表明されるべきだ。まして、執行したらしたで「変節」だの何だのと言って法相批判に走るようでは、いかに「命」を玩具にしているのか、ということに無自覚でありすぎる。今回の執行は「なぜこのタイミングで千葉法相が死刑執行のサインをしたのか」ということであり、法相自身の問題と、今回の執行を生起した環境を誰がどう作ったのか、について深く考えるべきだろう。
そして、我々は「誰が大臣として適任なのか」について、今回の件でその判断の根拠とすべき過去の言動なり行動がいかに「信頼できないか」ということをまざまざと見せつけられたことになる。法相を支持する、支持しない、ではなく、そのことについても考えねばならないのだろう。
一体この国はどうなろうとしているのか。シニシズムに沈もうとしている自分が今ここにいる。
過去に統帥権について、その本質的意味合いとはまるで関係なく「干犯問題」として政争の具にした挙句に国を挙げて破滅へと走った、その行為は、今度は「死刑」という問題で行われようとしているのだろうか。もちろん死刑があろうがなかろうが、それで戦争になるなどと言うことは無いが、命でさえもそうして恥じるどころか問題さえ感じない、簡単に信念を曲げられ、また「ためにする批判」を行える政治家ばかり選んできたのだとしたら、一体全体まともな国などになりようも無いではないか。
遺族会の「やっと執行したか」という反応は、心情的には理解するが、それに対してのコメントは差し控える。
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