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2011-07-20

[]ナルシズムの定理

 大学で法学系の授業がある。当たり前だ、法学部なんだから。いろいろあった途中までを割愛するけれど、先生いわく、法は数学に似たものという。自然において起こった事象を言語数学を用いて説明する。それは合理的に辻褄が合えば正解として定理となる。法はどうか。社会で問題が起これば、罪刑法定主義において法的解釈と処理がなされる。言語は法だ。一貫した妥当性が確認されれば判例となる。つまり法学的思考とはそういうことなのだと。

 そのとき引例されたテーマがある。愛とはなにか。

 人は愛をもつ。誰かを愛し、あるいは愛されたいと願う。例外は存在せず、それは照準を緩め、人外を眺めてみても同じことが言えよう。では愛の定義とはなんなのか。その誰か(何か)を守りたいと思うことだ。さてその感情はどこからくるのか?

 現在、その答えとしてもっとも有力なものが遺伝子だ。人は男性のXY染色体と女性のXX染色体の組み合わせで性別が決定される。そのときの組み合わせは男性の染色体一対と女性の染色体一対の階乗である。この染色体群を順にA〜Dとおくと組み合わせは[AC][AD][BC][BD]なので、例外を除けば、必然的に子どもが親の遺伝子を継承している割合は50%固定のものだ。畢竟、人は自分の分身を愛しているのだ。

 一方でミツバチという生き物がいる。日本ではとても有名なハチだ。彼らは何百匹という一つのコロニーのなかで、たった一匹の女王バチのために働き、一生を捧げる。そこには女王バチと働きバチの2種類しか存在しない。しかし実は働きバチ自体を、もう2種類に分けることができる。雄と雌だ。生体構造だけに話を限定すれば、女王バチと雌の働きバチに差異はない。そう、自分がなりたければ女王バチになれるのだ。なのになぜ彼女たちは姉妹にそこまで尽くすのか。最近この問題に対する有力な答えが出てきた。遺伝子だ。

 雄の働きバチには染色体が一対しか存在しない。これをAとする。かたや雌の働きバチは二対の染色体をもつ。これをB・Cとする。組み合わせとしては[A][AB][AC]で、このとき染色体をAの一対しかもたないものは雄になり、二対もつものは雌になる。このとき子の雌の立場から見てみよう。

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 緑色の枠で囲まれたACからみると、親との一致率の平均は50%だ。しかし姉妹との一致率をみると、同じ遺伝子の組み合わせがいるので、平均は50%よりも高い。この図の場合では75%になる。これがいま最も有力な説で、彼女たちが一生を尽くして姉妹に奉仕する理由たりうる遺伝子進化論だという。より自分に近い存在であり、より長く生きる可能性をもつものを保護する。これが愛の正体なのではないかということだ。

 この講義を聴いたとき、長年抱いていた疑問が氷解した。ナルシストはなにを愛しているのかという疑問だ。彼らは自分を愛するというが、それは自己自信の類なのか。しかしナルシズムが自己満足だとすればそれを開放することに違和感を感じる。充足はそこで完結し、いかなる発展をすることもないからだ。そうでなければ充足とは呼ばない。では裏返って自己を認めてもらいたいという感情の他者への促がしなのか。けれども一般的にはナルシズム的行為は促進を生まず、むしろ他の自己実現を図ったほうが近道であるほうが多い。疑問はぐるぐると渦巻く。これは解けないままかと思っていた。だが遺伝子が愛の在りかという考え方は、この疑問を一発で解消した。おそらくナルシストは多重人格者なのだ。

 鏡を見るとき人はそれを自己として認知する。そこに他者は存在しない。だがナルシストはそこに自己という他者を見る。これは客観視を意味しているのではなく、実際として愛する自己と愛されるべき自己がいるのだ。主観人格の乖離と自己愛のどちらが先なのかはわからない。けれど自己を「自己という他人」として眺めたとき、そこには一致率100%の他者が存在する。彼の魅力や悩みは全て理解できるし、自分のそれらも全て理解してもらえる。なにより許せるし許してくれるだろう。死ぬときですら彼らは一緒だ。もしかしたら愛を突き詰めていくとき、究極の形は自己愛へ至るのかもしれない。

2011-05-03

[][]マクドナルドの紙袋をブックカバーにしてみた。

 まぁタイトルのまんまです。

 本を買ったときにブックカバーをもらい損ねる。そうでなくても、一度読んだ本のブックカバーを捨てたあと、また読みたくなったときに着せるカバーがない、などなど。俺はそんなことが割とある。布製のブックカバーは持っているんだけど、二三冊の本を並行して読むタイプの人間なので、ブックカバー自体は頻繁に不足する。じゃあ買えよって話だけど、そこは貧乏学生の身の上話。本と音楽と飲み会にお金を回していたら、あとはもう貯金する分しか残らないのだ。

 そこで目に付いたのが、マクドナルドでテイクアウトの際にもらえる紙袋。冷静に見ると、なかなかシャレオツ。まぁ紙を切るだけなんで難しいことでもなし。チョキチョキってみました。

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 ↑マクドナルドの紙袋。右は文庫本(中央公論新書サイズ:概算17×11cm)。

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 ↑表と裏で微妙に異なるデザイン。

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 ↑解体。キャベツとポテトの絵柄にした。ブタさんのケツが切れてるw

 「WE LOVE TO SHARE OUR PASSION !!」

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 ↑裏側から適当にアタリを付ける。

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 ↑途中は省略で笑

 思ったよりは、意外ときれいに収まりました。

 新書は単行本よりも高さがあるので難しいかなと思ったんですが、ぎりぎりジャスト・・・って感じ。切り落とす段階で幅は足りてなかったけど、まぁ元の型が余裕を持たせた作りになってるから、当たり前と言えば当たり前か。

 他の紙袋も試したいなぁ。モスや無印、ユニクロは紙袋あったかな?

2011-04-21

[]「節電だ!」に隠された本当の理由は。

 世間では節電だ節電だと騒がれている。すこし付和雷同のような気がしなくもない。過剰な自粛は良い結果を招かないとマスコミが論調を締めた矢先に、これではどうにも腑に落ちにくい。「みんなが頑張っているときに!」といったような村意識の存在が、言葉と言葉の隙間からチラチラと顔をのぞかせている、そんな印象が拭えない。そういった発言というか風潮はあって当然だと思うけれど、それを組織が真に受けるのはどうだろうか。個々人レベルの節電と法人レベルでの節電では、その意義が大きく異なってくる。

 また個人に限定したとして、節電がどの見地から立っているのかでも、意味がだいぶ変わってくる。たとえば経済的見地からすれば、需要と供給の妥協値がギリギリであるほど健康的で望ましい。要求された量に応えることで健全な消費は促進される。あるいは道徳的見地からすれば「一人一人の意識」とでもいったところだろうか。ゴミ拾いの精神に近い。

 さて東京都では石原都知事の『自動販売機に関する発言:http://www.j-cast.com/2011/04/11092759.html』が問題になった(なっている?)。石原都知事といえば再当選が記憶に新しいが、公務の初っ端から発言が元気すぎるのではと思う。都知事選の快勝がよほど嬉しかったのかと思ったが、考えてみれば前からこの調子だった。とりあえず内容の審議はさておき、ここで気になったことが一つ。いったい、この発言を石原都知事はどの立場でしたのかということだ。

 都知事としての立場だろう。そうツッコミが入るのは必至なので補足すると、発言ではなく発想がという話だ。個人の心象から生じたものなのか、政治的包括的な論考からなのか、はたまたそれ以外の要因があったのか。気になって記事を見てみると、発言からは個人の心象が口を突いて出たように取れる(cf:「自動販売機なんてやめちまえ。コンビニで買って家で冷やせばいいじゃない」)。代替案の内容からでは、自身の生活習慣とは馴染みがないゆえに発した言葉というふうにしか取れない。自販機で買って冷蔵庫で冷やす。自販機のそうした使い方はマジョリティではない。自販機があるから買う。または、自販機がたまたまあったから買う。むしろそういったように購買欲を受動的に起こさせるものであって、買いたいから自販機を探すといったように購買欲が自発的なものであることは少ないだろう。株価が急落したメーカがあることも考えると、影響力を鑑みないポッとした一言は、公的な場では慎んでいただきたいものだ。

 しかし実際の話として、消費電力はどうなっているのか。

 電力会社が一般家庭の一日の平均消費電力としているのは9700Wで、一ヶ月に直すと9.7kW×30d=291kW。一方で、自動販売機の一時間の定格消費電力は600Whだから、一ヶ月に直すと0.6kW×24h×30d=432kw。つまり自販機一個で、家庭で消費する電力の1.5倍は消費しているのだー!

 ・・・・・・という結論だと、まだ早い。実はコカコーラなどの大手メーカは、15年ほどくらい前から、全ての自販機に節電対策を施している。真っ暗だった自販機にお金を投入すると、急に電気がついたりした記憶はないだろうか。非使用時は蛍光灯のみにしたり、保冷ではなく冷蔵に切り替えたりといった工夫で、実際上の消費電力を10%まで減らすことができる。さらにピーク時に機能する『節電モード』状態では、1時間あたりの消費電力を2.8%で、つまり17Wで稼動させることができる。節電という意味では、ほとんど問題にならないレベルと言えるのではないか。自動販売機による収入は、飲料業界の三割を占めるという。もしかしたら自販機の撤去は、マイナスの影響しか引き起こさないかもしれない。

 プロ野球の開幕に際しても一悶着あったが、どうにも考えを述べることの難しさを実感する。出発点が感情なのか意見なのか。冷静で論理的だと自分で思っているときほど、その判断は頼りにならないことが多い。これは年齢や頭の良し悪しなどを問わず、気付けるかどうかの違いでしかない。だからこそ難しいのかもしれないけれど、良い意味で疑うことを覚えたいものである。