Googleにサイボーグ化される未来

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)』で言う変化とは、「こちら側」から「あちら側」にインフラを移すと、大勢の人間から余剰リソースをかき集められ、新しいサービスひいては社会の可能性が出てくるというお話です。しかし負の側面もある。


われわれは、機械の身体(頭脳)がGoogleに貰えると喜んでいたんだけれども、それは裏を返すとGoogleという巨大な機械の部品(ネジ!?)になることでもあります。もちろんGoogleだけではなく、amazonなども膨大な統計データを収拾していますね。


それに対して一つのビジョンは東浩紀の「データベース化」する社会や「環境管理型権力」の話がありますが、もう一つは『「資本」論―取引する身体/取引される身体 (ちくま新書)』の人的資本の話があります。今日は後者をとりあげます。ちなみに、どちらも通奏低音として「身体」というモチーフがあります。


社会学とか経済学とかよく知らないんですけど、「労働力=人的資本」という概念を導入することで、資本主義社会に留まりながら労働者の権利を保障するにはどうしたらよいか、という概要は何とか理解できます。


つまり、労働者が働くのは人身売買ではなくて、労働力として身体をレンタルしているだけだから壊したらいかんよ、というしごくまっとうな話です。それが自然と残業とか過労死の議論に繋がるんでしょう。


ただ、この本には最後にサイボーグの話が出てきて、それまでの展開をひっくり返しかねない結末になっているのが興味深いところです。攻殻に手をサイボーグ化してダーッと超高速タイピングする老geekが登場しましたが、ああいうことが実現するかもしれません。


もちろん、SF的に自分の身体をサイボーグ化して売ろうとする「ポストヒューマン」の時代の話は、われわれにはまだ無関係に見えます。またアシモAIBO先行者のようなロボットもまだまだ人間には遠い。しかし、私的にはGoogleは既にホッブズの言う「人工人間」のように見えるわけです。どういうことか。


例えば、道路でカチカチカウンターを回して交通量を調査している人がいるじゃないですか。われわれはGoogleを使ってるときに、そういうことを無意識にやっているわけですよね。それが無料で使う対価なのですが、ネット=無料という定式化は、実は見えないところで高くつくかもしれないという話です。


googleamazonのデータというのは、たぶん今まで集まったことがないような量で、これからも増え続けていくわけですが、これこれこういう社会的属性の人間がこういう消費をするというパターンが分かってしまうと、応用したくなると思いませんか。


例えば、Ajaxとかでどんどんオンラインで事務系の仕事ができるようになっていく流れがありますね。でも、こういう属性の人間が、平均何字位処理するとか、どういうスクリプトやマクロを使えるとか、ついでに2chをみてるなとか、情報が集められれば、遡って採用時の基準にできそうです。それは就学でも結婚でも他も応用できますよね。


Google就職で、普段検索しているワードから会社を紹介してもらい、amazon結婚で、趣味が合う人を紹介してもらうとか、そういう未来像は、20世紀の頃はピンと来なかったんですが、最近は少しありそうだなと実感しています。ゆりかごから墓場まで。それは当事者の利益にもなるので、批判するのも難しいです。


ただそうするとサービス残業どころではなくて、われわれが普段生活してるだけで知らない内に微小な単位で働いているということになるかもしれません。新しい時代の階級問題でしょうか。もちろんそれは被害妄想であって、基本的には無料で使えることの対価なのだと、急いで念を押しておきます。


ただ、メビウスの輪のように、資本主義を徹底することで計画経済的なビジョンに繋がっていく構図が面白いですね。あるいは高度に洗練された科学技術が魔法と区別がつかないという話。われわれは念仏や呪文を唱える替わりに、膨大な検索ワードを日々打ち込むわけです。


Windowsの独占が誰の目にも明らかな表の独占なら、Googleの独占はもっと深層の独占と言えます。億単位のwebページやそれを利用する人間が、自然と協力しているわけです。キーボードがqwerty配列だとか、デファクトスタンダードの話がありますが、それよりもっと強力です。


もちろんGoogleamazonの技術は素晴らしいと思うし、いつも利用しています。ただ、可能性としてはどういう事態がありうるのか、と考えたときに、意外ともう近未来な事態が起こりうるのかなと思っています。そしてそれは便利だから流れを止めるのも難しい。


いかにもSF的なロボットとかサイボーグではないんですが、身体の行為が二重化されていて、われわれはつねにすでに、何か巨大な機械状の無意識のようなものの部品として動いているということです。こういう状況をこのブログでは「ネオエクスデス化」と言ってきました。