新本格ライトノベル

博物士 - 老いたジャンル〈新本格〉から見えてくるもの

[本格‐脱格]という二項対立,換言するならば[新本格ファウスト系]という対立の構図

うさ道 - 富士見と電撃の盛衰に見るライトノベルの消費構造変化

スレイヤーズ以降、ブギーポップ以前」

REVの日記 @はてな - "虚心坦懐"

本格ラノベ新本格ラノベ、ハードラノベ。すばらしい未来像。


ライトノベルはあまり詳しくないんですけど、そのようなものにとってはこう考えると分かりやすい、という基準を考えつきました。

スレイヤーズ以降、ブギーポップ以前

本格 スレイヤーズ
新本格 ブギーポップ


このような見取り図は、もちろん過度の単純化のきらいはありますが、事態が呑み込みやすくなります。これは大塚英志の見方ですが、まず新井素子らが現実の代わりにマンガやアニメのような虚構を写生する小説を書いた。これがライトノベルの古典に相当します。次に、キャラクター主義とメディアミックスという今では当然のような思想が確立したのが、ライトノベルの本格に相当します。そして新本格では「現代学園異能」「セカイ系」「萌え要素ツンデレ)」の三本柱が特徴になっています。


これは自然な展開です。最初に虚構写実主義のようなものがあって、それを受けて(虚構性の強い人物であるところの)キャラクターの型ができ、キャラが流通力を持つことでメディアミックスが成立します。異なるメディアを媒介するのはキャラですから。そして、エヴァのようなコミュニケーションというモチーフが、「セカイ系」「現代学園異能」「萌え要素ツンデレ)」という風な形を取ったのではないかと見ています。

新本格ファウスト系という対立の構図

Fateひぐらしも媒体(エロゲ/ギャルゲ・同人)は違いますが、同じ流れに属しているでしょう。そしてそれらの作家が参加しているファウスト新本格ラノベという枠組みだと思います。ファウスト太田の提唱した「新伝綺」も、現代学園異能と同じ系譜に属するでしょう。ただ清涼院も参加していますが、ミステリにおける「脱本格」(上記リンク先参照)のように、ラノベもすでに脱本格に入っているのか、それはどのようなものを指すのかという疑問は出てきます。


一つの仮説を立てるなら、東浩紀の言う「メタリアルフィクション」のような流れが脱本格の特徴(になる)かもしれません。要するにゲームのような世界(例えば並列世界とか)をどう描くかという問題意識です。これは大塚があまり見てこなかった側面ですね。これも東の見方ですが、大塚は「死が描けない」という理由で「ゲームのような小説」に冷淡だと言います。とすると、ファウストが脱本格ライトノベルの舞台になり、舞城王太郎西尾維新佐藤友哉が先導していくのでしょうか。

すばらしい未来像(?)

古典ラノベ 虚構写実主義
本格ラノベ メディアミックス
新本格ラノベ 現代学園異能
脱本格ラノベ ゲーム的小説


今まで述べた流れはこういう風に整理されます。例えば虚構はキャラに、メディアミックスは萌えに、セカイ系的意識はゲームのプレイヤーのそれに繋がるでしょうし、もちろん連続性はあります。随分ラフスケッチですが、ライトノベルの進化をこんな風に捉えています。まだ叩き台で全然不十分な荒い図式ではありますが、私の中では何となく流れが分かりました。


最後に未来像だけ述べますと、やはりゲーム的な小説というのがどういうものになるかが鍵になると思います。単に小説をゲームにしたいだけなら、最初からノベルゲームにすればいいわけで、そこを反転してゲームノベルができるかという問題です。


それはゲームを単にモチーフにするのではありません。例えば、小説内にパラメータとか書いてみても、実質的な意味を持たずパロディに留まります(ゲームブックにするなら、いっそADVゲームにしたいところです)。YU-NO(もちろん『街』とかでもいいです)がゲームならではの形式を示したように、ノベルならではの形式を示せるかということです。


つまり、ライトノベルの進化形をゲームノベルと見ているわけです。そういう視点でひぐらしを見ると、あれは選択肢がなくて小説でも実現できたわけで、大変興味深いものがあります。最初に挙げたリンクの記述の意図とはかけ離れた地点に来てしまいましたが、どうでしょうか。