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萌え理論ブログ

2006-05-23 「新本格ライトノベル」について

祭り型コンテンツとしての『涼宮ハルヒの憂鬱』

『ハルヒ』は萌えオタコンテンツか

『ハルヒ』が、ここまで優秀な萌えオタコンテンツだったとは!


例えば、『ひぐらしのなく頃に』の日常シーンでは「萌え」要素を自覚的に多用しているんですが、プレイヤーはみなそこは退屈だったと言うんですね。ひぐらしはエヴァと同じように、萌えオタ以外にも、ミステリの要素によって受容されています。


『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズにおける、未来から来るミラクルみくる(早口言葉みたい)の萌えも同じようなギミックではないかと思う次第です。もちろん、ひぐらしとは異なりいとうのいぢの絵があるので、かなり高い萌え水準に達しているでしょう。ただ、それがここまでブレイクした理由かというと、少し違うような気がします。


大雑把に言うと、原作派の人は長門をはじめヒロインたちに萌えているのだけれど、アニメから見た人は、みなアニメの奇抜な構成と演出(第一話の自主制作映画をはじめ)に言及しているという違いがあります。アニメ化以降のブレイクは、後者によるネットでの言及が要素として大きいのではないでしょうか。オリコン運動もありましたし。


萌えオタから見ると、ハルヒはそんなに斬新なキャラ立ちを提供したとは思えないところです。例えば(アニメを見ただけでは)長門は綾波系キャラだと一瞬にしてデータベースに格納されそうです。そしてハルヒはアスカ系のツンデレ少女の系統だと。ツンデレ少女というのはシャナとかも同じ流れでしょう。


もちろん既存のキャラがどうあれ、いったん感情移入してしまえばそんなことは関係ありません。ところが、『ハルヒ』の主人公はキョンなのですが、(特に声が入るアニメでは)そのキョンのナレーションが強く視界を限定してしまうので、うまく感情移入できないように仕組まれています。平凡なキョンと対比するためというのは少し狙いが違う気がします。


キャラ萌え×ネット祭り

結局、ハルヒはどこが新しかったのかと言えば、「祭り」の場を提供することに自覚的に徹していたところでしょう。ハルヒが「超監督」であるように、われわれは「超視聴者」としてコンテンツ周辺のカーニヴァルに参加して/巻き込まれていきます。


さしあたりこれを「(ネット)祭り型コンテンツ」と名付けておきます。「(キャラ)萌え型コンテンツ」とは違う概念ですが、両立可能です。エヴァやひぐらしやネギまも祭り型の面がありますが、アニメ版ハルヒは自覚性という点でより徹底しています。


だから、ハルヒがブレイクした理由はハルヒ祭りに参加することが楽しいからだと私は捉えています。もちろんキャラ萌えも必要でしょうが、他の作品より凄く突出しているという程ではないと感じました。もちろん注意しておけば、それはあくまで私の個人的な感想ですし、キャラ萌え型とネット祭り型とどちらが良いとか、どちらかしかないということもありません。


ちなみにハルヒ祭りが祭りとして成立しているかということ自体は、ある程度観測できると思います。「Google Trend」で検索して同時期のアニメと比較すると圧倒的に言及されています。その代わり、二次創作が(これもおそらく意図的に)作りにくかったりすることも興味深いです。ただし、ハルヒのオンリー即売会は予定されているようです。


ハルヒとひぐらしの意外な共通点

具体的に祭りを狙う手法を、最後に一つだけ解説します。アニメ構成がバラバラで物語の脈絡が掴めないのは徹底して自覚的です。それは京アニのハルヒサイトのあらすじが縦読みになっていたり、アニメの次回予告で本当の物語の順番をわざと重複して言うところから分かります。この順列の変更がどういう効果をもたらすのか。


私が見るところでは、ひぐらしが各編ごとに話をリセットして反復するという手法と、共通点があるのだと思います。つまり、ひぐらしは選択肢がないのだけれど、物語を反復することでどの要素が選択肢になりうるのかをプレイヤーが選択することができます。同様に(アニメから見始めた)視聴者は、毎回リセットに近いほど話が変わるので、たぶんこういう設定なのではと文脈を復元する脳内補完の余地があります。その謎がネットで言及する動機に繋がります。

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