Hatena::ブログ(Diary)

萌え理論ブログ

2007-01-31 月末-

定例報告

萌え理論Index - 萌え理論Index_Diary - 萌え理論Blog一月期末報告

もうアクセスが安定してきたので、定例報告は縮小・簡略化することにしました。

はまちちゃんに甘やかされるな

kyoumoeの日記30歳 - はまちやを甘やかすな

何度も何度も言うが、こういうのは高校生が「校則がおかしい」と言って髪を染めたり、制服のサイズを変えたりしてるのと一緒なんだよ。

はまちちゃんことid:Hamachiya2氏が、「はてな」とか「mixi」とか色々な企業のセキュリティの穴を指摘するのは、労働や学業ではないので、遊びが入っていても別にいいと思うけど…。本来企業が自前で仕事としてやるべき範囲のことなのだから、むしろ甘やかされているのは企業である。(だから1穴につきハマチ1匹とか払えばいいと思う。ハマチ漁)

だいたい、もしネタじゃなくてガチな報告にしたら、深刻な感じがして企業のダメージが増すんじゃないだろうか。よく分かんないけど。企業に内密に通告すればダメージはないけど、仕事じゃないのにそこまではできないし、ユーザに穴があったことは伝わらない。

ところで、ポップなパッケージがされているから感じないけれど、実ははまちちゃんはハッカー文化の精神をふつうに継承していると思う。ただ、それがモヒカンみたいに説教臭くならずに、エンターテイメントにするところに、新世代の「萌えギーク(略して萌えギ)」という感じがする。

ごめん、ただ「萌えギーク」って言ってみたかっただけです!(><)

おまけ

それがキャラクターだというのなら、すべての生活をそのキャラクターで貫き通せ。

それにしても、id:kyoumoe氏はすべての生活を貫き通しているのだろうか。それはそれで恐ろしい気がする。ネットは別のキャラになれるところが面白いと思う。

「新しい読者をブログに集めるための 23 の方法」をいくつ実行しているか

新しい読者をブログに集めるための 23 の方法 | 住 太陽のブログ

以前の「ブクマベイティング」に似ていますが、今度は自分をネタにして記事を書いてみます。

23の方法

  1. 「関連する他のブログにコメントしよう」
    • コメントは精神的に疲れるので、最近あまりしていないですね。はてブならしてます。
  2. 「フォーラムに参加しよう」
    • 「倒錯社公開会議」などに参加しています。
  3. 「エントリにとって効果的なタイトルを書こう」
    • エントリを書くとき、一番考えるのが、タイトルを何にするか。
  4. 「インタビューしよう」
    • インタビューというほどではないが、たまにコメントを貰って記事にします。
  5. 「 同じ URL でブログを継続しよう」
    • とりあえずこのブログは一年続いてます。
  6. 「地理的に近接したブロガーと連携しよう」
    • はてな村のクネクネは「地理的」じゃないですか。アキバをネタにするとか。
  7. 「無料素材を提供しよう」
    • 「萌理学園」というフリーシェアワールドを企画しています。
  8. 「信念に基づく意見を述べよう」
    • 信念というか独自性が出るかどうか(他とかぶらない)は重要視しています。
  9. 「他のブロガーに疑問をぶつけよう」
    • ぶつけてます。
  10. 「トラックバックを使おう」
    • はてダは自動トラバが効くので日常的に使っています。
  11. 「広告を出稿しよう」
    • 「萌理賞」とかはポイントを使った広告としての面があるかも。
  12. 「読者に「RSS」とは何か、ということを教えよう」
    • 一応サイドバーにある「RSS登録」が説明のページです。でも分かりにくいかも。
  13. 「オフラインでの宣伝をしよう」
    • オフに出たことはないです。アキバでメイドがティッシュ配ったら面白いだろうけど…。
  14. 「検索エンジン最適化をしよう」
    • SEOっ子なので、いつも試行錯誤しています。「理論」より「萌え」で上位表示されたい。
  15. 「多く言及されるような高品質のコメントを寄せよう」
    • そこそこ言及されているようです。
  16. 「ブログでお祭りをしよう」
    • 祭り型ブログを目指しています。
  17. ミームを伝えよう」
    • ミームって萌え要素みたいなもんですか。それがテーマですね。
  18. 「頻繁に投稿しよう」
    • 去年は年間300日投稿しました。
  19. 「他のブロガーの寄稿を歓迎しよう」
    • 共同執筆型の「萌え理論Magazine」を運営しています。
  20. 「他のブログからのリンクを手に入れよう」
    • そこそこ被リンクをもらっています。
  21. 「メールマガジンを発行しよう」
    • これは発行してないです。したいです。
  22. 「ソーシャルメディアサイトを利用しよう」
    • SBMなら「はてブ」ですね。そこそこブクマされています。
  23. 「エントリを売り込もう」
    • いつも売り込んでいます。

感想

アクセスは意識しているので、普段自然と実行していることばかりですね。23個に列挙するのは、「それは知らなかった」というよりも、改めて基本に忠実な心構えを作る意味が大きいかも。あと、昔流行った「○○に50の質問」みたいな感じがちょっとしました。

「働かなくても食っていける社会」についての考察

労働と遊戯

アンカテ(Uncategorizable Blog) - 働かなくても食っていける社会がもうすぐやってくるよ

つまり、「生活保護でかなりの贅沢をして暮らせるけど、『働く』為には、ものすごい才能と努力が必要になる社会」である。

MouRa|東浩紀、桜坂洋|ギートステイト

ゲームプレイ・ワーキング(GPW)あるいはプレイワークは、特定の知的作業を、極小単位に分割し、ネットワーク上に公開し、本来の作業とまったく異なった印象を与えて多人数に匿名的に実行させる、匿名集団単純知的労働の一種である。

前者の記事が労働と遊戯の希少性の反転、後者の記事が両者の境界の解体、というビジョンを示している。しかしそもそも労働とは何か。対価のある行為のことだ。対価がなぜ発生するかというと、資本側にとっての価値を産むからだ。その代わり多くの労働は単調作業であり、不自由である。可能性の束としての自由は目に見えないので、時間で計測することになる。これが近代的な労働の大雑把な見取り図で、下表のようになる。

価値自由
労働ありなし
遊戯なしあり

第三の選択肢

もちろん価値もないし自由もないという最悪の事態はありうる。例えば自由業では、利益を生まない「タダ働き」状態、更にはマイナスになることもよくあることだ。また遊戯が不自由になるという現象もまたよく見られる。例えば、RPGのレベル上げがかったるい、といった「ゲームの作業化」である。

ここでその逆はないだろうか? ある程度の価値もあるし自由もあるという中間領域である。結論から言えば、そんなうまい話があれば皆やるので、市場の調整が働いて、価値が下がるか、自由度が下がるか、一部の人間しかできないか、いずれかに落ち着くだろう。だが例えば対価が労働の50%で、自由度が遊びの50%、というようなトレードオフでしかないとしても、そのような第三の選択肢には魅力があるのではないか。それをとりあえず「(創造的)仕事」と呼んでおく。

仕事と創作

ここで言う「仕事」は、労働と遊戯の中間に位置する。例えば、現代での「クリエイター」というのは、労働の価値と遊戯の自由が両立する理想的な、創造性のある仕事として捉えられている。だから人気の職業になるわけだ。しかしもちろん競争が働き、そのような職に誰もがなれるわけではない。芸能人などもそうだが、ごく一部の人間に限られる。

ここで、冒頭で引いた「ゲームプレイワーキング」に戻ると、これは仕事性、仕事の創作性を高めるシステムの発想だと言える。労働か遊戯かという対立ではなくて、どちらの性質も備えている。では、それが理想的な未来かというと、おそらく「ギートステイト」はディストピアの側面を描くだろう。なぜそうなるかというと、企業や資本の論理の元で動いているからだ。

創造的消費

労働と遊戯の対立の調停だけではまだ不十分なのである。それだけでは両者を媒介する企業と資本に管理されるしかない。そこで、労働と消費という微妙に異なる座標軸を考える必要が出てくる。消費にも生活と遊戯、価値があるか自由か、の対立がある。日常必需品などは前者だし、娯楽などは後者に属するだろう。

ここでも、「創造的消費」という第三の選択肢を考える。具体例としては、ブログを書いたりすることにはそういう面があるだろう。また「プロシューマ」などの概念は関連があるかもしれない。「創造」などというと大袈裟だが、実際に有料サービスまたは広告で利益を出しているから、「はてな」などのブログサービスの会社が成立しているわけだ。

恋愛の昇華

うどんこ天気 - 独りでいた時に声をかけてくれた人

自分が相手のことを好きだということが解れば、相手に迷惑だろうと思った。出来るだけ、短く、素っ気無く話した。少し挨拶をする以上は仲良く慣れなかった。

私は自分の気持ちをとてもとても持て余したけれど…自分の彼に対する気持ちは、非常に不純で依存的で、また勝手な妄想だと思ったので、ずっと、ずっと我慢して黙っていた。「あなたのために痩せた」(病気になった)とか重たいだろうし、私が恋愛だなんて…いや「私と」だなんて周囲の人にもきっとからかわれるだろう。相手の人が。相手の人が、いやな目に会うに違いない。

実は、相手に迷惑が掛かるから我慢したのではなくて、自分の気持ちの純粋さを守るために、(無意識的に)告白しなかったのかもしれない。

もし相手に断られれば辛いのは自明だが、それだけでは「傷つきたくないから恋に臆病になる」という発想だ。その手の俗なことが言いたいのではない。そうではなくて、かりに相手が承諾「しても」、やはり理想的な関係ではないのだ。なぜなら、実際に付き合えば幻滅する可能性が出てくる。すると遡って、自分にとって救いになった出来事まで色褪せてしまう。受諾も拒否も行き止まりなのでディレンマになる。

恋愛関係の形成には必ず媒介になる不純物が必要なので、気持ちが純粋過ぎるとかえって上手くいかない。友情と恋愛は別のベクトルだが、このケースでは「男女の友情は成立しない」が反転して、「男女の(理想的な)恋愛は成立しない」になっている。別の視点で言うと、心的な圧力と温度の関係で、恋愛関係(ドロドロした人間関係)を経ずに、現実から離れた人生史上の象徴的な人物(=想い出の人)に、直接なってしまうことがある。それを「昇華」と呼ぶ。

一度でいいから、ありがとう、とだけ言いたかった。

従って、大事な気持ちを伝えられないからというよりは、伝えられないから大事な気持ちになっているという風に、相手との必然的な断絶を含むところに、真の悲しみが存在するのである。