近日発売
嘘128
ARTIFACT@ハテナ系 - 「ウェブやメールを使うだけなら一昔前のPCで充分」という定型フレーズは現状を考えてない
ノートPCなどでPentium3-500MHz/メモリ128MBぐらいの4,5年前の型落ちマシンがよく安売りされているが、この程度のスペックでは最新のウェブサイトを見ると、相当ストレスがたまるだろう。
「嘘でも128で十分って言うもんでしょ!」
ブログのテレビ化
シナトラ千代子 - 「わかりやすくまとめる」ブロガーがブログ界隈をテレビ番組化していく
わかりやすい話
まとまった情報
が求められる傾向
GIGAZINEのことかーっ!! しかし、「まとめる」という点では大手ニュースサイトもアクセスが桁違いですし、私も「分かりやすくない」「まとまってない」という理由で記事の構想・企画を没にすることが多いですね。毎日はてブを観察した結果、散漫な文章はブクマされるのが難しいことを学習してしまったので、書く動機が弱まります。まあ、それ位で書かないならその程度の文章だったとも言えるでしょう。
みんなまとまった記事とかばっかりじゃなくて半分ぐらい投げっぱなしのを書いたほうがいいんじゃないの
衆愚化と読み手のリテラシーの話になるかと思ったら、予想の斜め上を行く結論。というか逆に、そもそも今でも投げっぱなしの記事が多くて、従ってそれをわかりやすくするまとめの需要が出てくるんじゃないだろうか。
最近の分裂劇場はナチュラル志向
この傾向は興味深い。これがすこし前だったら、「年収が低いと肉が食べられないから負け組」みたいな論点になりそうな雰囲気。あとなにげに写真の手が綺麗! 今までの文章の感じから、もっとおっさん臭い手かと思ってた。それで、fromdusktildawnさんを見習って、肉食を制限するのと、お風呂でシャンプー・リンスで洗わない(石鹸は使いたい気がするけど)のを、面白そうだから少しの間実践してみようかなと思います。というかさっき風呂入ったんですけど、やはりちょっと髪がバサバサになる。でもしばらくすれば、髪サラッサラなんだけど「シャンプー・リンスは使ってません」と言えるようになるかも?
「機械」はダメで「豚」はいいのか
ネットっ子なので、基本的にTV番組は見ない*1んだけど、食べながら見れば時間を消費しないので、夕飯時には見ます。
それで、たまたまやっていた「ビューティー・コロシアム」のSP番組を見てたんですけど、(今回も)少し気分が悪くなりました。この番組の大枠は、金を掛けて整形して幸福になるという成功物語です。まあ女は外見が重要な現実はあります。恋愛市場における自由競争です。しかし、「顔が美しくなるにはまず心が美しくなる必要がある」という説教は欺瞞を含んでいます。「顔が美しい人は心が美しい」→「心が美しくない人は顔が美しくない」という論法が、人格否定に利用されます。「裏切り」などという言葉の使い方も興味深い。
この番組によくあるパターンなんだけど、「子供が泣く」「子供がいじめられる」「子供の言葉にショックを受ける」という、子供をダシにした話があざといと感じます。容姿が問題じゃなくていじめが問題だろ、常識的に考えて…。しかし、それが出演者への説教に転化していきます。子供の中立的な立場を利用しています。それにしても、「豚みたい」はないだろうと思いました。まあ身内だから全く別の話なんですが(「豚」がいいなら「機械」もいいだろうという正当化ではありません。)、全国に放送するというときに、「機械」はダメで「豚」はいいのか、という感じです。
*1:深夜アニメは見る
ソーシャルソースブックマーク構想
adamrocker - ブロガーのためのソースコード管理システムをみんなで考えませんか?
「ブロガーが公開するソースコードの再利用性を高めるためのシステム」
よく分かんないけどCPANのブログ版みたいな発想でしょうか。ソーシャルソースブックマーク(SSBM)というのはどうでしょう。現状でもソースが書いてある記事をブクマすることはできるんだけれど、プログラム言語に専門特化することで、バージョンを履歴で管理したり、変数リスト化・構文エラーのチェック・自動テスト・ベンチマークその他、みたいなのがオンライン上でできれば面白いですね。一行もソースを書かないで組合せだけで動くものが作れるのが理想です。まあ既に「Google Code Search」があるわけですが、人力でやる利点もあるでしょう。
生産性の高い仕事がなくなるかもしれない
山形浩生 の「経済のトリセツ」 Supported by WindowsLiveJournal - ゴッドランドの経済学
生産性が高いと自負しているあなたも、自分が無数の生産性が低い人たちの働きに支えられているという自覚を持たなきゃ。
分裂勘違い君劇場 - 「誰かがやらなくてはならない生産性の低い仕事」はどこまで本当か?
僕にとっては、駅の掃除のオジサンの価値生産性はとても高い
404 Blog Not Found:掃除夫の不満、職人の不安
松本零士じゃないけど、「駅の掃除なら、誰でもできる」からだ。
生産性の高さと給与の高さは一致しないと思う。例えば天下り官僚とか。そこで次に、市場の需要と供給による希少価値を考える。芸能人と清掃業者の生産性の違いは、その職業に人気があるかないかで決まるというわけだ。生産性と希少性を混同した議論は、資源分配の問題に突き当たる。しかしまあ、そういう議論はリンク先のトラックバックに任そう。
ホワイトカラーは給与に見合うほど生産性が高いか? という問題を考える。顔見せのための出張とか接待とかをはじめ、会議や営業なんかはムダなポリティクスが多くて、本当はもっと中抜きできるんじゃないだろうか。いや、日本の発展は中間管理職が支えたという立場もあるだろう。問題は、もしそうだとしても、これからもそうだとは限らない。どういうことか。
オンラインでワードやエクセルが使えて嬉しいな、という現状のWeb2.0に留まらず、Googleの技術革新が意思決定装置を格安で提供してしまうということはないだろうか。ここでもちろん人工知能の難関みたいな問題はあるんだけど、それなら人間の余剰力を使えばいいのではないか。エライ人が数人で決める代わりに、何百人何千人という人が少しずつ決めていくという、分散コンピューティングに人間が加わったシステムができないか。そもそも民主主義の「投票」でも、意思決定を分散処理している。
今までは単純作業がロボットに置き換えられていったけれど、これからは生産性の高い仕事もロボットに置き換えられてしまうかもしれない。あらゆる自動化は不可能だけれど、人間がそこそこ養う位のブレイクスルーは起きる可能性があると思う。だから、遠い未来にはこう言い直す必要があるかもしれない。
生産性が高いと自負しているロボットも、自分が無数の生産性が低い人間たちの働きに支えられているという自覚を持たなきゃ。
「悩むこと」と「考えること」の違いは何か
「考えること」と「悩むこと」は違うのです。
反省と後悔が違うみたいな話。確かに悩みには生産性がないけれど、考えているつもりがいつの間にか悩んでいる、という風にはっきりした境界がないから問題なんじゃないだろうか。だから、単に違いを指摘するだけでは不十分で、「悩むこと」と「考えること」の違いが明確になる基準を提示する必要がある。それは何だろう。
一言で言うと、「行動につながるか」どうかが分かれ目になる。例えば、「Aなら良かったのに」という思考は行動に移せない。「どうしたらAになるか」といった「いかに How」の視点で考える必要がある。ここで、まず「この壷を買うと人生に成功する」のような短絡的解を避ける必要がある。しかしまた、いつまで考えても答えが出ない場合もある。では思考を打ち切るタイミングはいつか。
これも一言で言うと、「循環するまで」考えればよい。二周目以降は確認的な作業になる。「AがないからBができない→BがないからCが…」という連鎖が、「ZがないからAができない」という風に一巡することがある。例えば、「ダイエットしたい→運動する必要がある→太っているから運動できない」「恋人が欲しい→異性を知る必要がある→非モテだから異性を知らない」「就職したい→職歴が必要→ニートだから職歴がない」という風に、枚挙に暇がない。
もちろん、「カロリーを減らすには」「異性と話せる場所は」と循環の輪を広げることができるが、たいていはそれまでに失敗を経験していることが多い。そもそもいまだ成功していないから考えているはずだ。そういう時にそれ以上思考しても、たいていその状況を打開できない。不完全であっても、いったん行動して環境を変えなければならない。そうして、少しずつ思考したときの最初の前提が変わっていく中で、その差分から現状を打破する策を探せばよい。