Hatena::ブログ(Diary)

萌え理論ブログ

2007-07-06 ゲーム論・RPG

なぜ魔王は世界征服できないのか?

なぜ魔王は世界征服に常に失敗するのでしょうか。ここでは解答を出すというより、そもそもどういう条件で勇者と魔王が戦っているのか、に焦点を当て整理することで、RPG世界の表面上に出ないパワーバランスを考察しました。(以下では性格上、RPGのラスボスについてのネタバレを含みます。)

世界征服問題の五大論点

  1. 魔王の戦力
  2. 人間の戦力
  3. 双方の目的
  4. 勇者の存在
  5. 勇者の復活
魔王の戦力

1.「魔王の戦力」では、魔王と魔物の関係が問題になる。魔物は魔王に本能的に従うのか、野生から訓練・調教するのか、それとも契約を結ぶのか*1。人間のように秩序立った命令体系が末端まで行き届いていない場合、勇者を狙い打ちするのは難しい*2

「ドラゴンクエスト5」では魔物が仲間になるゲームシステムを導入*3しており、それが戦闘を面白くしているのだが、人間=善・魔物=悪の図式も崩れる*4。戦闘をプログラムされたキラーマシンですら仲間になるのだから、モンスターの性悪説が成り立たない世界である*5。だとすると、地下でずっと眠っていた魔王は、いったい魔物をどのように統率していたのか*6。していなければ征服以前の問題だ。逆に言うと、勇者と天空城は見事に機先を制した形だ*7

人間の戦力

2.「人間の戦力」とは、人間側の人口がどれ位いて、勇者以外の戦力がどれ位あるのか、という問題。例えば街や城の人口は、見た目ではせいぜい数十人だが、実際はもっと多いのだろうか*8。あの程度の人数でいくらでも沸いてくるモンスターを撃退できるのなら、町人・村人は勇者より強いのではないだろうか*9。だがあまりに人口が少なければ、そもそも人口の再生産が成り立たず、あっという間に絶滅種になってしまう。逆に人口が多い場合、なぜ少人数の勇者に頼るのかが謎になる。

「ドラゴンクエスト3」では「ルイーダの酒場」で仲間を交代するシステムを導入しており、それが戦闘を面白くしているのだが、主人公の代替可能性が生じてしまう。つまり、どの職業も能力的にかけ離れてはいないので、勇者抜きの四人パーティでも魔王を倒せそうだ。それから、酒場はアリアハンにしかないが、なぜ他国も作らないのか*10。アリアハンだけが世界を視野に入れており、他に先駆けて画期的な発明をしたのか*11。それとも、主人公がアリアハン以外の人間とパーティを組む気がないため、省略されているのか。

双方の目的

3.「双方の目的」とは、魔王や人間は何が目的なのかという問題。例えば、人間と魔王が全勢力を傾けて戦うとは限らない。むしろ人間同士・魔物同士の内戦の方が多いことも考えられる。だから、勇者にまで手を回せないかもしれない。その場合、勇者は上手く紛争に乗じて少人数で目的を達成するという、忍者やスパイのような存在と解釈することもできるだろう。勇者の輝かしいイメージとは裏腹に、魔王討伐は暗殺的な任務なのである*12

「魔界塔士SaGa」では、ラスボスの目的は世界征服ではない。むしろ最初から統治しており、育成・誘導された勇者が仮ラスボスを倒す、という自らの筋書きを上演する。真ラスボスは世界征服をメタに見ているのだ。「SaGa2秘宝伝説」も、通常の野望溢れる仮ラスボスを倒した後に、世界征服に興味のない真ラスボスが登場する構造になっている。ただし、こちらは狂った機械という中立的な存在になっており、世界の矛盾を最終的に一手に引き受ける悪役の存在を欠いている*13

勇者の存在

4.「勇者の存在」とは、勇者の位置付けの問題。もし魔王を倒せるのが勇者のみなら、重要な軍事機密になるだろう。その場合、勇者は隠密行動を取るべきである。水戸黄門のようにただの旅行者を装った方がいいのではないか。一方、勇者は職業で複数人存在する*14場合、アルバイト感覚のレベル1の勇者がうじゃうじゃいるかもしれず、そうすると低レベルの勇者を早期に倒す作戦は取れない。

「ロマンシングサガ2」では、人間もラスボスもそれぞれの思惑を持って行動し、ダイナミックな歴史を描いている。皇帝自らが少人数を率いて前線で戦うという、一騎打ち的世界になっている*15。現実と異なり、極端に人間間の戦闘力が違うのだろう。ただし皇帝は死んでも継承できるので、わりと存在が軽いのかもしれない。

勇者の復活

5.「勇者の復活」とは、勇者はいくら倒されても教会で復活するので、魔王が倒されてしまうのは予定調和ではないか、という問題*16。これは、倒さずに生け捕りにして牢屋にぶち込んでおけば解決する。もっとも、そういうシナリオでは必ず脱出できるような展開になるので、やはり予定調和だと言える。だがドラクエ5では一時的ではなく、かなり長い間監禁されるので、嘘臭さがない。

「ファイナルファンタジー5」では、ガラフが死ぬ場面において、通常の復活アイテムが効かないというシーンが登場する。また通常の戦闘で倒れるのはあくまで「戦闘不能」状態なので、いくらでも復活する説明がつく。「俺の屍を越えていけ」では、勇者は寿命を迎えて死んでしまう。復活する代わりに世代が交代する*17。お約束を破ると斬新なシステムが生まれる例。

「ドラゴンクエストIV」のリアリズム

こうして見てみると、「ドラゴンクエスト4」は魔王の世界征服が失敗する過程を見事に描き出していると言える。ドラクエ4のラスボス「(デス)ピサロ」は、「ピサロのてさき」やアリーナの武闘大会出場などで伏線的に既に名前を出しているのだが、「てさき」という単語を使うからには、それなりの組織があり情報収集していると予測させる。

デスピサロはエスタークを寝起きで倒されたことで「魔王の戦力」の見込みが狂う。「人間の戦力」は、アリーナが武術大会に出場することで、勇者たちが精鋭であることを描いている。また間接的ではあるが天空城の勢力が加わる。「双方の目的」は、勇者も魔王も互いに恋人(幼なじみ)を失っているので、これも十分に戦う目的がある。

「勇者の存在」は把握しているが、勇者を早期に始末したかと思うと実は影武者で、これも見込みが狂う。「勇者の復活」はお約束だから仕様がないとして、AIシステムの導入によって、味方がこれだけワンパターンなら、敵がそうなのも仕方ない、と感じさせる。プレイヤーはクリフトのザラキ連発にイラつくだろうが、ピサロだってモンスターの頭の悪さにイラついていたのだろう。そのようにして、世界征服の歯車が少しずつ狂っていく、魔王の悲劇を描き出しているのだ。 

関連記事まとめ

関連書籍

*1:ドラクエの場合は「ドラゴンクエストモンスター物語」などで、魔物の立場を準公式的に説明している

*2:逆にドラクエ4では狙い打ちしてくる。他にも敵の居城があるなど、魔物側の組織的な面を描いている

*3:ドラクエ4でホイミンらが仲間になるので、発想は既に前作からあるが

*4:この視点にもっと意識的なのは「ブラックマトリクス(BLACK/MATRIX)」「魔界戦記ディスガイア」「ボクと魔王」など

*5:しかし、仲間にするのは主人公の特異な能力であり、また主人公が不幸な境遇で育つので、そこに注目させ違和感を覚えさせない

*6:やはり「ゲマ」などが指揮しているのか

*7:寝起きで戦うパターンはドラクエ4のエスターク戦でも見られる。馬車まで用意して複数人で戦うことも含めて、ある意味勇者側の方が卑怯だと言えなくもない

*8:敵側の視点で街を移動すると、街の人間とエンカウントする、と仮定すれば表現の一貫性は取れている

*9:野生動物が人里に近づかないような感じで、そもそも戦闘が起きないのかもしれない

*10:魔王討伐より他国との武力関係を優先するのも自然だ。そうするとバラモスを倒した後の地上は、平和になるどころかむしろ血塗られた歴史の始まりになるかもしれない

*11:少なくともダーマの神殿には世界中から人間が集まってくるので、職業の概念自体は世界中にあるはずだ

*12:実際、RPGでもそう描かれている。「ファイナルファンタジー」7・8は近代的な世界観で、主人公は傭兵などの職業に設定してある

*13:これは、ゲーム自体が二世代目ということもあって、主人公たちが子供の世代として扱われることと関係しているかもしれない

*14:この複数性は初代ドラクエの時点で既に考慮されている。兵士によると多くの勇者が旅立ったらしい

*15:ドラクエ2も皇子自ら戦うが、日本中世のように一騎打ちのルールが守られているのかもしれない。百人のパーティを組むとか、モンスターが百体同時に出現するといったことが起こらない

*16:逆に、魔王側は即死魔法が効かないのだから、莫大なHPを活かして全回復魔法を使い続ければ負けないではないか、という問題もある

*17:世代交代はロマサガ2でもあるが、より育成要素を強調している