ホラーをカレーにたとえると

概要

 ホラージャンルのコンテンツにおいて、「恐怖」とは、いったいどのようなものか? イメージしやすいよう、「ホラーの怖さ」を「カレーの辛さ」にたとえて説明しよう。

考察

ホラー=カレー論

 一般的に、カレーは辛い。激甘カレーというのは、かなり特殊なカレーだ。それよりは激辛カレーのほうが需要があるだろうが、万人向けではない。しかし、カレーが辛いものだからといって、ただ辛ければいい、というものでもないだろう。

 ホラーも同様だ。ホラーが怖いものだからといって、ただ怖ければいいというものでもないだろう。「辛いカレー=怖いホラー」と「美味いカレー=面白いホラー」とでは違う。

 もちろん、激辛カレーのようなホラーを求める人もいるだろう。だが、多くの人にとって、「怖いホラーが見たい」という要求は、ただゴア・グロ表現の大盛りを求めているという意味ではない。面白さ(快さ)を損なわない範囲で、怖さを追求しているのだ。

 カレーの辛さを一概に決めても仕様がない。甘口から辛口まで、多様な味付けがあってよい。だが、市販のカレールーには、甘口か辛口かの表示がある。同様に、ホラーもそのような区別があると、期待外れにならずに済む。

辛さの慣れ、受容のズレ

 ホラーコンテンツにおいては、送り手側が「怖さ」を強調して、紹介・宣伝することが多い。だが、そう紹介された実際の作品を見ると、たとえばロマンス的な「切なさ」だとか、別のところに重点が置かれていることがよくある。

 いっぽう、受け手側でも、「面白いこと」が「怖い」、「怖くないこと」が「つまらない」と表現されやすい。もちろん、たんに怖くなくて、面白くもない作品も多いだろうが。

 ここでさらに、怖さの認識が層によって異なる、という問題がある。カレーを食べ続けると、辛さに慣れてしまう。同様に、ホラーを見続けると、怖さに慣れてしまう。そこで、味の嗜好にかなりの開きが出るだろう。すると、普通のカレー(ホラー)が甘口に感じる。

 食べたカレーや見たホラーの量に比例して、味が分かるようになっていくという部分はある。しかしむしろ、慣れてしまうことで、一般の感覚と離れていく部分だってあるだろう。カレーとホラーの難しさがそこにある。

ホラーの旨味=カタルシス

 辛味にばかり言及してきたが、本当はよりベースになるカレー(ホラー)の「旨味」があるのではないか。ホラー以外のジャンルでも、何らかの「旨味」はあるはずだ。たとえば、古典的なジャンルで言えば、落語のベースには人情話があり、怪談のベースには因縁話がある。

 それは現代でも変わらない。四コマ・マンガの多くはコメディだが、より根底には日常マンガというベースがある。それは、爆笑するようなものではないが、『サザエさん』や『かりあげクン』のように広く普及している。都市伝説はホラーというよりオカルトの側面が強いが、「トイレの花子さん」は広く知られているだろう。

 ホラーの旨味=面白さというのは、ジャンルの空気のようなものだが、それゆえ把握しにくいものである。私としては、悲劇に感じるカタルシスのような感覚だと考えている。一級の悲劇は、ただ悲しいというだけでなく、悲しさを超えて感動するところがある。

 ラーメンは塩味、カレーは辛味、という違いはあるが、どちらにも旨味はある。同様に、悲劇は悲しさを、ホラーは怖さを強調する違いはある。だが、世界の不条理さと、不幸な運命にある登場人物に対する共感、という部分は共通しているのではないだろうか。

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