ダニロ・キシュ『庭、灰』における父の死の瞬間

*1
 第二次世界大戦末期、モーリス・ブランショはドイツ軍に捕らえられ銃殺されかかる。彼は壁の前に立たされ銃を向けられるが、逃げることによってではなく、偶然によって生きながらえる。それから約50年が経った1994年、彼はこの体験をもとに『私の死の瞬間』というきわめて短い物語を書いた。
 『私の死の瞬間』は「私は思い出す」という回想の宣言から始まる。ブランショ自身と思わしい青年は、〈城〉と呼ばれる大きな家に住んでいたが、唐突に「全員外へ」という怒号によって追い出され、家族とともに銃を構えた兵士たちの前に並ばされる。しかし兵士たちは実はドイツ人ではなくロシア人だと知らされたとき、彼は自分がいつのまにか「ヒースの森」という遠くの森の中にいることに気がつく。やがて現実感覚を取り戻した彼は、農民の息子たちがただ若いというだけの理由で射殺されたことを知る。すべての農家が焼かれているにもかかわらず、彼の住む〈城〉だけは焼かれていなかった。

すべてが燃えていた。〈城〉をのぞいては。[1]

そうして彼は自分が助かったことを知る。助かったのは〈城〉の表玄関に刻まれた1807年という文字を見たロシア人たちがナポレオンを連想し、青年の高貴な階級に気づいたことが原因であるようだった。
 ダニロ・キシュ『庭、灰』もまた、作者の実体験をもとに第二次世界大戦の時代を回想する小説である。語り手である少年アンディの父エドワルド・サムは、アンディが九歳のとき、ゲットーに送られて消えてしまう。消えるという表現を用いるのは、まだ幼いアンディにとって父の死がはっきりしたものとして記憶されていないからだ。それは『庭、灰』のある章で、戦争が終わったあと父が定期的に姿を変えてアンディの前に現れるという妄言なのか歪んだユーモアなのか判然としない話が述べられていることからもわかる[2]。『庭、灰』は章番号のつかない12の章からなっており、家族とともに迫害から逃げ回るがやがてユダヤ人ゲットーに入りそのまま消息を絶ってしまうエドワルドの姿がアンディの視点から描かれる。
 大量虐殺「寒い日々」を目の当たりにしたサム一家は、ノヴィサドが危険だと判断してエドワルドの故郷に移り住む。そこには伯爵の森という名の森が広がっている。この伯爵の森がエドワルドに果たす役割は『私の死の瞬間』においてヒースの森が青年に果たす役割とよく似ている。道化師のように饗宴を繰り返す父は伯爵の森に迷い込んでそこで暮らし始めるが、やがて疑り深い村人たちに捕らえられる。「腰のあたりに二連銃を感じ、腎臓に8の字の跡が押しつけられた」[3]が、父は落ち着きを失わないまま懐から新聞紙を取り出し、洟をかむ。このあとすぐに父はゲットーに行くことになるが、それから二年後、アンディは伯爵の森の奥で色あせた新聞紙を見つける。「見てよ、父さんたら、これだけを僕たちに残していったよ」[4]。
 西谷修は『不死のワンダーランド』の第二章で二重の死について説明している。『金枝篇』のテーマとなったネミの森の祭司のエピソードを引用したあと、その森をバタイユブランショが導き出そうとした「死の空間」を象徴するものとして扱っている。前の王を殺して森の王となった人物は次の王に殺される可能性につねに脅かされており、その可能性によって彼は王たりうるという。この「『私』が死ぬ権能を失い、『私が死ぬ』が不可能となって、『ひとが死ぬ』の非人称性が支配する領域」[5]が「死の空間」と呼ばれるものだ。ここでは死は二重になっていて、ひとは「私」として死ぬことはできず、「死の空間」で「私」を剥奪されたあと、非人称のひととして死ぬことが可能になるのだった。また、第一章ではレヴィナスについて述べられている。レヴィナスはキシュと同じユダヤ人であり、強制収容所の記憶から思索をはじめた。強制収容所においては生は極限までむきだしになっており、明確な「私」は存続することができず、非人称の存在が溢れている。ブランショレヴィナスの思想には明確な接点が存在し、レヴィナスの体験した強制収容所を「死の空間」とみなすことができる。
 森に入ることはエドワルドにとって、やがて訪れる死の瞬間の準備をすることだったと考えられる。森の中で彼は「私」の死すなわち死の第一段階を経験し、非人称の空間へと移行した。まさしくそれはレヴィナスが「あたりいちめんに広がる避けようもない無名の実存のざわめき」[6]と呼んだものだ。洟という原始的なもの、非人称的なものが残されたことは森という空間の性質を象徴している。もとの生活に戻ったエドワルドは一転して理性的に死を覚悟した行動をとり始める。長いあいだ忘れていた友人や親戚に手紙を書き、村を発つときには仲たがいしていた親戚とさえ接吻を交わして、驚いたアンディの叔父オットーは「あいつは、ブダペストからダイナマイトとか時限爆弾とかを持ってくるぞ」[7]とさえ言う。伯爵の森の中で生活するエドワルドと死を覚悟して親戚や友人と誠実に交流するエドワルドのあいだには断絶があるように見えるが、伯爵の森での生活を死の準備とみなすならば、狂気を装っているようなエドワルドの振る舞いも統制のとれた死の覚悟だったとわかるだろう。エドワルドは二重の死を意識したうえでそれに対処したのだった[8]。
 同様に、銃口を突きつけられていた『私の死の瞬間』の青年がいつのまにか森にいるのも、この「死の空間」としての森のイメージが作用しているのだと考えられる。死が真に迫ったとき青年は「私」として死ぬことができず、非人称の空間としての森にさらされるのである。しかし彼は死ぬことはなく、半ば「死の空間」に置き去りにされるようなかたちになってしまった。
 以上で見てきたようにこれら二つの小説には共通した論理が見てとれるが[9]、いくつかの決定的な相違点がある。青年が生きながらえたのは、彼の高貴な身分、そしてそれを示す〈城〉が原因だった。〈城〉こそが青年を「不正ゆえの責苦」に追いやったのだった。一方で『庭、灰』の冒頭にはかつて貴族が住んでいて今は誰も住んでいない城に母とともに訪れたというエピソードが記されている。彼らは夏のあいだ何度も城を訪ね、やがて不法侵入するようになる。

僕たちは、ただ、ここは母にまったく賛成だが、好奇の目に荒廃の美しさを示す無人の城は、自分の富の一部とみなしてもいい、自分のものとしてもいいと考えただけなのだ。その太陽がいっぱいの夏の黄金を自分のものとしたように。[10]

ここには『私の死の瞬間』の青年が自分の住む〈城〉に抱いていた重苦しい感情はない。ここにあるのは、シンガー・ミシンを操る母と美しいものをこっそりと共有する楽しい時間である。父がいなくなったあとの家族は、家庭的な人物である母を中心に落ち着いた生活を取り戻したのだった。
 一方、死んだ父はアンディにとって偉大で不可思議な存在のままで、アンディは成長していく。『庭、灰』全体にはアンディの死についての哲学的な思索が重層低音として流れているが、11歳の彼は夜と死と夢についての思索の果てに「ひとつ詩を書いたよ」[11]と宣言する。それはかつて『バス・汽船・鉄道・飛行機交通時刻表』に世界のすべてを書き込もうとした父の方へと一歩踏み出すことなのだろう。そのとき伯爵の森も、父がかつて生活した場所として肯定的に捉えなおされるのだ。

森には父の魂が漂っていた。少し前に聞こえたじゃないか、新聞紙で洟をかむのが、そして森が三度、谺を返したのが。[12]



[1]モーリス・ブランショ『私の死の瞬間』(ジャック・デリダ『滞留』(湯浅博雄監訳、郷原佳以・坂本浩也・西山達也・安原伸一朗共訳、未來社)に収録)。
[2]ダニロ・キシュ「庭、灰」山崎佳代子訳、120頁(『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 II-06 庭、灰/見えない都市』河出書房新社に収録)。山崎佳代子による『庭、灰』解説の344頁を参考にした。
[3]同上、92頁。
[4]同上、98頁。
[5]西谷修『不死のワンダーランド』講談社学術文庫、92頁。
[6]エマニュエル・レヴィナス『実存から実存者へ』西谷修訳、ちくま学芸文庫、141頁。
[7]ダニロ・キシュ「庭、灰」山崎佳代子訳、105頁。
[8]父が死んだあとアンディは古い写真に写った父について「エドワルド・サム、二重の死者」と語っている(同上、157頁)。
[9]『私の死の瞬間』は現在の「私」が当時の「彼」を語るという複雑な証言の形式がとられていて、それについてはジャック・デリダが『滞留』という書物を著しているが、山崎佳代子が解説で記しているように『庭、灰』もまた曖昧な記憶に基づいて語られているためところどころ矛盾しており、その点でもこれらの小説は共通している。
[10]ダニロ・キシュ「庭、灰」山崎佳代子訳、11頁。
[11]同上、171頁。
[12]同上、173頁。

*1:一般教養の文学の授業で課題レポートとして提出した文章です。全体的に粗いですがご容赦ください。