構築された状況における反復と新しさ


 何によって、前衛をその追随者から区別できるのか。また、どんな方法によって、どこであれ変化を手に入れることができるのか。それは実験によってである。実験は、管理されず、無意識的なもので、意味がなく、自発的なように見える。実験は、最初に反復されて、記述し分析できるものになる時に、意識的なものになる。その時、この反復が「有効」か否かを決定しなければならない。答がイエスなら、実験の記述は遊びの規則に昇格し、実験は遊びに昇格するだろう。
 反復のない遊びはない。文化の頽廃期には、文化には実験するわずかな力も残っていないことが確認されてきた。しかしその類廃は、遊びを再発見することによって終結する。人間の遊びは、1つの状況の反復によって作られている。状況は偶発することもある(その状況を構築する諸要因がわれわれの手中にない特に)。これは、1つ所与のものの反復の遊びである。また、状況は、実験的に創造されることもある(その状況を構築する諸要因がわれわれの自由になっている時に)。これは、1つの実験の反復の遊びである。
 われわれは実験を望む。なぜなら、われわれは新しい遊びを望んでいるからである。遊ぶ人はまた、剽窃者でもある(われわれは剽窃者に反対ではない)。日常生活のなかで実験を行う者は、革命的前衛である(われわれはその前衛である)。専門的剽窃者は、何の実験の仕方も知らない。専門的革命家は、遊び方を知らない。新しい遊びだけを専門にしたがる者は、遊び方を知らない。
 革命は今日、(他から分解された専門としての)革命に対する批判以外の何ものでもありえない。その革命批判は、遊びを擁護するセンスを持だなければならない。遊ぶ革命家は、弁証法的矛盾を体現している。専門的革命家は、他から分離された新権力になって、その矛盾を阻害する。生に応えるには、さまざまな可能な手段がある。例えば、自殺、無知蒙昧化、実験、遊び。自殺と無知蒙昧化は、現在の社会から提供されている可能性である。実験と遊びを選択する道が開かれる時代に到達できるのだろうか。そのことは結局、どうすれば遊びとしての革命を行うことができるか、という問題に帰する。
 われわれは、心理操作に反対しているのではない。ある種の操作が行われることは避けられない。しかしながら、われわれは、人間の卑小化にいそしむ体制側から、体制側が自由に使っている操作の道具を奪取したい。実際、幽閉されたわれわれの夢の解放のためには、われわれに対する操作の諸要因をわれわれ自身の手で奪い取る以外に、選択の余地はない、その時こそ、わわわわは、これまでただ予感していただけだった領域を探究できるだろう。しかしまた、その探究を推し進めれば、われわれは、最も古くから知られていたものと出会うことになるだろう。すなわち、新しい内容の詰まった古い形式に、そしてまた、新しい枠組の中の昔の内容に。
 私の友人の1人は、自分が招待した客を何もない部屋に通す。加えて、彼は「役に立つ」家具の十分な一揃え──ベッド、たんす、テーブル、いす──と、何の役にも立たない、形容しがたい物体(オブジェ)を、客の自由になるようにしておく。客は、好きなように部屋に家具を入れられる。もしそうしたいなら、部屋の構造を変えることもできる。この友人は、こうして、プロクルステス*1の伝承の外部に立つ何人かの主人(ホスト)の1人になっている。(それに、現在の社会全体を、プロクルステスが自分自身を客として迎える主人であるという逆説的なジンテーゼとして理解することも難しくはない)。その友人は、われわれが、われわれの部外者または敵たる人物にふさわしい雰囲気を場合によっては持ちかねない空間に、順応するように強いたりはしない。彼はわれわれを、ひどいホテル・ルームと呼べるような、個性のない居住環境に追い込んだりしないし、かといって、ある等級の人々(その等級は彼らの平均能力に応じて考え出されたのだ)のための、設備の整った居住環境──つまり、快適なホテル・ルームだという評判のもののような──に追い込んだりもしない。
 アパートの部屋は、街並みと同様に、そこに住む人々を心理的に操作する。とはいえ、アパートの部屋は、その人々によって規定されることもありえよう。それは、彼らの試金石、彼らの鏡ともなりうるのである。彼らの共鳴箱にも。もちろん、今日のアパートの部屋を、その住人を反映するものと見なすならば、住人たちの個性には何か全然うまくいっていないことがあると言わなければならない。また、アパートの部屋を、その個性のある部分が発揮されるべき場所と見なすならば、身体や心のどこかに障害を受けずに窮地を脱しえた人を讃えなければならない。
 個人がその意味で受けた障害の程度を測るためには、彼がそれまで自由に使えた空間よりも広い空間を彼に与えて、それを彼のイメージで改造させてみるというテストを行うのがよいかもしれない。
 われわれは、われわれ自身を自然に反対する存在として規定しているのではない。いずれにせよ、われわれは、人間の卑小化のさまざまな技術の総和としての現代都市に反対なのである。そこで何か見つかるというのか。既製品のアパートは、プライベートを装った規格化にすぎず、テレビは、人間的接触を装った孤立化にほかならない。デパートは、富俗化を装った画一化だし、気晴らしの場所は、自己実現を装った白痴化だ。そして街路は、交通を装ってはいるものの、孤立の鎖である。自然はかつて生命の空間であった。それと同じように、今や都市が、われわれの現在の力によって、生命空間にならなければならない。かつて自然は基本的な欲求を満たすものであると考えられてきたが、既製品アパートは、より高級な欲求、すなわち微妙で多様な欲求を満たすためのものであると主張されている。しかしながら、生きる上で最低限(ミニモム・ヴィタル)の平均的能力だけを認められた人間の公式モデルを満足させるために作られたアパートが、あらゆる現実の個人を切り刻む以外に何の役にも立ちえないことは明白である。
 かつて人々は、「都会のジャングル」と言った。今日では、組織的な規格化と多彩な退屈の中に、ジャングルの残滓を見つけることは難しい。最近私が聞いた話では、ある建築家が、言われるところによれば狂気の発作で、自分のアパートの部屋のすべてのものを破壊した。電話もカメラも、そして躊躇せずに冷蔵庫も。彼の行動は、反感をそそるものではないが、しかし何の効果も得られない。われわれは、断片的な行動にとどまることはできない。いつの日か、彼とわれわれはしかるべき出会いをするだろう。そして一緒になって、新しい種類のジャングルと草原(ステップ)と迷路でできた新しい都市の中に冒険を見い出すであろう。
 歴史の本の中には、祖国という観念が見い出せる。その種の言葉には、地理的関係や周囲の環境のうちに1人1人の個性に対応するものがあるはずだという約束が込められてきた。その種の言葉は、思考と夢を駆り立ててきた。祖国は、思想と行動にとって1つの集合的な空間であり、人々と共同体の領土との接点であると、言われていた。今日では、われわれの祖国がいたるところにあることは明白である。あるいは、より正確に言えば、われわれの祖国はどこにもない。しかしながら、シチュアシオニストたちが統一的都市計画の基礎を実験しようと努める時、共同体の実現の可能性は彼らによって提示される。疎外が克服されうるのは、人が自己を再発見し、自己形成することができる場合だけである。
 シチュアシオニストは国際人(コスモポリタン)ではなく、宇宙飛行士(コスモノート)である。シチュアシオニストは未知の空間に飛び出し、そこに、卑小化されず卑小化されえない人間の住むことのできる小島を築く勇気がある。われわれの祖国は時間の中に(この時代の可能性のうちに)ある。それは絶えず勤いている。
 もちろん、われわれには、どのような祖国も失う必要がなかったのと同様に、また、昔の歓待や素朴な遊びを復活させたいとも思わないのと同様に、どのような自然への回帰も必要ではない。むしろ、生の不可欠な状況を認識し、それをより上位のレヴェルで再現することが重要なのである。

ウーヴェ・ラウゼン*2

*1:プロクルステス ギリシァ神話中の強盗。捕らえた旅人を自分の寝台に寝かせ、寝台の長さに合わせて旅人の身長を切ったり引き伸ばしたりした。それで、杓子定規、容赦ない強制、の比喩として「プロクルステスの寝台」という表現がある。

*2:ウーヴェ・ラウゼン SIドイッ・セクションのメンバー。1959年に最初のSIドイッ・セクションを構成した〈チュプール〉のメンバーではなく、〈チュプール〉派とは距離を置いて、61年夏頃からSIの活動に参加、同年8月のイェーテボリでのSI第5回大会以降、SI中央評議会のメンバーとなる。62年1月に〈シュプール〉派がSIを除名された後、1963年4月から新しいドイッ・セクションの機関誌『デァ・ドイチェ・ゲダンケ〔ドイッ思想〕』(1号のみ)を発行するが、63年10月に自らもSIを除名される。