そりゃ違う

と思います。
http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20060315
araiさんへの文章のようですが、一応こちらにもTBがあったので少々応答しておきます。
まず、根本的な認識の違いとして、僕は内田樹ブログの文章を「パフォーマティブ」なものだと捉えています。理由は簡単で、「コンスタティブ」な分析に耐えるものではないからです。データどころか、定義すら明示していない訳ですから、逆にいえばどうとでも取れるわけで、それをコンスタティブに分析しようとすることは単にその書き手の価値観や姿勢を表明するに過ぎません。Kawakitaさんやkhideakiさんがどう分析しようと自由ですが、それはご自身のスタンスを表しているだけですし、決してコンスタティブな「正解」は出てきません(労作をしたためられた後で悪いのですが)。
従って、Kawakitaさんやkhideakiさんがaraiさんや僕の意見を「誤読」と呼ぶのであれば、お二人の読みも最初から「誤読」であると申し上げねばなりません。
ここにあるように

今回のは特にそうですが、「認識が甘い」とかいうレベルではなく、少なくともひきこもりやニート格差社会という現象を問題視するならばこれらを悪化させる効果を持つ言説です。

僕は当初より内田氏の言説の「効用」について「クール」かつ「プラクティカル」そして「ビジネスマインデッド」に述べているのです。

である以上、Kawakitaさんのエントリの詳細について述べてもあまり意味は無いのですが、明らかにおかしい点については少し触れておこうと思います。
Kawakitaさんは仮想データを挙げて「労働はオーバーアチーブメントである」というのは「本質規定」である、とおっしゃっています。すなわち「全ての労働者はオーバーアチーブメントしている」が真である、というのですが、本当でしょうか? 当然ですが、Kawakitaさんの仮想データでこれが証明されたことにはなりません。ジョージ・ジョースターに倣って、逆に考えてみましょう。「全ての労働者はオーバーアチーブメントしている」が真であるということは、「こいつ絶対給料貰いすぎだろ、という労働者はこの世に存在しない」が真であるということです。答えはお分かりですね。「んなわきゃーない」。
従って「労働はオーバーアチーブメントである」は本質規定ではあり得ません。
では、単なる部分的事実の記述でしょうか?僕にはそうは見えません。氏は明らかに労働全体について述べています。
ということはつまり、内田氏は本質規定に見せかけて「規範」を語っているのか、現実認識に乏しすぎるか、のいずれかです。
Kawakitaさんは、パフォーマティブな言説をムリにコンスタティブに転化しようとした結果、こんなおかしな論理を展開せざるを得ないのではないでしょうか(お疲れ様です)。あるいはこれが内田レトリックの威力なのかもしれません。

またkhideakiさんは本文に「労働は贈与である」というそのままの文言が見当たらないので不当な解釈、とおっしゃっていますが、文章にそのままの文言がなければならないなら、解釈という行為は存在しえません。これはちょっと無茶な話ですね。

このように、僕にとってKawakitaさんの今回の内田解釈はアプローチ、論理のいずれにおいても残念ながら同意できるものではありませんでした。
もちろんこれはKawakitaさんご自身の主義主張を否定するものではありません。

ちなみに、khideakiさんはコメント欄にて資本主義を発展せしめた要因として「オーバーアチーブメント」を挙げておられますが、これは間違いでしょう。逆です。「オーバーアチーブメント「を是正しようとする傾向を持つからこそ、資本主義は強いのです。それこそが市場のメカニズムなのですから。そして共産主義の失敗の原因こそ「オーバーアチーブメント」なのではないかと思います。
個人的には、資本主義というより、結局強いのは「市場という装置」なのではないかと思っています。これはもちろん「市場原理主義」ではなく、「道具」として「市場」を使いこなす、という発想です。「資本主義」「共産主義」「社会主義」だのとイデオロギーで遊ぶより、道具としての社会システムをより「クール」に考えなくてはならない時代になってきていると思います。

参考:
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20060316
sarutoraさんの論考は、よりaraiさんに近い立場からのものではないかと思います。
http://inthewall.blogtribe.org/entry-cf26922b3c299fc9e67f05569e22af83.html
また、kingさんの論考も力作で、僕のものより遥かに詳細です。
追記
思うに、「内田樹氏の一連の言説は単純な俗流若者論か?」に対する答えは「NO」であり、あれは「巧妙な俗流若者論」「偽装的俗流若者論」とでも呼ぶべきシロモノなのでしょう。