幸せはカラダに聞け

会社に人生を捧げている人は幸せか?
どうやって生きて行けばいいかわかりません。
イノセンス」において押井監督は、「生の喜びを真に感じられるのは動物である」と表現しました。
つまり有象無象の「概念」に惑わされることなく、身体という「生」によって直に「幸福」に接しているからです。
とはいえ、人間のカラダも結構ちゃんと「幸せ」を知っています。
いかにアタマで「やりがい」や「意義」を思い、「金」や「名声」を思っていても、それが真にカラダの求める「喜び」でなかったならば、多くの場合ハラやムネにもやもやとした違和感を感じているものです。
そしてそれを続けていれば、やがては体を壊すことになるでしょう。
逆にいえば、毎日の体調がよく、三度のメシが美味い。空の色や花や芸術が美しく、家族や友人との会話が弾む*1
そういう仕事が出来ているなら、それはカラダが「幸せ」を認めているということに他ならないのです。
そしてどんな職業であれ、こういった「幸せ」を享受できるような社会を目指すことこそが国や指導者の役割であって、抽象的な「やりがい」やら「愛国心」やらで人を動かそうとする輩を私は信用しません*2
さあ、今日の晩飯は何を作ろうかな。

*1:カラダの感じ方は人それぞれではありますが。

*2:抽象的な目標が不要だとは思わない。けれどそれは上からどうこういわれる筋合いのものではない。