赤の女王とお茶を このページをアンテナに追加 RSSフィード

”All alive are fitting.” 「生きてりゃ適者です。」

2008-01-23

学問に潜む価値判断について

疑似科学、批判、道徳。

や、

dojinさんへの応答

を読んで感じたんですが。

まず、

科学価値判断を含まない」

ということ、これは科学とは「地図」であるでも書いたように、基本的には正しいと思います。科学は"How"を明らかにするけれど、"Why"には答えない、というのはつまり、道筋を明らかにはするけれど目的地を決めるわけではない、ということです。

生命や宇宙が「どのように」存在しているのか、存在してきたのかを探る方法ですが、「なぜ」そうでなくてはならないのか、という究極には答えない。

…とはいうものの、主観的な価値判断科学学問が無縁かといえばさにあらず。

専攻する分野によって、なんとなく価値観が似てくるというのは経験的にはよくあることですね。

それはやはり、科学といえども単なる分析方法だけではなく、一種の「世界観」、つまり価値判断を予め含んでいるからではないでしょうか。

それが「地図」であったとしても、「目的地」を自然にある方向へ誘導するような書き方は可能です。

例えば生物学

生物学科学知識からは、

生物は子孫を残さねばならないとか、残すべきだ

という「ルール」は一切導かれません。

しかし実際には、生物学者は生物にとっては子孫を残すことが「目的」であり、「適応」であり、「正常」であるとして「扱い」ます。

これは本来は便宜上ではありますが、あまりにも深く自然に浸透した「価値判断」であるため、それが「価値判断」であることはなかなか意識のぼりません。また、こういう目的論的な表現は結果論的な表現よりも人間にとって理解しやすいようで、プレゼンとしてもついつい使ってしまいます。

mojimojiさんのところで経済学者は「目的」を明示しないというお話をされていましたが、おそらく経済学にも生物学同様、「隠れた価値判断」が内包されているんじゃないかな、と推察します。

例えば「経済規模は拡大または維持すべき」とか、「効用の和を最大に」、とか何とか。

もちろん倫理学にだって何かしらあるでしょう。

こういう科学学問の「隠れた価値判断」は時に一種の「公理」になってしまっていて、議論の対象として認識すらされていないように思います。

しかし学際、というと陳腐な表現ですが、全てが交じり合っている現実の問題に対処するには、効率のために細分化された学問領域を再び一体にする必要が出てきます。

その際にこういう「隠れた価値判断」を自覚しておかないと、科学的な議論のつもりが単なる価値観の衝突になってしまうこともあるでしょう。

科学的な議論のつもりだからいつかはきれいな答えが出ると思っていても、実際は価値観の衝突なので決して解決しない。

価値観の衝突である場合には交渉と妥協しか手はないんですよね。

こういう事態を避けるためにも、科学学問に潜む「価値判断」を今一度洗いなおしてみるのも一興ではないでしょうか。

suganokeisuganokei 2008/01/24 16:01 「隠れた価値判断」重要ですよね。われわれが生きている、
この人生とかいうものの、当然視される価値判断も同じく。

odakinodakin 2008/01/24 18:11 リンク先は読んでませんが、「科学は価値判断を含まない」って実感として全くわからない。なんで今この研究をする価値があるのか、他の研究より価値が高いのか低いのかって、常に自分からも他人からも問われ続けません?世界的に研究環境が(分野内でも分野間でも)競争的になってる昨今。
疲れるし長い目で見てあんまりいい傾向じゃないんじゃないかなあという気がするけど、血税つかってやってるんだしそれはそれで当然、とも思う。

sivadsivad 2008/01/24 21:14 すみません、ちょっと大雑把な書き方でした。科学的知識が根源的な価値基準や倫理基準を規定するわけではない、という話です。おっしゃるように、社会や人間こそが科学に価値を見出すということでよいと思います。
競争に関してはやり方次第ですよね。少なくとも日本ではうまく機能していないような。

q-maniac-qq-maniac-q 2008/01/26 11:15 えーと、こう言い換えた方がよくないでしょうか。

「通常の科学は”価値”の概念を、定義や公理系に入れてない。」

ゲーム理論や経済学では「効用函数」の概念が陽に出てくるので、それを最大化するのが「価値」と定義すれば、その枠内では議論できますよね。

遺伝子生物学と素粒子物理学のどっちに血税?って問題それ自身の中には、もちろん「価値」が定義も設定もされてないですよね。でも「価値」を、何らかの効用函数を最大化する事、と定義すれば、それをもちろん陽に議論できますよね。科学総投資額中で遺伝子生物フラクションを「p」、素粒子物理を「1−p」として、例えば10年後のGDP、G(p) を最大化するとか、また10年後の全研究者ISIインパクとファクタ合計 I(p) とか、または国家の品格 H(p) を H(p) = G(p) + 9.11* I(p)^1.918 とするFUJIWARA理論にもとづいて H(p) を最適化するとか。

けっきょく、科学で価値を論ずる唯一の生産的な手法は、「科学の社会学」をきちんとやる事だと思いますけど。

sivadsivad 2008/01/26 12:35 それにはまず「科学の社会学」の「価値」を…とか。
こういうことを考えてると哲学の重さを感じますね。

q-maniac-qq-maniac-q 2008/01/26 13:08 いやまさにそうですよね。哲学とは、諸科学の効用函数を研究する科学のメタ効用函数、、っていう無限後退の収束効用函数の研究として定義される、なんちって。。。

つでに「似非科学」とやらのリンク先たどってみたら、どっちかというと、そういった方向ではなく、down to earthというか、半分宗教と化した疑似科学商法と、ちょっと風変わりな癇癪持ちのマドンナ教授との訴訟合戦とか、そんなのに行き着いちゃいました(笑