ヤバイ!必見!ローン組んででも手に入れろ

sixdayboys2005-03-12

昨年、まだわれわれが某外資系企業に所属していたコロ、クアラルンプールに派遣されたことがあった。で、現地に着くなりセレブ御用達の高級ホテルに缶詰にされて、46時中英語でディスカッションやディベート、お国自慢等々をアジア各国の代表と戦った。だから、代表(特に脂の乗った松田とかの世代)のアジア予選での気持解りすぎるぐらいにわかる。ちなみに、俺はTOEICのスコアを買われ、オセアニア代表とペアになったが、全くBadCommunicationだったさ。だから、アジア予選だからって、適当にNoPlanで参加すると手痛い火傷するぜということ。
毎日の就業が終わると、フルーツポンチとかが食べ放題のラウンジでの歓談のひと時に後ろ髪引かれながらも、打ちひしがれた俺たちは一目散に部屋に直U-Turn。で、陰(イン)に入っている自分を何とか陽(ヨーヨーマ)に、せめて淫にもってこうと、部屋のステレオコンポで爆音で聞いたDJ KaoriのDeathRowMix。
で、連日そんな調子で、中盤ぐらいからだんだん足に来るぐらい弱ってきてて、もう就業中の20分のブレイクタイムにも自分の部屋戻ってCDかけるぐらいの勢いになって。んで、そのときは、まあBGV(バックグラウンドヴィジュアル)として、適当にテレビつけておくんだけど、偶然、まさにCDと呼応するかのごとく、マレーシアのMTVでドレの『Nothin But A G Thang』のクリップが。で、例のごとくでっかいアメ車をホッピングさせてるスヌープ兄さん見たとき、俺は決めた。オセアニア代表に気を使うのやめて、日本語で話すことを。そう、まさにトーキンラウドだよ。
そんな誰にでもある青春の一ページに共感するみんなのために・・・やばすぎるこの1枚、
http://www.nowondvd.net/products/deathrow/index.html

«「Welcome to Death Row(直訳:死刑囚収容棟へようこそ)」では90年代ヒップホップシーンで最も危険なレーベルと恐れられたデス・ロウ・レコーズの実態を所属アーティスト、マネージャー、関係者達が語り、当時のヒップホップ界の全体像を炙り出していく。
出演は、ボディガードからデス・ロウ・レコーズを立ち上げ、ついに時代のトップ・レーベルにまで押し上げた豪腕起業家シュグ・ナイト。N.W.A.時代にアイス・キューブらと共に一時代を築いた後、デス・ロウ・レコーズの共同設立者にしてトップ・アーティスト、ラップ界のトップ・プロデューサーとして君臨したドクター・ドレ。そのドクター・ドレに才能を見出されウエスト・コーストを代表するギャングスタラッパーとなったスヌープ・ドッグ
そしてデス・ロウ・レコーズに移籍後、東西ラップ抗争に巻き込まれ1996年にラスベガスで若くして凶弾に倒れた永遠のカリスマ、トゥパック・シャクール。彼らの貴重なオフショット映像やインタビューを中心に、アメリカン・ヒップホップ・ドリームの裏に隠された醜悪な現実を映し出していく。
2004年9月7日に没後7年を迎えるトゥパック・シャクールの謎に包まれた死の真相を知るためにも全ヒップホップ・ファン必見のドキュメンタリー作品!フィルム・スタディズ・シリーズを手がけるnowondvdより日本語版リリース決定!»

たまには、先輩方を偲ばないとね。しかし、このDVDアマゾンにないんだけど(怒)、何なんだよ、この国は。一億総辞職しろって感じだ。
ちなみに、アジア予選敗退で失意のどん底に叩き落された俺たちは、帰国をいったん延期し、ペナン島へ漂流。贋日本料理(激高)でサーモンフライ等の和食を食して傷を癒したり、現地のパブで演奏してる謎のドサ回りバンドのヴォーカルに惚れたりしたのだったが。あそこからだね、DIYのスピリット意識しだしたのは。それは物心ついてカレコレ10年経ったときだったよね。(文責:パイン)