躍らされるより、踊りたいマジで

先週一回流れたハリウッドへの船出の第一歩である部活動、特にヒップホップダンスの習得を首尾よく開始しました。もちろん目標は、Goes to ハリウッド。
とはいえ、3日坊主であるわれわれの意気込みはあたかも定率法を適用したときの減価償却のごとく萎えておりました。教室のビルの前で、「これやって、30ぐらいでダンスうまくなって、どーすんの?」っていう、疑心暗鬼が首をもたげたのです。
でも、Bガール先生が休憩時間にショッポーを吸うのを見て「お、結構いいのでは」と感じたので、俺たちは持ち前のビッグマウスで「早く上達しねえか」みたいな事を先生に訊いたら、たぶんまだ23,4ながら大学時代からステージに立っていたという彼女は「3年やらないと、踊れてるって感じにはならないね。それは踊らされてるにすぎない。」という趣旨のコメントを笑顔でレスポンス。ヤラレタ。ヨガの柔軟を取り入れた、基礎重視のレッスンもよかった。
踊って感じたのは体を動かすこと自体の楽しさ、なんかテンション上ってきて。だれかに電話したいような。その後、俺たち二人乗りでキャステラ宅まで行って、日が暮れるまでインドアで振りの復習をした。キッズリターンみたいだ。
俺は、今までいつも「それやってどーすんの?」っていう損得の論理で、リスクが少なく見える選択をしてきたが、結果として損得で決めたことを実際やってても「何でこんなことしてんだ?」という後悔や無力感を味わってきた。
で、損したと思って、もう損したくないと思って、更に損得に必要以上に敏感になっていた。自分にとって意味のないことをしすぎた結果、さらに一見意味のあるように見えることを求めてしまい、一見「やってどーすんの?」という風に見えるものから目を逸らせるという悪循環。
そういうときになんとか意味を見出そうとして出てくるのは、早く結果が欲しいとか、人より早く生長したいとかの上昇志向と相場は決まっている。要するに、「(人より)早く結果が出れば」良い(はず)ということにしようとする。
そういった自分の弱さというか、バカさ加減の治療のためにも、3年ぐらいは踊らされて見たいとおもふ。

I shall be released/Bob Dylan

They say ev'rything can be replaced,
Yet ev'ry distance is not near.
So I remember ev'ry face
Of ev'ry man who put me here.
I see my light come shining
From the west unto the east.
Any day now, any day now,
I shall be released.

They say ev'ry man needs protection,
They say ev'ry man must fall.
Yet I swear I see my reflection
Some place so high above this wall.
I see my light come shining
From the west unto the east.
Any day now, any day now,
I shall be released.

Standing next to me in this lonely crowd,
Is a man who swears he's not to blame.
All day long I hear him shout so loud,
Crying out that he was framed.
I see my light come shining
From the west unto the east.
Any day now, any day now,
I shall be released.

(文責・パイン)