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地を這う難破船 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-03-01

行為の帰趨――書簡――(中編)


前追記。最初に、現段階においては、やむなく、ほのめかしの私信めいてしまう、お詫びと訂正を。Apemanさん、3月1日付にて貴方がuchya_xさんのブログエントリ(以下に記す理由からリンクはしません)に投稿したコメント、拝読しました。掲示されているURLについても、確認しました。私の「予断と先入見」に基づく確認不足でした。申し訳ありません。前期エントリにおける、削除と伏字と共に記された、貴方に対する私の指摘における、


行為の帰趨――書簡――(前編) - 地を這う難破船


上記の通り、(――削除――複数形の話でした――)が方々にて「「無関心に準拠した無知」に基づく「素朴で率直な感性と価値観」を表出」させていることを、貴方が●●されないばかりでなく「無関心に準拠した無知」についても、直接的に言及されることなければ●●しておられる、


という記述の一部について、事実認識として誤りが存在したことを、ここに認め、謝罪いたします。「前編」にて記した当方の心情的な事情から、「誤り」の内実を具体的に記し得ないことについては、閲覧者の皆様に対してお詫びいたします。Apemanさん、確認不足のまま「予断と先入見」(という言を本中編にて、貴方に対する指摘として記していたところであったのですが、ブーメランと相成りました)のもと、貴方というブロガーに対する、印象操作的にも機能する部分的な事実誤認を記してしまい、誠に申し訳ありません。貴方が、私が示した「指摘」を意識して件のコメントを記されたのかわかりかねますが、迅速な対応に感謝したうえで、当方の誤認に基づいた部分的な誤断については、重ねてお詫びをさせていただきます。すみません。


不要な行き違いを避けるためにも、当方の確認については明記する必要があると判断したこと、また、部分的にとはいえ、当方の議論の余地なき誤認についてはあきらかにしたうえで、貴方に対しては迅速に、明示的な謝罪を記すべきとも判断したがゆえの前追記です。――以下、本編(後編ならぬ)中編。一編を分割して投稿しているという構成上の都合により、前編結部から、直接的に続きます。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(承前)


――「炎上のポリティックス」について


例えばあなたが具体的にハンドルをあげている sakimi 氏は、小倉弁護士のブログにおけるやりとりをふまえて書かれた Schwaetzer さんのエントリのコメント欄で、南京事件否定論コピペを嬉々として貼り付けていた人物です(あまりに醜悪なので改めて引用しませんが、ぜひともリンク先を読んで確認していただきたい)。私はこうした事柄を無視しえないのですよ。


ですから、存じ上げています、その件は。


私の個人主義(追記:前編) - 地を這う難破船


たとえば、私は貴方やSchwaetzerさんとsakimiさんとの過去の経緯について存じ上げていますが、本件はそれと別個の筋です、かつ私も別個の筋には介入しませんし、sakimiさんは当ブログにおいて、そうした分別をちゃんと踏まえてくださった、そのことについては感謝しています。またそうした旨は25日付の総括エントリにおいてsakimiさんに対してレスする際に当方の意思として明確に言明しました。不躾で非礼で唐突な私の見解明示に対して、sakimiさんがあくまで紳士的に対応してくださったこと、ブログの管理人として、感謝しています。


と記しているのは主にそのことです。sakimiさんのブログを知った段階にて、少なくともその件については確認しています。たまたま、Schwaetzerさんの過去のホッテントリについても確認していたところではあったので。で、当方のスタンスとしては上記の通り。最近も改めて再読しました。『模型ダイアリー』を、私は愛読しているので。おぉ『サンキュー・スモーキング』!と思いました。コピペであるとは知らなかった、つまりはsakimiさんが御自身の手で記したものと初読時は思っていましたけれども。


かかる行為についてどう思うかと問われたなら、他人のエントリを批判するに際してコピペを貼ってはいかんでしょう、しかも明確な他意を持って、と答えます。Schwaetzerさんの現在のブログは、コメント投稿に際してははてなユーザー限定であるので、いわゆる炎上へと至ることはないでしょうけれども。なお私は、Schwaetzerさんが以前に開設していたブログにおける経緯については、ごく断片しか知りません。


コピペの内容について如何様に考えるかと問われたなら、勘弁してくれ、と答えます。「と学会」から多大な影響を受けた者として、あえて書きますが――面白いとは思うけれども、拙劣なサンキュー・スモーキングですよ。あまりに露骨に目的ありき。「情報戦」には私は付き合えない。というか、発信され流布された情報に対して、メタメッセージもまた作成者/発信者の意図も含めた任意の参照項としてインプットすることと全面的に鵜呑みにすることはまったく異なるのであって、当該のコピペについて後者の態度を取る馬鹿者が、現実に存在するのですか、このWeb2.0におかれても。


「時機外れて振り返る」等において、私はWebにおける「リテラシー」の話を散々している――それこそ啓蒙的に。であるから、私はにわかには信じ難い。音羽さんは「あえて」反撥していたのであろうし、sakimiさんは「わざと」やっているのでしょうけれども。であるからそれが他意なのであって、過去の経緯は措いて嫌がらせはいかんでしょう、とは私は一般論としても思います。言い易い相手を狙って言ってはいけない。Apemanさんがウェルカムと公言しておられるのであるから。無責任


なお、貴方が参照なさっている、小倉秀夫氏の当該のエントリ(こちらは初読)における、エントリ本編に示された内容について私の見解を蛇足ながら記すなら。私は一貫して、養老孟司氏と同様に、教科書検定制度の廃止論者ですよ。教科書については、全面的に民営化し自由化するべきと考えています、柄谷行人氏と同様に。――ええ、私は国民の民度を信じているので。


真面目な話、事実として、私は正統的な学校教育の恩恵をあまり被った覚えがない、読み書きについては措いて。中学から私立の進学校に無理して通ってはいたけれども、学業面においては最初からドロップアウトしていた。人間関係に際しても後にドロップアウトして、以降色々とある。ゆえに「ありうべき歴史教育」という論点については私個人は「正直に申しあげて関心がないのです。」――ほとんど。教科書から年表以上のいかなる歴史も学んだ覚えがない、と言えば紋切型ですが、事実であるので、つまりは考える動機が私的に生成しない。


なお「歴史の再審」という発想と認識については、むろん選択肢のひとつとして認めるものです。全面的に支持するというところではありませんけれども。――『ナショナリズムジェンダー』とか、結構目を通しているのです、私は。所詮この世は生きている人の世の中である、とかつて山本夏彦は言ったもの、皮肉をこめて、ですが。皮肉を知りつつ、私はリテラルにも肯定します。


私の関心は「炎上のポリティックス」にあって「保身のススメ」にはない、ということです。だから私はトニオさんにも「保身のススメ」を説くつもりはない。その点について私が何か釈明する必要があるとも思いません。


――ですから「「問題ある?」とのこと」というエントリは音羽さんのことを念頭において書かれたものではないのですよ。幾度も記していますが。時機が時機であっただけに「李下に冠」であったことは、大いに認めるところ、とこれも幾度も記している。


「保身」も何も、音羽さんは御自分でも自認されている通り、はてな歴も2ch歴も長いベテランネット者でしょう。別に皮肉ではなく、件の態度はベテランのネット者の「あえて」のスタンスであるとは、一貫して認識していたところではある――少なくとも、本人の主観においてはそうなのであろうと。なら、ことに現在、私が何を言うこともない。良い意味での確信犯であるのだから。


貴方が音羽さんの、あまりに誤解を招きやすい言行についてシンパシーから「フォロー」されることも「翻訳」されることもまた御自由です、当然。これも嫌味ではなく、率直な本音。「右」も「左」も党派性に関係なく、信頼されている著名な「社会派」のブロガーに対しても強気で物言うところ、かかる姿勢それ自体に限定するなら、見上げたものとは思っています、現在。いや無礼とは相変わらず思いますが、それも「あえて」のことではあろうし。


――貴方は、おそらくはあえて、というか故意に、問題をすりかえていますが、音羽さんというブロガーにしてネットワーカーにしてオーマイニュース市民記者にして一個人が、昨年の10月以降に、私のブログのコメ欄も含めた方々にて繰り広げてきた、いわゆるネチケットを著しく逸脱した一連の狼藉について、1ブロガーとしての貴方はいかなる判断と認識を持っておられるのか、そのことを、貴方に対しては間接的といえ問うていたのですけれども。諸例を列記しても構いません。


間接的にしか問うてこなかったのは、それこそ(ことに当時は)「踏み絵」でしかないと思ったこと、また貴方が答えるはずがないことを、知っていたためです。「かかる観点は私の問題関心ならびに問題提起とは相違します」とね。ごまかしではなく貴方の本心であることは理解していますが。


貴方は、音羽さんの件をめぐる「ウォッチャー」の存在についての見解の開示を私に対して求めた、そして答えた後、音羽さんの件について貴方が「ウォッチャー」と考えている、匿名ではない任意のネットワーカーが存在するなら、貴方の見解と共にはてなidないしハンドルを示してほしいと私が問うたら――本気でしたよ――答えない。音羽さんの一連の品行については論評しない。そして「保身のススメ」を説くつもりはない、と仰る。私はそのような話は貴方に対してはしていない。音羽さんに対して幾度も直接に説いています、大きな御世話ではありましたが。Schwaetzerさんと同様にね。


貴方はそれをなさらない、「保身のススメ」を説くつもりはない、むろん構いません。およそ形式的な「釈明」など私は誰に対しても求めたことはありませんけれども、率直に「説明」してほしいと思った事柄は幾つかありましたね、それこそ貴方の「意図」について、本音のところを開示してほしかった。


そして、sakimiさんの当該の行為について如何様に考えるところであるのか、私に対して見解の開示を求める。なら私も、音羽さんが自ら削除した「あまりに醜悪な」各所における暴言や、某氏に対して送信された「死ね」メールについて「ぜひともリンク先を読んで確認していただきたい。私はこうした事柄を無視しえないのですよ。」とあえて正義面こいて突きつけることも、可能であるわけです。金積まれて頼まれようとやりませんけれども。かかる事柄を言挙げるモチベーションもとうにない。貴方が問うから記している。以上の事実を、貴方は御存知でしょう、sakimiさんの当該の行為について、私が存じ上げていたように。


――であるから、行為と不作為の結果的な不均衡をもって、畢竟そこに事前の選択的な恣意性が明確に見出されたとて、二重規範という批判は成立し得ない。批判に該当しない人間など、いなくなるのであるから――行為としての言及と不作為としての沈黙を、個人のアウトプットにおいて必然として累積していく限りにおいては。個人の選択に一貫して所在する任意の傾向をして、傾向自体を指摘すること「のみ」によっては、かかる個人ないしその選択を批判することはできない、私はかく考えています。貴方もまた、その点については同意されると思います。


貴方は、私に対しては単に「2ch」という「踏み絵」を提示しているだけだ。それを「政治性」と名付けて。「問題視」をなさっている。「募金活動をめぐる騒動」自体ならびに「騒動の主体」に対しては、積極的に批判的な見解を示すことなく、あまつさえ「意図」になくとも結果的には「騒動の主体」を、ひいては2chを「利する」言行を繰り返している者に対して。


誤解があるなら御指摘を――佐々木俊尚氏の一連の言行に対して、貴方はかく考えている。私には「相関」が見出されます。少なくとも、貴方がエントリ本編にて記した氏の記事に対する批判内容については妥当なものであったと、私は考えていますけれども。


私と音羽さんと「ウォッチャー」だけが当ブログにおける事態に関与したなどということは、事実としてありません。


だれもそんなことが「事実」としてあったなどとは主張していないのですが?

 

「「事実」としてあったなどとは主張していない」ことは、知っています、ただ、ひょっとしたら貴方がそのように認識なさっているのではないかと、思われたので。音羽さんをめぐる一連の経緯を「ウォッチャー」というファクターありきで問い質されても、困るということです。


音羽さんの一連の振舞いをめぐる話に踏む込む意思があるのであるなら、貴方にもまた開示するべき見解があるでしょう。「ウォッチャー」の振舞いについて私に見解を問うなら(私は答えました)、音羽さんの振舞いについての貴方の見解を示していただきたい。物事の順番。


――であるから、かく示せばわかることでしょう、こういうのは「踏み絵」であると。「ウォッチャー」の振舞いに対する個人の是非判断をもって「リトマス試験紙」とすることと、音羽さんの振舞いに対する個人の是非判断をもって「リトマス試験紙」とすることは、機能においては同義です。そもそも、そういった発想はくだらないし、他意をもって突きつけることは更にくだらないと思うから、私は貴方に対して、殊更には訊かなかった。「私の個人主義」にて幾度も記したのは、かかる事柄のことでもあるのですが。


そして――現在におかれては、音羽さんに対して肯定的に言及することもまた、容易い。「受賞」の直後でも佐々木氏を名指して批判した直後でも、また「騒動」の最中でもない。私が、「募金活動をめぐる騒動」や小倉氏の発言について、そして音羽さんに対しても、いささか見解とスタンスが相違するといえ、こと音羽さんの件におかれては、Schwaetzerさんに対して一貫して敬意を払っているとすることの意味を、わかっておられますか。右として記すなら、渦中において矢面に立って言わない人間を、私は信用しない。そして、貴方に対する原則的な敬意はかかる点に由来します。


貴方には踏み込む意思がない、私もそのことは了解しているのであるから、かかる事項に接触するような、挑発的な物言いは遠慮していただきたいです。思想的傾向ないし政治性、あるいは2chに対するスタンス(=「政治性」)において対立するのかも知れませんけれども、私は、貴方が無数に相手にしているであろう、貴方に失点あるなら嗤う類の人間ではない。それこそ「ウォッチャー」と「ネット右翼」が跋扈する以上、立場のうえで貴方が誰に対しても背中を見せられないその事情については、察しますけれども。


ところで。


そして「「被害者遺族の前で死刑反対って言えんのかよ!」とか言い出すやつが出てくるわけですが、「臓器移植反対」は平気で言えるみたい」という別個の話が、なぜ接続的に記述されているのかも、現在の時点において考えるなら、個人的にはわかりかねるわけです。


という私の疑問に対応するレスがなぜ、


私の関心は「炎上のポリティックス」にあって「保身のススメ」にはない、ということです。だから私はトニオさんにも「保身のススメ」を説くつもりはない。その点について私が何か釈明する必要があるとも思いません。他方、あなたがなぜ asdf氏やmamezou氏 に対しては「保身のススメ」を説かなかったのか、は問題にしうることだと思いますが、繰り返しになるので省略します。


となるのですか。続く、


Apemanさんの書き込みの命題的な意図について、私の(音羽さんのレスからも汲み取れる)推測をもとに述べますが、つまりは「他人の発言に示されている非当事者性を批判する人間が、自らの発言に付随する非当事者性については自戒しない」という発言様式の、その恣意的な二重基準性をこそ批判されているのであろうと思います。


「命題的な意図」という概念は私には意味不明なのですが(指向対象が命題であるような意図?)それはさておき、私の「意図」は炎上にまつわる政治性を明らかにすることです。端的に言えば、ネットには「無関心に準拠した無知」に基づく「素朴で率直な感性と価値観」の表出なんていくらでも転がっているのに、それらが等しい確率で炎上するわけではない、ということを問題にしているのです。


という、一見対応しているようには見えないレスについても同様。――Apemanさんの議論のやり方についてはわかっています。「それはさておき、私の「意図」は――」。むろん、貴方にとっての最大限の誠実な対応であることも知っているし、議論のエコノミーは肝要です。


「議論のやり方」、というかはっきりと言ってそれに含まれている恣意性についても、これは私もお互い様です。上記引用、我ながら白々しいことを、わかって訊いていると思う。貴方の問題意識とそれを喚起しているWebの状況については十分に承知しているにもかかわらず。であるから、当時も書いている途中で嫌になったのです。形式的な「揚げ足」は、私はやめます。


私の「意図」は炎上にまつわる政治性を明らかにすることです。端的に言えば、ネットには「無関心に準拠した無知」に基づく「素朴で率直な感性と価値観」の表出なんていくらでも転がっているのに、それらが等しい確率で炎上するわけではない、ということを問題にしているのです。


そのことについて、話しましょう。むろん、知っています、そのことは。貴方が一貫して問題とされていることも、事実ないし現実としての問題の所在についても。貴方は――私という「募金活動をめぐる騒動」に「行動的」にコミットした論者に対して、かの改変テンプレを示し突きつけることによって、打撃を与え得ると、思ったのでしょう。


つまり――sk-44は自らの「親2ch」(という表現にて合致していますか、貴方の認識と)という「政治性」に基づいて、「募金活動をめぐる騒動」において噴出した「「無関心に準拠した無知」に基づく「素朴で率直な感性と価値観」の表出」における「任意の傾向を有する発言/表出」に対しては「意図」して言及してこなかった、ないし沈黙してきた、方々にて容易に見出されたにもかかわらず、と。


まず、記しましたが、ファクトとしては、ガチ、事実ですよ――不作為については。かかる不作為に「意図」ないし「意図性」が介在したのではないかと問うのであるなら――まったく介在しなかった、と答えたなら嘘をついたことになるでしょうね。「シラを切る」「とぼける」に該当する。


現に「募金活動をめぐる騒動」において噴出した「任意の傾向を有する発言/表出」――問題の焦点を明確化させるために、あえて対立構図を借定して、操作的に代入してかく言い換えるなら「騒動の主体の側」の無知や無関心や論理破綻やナイーブさについては、こと渦中において同時的には、少なくとも任意の発言の名指しによっては批判することのなかった、という歴とした事実が存在する以上。


その点、私はfw0さんとは異なることを、認めます。文字通りの匿名者の発言に対するものであろうと、fw0さんは、あるいはApemanさんもまた、要あるときは、当該の発言を(時にIPアドレスまで)引用したうえで、批判を記されている。fw0さんが、id:kyoumoeさんの批判に対して答えたように「前記のとおり、してますが、何か?」とは、私は言うことができない、そのことは、弁えています――いや、TBのうえにて引用しましょう。


シム宇宙の内側にて まん延する 「他にも悪いことしてる子はいるのに、どうしてぼくちゃんだけ怒られるの?!!」 メソッド


ましてやお前らは暴走を止めようとしたのかっての。

「自分とは関係ない」とか「一部の人がやっただけ」とかいくら言おうが一緒なんだよ。

排除の姿勢が見えなければ容認なんだよ。


前記のとおり、してますが、何か? それより、「排除の姿勢が見えなければ容認なんだよ」 とは、これまた極論ですね。(後略)


私は――これは「保身のススメ」とは関係がなく、一貫して私なりに確固たる思うところがあるので、こちらの議論に対して直接には介入しません。つまり、当該の議論自体に対して見解を述べるつもりはない、ということです。fw0さんが松永氏の記事を名指して記した批判、対する松永氏の反論、そしてkyoumoeさんがfw0さんのエントリに対して示した批判や、fw0さんによるそれらに対する反論については、直接的な体裁に拠っては言及しない、ということ。


ただ――9日付のエントリにて「排除の姿勢が見えなければ容認」との言を引用させていただいたうえで、自らについては認めた通り。kyoumoeさんが示した批判は、それ自体は直接には、いわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」についての検討的な議論に際して大きな影響力を示した、かの件のブロゴスフィアにおける代表的な論客たるfw0さん(「自信過剰」ではありませんよ、fw0さん)の言行ないし「その不作為」に対して示されたものでした。


私は、上記引用部にて示された批判についてはfw0さんに対して該当し得るものであるとはまったく考えない。しかしながら、私個人について記すなら、幾許かは「お前ら」として自らに対しても向けられた批判のようには、勝手に感じました。少なくとも私は、もし、sk-44というブロガーの「言行ないしその不作為」に対する批判であったとするなら、ごもっとも、と思いはした、そのことを明記しておきます。


Apemanさんが私に対して問われていることは――いや、私に限ったことではない。言い換えます。


――事実性の水準に属するおよそ自明の事項として、すなわち事実的かつ現実的な現象として、2chにおいて生成し発信されているとされる任意の匿名の言論において明確に見出される「相関」としての、時に反社会的なその「傾向」に対して、また、その――あえてかく言うなら「現実の社会」に対して波及し得る深甚な影響(祭や炎上等)について、個別の言辞/行為については時折批判するが、匿名システムとしてのメディアが孕む明白な蓋然自体に対しては批判的な姿勢を示すことがなく(=「不作為」)、あまつさえ2chないし匿名メディア/匿名言論の可能性自体についてはシンパシーを言明して、かかるシンパシーを「行為」へと移す――


かようなWebの論者に対して、Apemanさんが一貫して問われていることとは、上記引用においてkyoumoeさんが「お前ら」に対して問い突きつけていることと、基本的には、ないし大筋/大枠においては同様の事柄では、ないのですか。「相関」が見出される「事実上2chを発信源とする任意の匿名言論における傾向」の、その「家族的類似」的な外延に拠って、広義のいわゆる「ネット右翼」とは名指される。


暫定的な結論として示すなら、つまり。貴方が現行のWebをめぐる諸状況/諸事象について一貫して問題としている「右翼」とは、多くいわゆる「ネット右翼」の謂であり、ゆえに、かような言論が生成される発信源であると事実上されている2chが、問題の焦点となり最大のファクターとなる。


一方、私が認識し発言において名指している「右翼」とは、あえて二項区別的にかかる操作的かつ大仰な表現を用いて記すなら、真正右翼の謂であり、2chの、少なくとも祭や炎上とは関係のあろうはずがない。というか『マンガ嫌韓流』や拉致被害者帰国によって「目覚める」右翼とは何事ですか。――既知の事柄でしたよ、以前から。


私の世代にとってすら、関心あった者にはおよそ周知の事項であることを、改めて明記しておきますが、「右左にかかわることなく」声を上げていた人は、上げずとも知って沈黙していた人は、そして言論の表舞台において沈黙が要請された時機は、以前に存在したのです。ええ「以前」のこと。そのとき上げられていた「声」が、あるいは沈黙者の認識が、時に誤認ないし錯誤を含むものであったこともまた、事実です。


――とはいえ、現行については、露骨過ぎる潮流とは、また、思いますね。それをバックラッシュ、と呼んでよいのやら。「知っていた」沈黙者のうち、現在時勢に乗じて噴き上がっている人を、私は少なくとも身近には、知らない。余計な話であるけれども、オタクについても萌えについても、私の知る限りは同様。ことに現実の友人知人連中は。


しばし、お待ちくださいその2 - 地を這う難破船


端的にいえば、“右とか左とかのはなし”でもないのに、首相靖国参拝への「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」は看過せず、募金活動への「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」に対してはそれにみあった態度をとらない…というのはおよそ私には理解できないのです。


私に対する貴方の疑義は、この問いにてすでに要点は尽くされていた。率直に申し上げて、「首相の靖国参拝への「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」は看過せず、募金活動への「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」に対してはそれにみあった態度をとらない」ことは、なるほどファクトですが、そのことがなぜ「右とか左とかの話」になるのか、当時も今も「およそ私には理解できない」ところではあります。


靖国参拝は歴史的にも経緯においてもそうです。社会的に展開された募金活動における、その主催団体の不透明な会計について、私的な疑義を個人が示すことと「右翼」といかなる関係があるのですか、頭に「ネット」が付こうが付くまいが、とは、ごまかしでもしらばっくれでもなく、本当に思いますよ。


個人における行為と不作為の不均衡に対して、一貫した選択的な基準の所在として「右とか左とかのはなし」が「政治性」として見出されると個人に対して公的に言明するなら、かく判断する個人の左右観と政治性に対する認識を前提事項として伺いたい。私は原則においてかく考えます。――で、私と貴方との「右とか左とかのはなし」に対する認識が相違しているらしいからこそかかる齟齬が発生していることを、私は知っているし、おそらくは貴方も知っている。


そして、貴方は貴方が行為において相対的にはコミットしてこなかった問題に対してまで、貴方自身の殻に合わせて穴を掘っている。お互い様であること、記しています。個人の問題関心と問題意識は個別的かつ相対的。ただし貴方のそれを突きつけられたなら、対するに私個人の問題関心と問題意識について示すしかない。貴方が私に対して言明されたように。貴方がそうであったように、私にとってもまた、最大限に誠実な応対なのですよ。一般論としても同様。


広義のいわゆる慈善運動をめぐる諸問題それ自体が、日本において靖国あるいは自衛隊と同等に「政治的な焦点」とされてきた経緯/過程を、私は寡聞にして知らない。そもそも「政治的な焦点」として「問題化」されポリティカルな議論の俎上に上げられてきたこと相対的に少なきがゆえに、募金団体の会計について全体的にも「問題化」されることの少なかった。


かかる経緯のうえで、およそホワイトバンド以降Webにおいて、あえて書きますが「草の根」からの「問題化」が為され、私もまた本件については問題関心として個人的にコミットしたのです。また、記しましたが、移植医療をめぐる問題については、以前からの持続的な問題関心でもあったので。


そして「問題関心としての個人的なコミット」それ自体に対して「無自覚な欲望の現れ」としての「政治性」を「相関」ありきか一方的に見出し、「政治的な焦点」として外部からフレーミングを行う、万事を「政治性」に還元する人がいる、と。


たとえば、伺いますが、移植医療をめぐる諸問題についての議論を「政治的な焦点」として「問題化」することに、言い換えるなら政治的な議論に還元することを、是とし得ますか。米国において中絶問題は明白に政治的なフレーミングが為されています。現実的にも政治的な「踏み絵」として機能している。宗教観の相違というファクターを「あえて」捨象しての、応用的な一般論として伺いますが。


私の原則的な立場は、9日付のエントリにて明記し、また以前にも幾度も記してきた通り。「政治的な焦点化」が現行において為されていない諸議論について、新たに政治的なフレーミングを行うことに対しては、与しないし是としません。


かような「問題化」は、私の趣味とするところではない。また「政治的な焦点」として「問題化」したとたんに、他意ありきで首を突っ込み端的に議論を撹乱する「問題意識を異にする人」が現れる。結構ですが、率直に申し上げるなら、昨年末においては全面的にコミットして真面目な議論を志向していた側としては、見識も「覚悟」もなきままの中途半端な半畳については、いささか迷惑と思ったことも、ありましたね。fw0さんも思ったことでしょう。


もし貴方が、あるいはNakanishiBさんが、万事を政治的な議論に還元し得るとする立場であるとするなら、かかる立場が単に半畳ないし横槍としてしか機能しないこともあることに「自覚的」であってほしいところです。南京事件等、立場を置換するなら明瞭なことであるとは、思っていますが。御存知のことでしょうけれども、私のエントリを受けて、fw0さんは改めてApemanさんを名指しされています。


以前に、別途の目的にて同一のエントリに対してTBを送らせていただきましたが。


ブックマーク・RSSから(2006/10/19) - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)


↑あれで騒いでいた人たちが「ネット右翼」なら、ぼくは「ネット右翼」の概念を変えなくては、と思った。


この見解については、同意します。私の見解を一言(いちごん)で言うなら――「右翼」とはいかなる意味においても関係がない、少なくとも、私がかく認識し準拠し使用している「右翼概念」に準ずるならば(愛・蔵太氏の採用している「概念」と同一ということではない)。「概念」の「個人的な定義」が「一般にはむしろ過剰な限定」であることについては、私もまた現状を鑑みて同意しますけれども、ゆえに分別が肝要であるとも、思うので。


かような事柄は貴方も承知。「宿題」というレスエントリにおかれては、おそらく私の認識ないし問題関心/問題意識に則ってくださり「政治性」という言葉意外に「右」という語も「左」という語も用いられなかった。そして「炎上のポリティックス」という概念を示された。


――つまりは、一言で言って2chに対するスタンスとしての「政治性」の話、ということですね。


「募金活動をめぐる騒動」に即して、貴方が私に対して問うている「政治性」とは、「2chに対して示すスタンス」の謂。「炎上のポリティックス」という補助線を引くなら、2chに対する個人のスタンスの明確化に即した分岐に拠って「政治性」として右左が分かたれる、貴方はかく考えている。


少なくとも、その旨についてもまた、私は同意することはできません。2chないしは匿名メディア/匿名言論自体に対して明白に好意的な言動を示す人物であるなら、コメ欄を開放している、発言者としての人称性を自ら規定し自己の言の責を率先して明示的に画定する論者としてのブロガーであろうと、Webにおいては「右」と判断されるという考え方であるのなら。


「「右」と判断される」ことに同意し得ないのではなく、記した通り、2項対立的な発想と「政治的な焦点化」というフレーミング自体について、万事に亘り同意することができない。つまりは2項対立的な発想を用意する前提的な枠組自体を、私は価値的に認めない。それが、当方の前提的な立場。


最初に結論として記した通りに、私は、一貫して棹差しているのですよ「2項対立的な発想と「政治的な焦点化」というフレーミング」によって召還される「リトマス試験紙」の存在それ自体に対して。「リトマス試験紙」を要請する前提的な枠組自体に対してもね。かかる枠組を前提した発想を「踏み絵」としか現在の私は考えない。


つまるところ、それが、私という歴史存在たる個人が経験的に有している基底的な価値判断。かかる枠組を突きつける人間に対しては、私は価値的にノーとすることしかできない、誠実な対応を期するならなおのこと。


認め難いと、もし貴方がされるなら、相互の価値的な相違について詰める要が存在します。当方の応対にはどうしても時間が掛かるけれども、私は構いません、実りもまた他に対する義も所在する話となることでしょう。


また、以前に貴方と交わしていた、かような話の深化を当方から一方的に切り上げた経緯については、貴方に対する不義理と共に、いささか悔恨が所在しているので。貴方からの批判的な指摘を被ってきた、私の如き他人のために、往復書簡を続けることとします。


なお、かような認識とスタンスは、「政治的な焦点」としての「問題」に即して交わされる明確に政治的な議論に対してコミットすることと矛盾するものではないし、政治的な議論を否定するところでもない。万事の「問題」を2項対立的な政治性というレディメイドの枠組に還元し得るわけではありませんよ、ということ。記した通り、原則と例外の話。


――そして、かかる「「政治的な焦点化」というフレーミング」を前提した2項対立的な発想は、党派性を肯定する価値観へと行き着く。「踏み絵」ないし「リトマス試験紙」が機能する。「無自覚」と「無意識」まで引っ張り出したなら、染まり得ない発言は存在しない。


はっきりと伺いますが――貴方は「利敵」という認識/発想を、直接に言葉にはせずとも、持ち合わせてはおられませんか。繰り返しますがそうであるとしてそのことを批判しているのではない。価値観の相違ということです。基底的な齟齬/分岐としての価値的な相違が所在するなら明確化して話を詰めましょう、率直に、ということです。


貴方の、あるいは「左」のネットワーカーの方達が覚えている危機感については――炎上被害を被る方もいる――私なりに理解しているつもりです。


二世三世としての、若年の「在日」の方が自らの民族的な出自を明示して、開放されたブログを運営するに際して、等しく現実的なリスクが蓋然として所在する状況については、多様性を肯定する価値相対主義者としては、その是正をこそ支持しなければならない。


自らの民族的なルーツを誇ることそれ自体が、マイノリティに対しては、差別的な罵言の対象となる、かような状況の存在自体、愛国的な保守主義者としては認め難い。「私達」とて、外国において自らの民族的な出自(=ルーツ)を認識しその「誇り」を主張する必然が、幾らでも所在している。それが米欧であろうが中韓であろうが。


おそらくあなたはいわゆる「炎上」を「リスクコントロールないしトラブルメンテナンスの類の話」という観点からのみ考えておられ、これに対して私はそのような観点にほとんど関心がない、というよりいわゆる「炎上」をそうした観点から考えるのは「炎上のポリティックス」の隠蔽であると考えている、ということなのでしょう。


自ら記した上記の如き認識、言うまでもないことであろうし誰もが言っている、私について誤解している方もあるまいと、考えていたから、言明しなかったのですが。


保守」であろうと「革新」であろうと、近代主義にコミットする者は、すべからく(知って用いている為念)思想信条の自由と信教の自由と表現の自由に同意し、しかしながら意図的/確信的なヘイトスピーチの自由については断じて認めない。


法的に規制するべきということではない、近代主義にコミットする者はすべからく確信的な差別思想を意思的に許容するべきではない、という大原則の話。価値相対主義とは差別主義すらも相対化するものであろうはずがない。


記すなら「と学会」とて山本弘氏とてかかるプリンシプルについては、あまりにも当然のことながら同様。差別主義は近代主義の原理原則と、近代社会を構成している基盤を破壊する。定言命令。近代主義にコミットする者は保守革新にかかわらずすべからく近代社会の基盤を護持するべく行動しなければならない。


記しましたが、私にとって「右翼」とは反近代主義者の謂。よって「保守」と「右翼」は分岐するし、私自身は「右翼」とは言い難い。以前に貴方に対して記したことですが、繰り返すと、よって呉智英氏は「保守」とは言い得るが「右翼」ではまったくない。福田和也氏は両義的です。


こと日本におかれて「右翼」がすべからく差別主義者であるということではまったくない為念。そうであるなら福田氏を含めて、私はかかる思想に価値を認めて敬意を払いはしない。


半分現役のナチスマニアとして記すなら、かの教訓は日本におかれても断じて忘却するべきでない。「人間性」とは「人権」概念とは、近代主義と共に形成され担保され、西欧におけるその徹底した啓蒙によって涵養され、「個人」が生まれた。


話を大枠から戻すと。


しかしながら、上記の引用部、貴方が仰ったことについては、大筋において認めたうえで――おそらく貴方はいわゆる「募金活動をめぐる騒動」を「2chないし匿名メディア/匿名言論自体に対して示された個人のスタンスにおいて分かたれる「政治性」」ないしは「炎上のポリティックス」という観点からのみ考えておられ、これに対して私はそのような前提的な観点には関心を有するものの、故意にかかる観点を捨象しリジェクトした、というよりいわゆる「募金活動をめぐる騒動」をそうした観点から「のみ」考え観察しそのことを言説化するのは「募金活動をめぐる騒動」にコミットする個々人の個別的な動機と意識/認識における文脈と問題関心を隠蔽するものとして「機能する」、と考えている、ということなのでしょう。私が、個人的にかく考えて行動した、という自己規則の話。


であるから――ええ、私は「募金活動をめぐる騒動」の件に関して、意思的に「炎上のポリティックス」を隠蔽したとも、言うことが、あるいは可能でしょう。言い換えるなら「意図的」に、ひいては故意に。確信犯とは、そういうことです。


――繰り返しますけれども、むろん、私は知っているし、理解しているし、わかってもいました。「貴方が一貫して問題とされていることも、事実ないし現実としての問題の所在についても。」。


そして、ようやく、最初に記した話へと、帰ってくるのですけれども。私は単に、そうした貴方の判断自体が、不可解であったのです。


これまたすでに述べたことですが、私が「距離を置いて」いたのはトニオさんに対してではなく、募金活動をめぐる騒動に対してであり、この騒動それ自体については距離を置いたところから私が事態を把握している範囲に応じてのみ発言しようとしていたに過ぎません。


わかってはいたことです――貴方が個別事例としての「募金活動をめぐる騒動」自体に対して直接的にはコミットする意思もまた知見も持たないことも(個人の物理限界におけるプライオリティの問題ですから、むろん無問題です、中途半端な半畳がなければ)、私が1月20日付エントリにて仔細に分節し列記して問うた事項に対して答えないことも、それでいながら渦中において音羽さんのコメント欄にて、唐突に私のエントリの、内容でなくよりにもよって文章に対して揶揄的に言及し(「他意」がなかったとは言わせません)、無視してもよいところを私なりに真面目に記した返答に対しても応えることなく(私のエントリの文章に対する批判なら当方に記していただきたかったですね、当時。音羽さんの当該のエントリの記述に対していかなる対応的な言及も記しておられないのであるから。貴方が音羽さんを「フォロー」するときは多くそうですが。音羽さんが内容的には妥当性を欠く記述を示していること、むろん貴方は知っている、最近もそうでしたね。私は知ったうえで、音羽さんを率直に見上げたものとは思っていますし、あるいは貴方のそれと共有され得る音羽さんの問題意識については、繰り返しますが私なりに理解しています。貴方の一貫した問題意識についておよそ理解しているように)、そして「「問題ある?」とのこと」に対するブクマコメントが「は?」であったことも、私の「まるっきり的外れな」釈明に対して貴方がまた、私にとっては「まるっきり的外れな」批判――というか貴方は明言しておられますが「当てこすり」を「意図」したエントリを掲示し、あげくそのコメ欄にMacacaFuscataさんが繰り返しつまらない揶揄を、私が目を通すことを知りながら書き込むことも。NakanishiBさんの――それこそ「フェアネス」については、いまもってなお感謝しています。


不快を覚えたわけでなくとも、あのとき、貴方は本当に腹を立てておられたのでしょう(貴方のブログの、1月8日付エントリにおけるコメ欄での貴方の物言いはそうとしか取れません、私には)、であるから音羽さんのどうしようもないコメントに対して、妥当性を欠く内容のレスを記してまで意趣返しをした。


私が、貴方の示した改変テンプレを全文転載したうえで、ああいった内容のレスエントリを記すことを、貴方は想定していなかったのでしょう。そういうのを予断と先入見と言うのです。反撃を意図したわけでもなんでもなく、どうやら私は誤解されているのだな、という、率直な感慨の表明であって、本音でした。馬鹿を贔屓した覚えは私はなかったから。貴方が例示する馬鹿を個別に批判した覚えも、確かにありませんでしたが。


totさんに対して答えた通り、靖国についてなら、あるいは自衛隊についてなら、それをして「右より」とされることを、私は認めるものです。靖国信仰を私は持たないし、ミリタリストであったこともないけれども。なら「募金活動をめぐる騒動」については――続けますが、その前に。


――もはや、形式的な「正当性」をめぐる綱引きも不毛と思うし、手の内を色々と見せ合いもしてきた以上、貴方とそれを続けても仕方がないと思うので、率直なところを記すこととしますが。私が気を悪くしていなかったとでも、思っていたのですか。12月以降の「募金活動をめぐる騒動」に対する貴方の一連の「行為と不作為の選択的な不均衡」に対して。


事例の個別性に対して直接的にはコミットする意思も知見もまた「覚悟」も持ち合わせないのであるなら、自粛していただきたかったところですね、半畳については。貴方が「公正泥棒」について私に対して示した批判ないし抗議とは、かような事柄のことでしょう。自らのこととなれば身に染みてわかるもので、反省していますし、ことに野原さんに対しては失礼なことをしたとは思っている。お互い様と言っていても仕方がないので、相互的な批判/抗議というのは肝要です。


「「魂がこもってない」文章」?私の目には、貴方の文章は「「魂がこもり過ぎの」文章」に見えますよ、「敢えてこういう言い方をすれば」。であるから、かような話は問題関心/問題意識の個別性と相対性に回収されてしまう。価値相対主義者としては構わない。ただしそのとき、他者との対話を志向する、かくあらねばならない、という定言命令としての倫理問題は捨象されてしまう。安易な価値相対主義のネックとはそこにあって、私は貴方の言に対してかように処理するつもりは、いまのところはないから。


貴方は、私、あるいは、あえてかく言うなら「私達」に対するカウンターを意図してかかる改変テンプレのエントリを「われながらくだらない「芸」だと思いつつあえてくだらないことをやってみせた」掲示されたのであろうと思いますが、以前にも記しましたが、少なくとも貴方が問われた事項は「私達」にとっては周知の事柄です。「私達」とは「募金活動をめぐる騒動」自体に対して直接的にもコミットしてきた、少なくとも馬鹿ではないネットワーカーの謂。


炎上に付随する誹謗中傷違法行為としての個人情報記載ないし名誉毀損など論外、というのは「社会人」としての、あるいはその表裏たる「身元を隠した」「匿名」ブロガーとしての、言わずもがなの大前提でしょう。音羽さんはかような事項を問題として言挙げたし、少なくとも私は、かかる事項を既知にして周知としながらも、かかる既知の明白な周知ゆえに、殊更に問題として改めて言挙げることは、しなかった。少なくとも、任意の発言を引用して個別的に指摘を行うという体によっては。


かかる「不作為」を「炎上のポリティックス」に対する「意図的」な隠蔽とし得るのか、閲覧者の判断に任せるしか、私にはありません。という倫理的ならざる他人事めいた言は、以前の貴方とのやり取りに際しても用いたので、繰り返しを付記しておきますが、「不作為」において「他意」が関与しなかったとは到底言い切れないものであろうと、自らを省みて、また他に説明するに際しても私は考えています。ことに、貴方の言動に所在する「他意」について指摘している以上は。ただし――「炎上リスク」を前提しての「不作為」ということではまったくない。


ええ、そうですね。白状するまでもないことですが。私は、2chという匿名メディアそれ自体に対しては、ある種のシンパシーを覚えているので。現行の私の生における基調音たる退屈と不快に対して、ごくごくわずかに、幾許かの棹を差す。システムとしてのメディアそれ自体に対して義理を感じていないというなら、嘘になる。むろん当方の勝手かつ一方的な私的感情の話。


かかる「意図」に基づいた一連の行動が、結果的に「「死ぬ死ぬ詐欺」といって騒いでいる面々の「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」」を「利する」「結果的に擁護する」ものとして機能したか、したとして、かかる「結果責任」は1ブロガーに対して問われ得るか。一般論として問うなら、私の解は否。


ことに保守として記すなら、認識と行為は、原則的に分岐する。「あえて」の話。認識と行為が一致すると考える、ないし他人の行為と認識を同一視する、アイロニーなき人間の無数の愚行に対して無限に追うべき責を認めたなら、私がそうということではまったくないが、賢き者は発言し得ず行為し得ない――結果責任とはそうしたものであるといえ。メタとベタの話。前提において、行為に即して責任の所在を逆算的に追及し得るとするなら、沈黙し行為しない者がもっとも聡明という解となる。以降は倫理問題ですけれども。


しかしながら、行為の帰趨について認識しないことは、ことに賢き者であるならなお、不実であるとは思います。賢き者は否が応でも蓋然(=行為の帰趨)については認識するし、認識したうえで「あえて」関知せずとして行為するなら、あるいは倫理が問われる。――私は認識していたし、今も認識している。


そして――それこそ蓋然されたことですが、行為の帰趨と結果に対する反作用が、訪れた。私にも、またfw0さんにも。貴方や、松永氏による個別の批判をもって。私は――行為の帰趨については認識していましたよ。それがもたらす結果の蓋然についても。


行為の帰趨が到来させた結果について、幾許かの債務を負う意思はあったし、責任を取る意図も所在した。であるから「私の個人主義」にて、私の側の認識を延々と仔細に説明しました。貴方と、その向こうの、行為の帰趨がもたらした結果について見据えている人達に対して。


私は「意図」の話をしましたが「認識」についての説明もした。自らの意思的な行為の帰趨と、それがもたらした結果に対する認識についても。認識していることを、明記したのです。


発言者の背景がどうであれ、上記のような見解自体に、あくまで私個人は、ということですが、過去においても現在においても、与することはありませんし、かかる見解を支持するようなことを記した覚えはありません。「自腹を切れ」などということを私は言わないし、言ってどうなるものでもない。というか、当該の両親個人について言及した覚え自体がありません。


そういうことを問題にしているのではない、ということは理解していただいたと思っていたのですが、どうやら私の早とちりだったようです。


理解はしていました。少なくとも、貴方が私のことを馬鹿とは思っていないことは。馬鹿と同列には考えていないことも。なら、なぜかような事柄を記したか。


貴方以外の方に対する説明の意図が、第一に存在しましたが、それ以上に、自らの行為の帰趨とその帰結に対する始末を、プレイヤーとしての個人の範囲において付ける意があった。むろん、対外的に。ポーズではなく本心ですが、言わずもがなと考えていたことも、言明しなければ不作為と見なされかねないことに、気が付いたので。


そして――万事は手遅れであったわけです。渦中において矢面に立って言え、と他人に対して思うことのある以上、自ら率先して範を示すべきでしたね。


行為の帰趨とその帰結に対して始末は付いたか?否、付いていません。少なくとも私は、結局のところ、プレイヤーとしての「個人の範囲」を超えて付けることを放棄したし、おそらくは誰に拠っても付かない。


「個人の範囲」を逸脱した事象は「帰結」することはない、端的な結果しか存在しない。あるいは悪しき結果であるかも知れないことを、sk-44というプレイヤーは認めます。


時計は戻らないし、根本的な火消しは常に為されない、次なる燃料は投下される。いわゆる賢き者は無数の愚行を目の汚れとして眼中には入れないし、応対の要を覚えない、エコノミーの観点からも、投下したコストバランスしない雑務に触ることはない。横行する無数の愚行については、常に有耶無耶となる以外ない。


「祭」は「炎上のポリティックス」は、範疇を拡大していく一方でしょう。いずれ天の声によって決済がなされるわけですが。イリーガルな愚行についての個人の特定とその積極化については、私は原則的に支持する方向です。


繰り返し。「かかる「意図」に基づいた一連の行動が、結果的に「「死ぬ死ぬ詐欺」といって騒いでいる面々の「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」」を「利する」「結果的に擁護する」ものとして機能したか、したとして、かかる「結果責任」は1ブロガーに対して問われ得るか、一般論として問うなら、私の解は否。ことに保守として記すなら、認識と行為は、原則的に分岐する。」


――そして、一般論としてではなく、私個人について個別に問うなら、解は言うまでもなく、否でなく是。「結果責任」は問われます。行為の帰趨について、前提的に認識したうえで行動したことは、事実であるから。以下詳述。


つまりは――私の「意図性」が問われることとなりますが、しかるに「「死ぬ死ぬ詐欺」といって騒いでいる面々の「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」」を「利する」「擁護する」」「意図」が私に前提として存在したかと問うなら、これは否、と言わざるを得ない。


行為の帰趨について前提的に認識する、ということは「「死ぬ死ぬ詐欺」といって騒いでいる面々の「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」」を「利する」「結果的に擁護する」」蓋然について認識する、ということであるから。「蓋然について認識」することは「意図」とは異なる、すなわち、不作為と行為との相違性、ということです。


少なくとも――…一貫して言っていることですが、私は馬鹿を擁護する「意図」もまた馬鹿を「利する」「意図」も、持ち合わせてはいない。「ねらー」であろうがなかろうが「ねらー」に対して批判的な者であろうが。


行為の帰趨については前提的に認識していた、端的な結果へと至るその蓋然について認識していた以上、その限りにおいて「結果責任」は、私には存在します。認識と行為の分岐に常に意識的であったことをして「意図の介在した不作為」とするなら。


行為の帰趨については認識しているが関知しないとするスタンスを修正し転回したこと、以前に記しています。行為の帰趨について認識することのない人間、ないし認識のうえで関知しないと「公言」する人間は不実であるとは私は思うし、その限りにおいて、結果責任とは行為の主体においては誰であれ常に所在する。


言わずもがな、fw0さんは、一切承知のうえで、自らに対する不当な言について、反論をなさっている。であるから、かようなことは、一切承知なのですよ。当該の件について、火の粉を被ってまでコミットした馬鹿ではないネットワーカーはみな。


言うまでもないことについて言わないことをもって、不作為と見なされることは、状況から鑑みてやむを得ないこととは思うから、私はこうして、貴方に対して説明しているわけです。


一応、アナウンスしているのですよ。――かの件における「救う会批判派」が、ないしは音羽さんと対立的に対峙した者達がみな「「死ぬ死ぬ詐欺」といって騒いでいる面々の「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」」を垂れ流していた馬鹿であったわけでも、またかかる無責任な放言の横行を肯定していたわけでも、fw0さんにおかれては「容認」していたわけでもまったくなかった、ということを。むろん、2chの関連スレッドにおける諸発言におかれても同様。


自らの言行の帰趨とそれが現実においてもたらす結果に必然として付随する結果責任など、周知の事項に過ぎないし、馬鹿でなければ承知している。承知のうえで、プレイヤーとしていかなる行為と不作為を選択的な不均衡を承知で示すか。行為と不作為の不均衡、その選択的な恣意性に所在する自らの責を引き受けて。


私のかようなアナウンスもまた、自らの結果責任に対するひとつの始末。アナウンスに所在する行為と不作為の選択的な不均衡についての責もまた、引き受けています。貴方に対してアナウンスしているということではない、むろんのこと馬鹿ではない貴方もまた、以上承知のことと思うので。


貴方は――御自身で認めておられる通り「募金活動をめぐる騒動」については、遠景ないし全景として、そして「炎上のポリティックス」という貴方の問題関心/問題意識という観点からしか捉えておられない。森を把握するなら、大筋/大枠において間違いではありません、貴方の認識は。


しかしながら、実際に森に分け入っている者が見ている景色とは、森に分け入っている者にとってのリアリティとは、ないし認識とは、また別個です。コミットメントの有無によって認識は分岐する。貴方も有している認識ではないのですか。


国内のWebにおける南京事件論争とは右翼と左翼の情報戦の様相を呈していますね、などと外野から他人事のごとく概括されたらたまったものではないでしょう。大筋/大枠において、間違ってはいませんよ、「森を把握するなら」。


以前、音羽さんに対しても偉そうに説いたものですが、「社会性」とは、かような「現実的な諸関係」において決定される冷徹な事実性のことであって、また、かかる構造的に決定される事実性について、小さき個人が受容し是認し得るか否か――事実性の水準において個人の「意図」を超えて外的かつ重層的に決定される結果責任に対して、行為の主体として「引き受ける」資質の所在のことです。


このようなことは、それこそ「社会性」を有した「大人」があえて言挙げることではない、言わぬが花、ではある。そして――言論において言挙げ問われるべきは、周知の事項としての「結果責任」を「あえて」問うことの、その意味であり、機能効果についてです。つまり――バッシングと断罪を招来しかねないわけですよ。


私は「募金活動をめぐる騒動」の件について、fw0さんというブロガーが断罪されるべきとは、まったく思いませんし「結果責任」を改めて問う者の「資格」と「正当性」をこそ問いたい。


「罪なき者のみ石もて投げよ」などと言っても単なる相殺論にしかなり得ませんが、任意の「炎上のポリティックス」を「結果的」に後押ししたこと「のみ」を「結果責任」として「あえて」言挙げることを、私は是としないし、私は異なりますが、fw0さんについてはかかる判断はそもそも、御本人が主張しておられる通り、誤認の類です。


「募金活動をめぐる騒動」における議論の「適正化」に、fw0さんは多くの貢献を果たしています、2chの関連スレッドにおかれても。経緯に対する無知のうえで腹も括らず外野が棹差したなら、御本人は立腹して当然です。


なお。私は松永氏やkyoumoeさん、あるいはkurotokageさん、ひいては小倉秀夫氏についても「外野」であるとは思ったことはない。むろん、音羽さんも。


ブログの愛読者であることと関係しているのかもわかりませんが――kyoumoeさんが仰っていることは、私は理解しているつもりであるし、一理も二理もあると思う、私個人は納得もしているのですが、しかしながら、上記の引用部については、fw0さんに対して突きつけるべき問いでも批判でもないとは、私は考えている。


また、直接的な発端となった、fw0さんによる松永氏の記事に対する初発の批判の、その論旨と表現における妥当性とは、また別個の話です。私が直接に当該の議論に介入しない理由の多くは、その点に由来しています。


「炎上のポリティックス」をめぐる、音羽さんの問題意識ないし「正義感」については肯定するものの……という見解を私が示してきたのは、音羽さんというプレイヤーが当該議論の「適正化」を、それこそ「結果的」に阻害してきたとしか言えないためです。かかる「結果責任」については、音羽さんの「意図」と別個に問われるべきでしょう――であるから、こういう正しかろうともつまらない言辞は弄したくないわけです、私は。


貴方は――議論の「適正化」などという言辞自体を好まないのでしょう。それこそ政治的な機能効果を前提して操作的に行使される言辞であると。かかる認識を、おそらくfw0さんは意思的に持ち合わせておられないし、その点貴方から見れば「政治性」に対してあまりに「ナイーブ」と映るかもしれない。


以下、私個人のスタンスについての、まとめ。


「募金活動をめぐる騒動」に対するコミットの過程において「炎上のポリティックス」を「結果的」には後押しした、ないし「利した」ことについての「認識」があるか、と問われたなら、イエス


行為の帰趨については、前提的に認識していたし、結果に対する反作用がいずれ訪れることも漠然と知っていた。かくも早く訪れるものか、とは思いましたが。であるから「結果責任」については、引き受けていますよ、こうして。


「炎上のポリティックス」を後押しして「利する」意図があったか、と問われたなら、ノー。蓋然についての認識は直接には意図とはなり得ない。それをして「未必の故意」とするなら、反論するし、例証もまた行うことでしょう。


「炎上のポリティックス」について肯定ないし是認しているのか、と問われたなら、明確にノー。排除の姿勢が見えない以上「容認」してはいないか、と問われたなら、弱くイエス。私個人には、あえて問題として言挙げるモチベーションは存在しない。


「私は「炎上する側にも問題がある場合がある」とは公的には言いません。」――とはいえ、私個人は、見ず知らずの匿名者からの単なる、私自身の属性に対する誹謗中傷ないし「ヘイトスピーチ」には全然こたえないし放置の方向なので。エントリの内容に対する指摘/批判なら別です。


たとえば「気違い」「インポ」「変態」「高卒」「ヤク中」「DQN」と書き込まれてもべつだん困らない。実の親も含め、面と向かってよく言われたものであるし、私の自尊心は現行においてはかかる属性とは無関係の場所に、所在しているので。


重くなるのは困りものではあるけれども、長文掲示にてすでに重いし。友人知人連中は告知したところで読まない。あ、であるから貴方のように「言われたら言い返す」質ではない、私は。「ネトウヨ」という表現に腹を立てるのは記した通り別の理由。


むしろ――私はかかる属性に対する誹謗中傷には笑うだけであるけれども、その誹謗中傷を批判している者の意識に対してこそ笑ってはいられなくなるし時には腹を立てる、つまりは、前者よりも後者をこそ問題と考えるということ。


もちろん、前者は「問題化」するに値しない、批判するに甲斐がないと前提的に考えているということでは、あるけれども。言って甲斐ないことは言わないし、言って甲斐ない相手に対しては言わない。筆を尽くして甲斐がないなら、やめる。最初から放置してスルー。かかる「一貫した基準」の所在についてもまた、嘘でなく本心ですよ。


むろん、以上は「私がかく考えている」という話でしかなく、一般論化ないし公論化し得るものではない。一般論として記したなら、それこそ「「炎上のポリティックス」の隠蔽」としてしか「機能」しないことでしょう。


ただ、私個人の認識におけるリアリティについて開陳するならかくなるし、ゆえに「炎上のポリティックス」について「あえて問題として言挙げるモチベーションは存在しない」ことは事実。むろん、そのことと、エントリの掲示に際して「ありうべき誤解を避けるために」を常に前提することは、両立する別個の話。


これ以降あなたが「不可解」とおっしゃっている点すべてについて言えることですが。例えば


――つまり、私のかかる一連のコミットメントないし問題関心の所在とは、ひいては「私が持っているとされる「なにをとりあげ何をとりあげないかに関して一貫した基準」」とは、「右とか左とかの話」に準拠した「政治的選択」に拠るものであったと、Apemanさんは判断されていた、ということですよね。私の誤読でなければ。信じてもらえるのかわからないのですが、私の「意図」を開示するなら、それは誤解です。つまり、Apemanさんは「政治的選択」において自身と対立する位相ないし旗幟、あるいは「党派的」立場に立つ者と、私のことを考えておられた、とそういうことであるなら、私は驚きまくる以外にありません。それこそ「信じられない」と思うほかない。


という箇所ですが、私はあなたの「意図」を問題にしているわけではないんですよ。もう何度も申しあげたと思うのですが。


言説の発信が結果的に機能する政治的な文脈――「言説の効果」のことを「問題にしている」ということで、合っていますか。であるなら、貴方が「問題」として問うている事柄についての私の認識ないし見解については、以上、記してきました。私が、なお誤解しているというなら、御指摘ください。


結局は――事実誤認についての指摘を行うのでなければ、双方の殻をすり合わせるしか、ないのですよ。であるから、能う限りのフックを模索するために、こうして余計な余談も含めて大量のアウトプットを示しています。


「募金活動をめぐる騒動」に関する私の一連の言行が「炎上のポリティックス」を結果的にも「利する」ものとして機能している。かかる事項に対する認識があるのか、と問われたなら、繰り返すけれどもイエス。以下もまた繰り返しなので略。


そして、かかる結果責任についての始末は私なりに付けようとは、思っていますが、それこそ音羽さんやkurotokageさんなら別ですが、貴方から改めて結果責任を言挙げされ「問題」として問われることに対しては、正直に申し上げるなら、あまり応じる義理を感じない、というところでは、ある。


南京事件をめぐる議論について私が「内容的には大筋/大枠において間違っているわけではないけれども」他人事なスタンスから唐突に貴方の姿勢について問うたところで、貴方は応える義理を感じますか。対人における礼儀の問題です。


私は、たとえば「性的に奔放な女性に対する蔑視の表出」の横行という「問題」についてMacacaFuscataさんと意見交換を行うとするなら、少なくとも真面目には、やりますね。


そして「結果責任」以上のものを、貴方が私に対して問うとするなら――「炎上のポリティックス」をめぐる「政治性」という「踏み絵」の話には、なる。


そしてあなたがそうした政治性をもはや否認されないというのであれば、私としても現時点でそれ以上申しあげることはないわけです。2ちゃんねるの起こす波に巧みに乗っておられるけど、その自覚はもちろんあるんですよね? と。


貴方が、あえてかかる嫌味を私に対して記した「意図」は、その点にあるのでしょう。「自覚」などと「貴方方」のディスクールに準拠した上に立った物言いをされずとも宜しい。ま、私も音羽さんに対して繰り返しかかる語を用いていましたが。


「2ちゃんねるの起こす波に巧みに乗っておられるけど、その自覚はもちろんあるんですよね?」と問うなら、「自覚」を「認識」と言い換えたところでノー。というか、貴方が2chという匿名メディア/匿名言論と、それに対するシンパシーを示しているネットワーカーに対していかなる認識を持っているのか、よくわかるレトリカルな表現ではあります。


問いについては、上記において答えていますね、私の言葉で。


繰り返しますが――私は、2chというメディア(=媒体)に対してはある種のシンパシーもまた義理も感じていますよ、一方的かつ勝手に、私的な感情として。長年に亘りごく私的に恩恵を被ったので。


メディアリテラシー」について学んだ覚えはまったくないけれども。「ネットリテラシー」については学びましたね、つまり玉石。私が勤勉かつ情熱的にROMっていた頃、炎上や祭という言葉が誕生するそのずっと以前の2chは、現行よりはるかにディープであった。


「炎上のポリティックス」について是とした覚えはない。つまらない誹謗中傷/ヘイトスピーチや特定個人に対する名誉毀損や個人情報掲示についても、是とした覚えはない。「一部の人」メソッドではなく、事実として、それは現行においても2chの全体ではまったくない。かような水準を捨象するべきではないでしょう。


たとえば、貴方は唾棄していることでしょうが、著名なスレッド編集ブログ『痛いニュース』が消滅したら、少しく寂しく思うことでしょう。というのも、ここのところ2chの本スレにはまるで当たれていないので。


むろん、当該のブログにて抽出されたスレの書き込みには「気違い」「DQN」に対する罵倒嘲笑断罪がたまに見出されますが、私は腹も立てずに笑うし、もっともだ、とかよく思っている。私は幾許かは事情を知るがゆえに、保守的な見解を有している。これこそ、寛容というものかも知れない。自らの属性に向けられた「ヘイトスピーチ」に対する寛容。


他人のそれに向けられたものに対しては、むろん、別。「我々の社会」において模索さるべき倫理性にかかわる問題では、ありますから。私は個人主義者であるけれども、記した通り、かかるセクターについても、むろん承知。


そして、私は2chというメディア自体に対して是非を論じるなら、むろんその歴史的な役割とその功罪についても前提事項として論じるべきと考えていますが、当然のごとく大仕事ではあるし、あるいは誰の手にも余る、貴方もまた、かかるボーガスと地雷必至の議論に介入する意思はないのでしょう。


なお「2chというメディアとその匿名性の果たした歴史的な功罪と世に言われるが、自らの認識においては「功」などない」とされるのであるなら、その旨明記してください。2chというメディア自体とその匿名性が日本のネットのシーンにおいて果たした歴史的な役割について、貴方が如何様に認識し判断なさっているのか、素朴に気になるところではある。


影響について無視することは到底できない、とは考えておられると思うし、かかる点についてはむろん私も同意するところであるので。とはいえ、これもごまかしのように取られてもなんなので、論点を戻します。


現行の2chが明白に含有している「炎上のポリティックス」というファクターについて、是非を問うなら私の解は示しました。私の認識についても示したはずです。


お互い様であること、先に再三明記しておきますが、結局――貴方は「自分の殻に合わせて穴を掘っている」。私の「行為と不作為の選択的な不均衡」に対して、党派的な発想を見出している。


「政治性」を見出しその旨について問われるのであるなら、私の解はイエス。「炎上のポリティックス」というファクターありきで、個人の選択に即して党派的な発想を見出しているのであるなら、一般論としても、私の解はノー。誤認であるし、一般論としても是としない。


私は、2chというメディアに対してはある種のシンパシーを覚えている。書き込んだこともなくゆえに「帰属意識」など(何物に対しても)ないので、松永氏が言われるところの「2ちゃんねらー」には該当しないことでしょうけれど。


かかる「ある種のシンパシー」が私の「募金活動をめぐる騒動」に対する「行為と不作為の選択的な不均衡」に際して、意識において影響したかと問うなら、イエス。かかる意識の介在をして私の「政治性」を見出すというなら、「結果責任」と同様の話であるので、イエスであり是認。


しかるにそこに「党派的な発想」を見出すとするなら、「意図」の有無と同様の話であり不作為を意思的な行為と見なすものと私は判断するので、「発想」については明確にノー。ダブスタとすることは論外。


繰り返しの言わずもがな。私は「炎上のポリティックス」を肯定も是認もしたことなどない。「容認」とは不作為と同等。不作為という容認もまた問われるとするなら、かかる価値観自体に対して私は明確にノー。


貴方は措いても、不作為において該当する「左」のネットワーカーはいくらでも見出される。相殺論ではなく、であるから「左」のネットワーカーもまたかかる価値観自体に対してはノーであると、考えていますが。さもなければ批判合戦はとどまるところを知らなくなる。


私は、他人の二重規範性を殊更に言挙げて批判する意思も、また趣味も、持ち合わせない。私に対してかかる批判を突きつけてくる相手に対することなき限りは。


そして「炎上のポリティックス」に対する、個々のネットワーカーの明示的なスタンスに即して「党派性」とその分岐が結果的にも形成される、という価値観に対してもまた――明確にノー。貴方がかかる価値観を有しておられるのか、わかりかねる以上、一般論として記しています。


ノーというのはこの場合「否認」(精神分析の用語ですね……)ということではなく、端的に事実の誤認であり、価値的な判断の提示でもあり、2chないし匿名言論をめぐる議論としても粗雑であるということ。「私の個人主義」にて延々と記したのは、かかる事柄の例証であったのですけれども。


邪推と憶測メソッドと仰るなら「2ちゃんねるの起こす波に巧みに乗っておられるけど、その自覚はもちろんあるんですよね? と。」という嫌味を私に対して直接に明記した、その「意図」と「意味」について御説明ください。


議論をやりますか、2chというメディア自体の是非について。2chとの「相関」において貴方が問題としておられるらしき「オタク」の是非についても。かかる言を「党派的な発想」に基づいた「意趣返し」として貴方が記したわけではないものと、考えてはいますけれども。はっきりと申し上げて、貴方の「殻」が明確に露出した言、というか表現では、ありました。


波?巧みに?乗っておられる?自覚?どこのどなたの話ですか。「実証的」な話をなさってください、と申し上げて宜しいのですか。


――いわゆる「ネット右翼」をめぐる議論とは多く「事実的な自明性」「事実性を前提した観察と類推」「事実上」といった水準を前提しないことには出発しない。


「炎上のポリティックス」として見出される「明確な相関」としての「任意の傾向」についての議論とは、「実証」を要求されたら多く成立しません。死刑容認の感情的な呼号と臓器移植反対の感情的な呼号との同一的な因果関係については、証明することはできない。「「もっと早く大規模に自衛隊を派遣すべきだった」と主張したがる傾向と旧軍の過ちを無視したり相対化しようとする傾向とのあいだ」についても同様。かようなことは百も承知であるから、貴方は「意図的」に「「(明確な)相関」という弱い用語を選んでいる」。「私が思っているから」とも添える。


むろん、かかる貴方の、予断と決め打ちと断定を排した判断と記述については、同様のスタンスを採っている以上、私もまた全面的に賛同します。また、「事実的な自明性」「事実性を前提した観察と類推」「事実上」の水準については、私は同意していますし、前提的な議論の平面として共有するにやぶさかではありません。


貴方が示す個別的な事例に即した「明確な相関」については、個別的には留保せざるを得なかったりもしますが。繰り返しですけれども――「貴方方」のディスクールは、当方ないしは「無自覚な第三者」に対して無条件にて通じるわけではない。むろん、逆もまた真なり、ではあります。


重ねて、はっきりと申し上げますが、結局のところ、貴方は「募金活動をめぐる騒動」の件についても、昨年10月以降の音羽さんの言行をめぐる件についても、私が示した見解に対して直接には言及に拠って介入することなく、御自身の問題関心と問題意識について、私に対して提示した。私の問題関心と問題意識について、ひいては私が仔細に分節して個別的に問うた幾つもの事項についてもまた、前提的に斥けたうえで。


「正直に申し上げて関心がない」ことは、構いませんし結構なことではあります。日々の持ち時間に対応するエコノミーは誰にとっても肝要ではあるから。以前の経緯ありきとは言え、本件に関して、私に対して先に直接的かつ挑発的に言及したのは貴方の側ですが。


先日、マンガ等文化方面について長文にて常に質の高い議論を展開なさっている、長文者として私が勝手にシンパシーを覚えつつ愛読しているブログの管理人氏が、例の柳沢発言を枕としたうえで、直接的には無関係な(追記:マンガの性表象をめぐる考察としての)、常なる質の高い議論を長文にて展開したところ、柳沢発言に対する言及に「のみ」反応した的外れな痛い書き込みがいくつも記され、誠実な管理人氏も当惑していました。


他なるブログ愛読者の方が慮って反論なさっていました。私が書くと皮肉みたいですが、そうではなく率直に、美しい光景でした。むろん管理人氏は柳沢発言を批判していたのですが。一般論としても、キーワード検索の幣というのは、ありますね。


――そのうえで「2ちゃんねるの起こす波に巧みに乗っておられるけど、その自覚はもちろんあるんですよね? と。」ですか。誤認というか、貴方の先入見ですが。貴方の殻の話です。


繰り返すと、当欄にて縷々記していることもまた、結局は私の殻の話でしかありませんけれども。ただ――記した通り、私は、貴方が私に対して問い質された貴方の殻の話については「正直に申し上げて関心がない」というわけではまったくない。


現行の2chというメディアについて匿名言論について「炎上のポリティックス」について、貴方との意見交換を試みたくも思っているから、こうして貴方の問題関心と問題意識に即して、時間を掛けて私の考えるところを記している。往復書簡と思っている。


貴方が「2ちゃんねる」ないし「2ちゃんねるの起こす波」やあるいはそれに「巧みに乗ること」をどうやら嫌っておられるらしいことは、察しました、他人のそれについてまで。


貴方の修辞的な表現に即して、その点について私の見解を重ねて記すなら「2ちゃんねるの起こす波」については、私は前提的には嫌ってはいませんし、かつての「電車男」などに顕著ですが(私は最初期にまとめサイトに目を通している。木村剛氏がブログにて絶賛するなど、当時の口コミ的な狂騒もまた懐かしい)、傍観者として面白いと思う「波」も多く存在しますよ。もし御存知であったら申し訳ありませんが、『イミフ』など、目を通してみたらいかがでしょうか。検索すれば一発です。


かかる私の認識とスタンスをして、sk-44とは席を同じくはし得ないと貴方が判断されるのであるなら、大変に残念なことであると、本心から言わざるを得ません。同意点もまた多く所在しはすると、私は思っているし、貴方のことは個人的には好きであるのですけれども。


(――……容量限界。以下後編へ。ただ、分量的にも内容的にも、前中編に比して付随的な位置に所在するものとなります。クライマックスもない。というか、前後編に何とか収めるつもりで、途中の脱線部を削除したりもしていたのですが。無理でした。ほぼ確定稿が上がっているので、明日には結部に至るまで掲示し得るものと、思います。冒頭にて記した通り、本稿において阿部氏の発言をめぐる件については、最小限の言及にとどめています。以下掲示予定の後編についても同様)

apesnotmonkeysapesnotmonkeys 2007/03/02 20:47 私はまだ現時点で「前編」も拝見しておりませんが、とりあえず冒頭で述べられている「「予断と先入見」に基づく確認不足」について。私は2月26日にすでに
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070226/p2
というエントリを書いています。そしてうちゃさんのところに私が書いたコメントをお読みになったのなら、すでに昨年の9月の時点で私が問題の人物に(婉曲にですが)苦言を呈していることはおわかりになったはずです。にもかかわらず、2月27日付のあなたのエントリを指して「貴方が、私が示した「指摘」を意識して件のコメントを記されたのかわかりかねますが」などと但し書きをつけられたのは極めて不愉快です。というわけで、私はあなたの誠意をもはや信じることができません。

sk-44sk-44 2007/03/03 17:28 apesnotmonkeysさんことApemanさん。


――正直なところ、私もまた「極めて不愉快」を覚えたので、放置して読者の視線に委ね、かつ御本人がいずれ気付くことに任せるか、あるいは新規のエントリに転載して「前編」における記述とともに晒そうかとも考えましたが。誤解にも程がある。誤読というレベルではない。ストレートに書きますが、「前編」を読んでからそういうことを書いてください。トラックバックは送ったはずですが。


URLを貼っているということは、本当に、当該のくだりについても、目を通していないのですね。私はあきれていますし、本気で腹を立てています。「前編」内について「2月26日」というキーワードにて単語検索してください。言わずもがな、加筆訂正はしていません。御自分が馬鹿をやっているという「自覚」がありますか。私の私なりの「誠意」をぶち壊しているということも。


「件のコメント」とは、私はURLを掲示しませんが「Commented by Apeman at 2007-03-01 22:30」に投稿された「そのうえで最後に一度だけ申上げますが、(――引用者注:名を伏せます、問題ある改竄とされるなら明記しますが――)さんの発言に私がコメントしたのは今回が初めてではありません。」というコメントのことですが。どのコメントのことであると思っていたのですか。あいにく私はドラム式のタイムマシンを持ってはいないし、幸いにして文盲ではないから日付を示す数字を読むことはできます。貴方に対して時間の前後をめぐる嘘をついて、いかなる利得があるのかわかりません。


私の「予断と先入見」とは、貴方が「問題の人物」の発言に(「苦言を呈」する形にて)「コメントしたのは今回が初めて」であると、私が誤って認識していた、ということです。私は「問題の人物」のブログと本人の出張先を「watch」目的にて常時巡回し過去ログ検索するほど酔狂ではないので。「確認不足」とはそういうことです。であるから、あくまでその旨についてのみ限定して、迅速な訂正と謝罪を明記しました。冒頭に前追記として掲示して。


「貴方が、私が示した「指摘」を意識して件のコメントを記された」わけではないということは、確認しました。未確認の憶測事項ゆえ「わかりかねますが」と保留を明示して記しましたが、迅速な訂正としての対応には感謝します。よもや「前編」について「現時点で」未読であるとは思いもしませんでしたし、あまつさえそのうえで「極めて不愉快」と言明なさることについては、まったくの想定外でしたが。


以前からわかっていたことであるし、掲示中の一連のエントリにおいても重ねて指摘していることですが、貴方は他人の文章をよく読まずにレスを記し得る方であるようですね。「意図」だけを一方的に読解なさっているようで。「勇み足」と言いますし、頭に血が上ってそのうえ即レスとして行動に移すからそうなる。


貴方がsk-44の「誠意をもはや信じることができ」ないと公言するほどに「極めて不愉快」を覚えたという、私の「但し書き」について、いかなる読解を試みたなら、かく読み、かような結論を引き出し得るのか、「前編」の当該のくだりについて目を通していなかった貴方が、御自身の頭の中において如何様に私の「但し書き」を解釈したのか、「にもかかわらず」という記述に着目したうえでずいぶんと思案して(当初、貴方が如何様に誤読し誤解して何に対して「極めて不愉快」を覚えたのか、意味がわからなかった)、ようやく了解へと至りました。


――で、了解した結果、ふざけるな、と頭にきています。貴方も同様でしょうが、私もまたマジで怒っている。私がタイムマシンを持ってはおらず、幸いにして文盲ではないから日付の数字を読むことができることくらい、そして私が迂闊な馬鹿ではないことくらい、貴方は御承知でしょう。かかる「但し書き」に、貴方が私の恣意と他意を一方的に見出しているのなら、繰り返しますが「前編」内を「2月26日」にて単語検索してください。貴方が常にいかなる考え方をしているのか、改めて確認しました。短慮から恥を晒しているという「自覚」は、ありますか。


私は――日々の合間にレスエントリの長文を書き書きしつつも、「ちょっとした提案」以降、毎日ずうっと注視していたし、現在も注視しているのです、貴方方による「共同声明」の進展の状況については。繰り返しますが、私は本気で頭にきています。「右より」が示す見解に対する貴方の見方は穿ち過ぎがデフォルトであるとはいえ、ずいぶんと下司に見られたものです。「というわけで、私は貴方の誠意をもはや信じることができません。」?「というわけで、」?セクト主義者に対して「認定された右派」が「誠意」を尽くそうとすること自体が、やはり端的に行き違いの因でありコストのロスであり徒労であったようですね。


私は――「問題の人物」が介入するその以前から、呼びかけ人としての貴方が「共同声明」の件について奮迅しつつも緊張し極めてナーバスになっていることを十二分に知っているし、貴方がある種の「賭け」を行っていることも承知しています、コメ欄における訳語の調整についてのやり取りも含めて、毎日ずうっと進展状況について確認してきたのであるから。


それゆえの「前編」における当該の措置と対処と言明であって、ひいては「中編」冒頭における明確かつ迅速な前追記としての訂正謝罪の明記でした。当方とて、それこそ「否定論者を利する」ことの能う限りなきよう、自己の署名については消極的であるからこそ、ナーバスかつ過敏に対処している。呼びかけ人が貴方でなかったなら、「消極的に考慮」することすらなかったでしょうけれども。人の縁と心意気を重んじる右であるから。対する御返事がこれですか。「極めて不愉快」です。こうして貴方は敵となり得ない人まで敵に位置させてしまう。決裂のあげく「やはり最初から敵であった」が貴方の常なる事後的な認識であるわけですが。


私という個人が言論において筆を尽くし方々に言及したうえにて示しているその賭金など、貴方には読まずとも了解されるものであるらしいですね。私が「賛同署名」に名を連ねない理由は、端的に、実生活であれWebであれ、言論活動における自己の賭金を、そうした行為とは別個の形にて提示せんとしている、政治的な表出を非政治的な表現に拠って示さんと志向する、私の個人的な、あるいは個人主義的な信条に「のみ」拠る。あくまで、私という個人の内心に属するセクターの話。


言葉を媒体とする表現の徒は、名に拠らず行動に拠らずただ単独的に言葉を構成することにのみ拠ってこそ、常なる政治的なアクションとしての表現を示し得る、かくあらねばならない。とある著名なブロガー氏の某所における格好良すぎる言を勝手に拝借するなら、私には文章を書くこと以外、取り立ててできることもないのでね。私以外の他人に適用し得る話ではないから、かかる行き違いなければ言明としては記しません。「空気を読まない」のは左翼の御家芸ですか。


言明を要請したのは貴方であり、貴方の短慮としての「「予断と先入見」に基づく確認不足」の結果を示すその言です。「まだ現時点で「前編」も拝見しておりませんが、とりあえず」って、舐めているのですか。テクニカルにも、貴方は案外と脇の甘い側面を持っておられる方であることを改めて確認しましたが、そのような「おれは頭がいい」合戦のごときメタ話はもはやどうでも宜しい。私は本気であきれているし怒っているし、腹を立てている。貴方が私のことをどのように見ておられるのか、よくわかったので。


行き過ぎた言、大変に失礼しました。私なりの「誠意」を示させていただきました。

sk-44sk-44 2007/03/05 04:34 ――気が付いたので。閲覧者の方に対して誤解なきよう、1点だけ事実関係として追記しておきます。

本「中編」エントリは、実際には3月2日の12:37にアップロードされています。

はてなダイアリーの日付更新の関係、というか、設定した日付更新時刻を跨いだまま入力画面上にて推敲等の作業を長々と続け、そのままアップロードしたためであるのか、3月1日付のエントリとして掲示されてしまっていますけれども。以前にも、幾度かこのようなことがあった。

一応の、第三者に対する証明――「Commented by Apeman at 2007-03-01 22:30」以外に、Apemanさんが当該のブログエントリに投稿した「3月1日付のコメント」は、存在しません。

この旨については、むろんApemanさんも了解してくださっていることと思います。閲覧してくださっている他なる方のために、事実関係の確認として、追記しておきます。

apesnotmonkeysapesnotmonkeys 2007/03/10 01:03 まったくもって呆れました。あなたは私がなにに関して怒っているかをまったく理解していないのですね。私が「遺憾」であるとしたのは「貴方が、私が示した「指摘」を意識して件のコメントを記されたのかわかりかねますが」という一節に対してです。それこそアクセスログをチェックすれば私があなたの「示した「指摘」を意識して件のコメントを記されたのか」どうかはわかる(=うちゃさんのところにコメントした時点で私はあなたの「指摘」を読んでいなかった)はずですが、仮にその手間を省いたとしても私が「読んでいた」と考える根拠もないのにあたかも「後だしじゃんけん」であるかのような可能性を仄めかすのは卑劣としか言いようがありません。

>誤解にも程がある。

私が読む以前に肝心な部分が伏せ字にされてしまったエントリに関して「誤読」を云々されるとは思いもよりませんでしたね。

>「まだ現時点で「前編」も拝見しておりませんが、とりあえず」って、舐めているのですか。

じゃあこれまで敢て言わずに来たことを言わせてもらいましょう。忘れた頃に突然エントリで返事をもらったって困るんですよ。前回あなたに対して応答エントリを書いた際には「あえて」あなたのエントリを読んでから時間をおいて返答することを選んだのですが、その皮肉は通じなかったようで(まあそれは私の不徳のいたすところです)。私のブログ「本館」には「最近のトラックバック」なんて機能はありませんから、あなたが返答を書いている間にこちらが書いたエントリで当初のエントリは「埋もれて」しまうのです。あなたがこちらのテンポに従う義務がないのと同様に、私にもあなたのテンポにつきあう義務はありません。知らない間に批判されてそれがこれまた知らない間に伏せ字にされていて、おまけにその部分に「こっちの書いたもの読んで後だしじゃんけんしやがった可能性は否定できない」と仄めかされて頭にこない人間がいたらお目にかかりたいですな。だいたいなんなんですか、

>迅速な対応に感謝したうえで

って。私はこのエントリが書かれた日時から遡ること半月以上、あなたとの関係でなんらかの「対応」なんてした覚えはないのですが?

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