ある暴力の風景


前記記事について、コメントしてくださった方、匿名でポイントを送信してくださった方、ありがとうございます。御礼申し上げます。コメントレスが遅れて申し訳ありません。このエントリをアップした後、レスさせていただきます。


少し前にはてブで話題になった遥洋子の文章。


http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20080123/145116/


私は、以前、遙氏の著作をよく読んでいた。発端は、いうまでもなく。


東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ

東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ


↑刊行当時の話題と書題に惹かれて読み、滅法面白かったため。そして、続けて次々と世に出される彼女の、エッセイ的な、社会時評的な、著作を読んだ。『介護と恋愛』に及んでやめた。当時の私には、遙氏の著作ひいては一貫して変わらない文章に対する免疫機構が形成されていなかった。食傷の限度であった。


私は、著述家遙洋子を貶めているのでも嗤っているのでもない。東京在住だからだろうか、私はタレントとしての彼女をほとんど知らない。朝生に出演したり単発の「社会派コメンテーター」を務めていたりする彼女は、たまに見るたびキツかった。私はラジオを点けているときはJ-WABEなので、彼女がパーソナリティーを務めるラジオ番組をよく聞いていたが、総じてキツかった。


そして。「社会派コメンテーター的なタレント」として、フェミニズム「的」な主張を仰々しく示す彼女と、著述家遙洋子が、著述家としての彼女を先に知ったゆえか、私の中で結びつかなかった。いまなお結びついていない。


著述家遙洋子を読者として幾らか知る者として申し上げるなら。彼女は、文章における、主に感情面における表現技術が拙い。少なくとも、「納品」された「プロ」のコラムとして考えるなら、私は渋い顔をせざるをえない。そして。その、一貫した表現技術の拙さのゆえにこそ、彼女が実際に感じ、感じ続けているだろう、違和感や逡巡や戸惑いや、直接的な痛み、が、達者に整理された適正的な表現へと還元されることなく、ダイレクトに伝わってくる。


その、ダイレクトに伝わってくる、決して普遍を構成しない、あくまで遙洋子個人の感じ抱く直接的な痛みの、後味の悪さと遣り場のない不快を読み取るために、私は彼女の著作を読み続けていた。かつて。


「下手」な書き手であるからこそ、ダイレクトに伝わるものがある。適正的な表現へと過不足なきがごとく還元されることのない何かが。「直接的な痛み」と私はした。遙氏は、痛みを、直接的なものとして感じ、感じ続けるくらいに「弱い」人だ。遥洋子という人の、直接的に露出された「弱さ」の、その後味の悪さと遣り場のない不快を読むために、私は彼女の著作を手に取ってきた。


むろん、それは、悪趣味な読書である。その悪趣味に対する免疫機構が形成されていなかったから、私は「かつて」と記した。深遠を覗き込もうとする者は自らもまた覗き返される。現在、私は彼女の著作を手に取ることはない、機会があるなら取るかも知れない。自身の悪趣味に対する免疫機構はとうに形成された、が。その弱さの来し方と実体を知るにつけ、なにがしかを思った。


遙氏は、自身の弱さを認め難いからこそ、自身が強くあれかしと願い意志し努力し、その結果ゆえに。願いこそすれ、自身のような意志と努力と勇気に欠ける者を、認めない。弱き者汝の名は女、という前提のもと。強くあらんとすることを否とする価値観のみならず、意志と努力と勇気に欠ける「女」もまた、遙氏にとっては批判の対象である。行きずりの一期一会の人であろうと。行きずりの暴力の被害者であろうと。


遙氏は、誰しも自分のごとくあってほしいと考えている。公言はしないが。自身の弱さを誰しも抱えていることを知り、そして、知っていながら、自身のごとくあろうとしない「人」を、己の弱さを見ようとしない、として集合属性的に批判する。その後味の悪さと不快は、フェミニズムの範疇にある後味の悪さでも不快でもない。


当該の文章、こやつめハハハ、と思いながら読み飛ばそうと思ったのだが、やはり、引っ掛かった。

 間違えて乗っていた1時間、不安な面持ちで座る私の視界の端に、罵声と共になにやらモメているような気配を感じた。年配男性が女子高生を殴ったような、そんなとんでもない光景だった。


 「まさか」と鼓動が高まり、二人の様子を凝視したが、女子高生は座ったまま本を読んでいる。男性もその隣に座り続けている。この二人の間に瞬時暴力が介在したかに見えたのは私の錯覚で、知り合い同士がじゃれあったのかと、その真正面に立つ乗客たちの平静さを見て思った。だが年配男性と女子高生が“知り合い”というには違和感があった。


 次の駅でその二人はバラバラに降りた。ぽっかり空いた席に、前に立っていた年配男女二人が座った。その二人の会話が私に聞こえた。


「ねえ、今の男、もっとそっちに寄れって言って、女子高生を殴ったよね」
「うん、殴った」
「一緒の駅で降りたけど、しつこく乱暴されないかなぁ」
「わかんない」


 私はその二人の会話を聞いて背筋が凍った。この二人はずっと真正面から何が起きているのかを目撃していたのだ。ただうつむいて本を読む女子高生が突然殴られるのを見てもずっと彼らは“静か”だった。


 そして、その女子高生もまた、突然知らない男から殴られても、“静か”だった。「痛い!」もなく、周りの大人の「何するんだ!」もない奇異な空間がそこにあった。女子高生は、自分が殴られたことが、通りすがりの犬にワンと吠えられた程度の事としてやり過ごせるのだろうか。


遙氏が、殴られた女子高生を助けるでもなく、あまつさえ責めているかのように受け取れる筆致であることが、批判されている。実際、遙氏は「責めている」とは言わずとも、その女子高生に対して批判的ではあるのだ。「突然知らない男から殴られても、“静か”だった」ことに対して。ゆえに。

痛みを感じたら「痛い!」と叫ぶことだ。変だと思えば「変だ!」と騒ぐことだ。叫んで損はない。助けてくれたらラッキー。自分がすっきりするだけでも、儲けもんだ。病の治療は自覚症状からしか始まらないのだから。


という結語へと至る。痛みを感じたとき、変だと思ったとき、叫ぼうとしない「弱さ」を、遙氏は批判されて然るべきものとしている。この、遙氏のスタンスは『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』以来、一貫している。自身の「弱さ」に対する「自覚症状」のゆえに。それが、彼女が、上野ゼミにおいて、学び「自覚」したことだった。自身の弱さを知り、それに打ち克たんとすること。今日の我に明日は克つ、と言ったのは美空ひばりであったが。


いうまでもなく。そのような遙洋子は「痛い」。率直なところ、引用部に目を通して私が思ったことは、遙氏の著作を読むたびに思うことと同様であった。なんというセンシティブでナイーブで傷つきやすくそれを引きずりやすい人だ、年齢を重ねた社会人であるにもかかわらず。


ネット配信される彼女のコラムを読んで、遙氏を鈍感で面の皮の厚い人と思う人もあるだろう。そうではない。遙洋子という人は、単にいつもいっぱいいっぱいなのだ。「男社会」において、センシティブでナイーブで傷つきやすくそれを引きずりがちな自身が「社会人」として、暴力的なる世界と互してやっていくために。彼女がビジネスの場としてきたのは、芸能界である。互殺の和。


叫ぶことなくして自己肯定しえない人がいる、そのような弱い人が、強き者と自らを見なさんとして自己肯定のため叫び、叫ぶことなき者の「弱さ」を批判する。それが、遙洋子の一貫した著述活動の内容。それを読むために読み続けていた私は悪趣味なのだろう。しかし、読後残る幾許かの澱は、単なる違和や不快のゆえではない。後味が悪いことには意味がある――遙氏自身が正しく「自覚」し実践し続けているように、自身の内部において。


生まれも育ちも東京の人間として言うなら。引用部に記されたようなことは、日常ではある。東京限定のことかは知らない。ただ。かつて関西に滞在したとき、陳腐な言い回しであるが「人情」在る土地柄であることは体感し、東京人は驚きもした。大阪こそおっかないところはおっかないだろう、と、東京モンは差別的なことを思いもする。


日常でよいか。よくはない。私は手間があるなら遭遇する限り対応もした。現在は、怠惰ゆえ揉事嫌いなので、自分のことなら頭を下げてしまう。ムカつく相手は初見で殴って無問題、ことに、「空気を読まずに」叫んだり、「自身とかかわりない」近くの人に助けを求めたり、することを、恥じる類のおとなしそうな女子なら。そういう人間はいる。年齢を重ねていようと。で、そういうDQNが局所的な「現場」においては無理を通して世に憚ったりもする世相である。


遙洋子はその、眼前において突発的に発生した「暴力の光景」に対して驚き、それを日常の風景とする当事者や「乗客たち」含めた車内に対して、甚だしい認知的不協和を覚えたのだろう。「背筋が凍った」と。「奇異な空間」と指す者なくして、私たちはそれを「日常の風景」とする認知的処理の「奇異」に気が付くことはないかも知れない。


「日常の風景」とする認知的処理が、DQNの横行を招く。突然殴られたことが、当該の「ただうつむいて本を読む女子高生」において「日常の風景」として認知的に処理されたとは、言い難い。認知的に処理されることなき不協和に対しては自身の違和をこそ叫ぶべき、と遙洋子はしているし、一貫して言い続けている。自身が、そうしてきたから。


「女子高生は、自分が殴られたことが、通りすがりの犬にワンと吠えられた程度の事としてやり過ごせるのだろうか。」――やり過ごせるはずがない。そのことを遙氏もまた知っている。踏み込んで加えるなら。やり過ごせて然るべきではない、と遙氏はしている。


遙洋子は、時に暴力的な社会の世界の理不尽を、「日常の風景」として認知的に処理することができない人だった。「芸能人」であったにもかかわらず。そのことをずっと抱えていた。上野ゼミを知るまで。ということが仔細かつ克明に記されてあったから、当該の初著作は滅法面白かった、以降が同工異曲であることも、また確かではあるが。


「日常の風景」とは認知的な処理の謂でしかない。認知的な処理が集合的な空間において不協和を排除して進行することを、そのことが、遍在する現実の暴力が痛みが顕在化したときになお問題化させないことについて、彼女は批判する。現実の暴力とは個人の痛みとは、認知的な処理の問題ではない。遍在するものを遍在するがゆえに、任意の箇所へと「片寄せる」べきではない――たとえば。「ただうつむいて本を読む女子高生」へと。それは理不尽である。


私は、遙氏の問題意識と主張は正しいと思う。ただ。彼女において、打ち克つべき最大の対象は、自身に所在し、あらゆる「弱き者汝の名は女」に所在する、弱さ、である。ゆえに遙氏が自らの記すコラムにおいて示す言行は、その問題意識と比して「痛い」し、痛々しくもある。自身の「弱さ」をこそ、否定せんとするがために。おそらくそのことを彼女は「自覚」していない。「病」は「治療」されて然るべきであると遙氏はする。


私は思う。「弱さ」は「病」ではないし「治療」されるべき対象ではない。かつて遙氏が他なる「弱き者汝の名は女」に対してそのようにしてきたように、「ただうつむいて本を読む女子高生」が「痛み」を叫ぶことなく「“静か”だった」ことにおいて批判されるべきではない。「弱き者汝の名は女」ではない。「弱き者汝の名は遙」である。そのことを「自覚」したほうがよい。それは、悪いことでも責められることでも、批判されて然るべきことでも、まったくないのだから。ただの鈍感で面の皮の厚い人間の書く本を、私は読まない。


かつて。スーザン・ソンタグが死んだときの日本国内のシンポジウムにおいて、コメンテーターとして出席した著名な批評家が言っていた。スーザンは毅然としたものを態度を人を愛した。自身もかくあらんとし、実際そうであった。彼女のスタンスに「弱点」があったとするなら、彼女が、毅然とすることのない、病み崩れんとしてかろうじて支えられてあるような「弱さ」を、否とし、そもそも理解することができなかっただろうところにあるのではないか、と。そこから、ヒラリー・クリントンまでは、千万歩の距離があるが、直線の先ではある。私はソンタグを尊敬している。


遙洋子は、著述家としてフェミニストを名乗る人だからだろうか。左翼的な文脈において読まれる。そしてバカっぽいことを言っていたりするのでバカと正しく指摘される。遙洋子もまた、愚かであることを否とする。「ただうつむいて本を読む女子高生」が殴られてなおそれを「日常の風景」として処理した車内の「奇異な空間」に加担した者を――本人に「自覚」があるかはわからないが――彼女自身も含めて、その愚かしさを、否とする。「被害当事者」たる「女子高生」をも含めて。


遍在する暴力が顕在化する瞬間を「日常の風景」とその延長として認知的に処理することが賢明なことであるはずがない。賢明とは認知的処理を指すものではない。遍在する暴力が顕在化する瞬間に対して驚き、「認知的不協和」を違和感を覚え、抱き、そのことを拙くも言葉に換え、あるいは主張とすることは、必要なことであるし、大切なこと。


たぶん。経験則としても。「ただうつむいて本を読む女子高生」は「突然殴られ」て、驚きのゆえに体が動かず声が出なかったのだろう。驚いてばかりで体が動かないのは、きっと遙氏も同様だったはずだ。いうまでもなく、そのことには東京人とか関西人とか関係ない。だから。


驚くことを否定するべきではないし、驚きのゆえに体が動かないことを愚かであるとして否定するべきでもない。突然の暴力の前に、人が「愚か」でありえるなら、そのことを「愚か」と見なすことなく肯定しないことには仕方がない。「自助努力」の問題ではない。現代の東京において賢明とは眼前の暴力に対してすら認知的に処理してしまうことであるから。


私もよく処理してしまう。たとえば。それは犯罪なので警察の管轄、と。警察が「対症療法」としてしか対応しえないことを知っていながら。むろんそれはよきことであるが。そもそも。一期一会においては、人間関係とは対症療法としてしかありえない。以前。眼前の暴力があまりに目も当てられなかったので仕方がないから割って入ったところ、所謂「痴情のもつれ」であることが「被害者」の口から知れ、徹夜明けであった私は帰宅がいっそう遅れた。


はっきり言って私は市民主義者のくせに諸般の事情からこういうことで警察とかかわりたくないのだが、「加害者」行方知れずであるし「被害者」泣いてるしで、またもうひとりの「目撃者」が許し難いとしていたので、そして駅前の交番から駆けつけた警官が事の次第を知って当方をかつてよく知る目で見るので、やむなく「目撃者」として署まで同行した。所轄署の仕事が丁寧であったかはわからない。「被害者」が大事にはしたくないと言っているとは聞いた。私も眠かったし面倒事は御免であったので、「加害者」が誰かはわかっているし本人がそれでいいなら、と普通に了解した。つまり「加害者」が走り去る際に殴り倒されたので被害届を出すかと一応訊かれたのだが、わかっていたので、結構ですと言った。


事件化したという話は聞かない。所轄署からの連絡はない。その後どうなっているか知らない。「被害者」の風体は水商売風(違ったらしい、最近の娘のファッションはよくわからない)で、確かに「痴話喧嘩」にも見えたが、鼻血流して髪掴まれて停車したら開くだろうドアに上半身を押し付けられ顔ガンガン叩きつけられているのを背に車両を移動というのはどうなんだろう、午前様の始発といえ、とは眺めて思った。もっとも「加害者」がどう見てもかかわってはならない類の人間であったなら、「通報」はしたろうが、私もどうしたか知らん。私はといえば腰痛が悪化して翌日節々が痛かった。「加害者」興奮し通しで、キレて後、傍から水差されても「憑き物が落ちる」にならない奴もいるのだな、と改めて確認した。「痴情のもつれ」なら仕方がないか。


で、こちらに背を向けてまた殴り出したので、何年振りだろう、他人の尻に蹴りを入れることになった。体力全然ないうえ剣道以外さしたる武道経験もないのだが、こういうことについては身体というかアタマが覚えている。思い返すにろくでもないとつくづく思うし警官も同じ感想らしかった。そのとき私は頭に来ていたのだろう。と警官にも説明した。正義感のごとく偽装して。もうひとり、止めに入ってくれて、男の肘を固めた。ガタイがでかく腕っぷしもある人だった、ので委ねた。「被害者」ショックのあまりかへたり込んで泣いていて、次の駅でドアが開いてもホームへと下りてくれない。で、もうひとりに押さえ付けられていた「加害者」がそれを振り払い人気のないホームの向こうへと走り去って、私はこれまた幾年か振りに殴られて転んで終わり。無理がきかないことを改めて痛感した。


体を起こすと幾人かが遠目で横見。もうひとりの方が憤っている。仕方がないので、泣いて座り込んでる「被害者」にハンカチを渡し、もうひとりの方が手を差し出してやっとのことで立たせて、次の駅で下車。「被害者」の鼻血が点々と滴っていた。口内もさして切れていなかったにもかかわらず、その衝撃で転ぶどころか吹っ飛ばされた自らについて、わかっていたことだが身に堪えた。もうひとりの方は本当に正義感ある人だった、というか正しく市民主義者だった。私が立ち去ろうとした途端にホームの端に立つ駅員に声を掛ける、やむなく泣いている「被害者」と共に駅員室へ。そして交番へ。


経緯については知りたくもなかったので知らない。明け方の駅のホームで別れ際に口論して挙句不実を知り、怒りのあまり相手の乗った列車に発車間際乗り込んで追いかけた挙句の狼藉らしかった。続けて止めに入ってくれたもうひとりの方とはそれぎりであった。というか、その人がなかったら私こそ暴行犯扱いされたかも知らん。立ち去るつもりであったし。大学の体育会所属らしい。名前も知らない。いや聞いたが覚えていない。『坊っちゃん』の結末みたいな間抜けな話。


警察署を出ようとして呼び止められ、「被害者」の方に礼を言われた。もう顔を合わせることもない、と思っていたので驚いた。本人が無理に言ったらしい。思っていたよりも気丈ではあった。ハンカチ、と言われて思い出した、汚れたので洗ってから云々と儀礼的に言われ、いえ結構、と黒ずんだそれを返してもらった。被害届は出さないそう。何か言おうとしているが、いえ、私もまだしも早く帰宅できる。実家らしいが、親は未だ連絡も取れないよう。私にも妹があるが、ウチの親父なら光の速度で駆けつけ被害届どころかsanctionを発動させるだろうなと思った。私にはあまりそういう感性がない。


すっぴんにいろいろと貼られていた。鼻がJ・J・ギテスになってはいなかったので、ホッとした。そうであったら礼やハンカチどころではないだろう。唇は切れていたが、裂けてはいなかった。裂けて縫わないままだと私のように痕が残る。いまのところ話すことには不便ないようだったので、一応よかったのか、とは最初に思った。


経験的に思うことを言おうかと一瞬考えたがやめた。『カイジ』ではないが「いい人」と思われたらしいので、いや単に徹夜明けで苛々してて個人的に虫の居所が悪かったから、こっちの事情、と実際のところをそっと言った。怪我については、幸い、鼻も歯も折れてはいない、らしい。少なくとも入院の必要はないそう。その後のことはわからない。


世界に社会に愛と憎しみと暴力が遍在する限りにおいて、私もまた「日常の風景」として認知的に処理してしまうことは幾らもある。あまりにも見るに堪えない光景だったので、また徹夜明けで酒が回り事実虫の居所が悪かったこともあり(直前まで他人と飲んでいた。そりゃ不審だ)、いちおう止めに入った。


暴力を行使することに意識において躊躇のない人間にとって、暴力の行使とはコンテクストの問題でしかない。「弱い相手」「叫んだりしそうにない相手」「かかわりない人に助けを求めたりしそうにない相手」「『大事』へと至ることを躊躇する相手」であるなら、あるいは「自身にとってどうでもよい相手」であるなら、その行使に躊躇のない人間があり、それをよくクズと言う。斯様なクズに対するとき。人が弱くあることを、自身の「弱さ」を、否とすることは解でない。私もクズであるのだろう、とそのとき思った。他人の恋愛に対する「余計な干渉」をしたのかな、と。男が恋人に意趣返しをしないとはまったく考えていなかったから、私はかかわりを一切断たんとした。


http://news4vip.livedoor.biz/archives/51116988.html


特に結論はない。ただ。当該の遙洋子のコラムを読み、またブクマにおける反応を読み、上記の記事に目を通し、ブロンソンの『狼よさらば』を久方振りに見て、そのことを思い出した。遙洋子がそのとき感じただろう類の痛みを、私もまた、人の行き交う朝を、すっかり酔いの覚めた頭で寝床を目指す帰路、幾らかは感じていたろう。結論は、個人的にも出ていない。


改めて顔を合わせなければよかった、礼など面と向かって言われなければよかった、まともに顔を見て言葉を交わしたりしなければよかった。そんなふうに、いまでも思っている。そうすれば顔を忘れたろう。あの脅えの混じった表情を。


結局。私は、他人に対して蹴りを入れることに躊躇のない人間だ、換言するなら、怒りなくともヤレヤレと「手が出せる」。ヒートしている自分のことを眺め「大事に至らないように」と操作しうる自分がいる。育った狭い家の中がしょっちゅう腕力沙汰で刃傷沙汰であると、そういうことになる。


「被害者」が言うには、「加害者」は、普段から殴る類の男ではないそう。かくもひどく殴られたのは初めて、とも。殴られたことを信じたくないようだったし、相手のことを信じたいとも思っているようだった。確かに、堅気の男の風貌だったし、食らってコケて思ったが、慣れている人間の殴り方ではなかった。怒りゆえに恋人に手を上げる男と、私の考え方と、どちらが上等だろう。その男はクズであるか、私がそのように考えうるか。


私は、その殴っている男が、「堅気の風貌」だったからこそ、背後から蹴りを入れたのだろう。刃物を持っているような、あるいは、本当にやばそうな男に対しては、軽率はしない。帰路つらつらと思い出していた。そのとき、私は判断していた。都心部でもなく私が普段利用する路線でもなかった。だから自身の虫の居所と感応させることをよしとした。そういうことは、二度としないと決めていたし、身体を壊して以来そのことをアリバイともしていたのだが。


できることにも限りがある。たぶん誰しも面倒事は御免だ。あまりにも目に余ったし、こちらが勝手に苛立ってもいたので、割って入った。ただ。車両内における認知的処理に、私は溜息を覚えた。もとから空いていた当該車両、人はいっそう減っていくか、あるいは目を閉じている。自身もまた「当事者」となり、男が駆け下りて、殴られすっころんだ私が見渡したとき、遠巻きに横目で見ている幾人。


むろん。彼らを責めるものではない、それでは遙洋子と同じだ。遠巻きに見ているだけ気に掛かっていたのかも知れない。ただ。暴力沙汰の「当事者」にとって、認知的処理に意味などなく、その風景が、ひどく残酷に映る。そのことは、久方振りに、改めてよくわかった。


帰途に思った。昔むかし。鼻血流して夜の路上に横たわる自身に、声を掛けてくれた人、助け起こそうとした人、遠巻きに眺める人、目もくれず行き交う人たち、みな行きずりの人だった。親切で通報される前に起き上がって身体は痛かったがその場を去った。そのときは、どうでもいい行きずりの他人のことなど心の底からどうでもよかったので、何も感じることはなかった。


いまならわかる。「つらつらと」思い出せる。その痛みが耐えがたかったから、私は鼻血流して夜の路上に横たわる羽目へと陥りかねない人生を忌避した。誰しも忌避しているのだろう。それが賢明であるということ。しかし。自身の原初的な痛みと誠心誠意「お付き合い」することなく忌避し認知的に処理することは、賢明なこととは言い難い。復讐されるからだ。


そのような諸相を「全体」として考えたとき、私の答は個人的にも出ない。端的に言って。その帰り道、私はひどく恥ずかしかった。おかげで、帰宅してなお飲酒しないと寝付かれなかった。いいトシこいた男が、枕を抱きしめてうめいた。私は客観的にはそれなりに「行きずりで善行を為した」のだろう、ならなぜかくも恥ずかしいのだろう。我が身の至らなさにうめいているのだろう。充分に鈍感な私が。殴り合いを止める際にも、他人に背後から蹴りを入れる類の振舞いを私は幾年も避けてきた。


私は恋人を殴ったことはない。そもそも他人との肯定的な身体的接触自体がよくわからん、というか性を異にする肉体の肯定的な取扱自体がいまだによくわからん人間なので、善悪以前にそういうことがわからない。人間関係の所在する性の異なる相手に対して、腹を立てることはあれど、腹を立てるからこそ暴力を行使するという発想が、私はピンと来ない。執着するがゆえに肉体を毀損したく思う、徴を刻みつけたく思う、そのことはわかる。だから。私は、人を、必要以上に好きになることないよう、また必要以上に情を寄せたり近付いたりすることないよう、自身を規制する。性別を問わない。愛するがゆえに理性も吹っ飛び後先考えず公共機関の衆目の中、暴力の行使に及ぶ類の人間の頭は、私が考えるよりはシンプルなのだろうか。


そして。その因果が私を時にうめかせる。自縄自縛であるが。


暴力は悪い。眼前で女が殴られていたら止めに入るべき。しかし、面倒事に対処しえない者は愚かだ。そういうことではない。紋切型の言葉や法律的な形式論において処理することではない。暴力は犯罪なので警察へ、というのは妥当なサジェスチョンではあるが、たぶん解答ではない。


以後。東京近辺で起こった「痴情のもつれ」やDV絡みの殺人事件が報道されるたび、あの、鼻血にまみれて泣いていた顔を、痛々しい素顔に脅えの残る顔を、思い出す。そして、違ったな、という確認のために記事を読む。たぶん。よく知る人たちに起こったことなら、私はかくも気に掛からないのだろう。「痴情」においても。ああ、やったか、としか、彼らについては思わないし、ある意味においては情もわかない。処置なしであることをよく知るからだ。彼らから見たなら私も同様で、ゆえにこそ刑事事件絡みの後も付き合ってくれた。一期一会とは、対症療法としてしかありえない人間関係とは、かくも痛みを人の内に存続させるものか。遙氏も、同様だろうと思う。


私は、いまも、気に掛かってはいる。遙氏の当該のコラムをブクマ経由で読んで、そのことに、個人的に、気が付いた。結論はない。なお、事実関係の仔細については省いているし加工している。「当事者」が読んでも気が付かない程度には。そういうことがあり私がそのように思った、という話なので。そして「そういうこと」は、日常であるのが、東京だ。痛みとその内なる存続もまた日常であろう。