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地を這う難破船 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-01-19

論題の意図と改変の意味

承前。

悪いのは誰? - ある無人島漂流の物語 - (旧姓)タケルンバ卿日記

そんなことよりラブシャッフルしようぜ! - 地を這う難破船

takerunba

@y_arim 答えを出して、正しいかどうかを検討する場ではないからセクハラではないよ。絶対的に正しい正答はないという状況下でないとGDは成立しない。価値観が問われるのは確かだが、ビジネスではもっと厳しい選択を迫られるのが常なので、これでハラスメントなら働けないよ。

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ま、これだけみんなが何かしら引っかかっているということは、それだけ良問ということなんだろうな。エクセレンツ。

Lord TAKERUNBAさんのツイート: "ま、これだけみんなが何かしら引っかかっているということは、それだけ良問ということなんだろうな。エクセレンツ。"

と、いうかですね。


散々既出なように、当該のGD用設問は「川を渡る女」の改変で。


川を渡る女

質問: Lさんは川のこちら側にいる。恋人のM君が川向うにいる。

LさんはM君のところに行きたいのだが、橋が流されていて渡ることができない。

舟を持っているB君にたのむと、百万円出さなければいやだという。

Lさんはあきらめて、同じく舟を持っているS君にたのむ。S君はからだを要求する。

どうしてもM君に会いたいLさんはS君にからだをあたえ、川を渡る。ところがM君はLさんのしたことに怒って、Lさんを捨ててしまう。

悲嘆にくれるLさんのまえにH君がやって来る。

H君は、一部始終を見ていたといってM君を非難し、よかったらぼくと暮らしましょう、といって家に連れて帰った。

さてLさん、M君、B君、S君、H君の五人を悪いと思う方から順番をつけるとどうなるか?

答え:このL、M、B、S、Hの五人は、それぞれ次のもののシンボルです。

L……LOVE M……MORAL B……BUSINESS S……SEX H……HOME

それぞれの人がつけた順位は、その人の中で高い位置を占ている価値の順位を表している。一番悪いというものが、彼の一番大事に思っている価値。


元ネタはまだしもタケルンバさんが紹介した論題の改変を悪質と、しかしそれゆえの「良問」と考えるのは「何がどう改変されたか」を考えれば一目瞭然で。


「川を渡る女」が「無人島」に改変される過程で何が変更されているか。「無人島漂着」という状況の切迫性に加えて、登場人物の対応概念


  • 「夫」⇒MORAL
  • 「妻」⇒LOVE
  • 「妻に思いを寄せていた男」⇒HOME

であるとして、改変のポイントは、「船を直した男」と「おじいさん」にある。「無人島」の論題において。


  • 「船を直した男」⇒SEX+BUSINESS 

であるか。違う。この論題においては「船を直した男」はあくまで「BUSINESS」の概念に対応する登場人物として存在する。


「無人島」の論題において「SEX」の概念に対応する登場人物が存在しないのは、状況全体の前提として「SEX」が、登場人物全員の行動の媒介物として存在するから。この物語は「SEX」をめぐる「MORAL」「LOVE」「HOME」「BUSINESS」の相克の物語としてある。そしてその方が、単なる「川を渡る女」より新入社員研修におけるGDの設問として「有効」かつ効果覿面であるから「良問」であり、同時に悪質である。


そして――「おじいさん」は上記5概念のいずれにも対応しえない「無責任」な「役目を何ひとつ果たしてない」当事者能力を欠いた者として存在する。状況に対して「当事者能力を欠いた存在」は「おじいさん」として表される。


つまり、端からこれは「性的な論題」なんですよ。セクシャルな論題だから「おじいさん」は状況に対して「無責任」で「役目を何ひとつ果たしてない」「当事者能力を欠いた存在」である。そして、「船を直した男」は「SEX」において「約束を守っているから。きちんと船を直しているから。そして条件以上の要求をしていない。契約を完了させている」ことをもって「BUSINESS」概念と対応する存在として表される。


「性的な局面においてその人の大事にするものがわかる」という認識に基づく改変です、これは。「性はその人の個人性と究極に関わるものであり、その人の個性を規定する」――少なくとも、設問の作成者はそう考えて「川を渡る女」をこのように改変した。新入社員研修におけるGDの論題作成者として優秀かも知れないが、下司であることは違いない。


「無人島漂着」という切迫状況下において、男たちの行動が「妻の性」という「SEX」を媒介する必要がある。


  • 「おじいさん」は「当事者能力を欠いた存在」であり、
  • 「船を直した男」において「契約」という「BUSINESS」は「妻の性」という「SEX」を媒介して「完了」され、
  • 「夫」において「貞節」という「MORAL」は「妻の性」という「SEX」を媒介して問われ、その結果「夫」は妻を許さず、
  • 「妻に思いを寄せていた男」において「HOME」は「妻の性」というSEXを媒介して問われ、その結果彼は最後に妻に告白し、
  • 「妻」において「LOVE」は、つまり「妻の夫への愛」は「妻の性」という「SEX」を媒介して問われ、その結果妻は「夫への愛」のため「船を直した男」の持ちかけた「契約」に応じて「不貞をはたらく」。つまり、「LOVE」のため「BUSINESS」に即して「MORAL」を破棄する。

繰り返すが、一切を媒介するのは、つまりこの物語の前提として存在するのは「妻の性」という「SEX」である。


ところでこれ、常識的に考えて性的搾取状況と思うが、悪と言うなら性的搾取状況それ自体が悪と私は思うが。で、そのことに対して敏感な人が性別を問わずいるとき「価値観が問われるのは確かだが、ビジネスではもっと厳しい選択を迫られるのが常なので、これでハラスメントなら働けないよ。」というのは頓珍漢か居直りと思うが。海外買春に代表される性的搾取状況について能天気なことは知っているけれど。


で、この論題を新入社員研修のGDで用いた、ということは、少なくともその場に女性は居なかった、ということですよね――もちろん。 え、違う?


■■■


「川を渡る女」における「SEX」が「無人島」においては登場人物の行動を媒介する一切の前提として用意され、「おじいさん」という「当事者能力の欠如した存在」が設定される。その心は、「無人島」が「川を渡る女」の「性的論題」としての改変である、ということであり、「SEXをめぐる行動に対する感想において、すなわち性観念において、個々人の個人性を新入社員研修のGDにおいて迅速に喚起する」ための論題である、ということ。SEXが、性観念が、個々人の個人的な逆鱗たりうるがゆえに。逆鱗において個々人の個人的な反応を、打ち解けない者同士のGDにおいて喚起する。


そのことは一切承知だから、タケルンバさんは反応の百家争鳴をもって「ま、これだけみんなが何かしら引っかかっているということは、それだけ良問ということなんだろうな。エクセレンツ。」と言っておられるのだろう。SEXが性観念が個々人の個人的な逆鱗たりうるがゆえに、逆鱗に抵触する設問において個々人の「その人らしい」反応を喚起しGDを意義あるものにする――という発想もありうるだろう。「意義あるGD」がそもそも畳の上の水練にしか思えないのは私が知らないからで。


タケルンバさんが「おじいさん」にダメを出し「船を直した男」を「約束の履行」「契約の完了」という概念において是とすることも、皮肉でなくタケルンバさんらしいとは思う。つまり、これまでのエントリにおいても「SEX」を「BUSINESS」概念と容易に対応させる、性愛に関してビジネスライクであることを肯定するタケルンバさんなら、そう考えるだろう、と。


GDの題材が「性的な論題」である必要はない、ではなく、GDの題材だからこそ「性的な論題」である必要がある。研修業界にそもそも関心が薄い私にはわかりかねる話だが「必要がある」人たちがいて「必要がある」企業社会があるらしい。個々人の個人的な逆鱗に抵触する論題でなければ意味がなく、個人性に即した反応も喚起させられず、ゆえに意義あるGDへと至らない。現に、個人的な逆鱗に触れたらしい人からの反応がかくもネットで大収穫。「それだけ良問ということなんだろうな。エクセレンツ。」


私が思うことは、その発想が新入社員研修において持ち出されることがセクシャルハラスメントでないなら、セクシャルハラスメントという概念が何であるかさっぱりわからない。私も大概ブラックな企業に勤めてきたが、つまり研修でGDやるような社会的な企業に勤めたためしがないのだが、尋常な企業社会のリーガルな前線がそのようなことになっているとはつゆ知らず、GDにおいて個々人の個人的な逆鱗に触れるために用意される「性的な論題」が新入社員研修においては「良問」とされるとは、なるほど「川を渡る女」の設定を無人島に改変したくもなるだろうし、世界を無人島と認識する思考実験にも需要があるのだろう。言い換えると、まるでそびえ立つクソだ。

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