jobとwork


簡単にまとめ - apesnotmonkeysの日記

私としては、なにごとかを「仕事」としている人間とそうでない人間とでもっとも顕著な相違は「その活動から得る収入で生計を立てているか」だと考えているので、所得補償の問題なんかは法規制派との条件闘争の対象足りうるだろう、という趣旨のことを述べたわけです。そうしたら「お前は仕事を稼ぎに還元するのか〜」とか言われたわけですが、もともと「仕事」なんて観点を設定していない議論に勝手に「仕事」という論点を説明抜きで持ち込んでおいて、自分の思う通りに解釈されなかったからといって「蔑視」だと言われても・・・。


jobとworkは違います。Apemanさんは前者の話をしており、NaokiTakahashiさんは後者の話をしている。workとは市場に支えられた表現活動のことです。非合法化は、表現規制である以前に、市場を殺す。


エロゲは市場に支えられた表現活動で、陵辱エロゲもまた市場に支えられている。市場に支えられたものとして「陵辱」というジャンルが存在することが問われているとき、市場に支えられた表現活動の意義を主張することは、妥当です。市場なくして成立しない表現活動も存在するからです。その、市場なくして成立しない表現活動に、徒花が咲き誇ることがある。大事なのは、徒花扱いされていることに対する危機感が当事者においては共有されているということです。そして徒花は、徒花扱いされる限り、市場の存在によっては必ずしも守られない。


市場の存在それ自体が規制によって潰されかねないことは、市場に支えられた表現活動そのものの危機です。そしてインモラルな反社会的表現活動は、市場に支えられたとき徒花扱いしかされない。ゾーニングにせよ自主規制にせよ、市場を守ることは業界にとって至上命令であり、そして当然のことながら、それは表現活動にとって危機であり、表現の危機です。


なので、それはNaokiTakahashiさん個人の稼ぎや食い扶持の問題ではない。市場に支えられた表現活動が、反社会性を理由に、市場から駆逐されうることの問題です。問われるべきはその是非で、私はNaokiTakahashiさんとは意見も立場も異にするけど、少なくともNaokiTakahashiさんは、そのことを表現活動の危機であり表現の危機であるとずっと言っている。市場に支えられた表現活動の当事者として。


普通にコンサバの私はどちらがどうという話をしているのではなくて――行き違いの出発点は、NaokiTakahashiさんが「work」あるいは「lifework」の意味で使った「仕事」という言葉を、Apemanさんが「job」の意味で受け取ったから。そして職業差別の文脈を酌んだから。だから。

むしろ、エロゲーに限らずエロコンテンツの規制をめぐって所得補償とか転業のための助成なんてことが具体的に問題にされたことがない・・・ってところにこそ、エロ業界への「蔑視」が現れてるんじゃないの?


Apemanさんのこの問題意識はド正論で私も同意しますが、しかしNaokiTakahashiさんが言っておられるのは、また問題としておられるのはそういうことではない。市場に支えられた表現活動が、反社会性を理由に、市場から駆逐されることが、表現活動と表現にとっての危機であること。そのことに市民社会の綱領を紐付けすることが時に問題なのは、まさに市民社会の綱領が市場を掣肘せんとして表現活動と表現の危機をもたらしているから。


「その先」の議論はあるし、Apemanさんもしておられるし、私もしている。ただ、社会綱領を曲げてでも市場を守ることが、表現活動と表現を守ることに繋がる、そうした表現も存在します。だからゾーニングも自主規制もされる。表現の自由に紐は付かない、という話があって、しかし市場の紐が付いた表現活動と表現はある。市場の紐も表現の自由も、時に社会綱領とは相容れない。


私は、やはりtikani_nemuru_Mさんは無理筋な注文をしていると思う。いや、最新エントリの話ではなくて。古典的な自由主義の批判が妥当であっても。社会綱領に首をすくめて、紐の付かない表現の自由において規制論を退けて、市場の紐が付いた反社会的な表現活動を行う――たとえそのことが看過できないことであっても。表現活動と表現にとっての危機であることは違いないのだから。市場が安泰に存続することで、危機が去るわけではむろんないが。


繰り返すけれど、Apemanさんがどうこうということではなく、「仕事」の言葉にworkあるいはlifeworkを含意した人と、jobを読み取り職業差別の文脈を酌んだ人との、行き違いと思う。その行き違いには、コミットメントの相違に基づく問題関心の所在の相違があった。稼ぎとか持ち出しとかそういうことではなくて。