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地を這う難破船 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-12-17

見果てぬ夢ハーモニー


どうして「差別する自由」とかそういう話になってるの……


tikani_nemuru_Mさんには申し訳ないけれど、kadotanimitsuruさんに対してそのように指摘することは、たぶん藁人形です。


私を含めて、どいつもこいつも、話を極端な方向に振るのもう禁止な。 表現の自由? そんなもん知るかぁ!!! ――逆ギレはさておき。


id:kadotanimitsuruにおける「表現の自由」 - 地下生活者の手遊び

表現の自由はサイコーだ! - 地下生活者の手遊び


私の方でも補足しますと。


b:id:T-3don メタブクマ, 議論  しかし、sk-44さんのエントリーを受けてなおこう言うブクマをつけるか、っていう前提がすっぽり抜け落ちているブクマが散見、いや結構見受けられるんだけど。これは国語の問題で済むのかな。

はてなブックマーク - はてなブックマーク - id:kadotanimitsuruにおける「表現の自由」 - 地下生活者の手遊び

T-3donさんにも申し訳ないけれど、私は、id:kadotanimitsuruさんは当然そう言うだろう、と思った。というか、もっと正面切って批判されるかと思った。見解立場が異なるのだから。ただ。kadotanimitsuruさんに対して改めて私の見解立場を申し上げるなら。


kadotanimitsuru 1984年, 差別 の自由こそが真の自由だよ。だからそれを(「個人の御勝手」に封じ込めた上で)温存しないと社会自体から自由が無くなる。全ての個人が漂白される。表現の自由は思考の自由。全ての個人にAKを! 互にF*CKと言い合う世界を!

はてなブックマーク - BE FREE! - 地を這う難破船

「「個人の御勝手」に封じ込める」ことがどのように可能か、という話です。私はヘイトスピーチ規制にも反対です。私の基本的な立場は、以前も書いたように「差別意識は顔に出すな」です。そして、kadotanimitsuruさんは決してそのようには考えない。これは批判ではない。見解立場の相違についての確認です。


私に言わせれば、差別意識を顔に出さないことのプロトコルとしての社会合意さえこの国にはない。そのことを是とされるのがkadotanimitsuruさんの見解立場と私は理解していますが、しかしその結果、差別意識はインターネット舞台に延々垂れ流される。そのことで抑圧される、既に抑圧されている、散々抑圧されてきた者たちがいる。むろん「キモいオタク」もそうでした。男性ジェンダーの差別と抑圧にさらされてきた人々としての彼/彼女らもまた。


私は是としませんが――「差別もある明るい社会」とは、万人の万人に対する闘争として、あるいは被抑圧者のプロテスト武器として「差別」が存在する社会のことではありません。呉智英は「封建主義者」なので。全ての個人にAKを与えたところで一方的な虐殺が回避されるはずもなく、互にF*CKと言い合う世界で差別と抑圧から個人が解き放たれるわけでもない。その程度に、構造差別は強固です。そしてそのようなことは、kadotanimitsuruさんは百も承知と私は思っています。


kadotanimitsuruさんにとって「「個人の御勝手」に封じ込める」こととは、私たちが個人であるという合意のもと万人の万人に対する闘争として「差別」することが可能な「真の自由」を実現する、ということだと私は理解しています。そのとき「個人」は理念型として措定される。


確かに、表現の自由は思考の自由ですが、同時に、表現の自由は思考の表出とその相互的な検討の自由です。表出に際して相互的な検討から降りうることが「真の自由」なら、その自由は構造差別をなんら解体しない、と私などは考えますが、たぶんkadotanimitsuruさんにおいてはそうではない。「見解立場の相違」とはそのことです。差別意識を顔に出すことの自由が真の自由なら、私はその自由には乗れません。あまりにも形式的な議論に過ぎる。


「表現の自由」は形式論では済まない、しかし、戦前以来の歴史的な法措定権力が現在の憲法理念と乖離していることがあきらかな社会においてはその限りではない。それが私の見解です。そして付け加えるなら、「基本的人権の範疇」として「表現の自由」を主張することと「「「個人の御勝手」に封じ込める」ことがどのように可能か」考えることは両立する――というのが私の見解です。


ただ、そのとき理念型として措定された「個人」を前提することはできない、というのが私の考えです。なぜなら、理念型として措定された「個人」を前提して「「個人の御勝手」に封じ込める」ことは実質的トートロジーでしかなく、「どのように可能か」という議論にはなりえないからです。そのトートロジーをして「基本的人権の範疇」とkadotanimitsuruさんが再三主張しておられることは了解しています。「個人の自由」とはそのことである、と。それは、ひとつの見識と私は思います。


ただ、私はその見識には乗れません。「基本的人権の範疇」としての「表現の自由」の主張が「「個人の御勝手」に封じ込める」ことではありえないことは明白だからです。莫迦が莫迦なことを言うことが「個人の御勝手」で済ませられることならどれほど楽か。差別とは、莫迦が莫迦なことを言うことが「個人の御勝手」で済ませられないことだから、問題です。ルワンダ虐殺の際のラジオDJがそうであったように。あるいは彼は莫迦ではなく、悪意をもってそうした。つまり、「基本的人権の範疇」としての「表現の自由」の主張は、憎悪の扇動をなんら掣肘しない。


莫迦が莫迦なことを言うことは個人の御勝手である――そう言って片付けられたらどれほど楽か。そうであるなら、この表現規制公安マターとしてある、戦前以来の歴史的な法措定権力が現在の憲法理念と乖離していることがあきらかな国で、私も「基本的人権の範疇」としての「表現の自由」を明確に主張するでしょう。しかしそうではない。それが、私の見解です。


そして繰り返しますが、私はヘイトスピーチ規制にさえ反対です。だからこうしてblogを書いている。莫迦が莫迦なことを言うことは個人の御勝手である――少なくともこのインターネットにおいて、私がそのように片付けないのは、私自身の「御勝手」です。しかし、私が私自身の行動についてそう言えるのは、自らを被抑圧者の側と私自身が考えていないからです。


「「個人の御勝手」に封じ込める」こととは、理念型としての「個人」の措定において、自他の政治的/社会的身体とその決定的な非対称性を捨象することと同義です――形式的に。捨象することによって理念型としての「個人」が見出されるなら、あるいは、捨象することによってしか理念型としての「個人」が見出されないなら、私はそのような個人主義には乗れません。しかしkadotanimitsuruさんは、後述しますが、捨象することによって理念型としての「個人」を見出しているわけではない、と私は考えています。


だから、これはkadotanimitsuruさんに対する反論ではありませんが、私は保守主義的な個人主義者なので、理念型として措定された「個人」に基づく議論は、その捨象において自他の政治的/社会的身体とその決定的な非対称性を忘却することへしか行き着かないと考えるのです――kadotanimitsuruさんが、あるいは多くの「キモいオタク」が忘却していないとしても。だから――そのことをkadotanimitsuruさんの責とは私は必ずしも考えませんが――現在「差別する自由」とその是非という極端な話へと行き着いてしまっている。


差別とは、自他の政治的/社会的身体における決定的な非対称性をもたらす権力関係において存在すること。そのような権力関係に対するプロテストが理念型としての「個人」の措定にのみよって贖われるか、私は悲観的です――それが「基本的人権の範疇」の意味であるとしても。制度としての権力関係は形式的に「解消」されるでしょう。しかし実際は。「解消」が事実上空論であるがゆえに、そして権力関係に対するプロテストさえ今なお困難であるがゆえに、「表現の自由」は形式論では済まない。それが私の見解立場です。その「実際」を、kadotanimitsuruさんが存じ上げない「お花畑」であるはずがない、私はそう考えています。


そして同時に――戦前以来の歴史的な法措定権力と現在の憲法理念との乖離があきらかな社会において、「基本的人権の範疇」としての「表現の自由」は何度でも主張されて然るべき、と私は考えます。ややこしい話で、そのややこしさについてkadotanimitsuruさんは承知されていると私は考えています。そのうえで、見解立場の相違は存在しますが、しかし。


「表現の自由」の旗幟に立つとき、それが結果的なことであるとしても、特定の誰かにシワを寄せてはならないし、寄せるべきでは決してない。その点において、私とkadotanimitsuruさんは見解を同じくしうると私は考えています。誰かにシワを寄せないための「表現の自由」に私は同意するものです。そして、それは規制をもってすることではないと私は考えます。以上もまた「妄想投影」かも知れませんけれど。「莫迦が莫迦なことを言うことは個人の御勝手である」として片付けることを私が是としないように、「差別に対する意識の問題」として片付けることも私は是としません。



権力関係において規定されているカテゴリーに即したレトリックに対しては、その政治的文脈について敏感であれ――ということは言えるでしょう。「獣は檻に」が予防拘禁論としてありうる、と一部で見なされたことも、権力関係において規定されているカテゴリーに伴う政治的文脈の問題としてあった。つまり、Francesco3さんが使用した表現に抑圧の政治的文脈を読み取った人がいた。


しかしその表現は、「男」「女」という主語において、鈍感な、あるいは確信犯渡辺淳一が示した、既存の政治的文脈に即したカテゴリー間の搾取である言説に対するプロテストとしてあった。そのことは、たとえばhokusyuさんにせよApemanさんにせよ縷々説明しておられます。権力関係において規定されているカテゴリー間の搾取の問題である、と。言い換えるなら――「男」「女」という主語における――マジョリティマイノリティの問題であると。


あるいは「男性ジェンダー」「キモいオタク」という、マジョリティとマイノリティの、権力関係において規定されているカテゴリー間の搾取の問題である、と。権力関係において規定されているカテゴリー間の搾取は、そのように、無数の主語の組み合わせと共に、無数に存在している。「自他の政治的/社会的身体における決定的な非対称性」は、まさにそのようにしてある。そしてそのことは、必ずしも法の問題ではないし、「法の下の平等」の形式的な実現によってのみ解体されることではない。付け加えるなら、この国における排外主義の主張がそうであるように、あるいは性産業従事者に対する差別がそのようなものとしてもあるように、形式的に実現される「法の下の平等」が時に誰かを排除する。


自由主義とはつまりそういうことですが――「法の下の平等」の形式的な実現によって「自他の政治的/社会的身体における決定的な非対称性」が解体されうると考えるなら。そのときどうするか。「「「個人の御勝手」に封じ込める」ことがどのように可能か」考えるとは、私にとってはそういうことです。言論において「表現の自由」の旗幟に立つとは、たぶんにそういうことです。解体など不可能、という話については、harutabeさんに対するレスの方で後述します。


自他の政治的/社会的身体における決定的な非対称性をもたらす既存の政治的文脈に即したカテゴリー間の搾取が差別である以上、それは、理念型として措定される「個人」を抑圧するものとしてしかありません。かかる抑圧に対抗するとき「「個人の御勝手」に封じ込める」ことをもってするなら、すなわち自他の政治的/社会的身体とその決定的な非対称性を捨象する形式論をもってするなら、自他の政治的/社会的身体の決定的な非対称性の捨象と、理念型として措定される「個人」の抑圧は、美しく結託するでしょう。それが、現在の状況です。「個人」という人権概念に裏打ちされたかけがえのない価値が実際にはきわめて困難である現在です。


私が「私たちが、男性でも女性でもなくマジョリティでもマイノリティでもなく構造差別の加担者でも犠牲者でもなく真に「個人」であることは、大変に困難なことです。あるいは不可能なことです」と書いたのは、そうした状況を指してのことです。個人主義者である私は、しかし、理念型としての「個人」を措定することの困難を、否応なく認識せざるをえません。kadotanimitsuruさんも、誰しもそうでしょうけれど。


私が個人主義者であるのは、人権概念に拠るものでも理念型としての「個人」の措定に拠るものでもない。端的に、ロバートエヴァンスの言葉を借りるなら「人生という学校」を、私がそう考えて生きてきたからです。比喩ですが、クラスメイトを他者と考え、その人間としての尊重を自明として私が生きてきたからです。


そしてたぶん、kadotanimitsuruさんにとっての個人主義も、あるいは多くの「キモいオタク」にとっての個人主義も、そのようなものとして存在するのであって、形式的な空論によって贖われてきたものでは根本的にない、と、私は勝手に考えています。そして再三になりますが、「基本的人権の範疇」としての「表現の自由」の主張はされてされすぎることはない。私がtikani_nemuru_Mさんと交わしてきたのは、「表現の自由」の価値のありようをめぐる意見交換でした。



tikani_nemuru_Mさんのエントリに対して、一点だけ、どうしても申し上げたいことがあったので。


で、リンクしたエントリの趣旨は、

  • 差別というものがまったくない理想状態では、表現の自由は完全に認められる。

であり、ブクマコメで「理想状態での表現はグロげちゃになると思う」と確かに発言していますにゃ。

もちろん、ここでのキモは「差別というものがまったくない理想状態」というファンタジーな前提だにゃ。言い換えれば、自由と個人が万人において確立している理想状態にゃんね。

こういうありえにゃー状態を前提としてなら、表現はなんでもアリで、げろげろグチャグチャ多いに結構。なんでも陵辱し放題やり放題。ここにはニンゲンの自由を阻害する「差別」がにゃーので、Everything is gonna be alright !

表現の自由はサイコーだ! - 地下生活者の手遊び

表現の自由が完全に認められる、差別というものがまったくない理想状態での表現は、決してグロげちゃにはならないことを私は確信しています。そのことの是非は措くとしても、また、「だからこそ「差別もある明るい社会」を!」という話は採らないとしても。kadotanimitsuruさんが言われているのはそういうことです。大いに結構も何も、そのような理想状態においては、自由な表現は、決してグロげちゃにはならないでしょう。そのことをこそ否とするのが、たとえばkadotanimitsuruさんです。それは、ひとつの立場であり、見解であり、見識です。


人が差別され抑圧されているとき、自由主義社会では、グロげちゃな表現が咲き誇る。グロげちゃな表現が咲き誇るために差別や抑圧が温存されるべき、と言っているのではもちろんありません。社会において差別され抑圧されている人々が表現のグロげちゃを目指し実現することの意味が、自由主義社会における「基本的人権の範疇」である「表現の自由」の意味でもある、ということです。その結果としてある日本の「オタク文化」が、時に差別的であり暴力的であったとしても。そのことが、既存の構造差別と結託して新たな差別と抑圧を生み出しているとしても。再三になりますが、私はスターリンは嫌いです。むろん、このことについても是非はあります。私の立場は、複雑です。




Little my room on the Prairie - 春巻たべた


反吐が出そうか?それが正しい。今の俺のどや顔を想像して今すぐブラウザを閉じ便所に駆け込め。俺はモグラ獣人ではないし、ましてやアマゾンでもない。買いかぶるのは止めてくれ。


――私に言ってます? 「反吐が出そうか?」とかそれこそ私に対する買いかぶりです。というか、仰ることにほぼすべて同意なのですが。「差別意識は顔に出すな」が私の見解立場なので。「差別とパターナリズムと良き父性は境界なく連続している」というのもその通りと思います。「性別に関係なくみんな気軽にレイプできる社会」という言説を笑い飛ばしているわけでは私はない。


「風通しの良い社会」を私自身は必ずしも望みませんが、で、なぜharutabeさんは顰蹙承知で顰蹙を買うことを書いておられるのですか。少なくともこのインターネットにおいて「風通しの良い社会」を目指してされていることと勝手に思っていました――いや、皮肉ではなく。私が「いつも真顔で冗談言う」なら、harutabeさんは「いつも冗談の振りして真摯なことを言う」だと私は勝手に思っています。


「真に獣であれば檻に入れてよい」という命題が俺を激発させるのは、たとえ「その能力(<責任能力>(のようなもの))を明確に欠く存在」であっても未然に檻に入れるわけにはいかない、と俺は信ずるけれども、それは世間一般において自明ではあるまい、とも考えるから。安田好弘の弁護を批判した人がいた。被害者の人権はどうなるのか。無論どうにもならない。そもそも刑法は被害者を救済するためのシステムではないし、それを担って然るべき世間様は、俺は、被害者を肴に酒を飲み思う様陵辱する。俺はマジョリティの皮をかぶりマジョリティの輪の内側で俯いてヘラヘラ笑いながら生きてゆく。石を投げながら。いつまでも続きはすまい。やがて俺もまた殺されるだろう。


まったく同意です。『マイノリティ・リポート』を観て、というかディックの一連の小説を読んで、これこそ目指すべき未来と言う人はあまりいないと思いますが。


もう自由だの権利だの尊厳だのいい加減聞き飽きたんだよ。領主が領民をボコボコぶっ殺して白人黒人をモリモリ狩り集めて官憲が被疑者をガシガシぶん殴ってた時代に見果てぬ夢として書かれた言説を現代っ子が字義通り受け取ってああだこうだ、全くお笑い種だ。お前等だってどうせ端からそんなもん信じちゃいねえんだろ。その証拠にお前等同士全然話が通じてねえじゃねえか。誰かが自由とか権利とか尊厳とか言い出したらドン引きするべきなんだよ。


私も聞き飽きたし言い飽きています。ところで、現代っ子だろうと、見果てぬ夢は未だ見果てぬままなのです。私は自由意志など不可能と考えますが、そのことを鬼首で説く人にも呆れます。いや、harutabeさんのことではなく。「現代っ子」のことを文明人と言いますが、文明人のサバルタンに対する居直りくらいろくでもないものはないと私は思っています。それこそ差別そのものだからです。harutabeさんの実存が時にサバルタンとしてあることは了解しているつもりです――むろん皮肉ではありません。私を含めて、そのような引き裂かれ方は、普通に「現代っ子」の条件です。僭越な物言いであることは重々承知です。


「お前等だってどうせ端からそんなもん信じちゃいねえんだろ。」信じる信じないの問題なら、散々述べてきたことでわかる通り、信じていませんが。つまり、自明でないことを信じようとするときドグマが発生する――Midasさんはそのことをずっと言っています。で、自明でないことと、自由だの権利だの尊厳だのという近代の達成である諸価値を社会思想の根幹に置きその実現を指向すること、それを是とすることは、別の問題と保守的な私は考えますが。私は無政府主義者ではないし、ソマリアに住みたいとも思わないし、文化大革命にも賛成しないので。


そうですね、私は自由も権利も尊厳も端から信じていないのかも知れませんが、他者という存在に対する人間としての尊重は自明でした。それが「差別意識は顔に出すな」ということですが。それは、私の欲望と他者との性愛の決定的乖離という個人的経験の産物です。散々ドン引きしながら私が延々書いてきたのは、harutabeさん流に言うなら、自身の個人的経験に対する落とし前でしょう。なお、話が通じていないのは私を含めて面々の「御勝手」が甚だしいからです。だがそれがいい、とスターリン嫌いの私は考えています。


だから誰か俺に言ってくれ。内心の自由は自明などではないと。情欲とともに女を見るものは既に姦淫を犯したのだと。俺は今そういう話が聞きたい。


では御希望にお応えして。内心の自由などまったく自明ではありません。サバンナに私たちの寝室は散々蹂躙されている――そのことが自由意志の不可能の意味なので。で、私において自由意志が不可能であることと、他者がその大草原での差別と抑圧のゆえに自由意志へと1mmでもにじりよろうとする際に自由意志の不可能を鬼首で説いて冷や水かけることは、同じことではない。他者という存在に対する人間としての尊重は私においては自明なので。


付け加えますと――これはkogeさんに対する再度のお返事にもなりますが――他者とは、このアレな社会において、社会的動物と見なされない存在のことです。そのような存在こそが真に自由意志を実現しうる、とか言い出すとありきたりな罠に嵌りますが、しかし、その大草原での差別と抑圧のゆえに自由意志へと1mmでもにじりよろうとする他者に対して、自由意志の不可能を縷説する趣味を私が持たないのは、たぶんに、蹂躙を享楽するサディスト自己批判が理由です。


私においてこの社会というサバンナは、蹂躙を享楽するアレな社会そのものとしてある。適者生存の法則においてその大草原を闊歩する社会的動物は、私が時にそうであるように、往々にして他者を捕食して涼とする。harutabeさんがそうであるということではありませんが。――と付け加えることは買いかぶりと取られるでしょうか。しかし、だからこそ、harutabeさんは「俺は今そういう話が聞きたい」と、一切御自身に限定して書いておられるのだと、私は勝手に思っています。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2009/12/17 12:01 >tikani_nemuru_Mさんには申し訳ないけれど、kadotanimitsuruさんに対してそのように指摘することは、たぶん藁人形です。

はてさて?

以前も読んではあったのだが、kadotanimitsuruのブログで[test]タグのついたものをあらためてざっと拝読した。これは、本人が「私のブログの[test]付きエントリーを一通り読んでから私の「表現の自由」を批判してください」という発言をうけてのこと。
しかし
差別が自由や個人を困難にする、あるいは不可能にするという視点、あるいはそうした視点への言及はやはり見られなかった。書いてあったことは、例えば万人にネットを開放して自由に声をあげることができるようにすればよい、とか、まず主体ありき、のようなものであった。

sk-44の前回エントリは、その主体そのものが差別により実質的に存在が困難なものとなっていることの指摘である。そうしたエントリに対するコメントで、差別と主体の関連について考察したこともないものがああしたことをいったので問題視した。
どこが藁人形なのだろうか?

>その「実際」を、kadotanimitsuruさんが存じ上げない「お花畑」であるはずがない、私はそう考えています。

とおっしゃるが、その根拠が僕にはわからない。あれば教えてほしい。根拠があってのことならば、藁人形叩き、とのご批判も受容する。


ついでといっては何だけど

>表現の自由が完全に認められる、差別というものがまったくない理想状態での表現は、決してグロげちゃにはならないことを私は確信しています。

現時点では見解の相違であるとしかいえない。
内心の自由とは、現実に対する「補償」としてソトにあらわれると僕は考えるので。


>「獣は檻に」が予防拘禁論としてありうる、と一部で見なされたこと

その「一部」と、今回の「差別の自由こそ真の自由」を言った者が重なっていることを指摘しておく。

kadotanimitsurukadotanimitsuru 2009/12/20 03:48 id:tikani_nemuru_M さんへ。
>id:kadotanimitsuruにおいて、「表現の自由」とはかくのごときものであった。

>表現規制問題から一貫して、彼が誰のどのような言論によりそい、誰のどのような言論に抗していたか、読者諸賢においてはあらためて確認するほどのこともないかもしれないが。
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20091213/1260630872
id:kadotanimitsuruにおける「表現の自由」 - 地下生活者の手遊び』

と読者諸賢に否定的印象を付けた上で、私の主張と「確定できない」ことをあたかも私の主張であるかのように批判した。そのことを抗議します。それにより私の尊厳は破壊されました。


id:sk-44 さんへ。
>kadotanimitsuru [1984年], [差別] の自由こそが真の自由だよ。だからそれを(「個人の御勝手」に封じ込めた上で)温存しないと社会自体から自由が無くなる。全ての個人が漂白される。表現の自由は思考の自由。全ての個人にAKを! 互にF*CKと言い合う世界を! 2009/12/12

本来ならばこのエントリーで上げられた諸問題についての応答をすべきかと思いますが、現在(というより上記で引用したのエントリーを見てからこのかた)まともに応答できる心理状態にはありませんので、これの解説のみさせていただきます。

このブックマークコメントは(というよりも私のそれは総じて)批判反論というよりも連想からの放言でしかないので、ある種のナンセンスを多分に含んでいます。とまずおことわりした上で。

ブコメで露悪的言い換えじゃないかという意見がありましたが。言い換えということで言うならば([1984年]タグ含めた)前半部については私が過去に書いた

>kadotanimitsuru [差別], [1984年] 貴方のしている事が「差別」そのものだと言っている。念のため言うと私だって差別している。引用されているように実際に馬鹿に馬鹿と言って差別してる。私は貴方を差別主義者と断ずるが貴方の居ない世界は望まない。
http://b.hatena.ne.jp/kadotanimitsuru/20090725#bookmark-14880441

の言い換えと言えるかもしれません。私は同様に sk-44 さんが居ない世界を望みません。
「貴方の持つ差別は貴方の尊厳と結びついています。なので貴方が(それを他者危害として対象に向けてしまわぬよう管理する(個人の御勝手に封じ込める)限りにおいて)それを保持すること、つまり『温存』こそが貴方が貴方であることを担保します。貴方が貴方であることを保障できないならば自由はなく、貴方に自由が無ければ全ての「貴方」つまり社会の自由も無くなります。構造的差別の根絶は重要ですが、そのために貴方が貴方でなくなる=漂白されてしまうならば本末転倒でしょう。」
言い直せばこれくらいになってしまうでしょうか。

おわかりかと思いますが、これはエントリーへの批判ではありません。エントリーの主張をおおむね認めた上での問題提起。(というかこの部分についてsk-44さんが充分に理解考慮した上でのその意見であることは了解していますから、これは自分と、付随して他のブックマーカ=エントリーの読者へ向けての補助線です)

「サディストの無葛藤を是とするために使役される理性が調達するあらゆる方便」を自らサディストと規定する sk-44 さんが否定すること。それをこそ否定したい想いから書かれたものです。調停手段を生じないならば例え葛藤してみせてもそれこそが「方便」で終わる。単に「他者危害の回避」の達成のみを目的とした「無葛藤」の方便であっても有用ならばそれで是。と、これは書きすぎですね。


『AK』のくだり、これは「暴力のベーシックインカム」みたいなものをイメージして。(ここ固有にではなく一般にでは、私が「全ての個人にAKを! 」とタグ/コメントしている時には『虎よ、虎よ!』(アルフレッド・ベスター)の最終展開をイメージしていますが)
自分が「殺人者」として裁かれることを覚悟してなおAKを向け暴行を拒否する最後の権利。もちろん実際にこんな社会を作ればそんなふうに機能はしないことは理解していますが。曽根発言を発端とした「自衛」騒ぎの差別のマッチポンプ構造そのものなWeb上での展開を見てしまうと、こんなナンセンスで一刀両断したくなってしまいます。


『F*CK』ですが。これは以前「自衛論者のテンプレートな公的言説にきっちり中指を突き立てて構わないのではないか」と sk-44 さんが書かれていたことを意識しています。論理的可否の勝ち負けに捕らわれて大事なこと(そんなのは却下だ)が伝えられない。問題はそんな基本的ところにあるのかもしれないと。無論これは批判ではなく独白。
現在、猫氏のあのエントリーで私が精神的被害を受けこの一週間ほど昼も夜もそのことばかり考えてしまう精神状態であるとしても、それは彼のそのエントリーそのものの論理性とは何ら関係ない。他人の尊厳の毀損は意識してやられるものでもなく、また個人の尊厳のありかたによって差が出てしまう一般化できないもの。(私の場合は自分を bad apple=腐った林檎 と認識してしまっていることからの過剰反応かと思う)
sk-44 さんの場合は他者のそれを否定するための「中指」の意味でしょうが、私の場合は単純な「受け入れることの拒絶」のイメージですが。
「泣き寝入り」せざるをえないことのあまりの多さ。せめて拒絶のみでも誰もが伝えられないものか。


と、以上のように、他人に理解されることを全く意図していない文章ですので、それを元にしての論議というのもあまり意味のないことかと思います。
とはいえ付けられたブックマークコメントは楽しませてもらいました。文責を背負った上での個人の感想である限りそれが是であれ非であれ誤読(というかあれを正読できる方がすごい)であれ私の尊厳は全く毀損されません。書かれた皆様ありがとうございます。この場を借りてお礼を。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2009/12/20 12:07 >kadotanimitsuru

>貴方の持つ差別は貴方の尊厳と結びついています

まさにそれを批判していた。
僕は君の主張に対して批判していたのだとあらためて確認した。
よって、君の抗議は的外れであると考える。


ところで君は僕の書いたモノに根拠のないネガコメつけたことはなかったとでも?
典型例だが

kadotanimitsuru わが心のフラッシュマ, ホモソーシャル, 美少女戦士
女児向け作品のプリキュアを収奪している点で既に「言うまでも無い」ことなんだけどね。本来の対象である娘(?)やその成れの果てな妻からの視点を欠いてる段階で「他者」どころでもないわけだし。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/sk-44/20091122/1258897270


爺キュアだが、これは生活をともにしている相棒♀との雑談からでてきたものだ。もちろん、僕の責任において書いたモノなのだが、その発想に彼女の視点がなかったというのは単に君のいいがかりだね。
僕が娘やら「妻」やらの視点をガン無視しているといういいがかりは、僕や家族の尊厳を棄損したものにはならないのかい?

他にも、君が僕のことを評したネガコメが根拠を欠いたものであることの指摘が可能なものはいくつもある。
君のロジックによれば、君は僕の尊厳を踏みにじりっぱなしだ。家族の尊厳まで踏みにじっていることになるね。

他者に要求する基準を自分にもあてはめることだ。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2009/12/20 12:09 >kadotanimitsuru

>貴方の持つ差別は貴方の尊厳と結びついています

まさにそれを批判していた。
僕は君の主張に対して批判していたのだとあらためて確認した。
よって、君の抗議は的外れであると考える。


ところで君は僕の書いたモノに根拠のないネガコメつけたことはなかったとでも?
典型例だが

kadotanimitsuru わが心のフラッシュマ, ホモソーシャル, 美少女戦士
女児向け作品のプリキュアを収奪している点で既に「言うまでも無い」ことなんだけどね。本来の対象である娘(?)やその成れの果てな妻からの視点を欠いてる段階で「他者」どころでもないわけだし。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/sk-44/20091122/1258897270


爺キュアだが、これは生活をともにしている相棒♀との雑談からでてきたものだ。もちろん、僕の責任において書いたモノなのだが、その発想に彼女の視点がなかったというのは単に君のいいがかりだね。
僕が娘やら「妻」やらの視点をガン無視しているといういいがかりは、僕や家族の尊厳を棄損したものにはならないのかい?

他にも、君が僕のことを評したネガコメが根拠を欠いたものであることの指摘が可能なものはいくつもある。
君のロジックによれば、君は僕の尊厳を踏みにじりっぱなしだ。家族の尊厳まで踏みにじっていることになるね。

他者に要求する基準を自分にもあてはめることだ。

※コメントが反映されないようなので、二度目の投稿。
二重投稿となったらこれは削除されたし。>管理者様

kogekoge 2009/12/22 20:18 >>貴方の持つ差別は貴方の尊厳と結びついています
>まさにそれを批判していた。
いくら「スターリニスト」を名乗るにしてもこれはひどすぎる。
それを批判することは、表現の自由どころか、「差別思想」を持つことそのもの、内心の自由をも制限しようとすることに他ならない。そこまでしなければ「差別」がなくなることはないという諦観かもしれないが、たとえどんなにひどい差別を受けている人だってそんな思想統制は望んじゃいない、望んじゃいけない(←思想統制)はずだ。

id:tari-Gがどんなコメントを残してくれるだろうか。

kadotanimitsurukadotanimitsuru 2009/12/22 22:15 id:tikani_nemuru_M さんへ。

もう何も言うつもりはありませんでしたが、勘違いされているようなので「読者諸賢」への説明として補足します。
私がしたのは「抗議」であって互いが「尊厳を踏みにじりっぱなし」な事実/現実の否定/否認ではありません。
貴方が他人の尊厳を踏みにじっているように私も他人の(例えば貴方の)尊厳を踏みにじっています。あれはそのことの確認です。「それをするな」との「要求」などではありません。
貴方が私の「抗議」を却下しましたので『他者に要求する基準を自分にもあてはめることだ』により私も貴方の抗議(であれなんであれ)は却下することになります。
従って『的外れ』ではなくちゃんと互いの「的」に当たったことになります。
「的」に当たったことの結果については、あるいは他の人からの行為によって理解されることもあるやもしれません。

>>貴方の持つ差別は貴方の尊厳と結びついています
>まさにそれを批判していた。
つまり「自分の差別は自分の尊厳と結びついてはいない」と自ら宣言したわけですね。
これについてはそれを確認するに留め論評を避けます。互いにもはやそんな関係でもないわけですし。

今回初めて貴方とのコミュニケーションがとれたことを喜ばしく思います。これで最後なのが少し残念にも思えてきました。
さようなら。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2009/12/24 11:47 id:kadotanimitsuru

ほう? 君の「抗議」は否認ではないのかね?
否認ではないとすると、何のための抗議か?
支離滅裂だね。

他者に要求する基準を自分にもあてはめること』ができていないので、そのような醜態をさらすことになる。

>貴方が他人の尊厳を踏みにじっているように私も他人の(例えば貴方の)尊厳を踏みにじっています。

さて?
僕は君の主張を否定した。それが君の尊厳を踏みにじっていることになるのかい?
君のいう意味での「尊厳の踏みにじり」が嫌ならば、公開の場で何もいわないことだ。
一方、君は明らかな妄想に基づいて僕を批判しているつもりになっている。
僕と君のやっていることは、まったく違う。いっしょにしないでくれ。

>つまり「自分の差別は自分の尊厳と結びついてはいない」と自ら宣言したわけですね。

差別は差別する側の尊厳をも毀損すると何度書けばいいのかね?

>今回初めて貴方とのコミュニケーションがとれたことを喜ばしく思います。これで最後なのが少し残念にも思えてきました。

最後まで接点がなかったね。
しかし
君のような言論については、これ以降も否定し、抗議していくつもりだ。


>koge
君は自称「獣」なんだから、檻にはいっていなさい。

kogekoge 2009/12/24 19:55 >君は自称「獣」なんだから、檻にはいっていなさい。
残念ながら、表現という檻の中に入って生きることすら許してくれない人がいるみたいなんでね。

もぶもぶ 2009/12/25 19:26 このコメント欄で演じられているのは「裏の沼地で射殺」のパロディか。
そう見えてしまった私の成り行きが生んだフレームをあなた方に投げつける
私の暴力を許したまえ、と言ったって上から許してくれる神はみつからないね。
とりあえず、皆さん、メリークリスマス。

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