オタクについて

 萌えヲタやヌルヲタ、最近のオタクと言った言い方になんとなく共感を覚えていたんだけど、その正体はいったいなんなのだろうか。僕自身若いし「最近の若い者は」なんていう洋の東西を問わず古代から繰り返されている定型句に賛同するのもいやなんだけど、どことなくオタクの質が変わったのは感じる。
 ネットワークが整ったことによる流通の変化がもっとも大きいのだろう。オタク好みの「情報」が圧倒的に手に入りやすくなっている。たとえば、深夜アニメについて広く感想を聞ける高校生が10年前にいただろうか。自分の内部で楽しまずとも、外部と共有して楽しむ環境が整っていなかったのだから、できる人は稀だったろう。
 たぶん、この変化がキーになっている気がする。つまり見終わった後に(あるいは見ながら)咀嚼しなくても、十分に楽しめる環境があることで、咀嚼のない視聴が蔓延しているように思う。
 視聴という行為を深めなくてもよい、そんな雰囲気があるのではないだろうか。
 もう一つ思うのは「面白いが読んでいない作品」の存在を許せない感覚のあるなし、あるいは強弱。萌えヲタ、ヌルヲタと呼ばれる人々には、あまりこれを感じない。「おまえ〜も読んでないの?」と言われてムカつくかどうかって言い換えても良い。
 そこらへんが「最近のオタク」と「オタク」の世代間闘争につながっているのかなと思う。
 なんかね、一つの作品を神神崇めて馴れ合っている姿をみると胸にいやなものがこみ上げてくる。それも面白いけど、他にも興味も示せよ! みたいな。たぶん、それだけで楽しめる世代へのルサンチマンなんだろうな。