南よりの風、雲の多い空

きょうもバッハでお掃除から。しなくちゃいけないことがいっぱいあるのに、午前中は読書三昧。ミステリーの名作として誉れ高い「極大射程」(スティーヴン・ハンター)を読んでいた。主人公がいよいよ悪の組織に反撃に転じるところで時間となった。おもしろい。おもしろいんだけど、銃器フェチではないので、ライフルや弾丸のディテールを読まされてもあまり感動しない。ストーリー展開上の小道具以上の意味を見出せない。ただ、そうしたフェティシズムは嫌いじゃない。何であれ薀蓄に耳を傾けることに苦痛は感じない。作者のエンスージアズムが伝わってくる文章であれば、まったく理解できない話でも丹念に読み通す。たとえまったく記憶に残らなくても、その熱意が心地よかったりする。というわけで、傑作だよなぁとはぜんぜん思えないし、主人公(孤高の天才的スナイパー)に感情移入もできないし、尊敬もできないし、結末も分かりきっているのだけれど、テンポよく展開するストーリーにのっかって楽しんでいる。何か、最近、こうした読書が増えた。先日も、ジェットコースタースリラーとして名高い「ボーン・コレクター」(ジェフリー・ディーバー)を読んだとき、犯罪学に関する薀蓄に半ば辟易しながらも、スピーディーな物語の展開に引き込まれた。骨フェチ犯人の残忍な行為が後味悪くて、もうこのシリーズはいいやって読後に思ったけれど、読んでいる間は、「えええっ、こいつが絶対犯人だと思ったけれど、ちがったのぉ」とバッサリ裏切られる爽快感すら味わった。でも、二作目はもういい。京極夏彦や森博嗣を読んだときも同様な感想を思った。おどろおどろしい描写がどうも苦手でストーリーの細部には部分的に深く引き込まれたりもするのだけれど、じゃぁ次の作品も読むか、と問われたら、もういい、と答えてしまう。いや、もっと読めば違ってくる、と言われたら、それはそうかもしれない、と思うけれど、そうまでして読まなければならない義理もない。他にもたくさん本はある。年齢とともに残酷な話を受けつけなくなってきているように思う。
そういえば、あのジャック・オーブリー・シリーズの「THE FAR SIDE OF THE WORLD」の映画化作品、「マスターアンドコマンダー」をDVDで観ていると、ガラパゴス諸島に立ち寄った際、BGMでバッハの「無伴奏チェロ組曲第1番」が美しく流れてきて、おおこれは何かの啓示か、と思ってしまったことであった。帆船をきちんと描いているよい映画であった。あのキャプテン・ジャック・スパローが大活躍する海賊映画などくらべものにもならない、と思った。ああ、ただし映画の面白さといったらまた別の次元の話にはなるのだけれど。とにかく、バッハが身近な7月ではある。