幻燈日記帳

認める・認めない

迷信百貨店



仕事と自分の部屋に向き合う日々。真顔で「ヨユーっすよ」と言ったのを恨む日々でもあり、私自身が発した言葉とその質量を自身に問い続ける日々でもある。未来はなるようにしかならない。


部屋に向き合い、ソファを新調(済)し、本棚を新調(5月上旬)することに決めた。IKEAの安本棚に2列で収納された漫画や本やCDに対して僕はもっt優しくなりたい。


ラジオ番組(京都a-station、NICE POP RADIOは毎週金曜午後8時から放送中)をやるようになって、自分のライブラリーと向き合う機会が増え、あらゆる意味での希望と絶望を同時に噛みしめるようになった。ああ、あったはずのCDが手元にない(だがAAC、128kpbsのデータはある)という事態も増えるが、向き合うことによって10年ぐらい聴いていなかったCDを再生するような事も増えた。ライブラリーというのは蓄積はするけど、蓄積する反面、沈殿していくものも少なからずあって、沈殿しているのならまだ可視化されているだけマシ、表層でも澱でもない何かが手元からすり抜けていってしまったことに私は気づけてすらいなかった、と解る時の無力感もまた気分がいい。


チェット・ベイカーの自伝を読んで気になって聴くようになったピアニストにリチャード・ツワージク(またはディック・ツワージク)がいる。24歳という若さでこの世を去ったということもあり自身がリーダーを務めた正式なレコーディングはあまりに少なく、その録音のどれもが不気味な手触り。不気味なゆえに惹かれる。ジャズ・ピアニストの幽霊がジャズ・ピアノを弾いたらきっとこんな音になるに違いない、と思える音像。で、ある日スタンリー・カウエルのCDを探していたらなんとなく目に入って買ってしまったサージ・チャロフというバリトン・サックス奏者のリーダー作を機材がパンパンに詰まった軽自動車で聴いたらどえらい曲が始まってしまって、井の頭通りの信号待ちでクレジットを確認。するとピアノにツワージクの名前があり、表題曲はツワージクの作品だった。きっとしっかりとしたスコアがあって、そこから逸脱しては戻って、また外れて、というスリリングなもの。ただ混沌としているだけではないのが、また、いい。この曲を聴いて、僕の少ないジャズの知識の中から不思議とひとつの線になったのがタッド・ダメロンの「フォンテーヌ・ブロー」(1956年)とチャールズ・ミンガスの「直立猿人」(1956年)だった。サージ・チャロフのこのアルバムは1954年の録音。この3枚のアルバムに何か共通項がある気がして、それを考えているのがここ最近の私です。