Hatena::ブログ(Diary)

skizanmaiの日記

2018-07-24 猛暑


猛暑が続いている。そろそろ日本の夏に慣れなければならないのだろうが、ニュースで煽られると余計に暑さを感じてしまう。LAでも42度は経験してるが、湿度が5%くらいなら日陰に入れば空気が熱いという感じはしないし、日本とは体感温度が10度ほど違う。湿度の多い日本の夏は世界でも稀にみる、過ごし難い暑さである。大雨の被害の出た日本でも、新潟梅雨時にほとんどまとまった雨が降らなかった。野菜・果物は高騰、夏の給水制限、電力不足、米の不作、等、これからも様々な影響が残って行くと思われる。

先日、O君、Fさんと大湯温泉のホテル湯元に一泊飲み放題付きの旅にいってきた。1時間ほどの長岡に有るパーク・ゴルフ場で27ホールのパーク・ゴルフなる物を初めて体験
パーク・ゴルフはミュニチュア・ゴルフより、もっと普通のゴルフに近く、コースは普通の三分の一くらいの長さ、ちゃんと芝生があって、ボールは二回りくらい大きくて6cm、一本の専用クラブを使ってやるゴルフ。

道具を全部かしてくれて、450円で一日中やっていていいそうで、18ホールを1時間ほどで周れる。さすがに猛暑のなかでは27ホールを約1時間半で終了して宿に向かう。パーク。ゴルフ場新潟市の近くでは1時間ほど離れた長岡の郊外にしかないそうだがなかなか思うようにはいかず、面白い。涼しくなったら、また日帰りで行ってみたい。

二日目は奥只見にいって、ダムで出来た湖を40分遊覧船に乘る。ダムの手前には17キロの長いトンネル。中は車の窓が曇る程涼しい。そして船中でビールハイボールを一缶づつ。動かないで景色を楽しめる遊覧船はエアコン突きで水上の眺めは涼しくて快適。

永林寺に寄って、日本のミケランジェロと言われた石川雲蝶の作品を見学。

堀之内のやな場でアユの塩焼き定食とあゆ酒で昼ご飯のあと、帰ってきた。

2018-06-23

会津・什の掟の旅


O君から誘いがあり、Fさん、Hさんと4人で会津高松に一泊の旅。相変わらずO君はお得な旅を見つけてくれる。今回は温泉で一泊して、2食付きて夜は食べ放題、飲み放題の旅で、4人集まれば一人5500円。お酒を飲まないFさんが車をだして運転してくださり、「後ろで飲んでてください」という有り難い旅のお誘い。全員退職者で、私とO君は同級生、Fさんは少し上、Hさんは10歳少し上と言う年齢層。

私、Oくん、Hさんの順番でFさんの車で拾い集めて、隣の県、福島会津地方へ向かう。今回は歴史好きのFさんの解説も得て、幕末の悲劇の藩、会津藩の歴史を学ぶこととなる。

まずは会津藩校であった日新館に寄る。元々は城下にあった施設であるが、今はお城から離れた場所に再建されている。会津の武士部隊は年齢により4階級に分けられていたが、ここで学んだ16歳〜17歳の少年達が属するのが白虎隊であった。

この藩校で教えられた什(じゅう)の掟(什とはグループとか班という意味だそうだ)というのがあり、今でも会津では事あるごとに子供達に教えられ伝えられているという。

什の掟
一、 年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
二、 年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、 虚言を言ふ事はなりませぬ
四、 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、 弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、 戸外で物を食べてはなりませぬ
七、 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです

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この掟は旅行中何度か目にするが、掟の7に関しては現代にマッチしないのか俗説や載っていない物もあった。勿論、会津の土産物屋のご婦人方は盛んに話しかけて来るので、無視をするのに大変である。そしてだいたい、掟に背いて引っ掛かって、結果、お土産物を買ってしまう。

此処は一度に1000人以上の生徒が学んだ大き藩校を再現した施設であり、今日は小学生の修学旅行のバスが何台も入ってくる。入り口で小学生の高学年の児童が一人引率の先生に怒られている。「自分で勝手な行動を取って、3人が迷子になりましたとはどいう事だ!、勝手な行動ではぐれたのはお前だろう!」と、引率者の大声が響く。これは掟の3、4からすれば先生が正しい。しかし、目茶苦茶大きな声で罵倒している。「はい、はい」と、掟の1に従い、神妙に聞く児童。Oくん、その先生に「ここで大きな声で叱ったら、他の人が気分の悪い思いをするでしょう」と、苦言を呈した。掟1により素直に謝る引率の先生。
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弓道場にて射的の体験。5本の矢を射て、もし当たれば写真と名前が命中者名簿に残されるらしい。弓を引くのは初めての経験。かなりの「的外れ」に飛ぶ矢がほとんどの中、私の一本は的上10cm位に届いたのがあり、惜しくも当たらなかったが初めてにしては上出来で満足。
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次いで、白虎隊自刃の地、飯盛山へいく。まずは手前に有る白虎隊記念館へいき、白虎隊について学ぶ。もともと会津藩の実戦戦力に満たない予備軍の16〜17歳の若者が属する隊であったが戊辰戦争の一大事に実戦への参加を嘆願して認められたという。実戦に参加した白虎隊は、西軍の勢いは止められず、西軍に追われた白虎隊中2番隊の生き残った20名は猪苗代湖から水道に沿ってここ飯盛山まで逃れる。ここから燃える城下をみて、お城は陥落したと思い、自決する事を決意。
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猪苗代湖から続く長い水道洞穴の出口、かつて白虎隊士が飯盛山へ逃れた道

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城下の見える山腹へすすむ。ここで19名が命をたち、倒れていた飯沼貞吉だけ、介護を受けてその後も生き残った。飯沼は生涯、白虎隊の最後を語り残し、今の世に白虎隊の名を広く知らしめた。
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飯盛山より遠く鶴ヶ城を望む

その時代、そこに生まれた若者が歴史の流れに巻き込まれていく切なさを感じる。

さて、昼食後我々現代の煩悩いっぱいのおじさん達は什の掟その6、『戸外で物を食べてはなりません」の掟に背き、年長者Fさんが「どうぞ。どうぞ」というものだから(掟1)車内後部座席でO君とお酒を交わしながら次の鶴ヶ城へと向かう。

鶴ヶ城白虎隊の中二番隊が飯盛山での自刃から一カ月後、降伏し、落城戊辰戦争後取り壊されて、昭和40年に復元されたものである。最後の九代藩主徳川容保が幕府より京都守護職に命ぜられ断り切れずに就任。これがその後の旧幕府派としての会津藩の悲運を決める事となる。
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閉館の時間に追われるように、天守閣にあがり、周りの景色を見るが、お城はコンクリート造りの復元であり、城下町もほとんど戊辰戦争で焼けて残っていない。商魂たくましい会津っ子は、その後、街の郊外に日新館、武家屋敷など、復元して観光地にした。掟の3も7も生活の糧には破る事も致し方のないこと。

今夜の宿、東山パークホテルへチェックイン。
ホテルに着くとまずは温泉へ。ほとんど無色無香の温泉。そして7時半から食べ放題、飲み放題の夕食へ。食べ物の種類も多く、地酒もあり、なかなかのもの。
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翌朝、5時に温泉にいくと、こんな早い時間は温泉の利用者も少ないだろうと思いきや、早起きの年配の人が多く、夕べより混んでいた。9時ごろにチェックアウトしてすぐ近くの歴代藩主の眠る墓所へ寄る。車を停めて15分ほど山道を登らなければならない様で、高齢のHさんに駐車場で待っていただき、3人で昇り始める。入り口に「21日に熊が目撃されました、危険ですので散策はご遠慮ください」と、注意書きがある。「え、え〜!しかし、大声出して行けば大丈夫でしょう、熊だって人間が怖いはず」と、熊が聞いたら笑われそうな、手を叩いたり、吠えたりしながら石段を昇り始める。

途中にモーターで動く草刈り機をもった作業員がいて安心。墓所に着いたら何人かの観光客もいた。徳川容保のお墓もここにあり、お参りして下山する。下りてからもう一つの駐車場なら山道を行かなくともよかった事を知る。やっぱり熊に笑われている気がする。
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武家屋敷へ。これも場所を移しての復元ものだが当時の家老屋敷の大きさに驚くが、部屋は狭くて暗い。大概の部屋は火鉢と肘掛けそして座布団くらいしかなく、当然テレビはないし、今の人にはとてはリラックスできる空間とは見えない。ここ中で什の掟を守っての生活はとてもストイックに見える。今の時代で良かったと軟弱な現代人は思ってしまうのである。
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Fさんが運転してくれるので、私とOきんはまたもや後部座席で掟破りの缶ビールを飲みながら、次の観光地・野口英世念館に向かう。隣に有る会津民俗館で我々の世代には懐かしい電化前の昔の家、日常品を見て、野口英世記念館に入る。野口英世生家は会津では珍しい復元ではない本物が保存されている。新しい記念館の建物が生家を丸々包む様に造られていて、生家には英世が1歳の時に落ちて火傷をした囲炉裏や、出立の時、柱に刻み残された有名な『志を得ざれば、再び此の地を踏まず』も、現存する。
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野口英世の才能を見出し、お金をだして高等小学校への進学を援助した恩師が居る事は知っていたが、貧しい家に生まれた野口英世が世に出て後世に名を残すには3人の恩師の献身的な援助が有った事を知っる。

生家は現存するが、その道路の向かいにはビール館、ガラス館と観光客の呼び込みに抜かりの無い今の会津藩であった。思惑通りビール館に引っかかる我々。ところでOくんは私が週に3日は飲まない日があると言っても信じてくれない、飲んだ日数と同じくらい飲まない日を作り、大食した後は軽い食事と普段より多めの運動を心掛けるのは私なりの掟である。運動のし過ぎか、最近お腹に筋肉(?)が付き過ぎて、腹回りが若干気になるこの頃である。ははは。
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会津最後の〆は喜多方ラーメンラーメンを食べて帰路に付く。内容充実の2日間であった。
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追:歴史に関してはテレビで『八重の桜』を観た皆さんの方が詳しいでしょうが、間違っておりましたら、ご容赦願います

2018-06-15

中国格安ツアー Day 5

今回のツアー最後の日。今日は朝5時に起きて、朝食を食べる時間もなくロビーに集合して6時にホテルを出て空港に向かう。バスの中で朝食にもらったパンと果物、ゆで卵をたべる。混雑した道路を1時間少し走り空港につくと、慌ただしいチェックインと出国審査。

今回の旅では、ほとんどお土産を買わなかったので、一番かかったのが飲み代。ほとんど毎食瓶に入ったビールを頼んでいたが、連れて行かれたレストランではアルコールは何処もビールが30元〈540円〉紹興酒が瓶で150元〈2700円)であった。日本では普通の値段に感じるが、何処のレストランも同じ値段というのはそのからくりが分かる。幾らかのキックバックが連れて来たガイドさんに入っているはずである。街ではコンビニビールが一缶4元から6元くらい。紹興酒が瓶で35元くらいであるから、通常レストランでは瓶のビールが10元、紹興酒が70元くらいで売られていると思われる。

実際、観光地・烏鎮で小路沿いのレストランのテラスで欧米人が同じ瓶のビールを飲んでいたので、「このレストランではビールに幾ら払っている?」と、聞いたら「10元」という返事だったので、差額の20元はガイドの趙さんにキックバックされているのだろう。しかし、このツアー料金を見ればキックバックはガイドさんには大切な収入源であるのが理解出来るので、なるべく協力して毎食ビールを頼む様にしていた。さらに外で買った紹興酒が2本とOくんが日本から持っていった2リットルの日本酒もペットボトルに移し替え、いろんな場所で清涼飲料水を飲む様に見せかけて飲んでいたので4日間で空いていた。

日本に住んでた事のあるガイドの趙さんが世界で一番尊敬する女性は美智子妃殿下だという。セールストークも上手く、お土産やさんにいったらお土産を買わせようとするが、我々二人はほとんどお土産を買っていない。

それでも旅の終わりにガイドの趙さんへの感謝を込めて、欲しくはないがツアーの写真をチップ代わりに買ってあげた。
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初めて観る中国本土はパワフルであった。そして、超近代的な顔と、すぐ横には貧しい人の住む生活圏も同居している不思議な国であった。テレビでは合成された場面で習近平の話を神妙な顔で聞いて頷くロシアプーチン大統領インドのモディ首相モンゴルのバトトルガ大統領の顔が繰り返し映されていた。そんなテレビ画面と、急激に発達した街並みをみたら、庶民中国は世界一の国だと洗脳される事であろう。実際、この国はまだまだ凄い勢いで変わっている。その目覚めた虎をこれからどうコントロールして行くのであろう。

中国政府が国民をコントロール出来ても、中国政府を世界の常識の範疇に飼いならせる猛獣使いが今は居ない。アメリカのトランプ政権は後2年半後の大統領制浄化されるから心配していない。それより習近平憲法を変えて終身制度にして第二の毛沢東になろうとしている。今の中国人毛沢東がどんな悪政と日本統治時代以上の犠牲を人民に強いたかを知らない。

いままで世界はアメリカのスーパーパワーに守られて発展して来たのは事実である。少なくとも私が42年暮らしてみたアメリカはフェアな国でした。アメリカ自由は規律を守っての自由であり、規律を守らなければ罰せられる。これから先、中国アメリカ以上の軍事力を持って、その武力を使って好き勝手に世界を動かせるなら他国の国民は安心して暮らせない世の中になる。巨大大国となっても、道徳心のある国と国民になってくれる事を願う。

お土産もほとんど買わなかったので、旅のトータルで使ったお金が飲み代を入れてもニキュッパ円くらいで済んでしまった。最終日、空港に着いて、家内に頼まれた化粧品を買う為に免税店へ急ぐ。搭乗まであまり時間がない。ランコム化粧品を手にしてレジに並ぶが混んでいてなかなか進まない。搭乗時間の5分前、いつの間にか私の横に若い中国人の女性が並んだとおもったら、しかとして私の前にでる。「私の方が先に並んでいた」と、文句を言ったら逆に怒られてしまった。

これが有名な『中国割り込み人間』、これが今の中国中国人移民の多いアメリカでも経験しているので呆れながらも、先に行かせる。日本にも住んだ事のあるガイドの趙さんが「中国はこの20年間ですざましい経済的発展を遂げたが、人民道徳心、マナーは世界の先進国より20年は遅れている」と、言っていた。中国で最後の時間に少し嫌な思いをしたが、それでも、私にとって初めての団体旅行は、楽しい旅であった。

会計が終わって搭乗ゲートへダッシュ

2018-06-14

中国格安ツアー Day 4

4日目は上海市内観光である。
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朝みたホテルの外見

まずは、シルク博物館へ。ここでもいろんな物をお土産として買うように誘われるが、我々二人は買わず。

次に行ったのは魯迅公園。名前と文人である事は知っていたが具体的にどんな人かはあまり知らない。この日本にも住んだことの有った文学者をこの機会に少しだけ勉強させてもらった。
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公園は庶民の憩いの場でもある。

文人達が多くが住んでいたという街並みが残る、文化名人街へ
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昼食後、門前街豫園商城へ
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そして、上海の中心街、黄浦江を挟んで昔の租界時代の西洋建築が並ぶ外難(バンド)と、その対岸に広がる現代高層ビル街の浦東(プードン)を河岸から観る。
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此処の夜景を観るのが、今夜楽しみにしていたオプション・ツアーであったが、ここでガイドの趙さんから残念なお知らせがあった。「今夜のオプション・ツアーは規定人数に達せず、キャンセルとなります」、ほとんどの参加者が既に何度か上海を訪れていて、ここの夜景を観るツアーを経験済みだそうで、参加したい人が6人しかいなくて、キャンセルさせて欲しいという。格安ツアーは採算に合わないオプションは切らざるを得ないという事か。

個性的なお店が並ぶ田子坊で自由行動の間、街に馴染んでオープンテーブルでビール
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オプションがキャンセルになったのでラオックスの寝具売り場に案内された後、夕食をとってホテルへ直行。このホテルの周辺は何もない処だが、それでも最後の夜は、歩いてコンビニを見つけて、日本へ持ち帰る為の紹興酒を買った。
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ここで中国のトイレット事情を。これまで行ったとこは観光地でもあり、うわさに聞いた紙のないトイレ、ドアの無いトイレは無かった。ウオシュレットこそなかったが何処も綺麗な水洗トイレであった。ただ、水洗のトイレでも大の方は腰かけでなく屈みこんで使用するタイプは結構多かった。数年前までとは違い、どんどん近代化されているようだ。
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参考までに英語は観光地でもほとんど通じない。ここ上海のホテルのフロントにWiFiの接続の件で話したホテルマンが一人まともな英語を話せたが、中国ではほとんど英語は通じないと思った方がいい。

中国格安ツアー Day3

3日目の朝、ホテルのビュッフェ朝食を食べて水郷古鎮烏鎮へ向かう。
運河の周りに整備された昔栄えた街並みがある。ここは土産物屋さん、レストラン、になって居る処もあるが、意外と街中の古い建物に今も住み続ける人がいて、世界遺産の中でも生活感溢れる洗濯物が干されていたりする。赤い色は中国では幸せの色というが、女物の紅い下着まで堂々と道路横に干されているのは、、超さんは「観ない事にしてください」と、いうが、、、『中国恐るべき!』である。

この辺からは自由行動の際はHさんが迷子にならない様に一緒に行動する。

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ガイドの趙さん

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染物工房、三白酒工場を見学して昼食ののち、約4時間の移動で上海に戻る。夕飯は2010年に開催された上海万博の会場向かいで変面ショーを見ながらの四川料理。このレストランでの食事が今回のなかで一番美味しかった。
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ここで、今夜のオプションツアーである上海雑技のショーを観る我々はホテルに向かう本隊と別れてショーを観にいく。内容はアメリカでよく見たシルク・ドゥ・ソレイユに被る物が多かったが、球体の中を5台のオートバイが走るのは思ったより球体が小さくて見ごたえがあった。
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今夜から2泊するのはハワード・ジョンソンホテル、なかなかの見てくれのデラックス・ホテル。
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2018-06-13

中国格安ツアー Day 1&2

高校の同級生であったO君からお誘いがあり、格安の上海無錫4泊5日の旅に参加した。彼とは高校ではほとんど交遊は無かったが、同じ新潟市内に住み、去年の9月に再会して以来、妙に馬が合い、一か月に2度は一緒に飲む仲になった。彼の誘いが無かったら、上海に行くチャンスも無かったかと思う。彼は中国は6回目で、上海は3度目、私は今回が初めてである。

二人とも今は仕事を退職して完全な自由人であるが、入国書類などに職業無職と書く事にまだ抵抗の有る時期である。お堅い金融関係の仕事でそうそうの地位まで登り退職したO君は、失礼ながらとても信用第一の業界に居た人には見えない。よくぞ退職まで勤め上げたもんだと思うのだが、そこが彼の良い処で、お堅くなく、社交的で話好きである。

9日午後2時に新潟空港から総勢38名が上海に向かう。約3時間のフライトで、上海に到着。私は中国本土は初めて、最近20年間の中国の発展を見れるのが興味深く楽しみである。上海の2か所ある国際空港の一つに着くと、空港は滅茶苦茶でかいうえ、さらに拡張工事中。ガイドの趙さんに迎えられ、観光バスで3時間の無錫のホテルへ向かう。

中国第2位の大都市上海の人口は2700万人、途中の蘇州が1100万人、無錫が650万人と、日本とはけた外れの多くの人が住み途中途絶える事無く街並みが続く。数多くの30階くらいの高層マンション群と建設中のビルが目立つ。
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無錫は元々は多くの運河の走る豊かな水郷地帯であり、15年前まで農村地区であったそうだ。習近平の出身地でもあり、多くの開発が進み、新幹線上海まで30分。地下鉄も拡張していて、道路は広く、そこを走る車は80%が中型以上の外車。ほとんどの車がサンルーフ付きのヨーロッパ、日本の高級外車で韓国アメリカ車も走るが中国車はここではトラック以外では少ない。車を買える一部の富裕層が都市部には多いということだが、その何倍もの貧困層がいるのも同じ中国である。

その原因の一端をガイドの趙さんから聞くことができた。中国では土地は国家のもので、人民は土地の使用権だけが許される。其の為、国家開発プロジェクトに入った地域の住民は古くから住む土地を返さなければならない。しかし、その立ち退き保障として、そこに建てられる高層住宅のマンションの2〜3軒分が与えられる。その新しいマンションの値段は上海では東京並、無錫でも高額な物件となり、その賠償金を得た住民はその日から金持ちになる、というサクセス・ストーリが毎日起きているのだそうだ。

一方、農村部では一人っ子政策下でも長男が欲しいがため、複数の子供を産む事があり、違反がばれると年収の4年分もの違反金を取られるのでその子達は戸籍に乘らない子供となり、籍の無い子達は学校へもいけず、貧しい生活が続くという矛盾が今の中国の現実であるという。

途中で夕飯を食べる。大きな9〜10人ずつの丸テーブルで夕食。食事は中華で10種類ほどの料理が大皿で並ぶスタイル。無錫に2泊するホテルはツアーの値段からするととても立派なホテル。この日は何の予定もないので、私ら二人はホテルに荷物を降ろしてすぐに周辺の散策に向かう。近くのお店で缶ビールを4缶買うと全部で12元だと言うが、何故か2缶づつで払ったら4元+4元で8元だと言う。ビール1缶40円である。明らかな計算間違いだと思うが中国では80円でも得した気分。その後もこの値段でのビールにはこのツアーでは巡りあわあなかった。
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ビール缶を片手に散策。歩いて数ブロックで庶民生活する古い商店街があり、露天や此処の名物の生きたザリガニが店先に出された小さな食堂が並ぶ。夜10時近いのに子供達が遊び、治安は良いように見える。
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2日目の朝はホテルでビュッフェ・スタイルの朝食の後、バスで太湖散策へ。そして古鎮、真珠工場見学と続く。
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古鎮で一人で参加しているHさんが行方不明になる。ガイドの趙さんが参加者の人数確認を頻繁に行うが、一人足りない。私はすぐにちょっと気になっていたHさんが居ない事に気づいた。私が探しに行って、迷っていたHさんをすぐに連れ帰る。

今回のツアーは総勢38名で、夫婦、女性の二人組、男性の二人組、日本で暮らす中国人、そして子連れの母親が2組で小学生以下の子供が5名参加している。私はガイドの旗について行くこの種のグループ旅行に参加するのは初めてであったが、途中からはある種の連帯感が生れ、いろんな人が居て団体旅行も面白い。そして個人ではとてもこの値段では出来ない旅である。Hさんは新潟空港で話しかけてちょっと耳が遠いので気にかけていた人であった。

その後も、Hさんは何度か集合場所が分からなくなったり、時間を間違えたりしたので、段々と私とO君でしんがりを務め、自由時間にはHさんを誘ってあげる様になってくる。

昼食をたべて刺繍工場、そして蘇州へ。
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蘇州では遠くに中国ピザの斜塔と言われる虎丘斜塔を望む、ここの塔の下には呉の時代の皇帝が葬られていると聞く。


グウ園は私邸であり、ここは世界遺産運河の街でもあるが丁度工事中で水の少ない運河もあった。

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2000キロ続く手で掘られたという京杭大運河

南禅寺に戻って観光。40分ほどの自由観光の時間を貰い寺院内と周辺のお店を散策。帰りにHさんが遅れて集合場所に現れない。私が探しに行って迷子になっていたHさんを見つける。
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夕食を食べてホテルに帰る。今日は船に乗り運河をいくナイト・ツアーがあるが、夜景は4日目の上海でのワウタンのビル群の夜景をみるツアーに参加したいので今回はパス。ホテルから今日は昨晩と反対方向を散策。小さな間口の食堂、野菜果物屋さん、コンビニ、床屋、などが遅い時間まで開いている。麺屋さんに寄って牛肉刀削麺を食べてビールを買って帰る。
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