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2013-08-20

数奇なる奴隷の半生 フレデリック・ダグラス自伝

お薦めする本
数奇なる奴隷の半生 フレデリック・ダグラス自伝
フレデリック ダグラス(著)、岡田 誠一(訳) 原著1845 法政大学出版局

内容、出版社ウェブサイトより

奴隷の子として生まれ,何度も転売されながら,独学で文学を覚え,幼児から逃亡までの過酷な半生を綴った自伝。奴隷制の本質を暴く赤裸々な証言。

感想

○愛読しているブログで紹介されていた本。
「読書猿Classic: between / beyond readers」
:問い:何故学ぶのか? → 答え:自由になるため
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-377.html

○主人に内緒で文字を覚えた奴隷による、アメリカの奴隷制がいかに残酷であったのかを暴く告発の書。
著者はアメリカ北部で奴隷解放運動や女性との平等を目指す運動に貢献した人物という。その後、大使館付き書記官、連邦執行官、ハイチ駐在アメリカ公使を歴任しており、奴隷制の色濃く残る時代でありながら、多くの人々にその思想や仕事ぶりを認められた人物なのだろう。

○奴隷たちは人間としてみられず、ものや家畜のごとき扱いを受けている。
一番印象に残ったことがある。奴隷制度というのは奴隷はもちろん、奴隷の主人として彼らを使役する白人の側も、その精神を蝕んでしまうということだ。両方とも人間としての尊厳を失ってしまうということだ。

本書には、奴隷たちがろくな理由もなくムチで打たれ、身体を損なっていることが明らかにされている。また著者は、自身の年齢も誕生日も知らされず、それどころか母親と生まれてすぐ引き離されてしまったという。そうすることで、母親に対する愛情を持ち得なくしていると述べている。徹頭徹尾、人間として扱われていないのだな、と感じた。
長時間働かされ、ご主人様の気分次第で暴力をふるわれたり理不尽な思いをする彼らは、人間としての精神を摩耗してしまっているように感じた。
「私は肉体、感情、精神の面でおとなしくなってしまったのである。生まれつき持っていた順応性は打ちひしがれ、知性は衰え、本を読みたいという気持ちもなくなり、目に残っていた明るい輝きも消えてしまったのだ。奴隷制の暗い夜が私に押し寄せてきたのだ。そう、獣に変えられてしまった人間を見るがいい!」p94

奴隷制によって精神を摩耗させているのは奴隷である黒人だけではない。その奴隷たちを使役している白人側も精神を摩耗させている様子がうかがえた。いやむしろその様は、ある種のケモノに成り下がっているようにすら見えた。
白人の主人たちは、黒人を人として扱っていない。もちろんそれゆえの「奴隷制」なのだが、そんな白人たちは気分で暴力をふるうケダモノに見えたのだ。
本書には、初めて奴隷として著者を使役した者で当初は優しい心根をもった者が、著者を使役しているうちに、その性格を俗悪に変えていった様子も描かれていた。やはり奴隷制は、主人の側の精神をも蝕むのだ。
「奴隷制は、私にとってと同じように、彼女にとっても不当なものだと判明した。私がそこへ行ったときには、彼女は敬虔で温かく、優しい心を持った女性だった。悲しみや苦しみには、彼女は必ず涙を流した。彼女は飢えたものにはパンを、裸の者には衣服を、そして自分の力のおよぶ範囲の、悲しむものすべてに慰みを与えていたのだ。まもなく、奴隷制が彼女からこれらのすばらしい性質を奪うことができる、ということが判明した。その影響で、優しい心は石のようになり、子羊のような性質は虎のような荒々しさにとってかわられた。」p64

○学ぶということ、そのなんという切実さ!切実さ!切実さよ!
著者は主である婦人に文字を教えてもらったが、それを見た婦人の夫に、文字を教えられることを禁じられたそうだ。そのとき、「黒人を奴隷にする白人の力」、そして「奴隷制から自由にいたる小道」p59がわかったという。白人と黒人は知識によって大きく隔てられていた。白人はその知識・知恵で黒人を圧倒し、それゆえに黒人を支配し得たのだ。
著者にとって学ぶということは、奴隷として人にモノや動物のようにこき使われる存在から、人間として自由にな存在となる力であり前提といってもよかったのだろう。学ぶということ、そのなんという切実さ!切実さ!切実さよ!

その後、著者は白人の子供から文字を教えてもらい、使いの途中で本を読むなどし、独学で学び続けていったという。

そしてその学をもとに奴隷制の残酷さを訴え、解放運動を行う。学ぶということが「奴隷制から自由にいたる小道」であった、それをまさに証明する人生を送ったのだ。
学ぶということ、そのなんという切実さ!切実さ!切実さよ!

○著者はキリスト教の欺瞞も指摘する。著者によると、信仰心のある者ほど奴隷を冷酷に扱う傾向があったらしい。宗教が本来の説くところとは異なり、逆に信仰者の行いを無差別に保証してしまう「正義」の御旗として人間の精神に掲げられたのだろう。たがために迷いは打ち切られ、残酷な行動を思いっきりできる結果となってしまったのではないだろうか。

○本書には、自分自身の主人であることに対する喜びが語られている。私たちは奴隷制という暗い過去を知り、現在のような社会を作り上げた人々や、それを維持している人々、そしてシステム自体に感謝すべきだ、と感じた。
それこそが、人として自由に生きること、自由を楽しむことにつながり、またこの暗い過去へと戻らないために必要なことだと思うのだ。

他者の感想

「約200年前に生まれた人物の著作の中には、自由の素晴らしさとともに、その獲得が簡単ではないことが非常な迫力をもって書かれている。」
http://www.amazon.co.jp/review/R3JTAS7L17E7KR/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=4588021494&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books

「こんなにひどい状況に比べれば、現代の日本は、本当に恵まれた環境であるが、人々を無知や暗愚にとどめることが支配の秘訣だということは、また違った形で、現代社会にもともすれば巧妙に行われていることなのかもしれない。
「私は、満足した奴隷を作るためには、愚かな奴隷を作ることが必要だ、ということがわかった。奴隷の道徳的、知的洞察力を曇らせ、できる限り理性の力を消滅させることが必要なのだ。奴隷制に矛盾点を見つけることが可能であってはならないのだ。」(同書133頁) 
この洞察は、現代日本社会にとっても、ともすれば耳に痛いことではなかろうか。
「自由への小道」は学問であるというダグラスの認識は、現代においても本当に大事な知恵なのだと思う。」
http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20130218/1361167810

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