書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

オノレ・ド・バルザック『百歳の人』

 楽しい読み物だ、が、バルザックの本領はまだ発揮されていないか。「人間喜劇」シリーズの作品群はこんなもんじゃなかった。正直なところ、これを買うよりは藤原書店の人間喜劇セレクションをどれか一冊買ったほうが良かったかも、と思わないでもない。いや、世間の平均的な小説に比べれば断然面白いですよ? でも、全盛期のバルザックはこの三倍は凄い。

百歳の人―魔術師 (バルザック幻想・怪奇小説選集)

百歳の人―魔術師 (バルザック幻想・怪奇小説選集)

「伯爵」と彼は、恐怖でうわずった声でいった。「私には勇気もありますし、先着の客人が私と同様に肉と骨でできた人間でありさえすれば、そいつに立ち向かうのは怖くはありません! ……伯爵は気持ちよく私をもてなしてくださいましたし、それには大変感謝しております……おわかりいただけますね……と申しますのも、どうしたってこの城にはおられません、いまあそこで私が会ったのは私の医者、道案内人、つまり伯爵のご先祖! ……」(114ページ)

 ナポレオン配下の若き将軍ベランゲルトは、スペインからの帰途、裕福な工場主の娘ファニーと出会うが、彼女はその晩に失踪してしまう。ベランゲルトと容貌の酷似した老人が彼女をさらったのだ。謎めいたこの老人「百歳の人」は、ベランゲルトの出生から今に至るまでの生涯に深く関わっていた。老人は16世紀に102歳で没したはずの、ベランゲルト家の分家の先祖ベランゲルト=スキュルダンではないかと憶測されるのだが――。

 「百歳の人」の造型といい、奇怪でやや扇情的猟奇的な筋立てといい、まさしくゴシックホラーの空気に満ちた作品。影の主人公といえる「百歳の人」の存在感は抜群で、多層的な性格もよく描き出されている。が、若い頃の作品であるためか、もしくはゴシックホラーとしての枠にはまろうとしたためか、「人間喜劇」シリーズの作品のように、登場人物すべてに濃密なキャラクター性が与えられ、縦横無尽に動き回る――というレベルには達していない。「百歳の人」のほか、産婆ラグラドナや従者ラグロワールあたりは面白く描けているが、例えばヒロインのマリアニーヌなどはよくある純真なヒロイン像を出ておらず、そのためベランゲルトとマリアニーヌの恋愛を描く段などはかなり退屈である。ほかの個所でも、緊張した場面と弛緩した場面との落差が激しい。
 また、一度「完」とつけた後に、10ページほどの補遺がつく構成になっているのだが、最初の「完」はけっこう衝撃的な終わり方をしているので、補遺の部分が蛇足に感じられた。まあ、ここらあたりは19世紀小説の限界だろうか(でもC.ブロンテの『ヴィレット』なんかはその壁を乗り越えてるんだよなあ)。
 かなりリーダビリティの高い作品ではあるが、「人間喜劇」シリーズの圧倒的な面白さと比べると、さすがに数歩落ちる。