書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

イアン・ワトスン『黒き流れ』三部作(『川の書』『星の書』『存在の書』)

 ようやく三冊完読。先月下旬から読み始めたことを考えると、随分長くかかったもんだ。

川の書 (創元SF文庫―黒き流れ)

川の書 (創元SF文庫―黒き流れ)

星の書 (創元SF文庫―黒き流れ)

星の書 (創元SF文庫―黒き流れ)

「で、このサタンとアダムの話が、いったい何になるっていうの?」
「その答えはこうだ」ヨセフが言った。「これまでよりもかなり知識が増えた」(『川の書』72ページ)

 語り手の少女ヤリーンが暮らす世界は、北は海、南は大絶壁、東は砂漠、西は川に囲まれている。海や砂漠を渡ることはできず、絶壁に登ることもできない。そして川の中央には、謎の存在「黒き流れ」があり、そこを通過しようとした者は発狂して死んでしまうため、川の西岸に渡ることもできない。ヤリーンは川の南北を航行する船員になり、ヤリーンの双子の弟カプシは川の西側の世界の観測者になる。ある日、カプシが西側に渡る計画を立てたことから、物語が動き始める……。

 というのが『川の書』前半のあらすじ。このあたりはまっとうな異世界ファンタジーの色合いだが、『川の書』後半以降から風向きが変わってくる。舞台は宇宙にまで広がるし、世界のなりたちについての壮大な設定も披露される。ヤリーンによる一人称語りは、終始あまりペースが変わらないのだが、ワトスン一流の奇想はそんな中でも次々出現する。英文学らしいゆったりした語りと、ワイドスクリーンバロックめいた大量の奇想、そのギャップも面白い。とりわけ『星の書』での急展開には驚かずにはいられない。<黒き流れ>のよだれの描写や、<支配者>ゴッドマインドが月面上に薔薇園を作っているなど、妙にバカSFっぽいところも健在。
 結末は――なんだか釈然としない。「破滅→再生」という流れだと理解していいのだろうか。
 つかみきれないところも、ちょっと饒舌すぎるところもなくはないが、読み終わってみればさすがワトスン、と唸らされる凄い本。『マナの書』二部作も早く翻訳されてほしい。