未来形の読書術

未来形の読書術 (ちくまプリマー新書)

未来形の読書術 (ちくまプリマー新書)

(2007-12-04読了)

本が自分を映す鏡とすれば,「こうなりたい」と思っている本を読むことが未来形の読書といえる.本によって自分を肯定,確認するのは「過去形の読書」.


本は我々を知らないところに連れて行ってくれるのだろうか,と考える.そこで

  1. 本によって知らない世界に連れていってくれるのか
  2. 言葉によって言葉の届かない世界に連れて行ってくれるのか

というふたつの問いが生まれてくる(本書pp.27-28)


著者の主張は,本は2.に挙げた言語外の世界に連れて行ってくれるというもの.世界は言語である,という哲学を正しいとしながら,その言語世界を認識している「主体」である自分は言語の外に存在している.読書は,未来の自分に変わるためのものだから,すなわち本は,言葉によって言語外の世界に影響する,と言い換えることができるというもの.なんだか哲学的になってきて混乱してきた.


「世界は言語である」という「言語論的展開」でウィトゲンシュタインの名前が出てきている.普段,ウィトゲンシュタインの名前や哲学を出すくせに,論考も読んでいないへたれです.入門書から読んでみよう.

ソシュールは言語活動とはちょうど星座を見るように、もともとは切れ目の入っていない世界に人為的に切れ目を入れて、まとまりをつけることだというふうに考えました。

「それだけを取ってみると、思考内容というのは、星雲のようなものだ。そこには何一つ輪郭のたしかなものはない。あらかじめ定立された観念はない。言語の出現以前には、判然としたものは何一つないのだ。」(『一般言語学講義』)
(p.37 内田樹「寝ながら学べる構造主義」から引用の文)


また,小説については「小説は隠すもの」と書いている.誰が読んでも同じ解釈が一様にできるものはもはや小説ではない.
本書の後半では,客観的解釈といわれるものも複数存在し,人によって違うのだよ,ということが書かれている(はずである).ちょっとこんがらがってしまって完全には飲み込めていないかもしれない.

以下の抜粋は,研究者のはしくれとしては肝に銘じなければいけないと思った.

黒崎宏が面白いことを言っている。自身で家が倒壊した。ところが、その原因は一つには決められないと言うのだ。家が倒壊した原因は「地震のため」と答えることもできるし、「家の造りが弱かったから」と答えることもできるし、あるいは「地球に重力があったから」と答えることさえできるはずなのだ。すなわち「「原因」として何を挙げるかは、客観的に決まっている訳ではない、という事を物語っている。「原因」として何を挙げるかは、基本的には、それに係わる人間の問題意識に依存するのである」(『ウィトゲンシュタインから道元へ』哲学書房、2003.3)。


本書最後に紹介されている読書案内に積読のままだったウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書)が紹介されていたので,こりゃ読まな,と思った.
紹介されている本はどれも面白そうなので,ちょっと読んでみよう.