2005-07-05 
http://blog.tatsuru.com/archives/001084.php
内田さん。いや苦笑してないですって(笑)。インセンティヴ論(制作を奨励するために作品の独占を認める)であれパーソナリティ論(人格との結びつきゆえに作品への独占を認める)であれ、著作権制度の存在の根拠は確かに無時間モデルで構想されているように思います。「今の人格(主体)も未来の人格(主体)も同じ人ですよー」という想定が前提になっているというか。内田さんの話とは直接関係ないけどその意味では、出版特許から初期の著作権制度(16世紀から18世紀あたり)の時代に認められていた独占期間が、せいぜい20年にも満たない「現実的に終わりが想像しうる時間的幅」に設定されていたこと、また近代芸術思想の勃興につれて、延々その保護期間が引き延ばされていったことは、「時間を超えて同一の近代的主体」が著作権制度に埋め込まれていった結果、と解釈できるのかもしれない。それを「流用」してるのが20世紀に成立した文化産業のビジネスモデルで、ミッキーマウスがいまでもコピーライトの檻の中にいるのは、もう「人間の創造性」とはあまり関係ないオカネの話でしかない、ということになろうかと思うわけです。だから「マクロな著作権」(文化産業の経済構造)のことと、「ミクロな著作権」(人の創作行為の法的な扱い)のことは、一つの法律で扱われる別の出来事になってしまってる、というのが現状ではありますまいか。
人格の(未来への)連続性と過去の作品への所有の根拠の関係。僕は全く無知なんですが、なんか英米の倫理学とか政治哲学方面(なんつー大ざっぱな括り)にそんな議論がありそうな予感がするので読んだらよさそうな本とか論文あったら皆様ご教示くださいませ。無知ですみません。今年の夏こそはもりもり勉強して、もすこしアタマよくするぞー。

そうなんですよ、「カネの話にして、創造に経済合理性をからませると、人間はやる気をなくす」というのが人類学的=経営学的基本のはずなんですけど、どういうわけか著作権保護の議論を見ていると、「カネがキャロットになると人間は俄然やる気を出す」ということがあたかも自明の真理であるかのように語られているのが私はどうも納得できないのです。
「タイムラグなしに対価を受け取ると人間は創造を止める」というのは高橋伸夫さんの『虚妄の成果主義』の重要な論点でした。
人間的労働の本質はオーバーアチーブであり、それが「時間と他者」という人間的概念をもたらしきたすという議論は英米の倫理学を探さなくてもお手元の「東京ファイティングキッズ2」(おっとこんなところに)で展開されております。
ではねー。