なすべきことをなす強さ 〜『白銀の王 黄金の王』(角川文庫/沢村凛)〜

黄金の王 白銀の王 (角川文庫)

黄金の王 白銀の王 (角川文庫)


二人の王 「穭(ひづち)」と「薫衣(くのえ)」は王の座を巡り争いあってきった王家の血筋であり、憎み合って生まれ育たれてきた。
互いの両親が「鳳穐(穭の家系)を殺せ、一人残らず殺せ、根絶やしにしろ」と「旺廈(薫衣の家系)を殺せ、根絶やしにしろ」と遺言を残すように。
幾重もの間、闘いを重ね、互いに殺し、復讐し合ってきたお互いを憎しみ合う「運命」の2人が国「翠(すい)」のために協力しあう道を選択し、
その困難の軌跡の物語。


各所でも絶賛されているように傑作でした。


この物語はファンタジーで、舞台は架空の国ですが、魔法があるわけでも魔物が出てくるわけでもありません。
幾つかの闘い、戦闘シーンはありますが、それもメインではありません。
終始描かれるのは「王としての苦悩」です。


先祖代々互いを呪い続け、周りの人々も憎みあうことを当然と思い、そして個人の想いとしても「殺したい」と思っている二人。
その二人が「なすべきことをなす」=「翠」のために協力しあうこと、それは周囲=社会とも個人の感情とも戦っていくことです。
そして「協力」という選択は最も憎い相手しか知らない真実であり、誰からも評価されません。
理解されない「孤独」の中でその信念貫き通す「王」としての姿が描かれます。


「なすべきことをなす」
本著の中で迪学(じゃくがく)の教えとして出るこの言葉は
まず「なすべきこと」が何なのかを考える必要があります。
「自分が本当に望んでいることはなんなのか」
同じファンタジー小野不由美の「華胥の夢」にもありましたが
掴むは本当に難しいことで、自分自身にも分からないことが多いと思います。
そしてそれを「なさなければならない」。
「志高く」なんていわれていますが、志なんてどれを掲げていいか分からないし掲げたら掲げたで失敗したら目も当てられません。
ただ本当に望むものは「なすべきことをなす」ことをしなければ手に入れることは出来ません。



この物語の終末では2人が周囲とも「殺したい」という感情とも戦って得た「なすべきことをなす」結果の先に
自分達の本当の感情の「答え」に達する描写があります。
この描写故に、この物語は「私情を律し、国のために尽くす素晴らしさ」という安直な結末に至っていません。
その結果についてはぜひとも本著を読んで確かめてください。


これは「憎みあう運命を背負って生まれた王」の物語です。
民族、宗教問題がある地域においてはこうした運命を持って生きている人は多く
そうした人たちにこの本はぜひとも読まれて欲しいと思います。
ただ私たちの大半は「王」ではないですし、憎み合うような運命を背負っていることは稀です。


けれども自分一人だけで生きていることも極めて稀です。
誰か共に生きていく時に私情だけでなく「なすべきことはなんなのか」を考え、そして出た結果を実行していく。
その過程では誰しもこの物語の「王」と同じ存在であり、だからこそこの物語は普遍的で素晴らしいと私は思います。


物語の世界に自分が入りきってしまって、「これは読まずにはいられん、止まらん」となって
久しぶりに夜眠らずに一気読みしてしまう、そんな物語の力を感じられる傑作の一冊です。