B型事業所に苦情、監査報告をしました。

お久しぶりです。

最近は色々していて、落ち着かない日々を過ごしています。

本題に入りますが、今通所しているB型事業所に苦情、監査の申し立てをしました。

これは、2月の半ばにさかのぼります。

今通所しているB型事業所の体質を第3者に聞いてみたくしました。

苦情要素はいっぱいありますが、2点に絞って。

第1は、「個別支援計画書」が作られていないこと。

自分は7年ほど通っていますが、管理者と「個別支援計画書」を作った記憶がありません。

B型事業所は一番大切な仕事の一つに、最低年2回は管理者と面談をして「個別支援計画書」を作ります。

そのモニタリングを通して、これからどのような支援をしていくかを話し合います。

それがされていません。

昨年9月に市の監査が入る際に、管理者が過去をさかのぼって10数枚の「個別支援計画書」を作り、日付けを入れずに押印をしました。

その後も、1年分なんのモニタリングもせずに2回分の「個別支援計画書」に押印しました。

事業所は「個別支援計画書」を作成しているということで、市から給付金をもらっているので10年間不正受給をしていることとなります。

2つ目は前管理者のパワハラです。

怒鳴りつけ、何時間も説教をする、ステップアップを許さないなど。

もう昨年度で別のところに行きましたが、今でも事業所とつながっており、スタッフや利用者を道具のように使っています。

細かいことはいっぱいあります。

言い返せない利用者を毎日のように呼び出して、説教をし、怒鳴りつけたときには利用者は辞めたり、もう5年くらい引きこもっている人もいます。

ほかの職員も何も言えずに、見過ごして隠ぺいしています。

苦情申し立てをする「福祉サービス運営適正化委員会」のほうでは苦情しかできないので、市の認可事業であるB型事業所を監査をする市にも報告じました。

とりあえず、来週までには苦情書が事業所に行きます。

監査は「委員会を開くのでいつ動けるかわからないので苦情のほうを続けてください」とのことでした。

これらの事をするのはなかなかエネルギーがいますが、みんな泣き寝入りをして辞めていっているので、動きました。

進展があればまた報告します

ハローワークに行ったら、生きるのを諦めたくなった

もう12時を過ぎて、2月15日になりました。

B型事業所を4月末までの契約で更新しないでいようと思い、これからどうするか考えて受診している心療内科に電話をして、「医師の意見書」 を書いてもらい、ハローワークの緑の窓口(障がい者雇用)で登録してきました。

買い物して帰ってきて、パソコンで求人を見るとA型事業所では何とかいけるかも?と思ったけど、考えていたのは障がい者雇用で一般の職場。

しかし、一般のとこは資格や元々仕事をしていて経験のある人、若い人の求人がほとんど。

ネットで調べると、身体の障がいは比較的給料が高く、知的、精神は低いらしい。

ほとんどが時給960円の派遣やパート。

それはそうだよな、と。

自分が雇う側だったら最低賃金でいつ辞めるかわからないから、正規雇用では雇わない。

障がい者雇用をしなくてはならなくなったが、障がい別の区分はないから身体の障がいで意思疎通や精神のような分かりづらい人は雇わない。

いくらB型で頑張っても何にも役に立たないのはわかっていたが現実に改めて感じた。

そもそも鬱になって、実家で引きこもっていたときに人生は諦めていた。

それが47まで生きてしまっていた。

病気とか寿命とかで死ぬイメージなんかなく、自分で命を縮めての方がしっくりくる。

これから食事できるだけしないで、命を削っていこう。

病院と保護猫のボランティアは体力の続くまでなんとか頑張ろう。

そもそも、社会にいらないと言われてきたんだし、今もそうなんだから生きようとする事はないんだ、と思うと少し気が楽になる。

ハローワークに行ってきました、でも、、、

4月30日で今通っているB型事業所の更新が終わります。

更新するのか、またしないのかは相談支援の人と話しながら決めますが、今までは何の相談もないまま自動的に更新していました。

今の事業所にきて7年半。

更新しない方向で考えています。

なので、今日通院している心療内科に行って障がい者雇用の際に必要な「医師の意見書」をもってハローワークに行ってきました。

登録は順調にすみ、先ほどこのパソコンから求人を見てました。

障がい者雇用で登録したのですが、いろいろ見ていると身体の障がいのかたはバリアフリーなどがあれば普通に働ける人が多いので給料も高く、また精神の障がいは札幌の最低賃金の960円がほとんどです。

職歴やスキルがない人、さらに精神に障がいがある求人は出すほうは最低賃金で出すのは当然なことで、でもそれで新しい環境、覚えることもたくさん、年齢も47歳と考えると、働く意欲がわかないのが現状です。

50歳近い何の経歴もスキルもない障がい者は僕が経営者でも雇いたくないです。

一応、高校生の時は受験も頑張って東京の4年生大学を出て、就職氷河期でも東京の警察(警視庁)に試験は受かりました。

ただ、母が離婚したてで警察の人が電話をかけてもつながらなく、家族の調査ができないという理由で落ちました。

そのことは警察からはっきり言われたので間違いはないと思います。

その後、北海道に北海道に戻ってきて、営業の仕事をまじめすぎるくらいにやってうつ病になりました。

短期のバイトや仕事をしたけど、続かず、体が震え、涙が出て辞めるの繰り返し。

人生をあきらめて、リストカットやODを繰り返して、精神科に何度も入院して死ねないでいました。

やっと、今B型事業所で7年半続けて、ハローワークにいって、でも色々調べると自分のような人間はすでに社会には必要とされてなく、ずっとこのまま死ぬまで行ったほうが楽なんだと思いました。

もし、新しい仕事に行っても鬱になるかも、というのはケースワーカーの人も言っていました。

B型と一般就労は違いすぎると。

生活保護で生きていくというと、よくアンチコメントが書かれます。

別にいいですが、今一般で働いている人、今の事業所の職員より、いっぱい努力して勉強して就職試験も頑張って、たまたま真面目にやりすぎて鬱になって、さらにここから頑張れというのは、、、つらいです。

普通に生きていくのはダメなのでしょうか。

そんなに努力しなくてはダメなのでしょうか。

もしだめなら、早く安楽死法案を作ってほしいものです。

母の死についての後悔~ドラマ「春になったら」を観て~

テレビはほとんど見ないのですが、ネットフリックスで配信されている木梨憲武さんの「春になったら」を偶然見始めています。

第4話まで見終わって、母ががん闘病をしている際に「死ぬ前にやりたいことリスト」があれば何かやれたんでは、と視聴しながら思っていました。

でも、母は最期の入院まで自分がステージ4の癌であることも知らなかったし、僕も病院側には母に病状を説明しないでほしいと言っていました。

母が診察の際、レントゲン写真や病状の話題になると吐き気がでたり、パニックになったりとしていたので僕は母が死ぬまで、母が死に至る病であることは告げていません。

亡くなる数週間前に歩くリハビリが行われた際に、「今日からリハビリ、がんばるぞ!」とノートに記していました。

ノートに「今までありがとうございました」と書かれた文字に、二重線が引かれていて母が「死の準備」をしたり、でもそれを否定する考えがあって、今でもどうしたら一番良かったのかわかりません。

抗がん剤治療で両手両足は赤く腫れて痛くなった時に、家族の写真を整理しだし、父と結婚した時から、兄が生まれたとき、自分が生まれたとき、幼稚園に行ったとき、新居を構えたときなど時系列で、誰にも内緒で写真を整理していました。

「春になったら」をみて、母が生まれた埼玉や父と出会った東京に母が希望したら行きたかったなと思いました。

もっと、何かできたのでは?と今でも思います。

涙で打つことができなくなったので今日はこの辺で終わります。

最後に僕は母が最期を過ごした病院に今ボランティアに行っていて、患者様と歌を歌ったりしています。

母がノートに書いた「自分が死んだら連絡してほしい」と書かれた4名には連絡できないでいます。

ではほんとに今日はこの辺で終わります。

生き方改革~保護猫ボランティア編~

こんばんは。

ゆうです。

只今、生き方改革最中です。

昨年の12月から病院ボランティアを始めて、10時から15時まで。

患者さんとお話や接する機会もあり、すごく気を使って、また新しい環境ということもあってすんごい疲れます。

でも、母が最期に入院していた病院。

自分に合わないとこに行くときに感じる「気が重くなる」「憂鬱感」がないので

続けられる感じがしています。

今まで4回ボランティアをさせていただいて、次回はこれから続けれるか?面談がありますが、頑張ります。

それが生き方改革の1番目。

2番目は今日初日の「保護猫ボランティア」に行ってきました。

これも初めての場所、初めての環境で緊張しましたが行ってみたら15匹の保護猫たち。

みんなおとなしくて可愛いです。

やることは、「トイレ、床の掃除」「水の取り換え」「トイレにひく新聞の準備」と簡単です。

アプリを共有して、誰がボランティアに来れる日かを確認しながらなので毎週行くわけでもないし、気が張り詰めることはありません。

猫が住みやすいように、お部屋をきれいにする、そして実家の猫に会えない分癒されてきます。

それと、「動画編集得意な人」も募集していて、今までしてきたのでインスタとフェイスブック用のショート動画を作成することもお願いされました。

考えていたより短い動画で、簡単な編集なので素材さえあれば無理なくできると思います。

ずっと行っていたB型事業所は週1程度で行く感じです。

おそらく制度を勉強する人はB型事業所は「仕事をするための訓練の場」「体調を整えながらステップアップする場」と習うと思います。

でも、行っているところは「仕事をしに行くところ」と職員は言っています。

そもそもB型事業所は利用料を払って、雇用契約を結ばずに「工賃」をもらいます。

「作業」というと「仕事だから」と言われます。

長くいる人は、自分がやっていることは「仕事」だと思っています。

なのでA型や障がい者雇用、一般雇用に行かないし、行こうとする人は管理者ともめて辞めていきます。

事業所の就労数は10年で1名です。

ステップアップできる人をB型にいさせて、トラブルを起こす人を辞めさせて。

B型事業所は札幌に600以上あるのでいろんなところがあるんですね。

僕はこれ以上訓練することもないのでいいですが。

つぶれていく過程を楽しみにしています。

話がそれましたが」、生き方改革の報告でした。

 

明日の事は考えない

何かの話題になって「一年後の自分」を聞かれた。

何にも考えていないし、なんも想像できない。

今度の日曜日、保護猫のボランティアの初回顔合わせに行ってきます。

変なところでなかったり、無理な要求をされなければする予定です。

家から30分ほど歩くところだけど、気にしない。

今までB型事業所だけ行ってたけど、母の介護も終えて、22歳になる実家の猫の残りの命とかいろいろ考えて、勢いで動いています。

今していることは、週5で行っていたB型を週1くらいにして、ホスピスのある病院のボランティア、そしてこれに加えて保護猫ボランティア。

なんも考えていない。

刹那的に、でも一生懸命やっている。

ホスピスのある病院ではもう退院できなくて、いつ命が無くなるかわからない方とのかかわりで気が抜けない。

抜こうと思ったら、適当に、ボランティアだからっていう軽い考えでやることもできると思う。

でも、「自分は何にも力になれない」ということを実感しながら、一生懸命やる。

帰ってくると結構疲れてる。

保護猫も。

実家の猫は自分の精神科初診だった25歳の時に目がまだ開いていない状態でもらってきて、今年22歳の歳。

すっかり痩せちゃって、前みたいに勢いもなくなって、すっかりかわいくなって、懐いてくる。

僕のコップに顔をつっこんで同じものを飲もうとするし、パソコンをいじっているとパソコンのキーボードの上に乗っかって構ってほしそうにするし。

自分のご飯をねだって、あんまり食べなくて、父と自分の夕飯の時間前にテーブルの上でご飯をねだって卵焼きや豆腐とかお肉とかなめて食べて。

なんかあったらすぐに帰るよ。猫よ。

とりあえず、お前の仲間の保護猫たちのなにかもするよ。

なんやかんややってるけど、近々の予定はこなそうと思っているけど、未来なんてどうでもいいのだよ。

 

夢の中の現実

今、起きた。

22時。

1時間として寝ていない。

恐ろしい夢を見た。

でも何度も同じ夢を見ていて、どちらが現実かわからなくなる。

夢の中の自分は、年齢は同じ。

大学を2度出ている。

心理学科を卒業して、また心理学を学んで卒業。

しかし、心理職には着けていなく、無職。

友人はいない。

高校卒業して、クラスの人と何処かの喫茶店に集まっている。

自分に話しかけてくる人はいない。

古い病院にいる。

おそらく精神科医師との診察だろう。

かなり田舎の。

待合室で待っていると数十人の人が怪我で運ばれてくるという話を聞く。

自分は何もしないまま、40代後半になってしまった。

その事を医師に相談しようと考えている。

夢の中で目を覚ました。

夢の中でも寝ていたようだ。

おそらく実家にいる。

父がいるらしい。

母もどこかにいそうな気がする。

父にすがりたかった。

「何にもできないまま、こんな年齢になってしまった。取り返しがつかない。大学も2回もでて、、、」

泣きたかった。

しかし、本当に大学を2回もでたのか?

一度目は覚えている。

高校卒業後に入学した。

2回目はいつだろう。

おそらく、20代なかばか後半。

友人もできず、何も学ばないで卒業した記憶がある。

周りは皆、年齢を重ね、親戚の同じくらいの年の人は皆、結婚し、家族を作り、仕事をしている。

自分は孤独で無職でただ年齢だけ重ねる。

このような夢を時に断片的に、また今みたく連続でみる。

今、本当に目が覚めたらしい。

どこにいるのか数秒戸惑った。

現実に戻ったらしい。

いつものベッドだ。

「これは本当におきているんだよな?」

ずっと夢の中にいるのではないかと錯覚を覚える。

今見ていた夢は、本当の自分の投影ではと思う。

大学まで出させてもらって、精神科通い。入退院を繰り返す。

友人もいない。

学生時代、自分は友人がいた。

しかし、誰とも連絡もとっていない。

幼稚園から中学までほぼ同じ人と同学年だった人達と30歳くらいに一度同窓会をしたが、誰も話しかけてこなかった。

自分の存在がなかった。

そこには虚しく、悲しい現実だけがあった。

先月から病院のボランティアを始めた。

このあと、保護猫のボランティアの面接(顔合わせ)をする予定が入っている。

何もない自分に意味を持たせる為に、何かしようと足掻いているのだろうか。

まだ22時36分。

このあと寝れるだろうか。

あと幾度、こんな夢を見るのだろうか。