仕事を辞めるまで7年4ヶ月。
長かったなあ。この1ヶ月。


つい今日もQMA。ベルセルク解禁。今日は勝率も高かった。土日だと初心者が入ってくるとかいうことかな。


2家族
親にはお中元とお歳暮を贈る。
親にはなるべく会わない。


親に何年あってないだろう。このまま死ぬまで逢わないかもしれない。
親と関わらないことで人生がうまく回ることに気づいた。


さて11月を振り返る。
・歴史
古代ギリシアであるがガイドブックみたいなのを読んだとかである。
まだ3大詩人とかヘロドトスとか読んでない。なんとか12月中には主だった古典作品を読んでギリシアを終わらせよう。

・動画
プロ野球を勉強。これも来月には1リーグ時代(1950年までを終わらせよう)


・コミック
なかよしを1990年くらいまで読み進めた。これも継続である。


・アニメ特撮
遊星王子を見た。これもしばらくは月に1本を継続していくこととする。


・ドラマ
今月も見られなかった。


・ゲーム
ゼルダの伝説のDS版をやりはじめたもののクリアはできず。んー、ゲームは月に1本は苦しそうだ。連休がある月だけにするのがいいかもしれない。


・本
ビジネス書:今月もkindle無料本読みました。
フィクション:読めなかった。ゲームに手を出したのが失敗か。
ライトノベルダーティペア読みました。ライトノベルは早く読めるのがいいね。
ミステリ:ガボリオの古典を読みました。時代をおって月に1冊読むのを目標にします。
自伝・エッセイ:これは今月から開始。来月も継続する。


読書は、上記の5ジャンルを1冊ずつ読むのを目標にすることとします。


・観光
栃木市に行きました。今後も月に1回は出かけます。



月末の総括はとてもよい感じだ。今月の反省は、フィクションを読めなかった、ドラマを見られなかった、ゲームをやれなかったである。
月に1本ゲームは苦しいなあ。

スタルヒン

スタルヒン。名前は聞いたことあったがロシア生まれとは思わなかった。てっきりアメリカだと思ってた。ロシア革命で逃れてきたということだ。


42勝はいまでも日本記録である。しかもその1939年は1チーム96試合で68試合当番であるから、おそるべし登板率、おそるべし勝率である。


wikiによると父親が殺人をしてしまったということだ。戦前の外人なんてかなり嫌な思いをしただろうに、そのうえ父親が殺人となると大変だ。それでも、記録によると
周りから支援があったということで、それが正しいと信じたい。


中学中退と全日本チーム、そして巨人入団への背後には日米戦を主催していた読売新聞オーナー・正力松太郎の意思があり、スタルヒンがこれに従わねばならなかったのは、「読売買収以前は警視庁の実力者だった正力が、父の犯罪歴をたてに日本国籍のないスタルヒン一家を恫喝したからである」と作家の佐野眞一は著書の中で断言している。

まったく正力はここでも非道なふるまいをみせる。


1939年には、日ソ間で大規模な軍事衝突(ノモンハン事件)が起こるなど、日本人のロシア人に対する感情が悪化したため、1940年に「須田 博(すた ひろし)」に改名を余儀なくさせられた。さらに、日本がイギリスやアメリカと対戦した太平洋戦争の戦況が激化した1944年には、日本はソビエト連邦と中立条約を結んでいる上に、スタルヒン白系ロシア人であるにもかかわらず「敵性人種」として連行され、多くの交戦国や中立国の在留外交官等と同様に軽井沢へ軟禁された。だが、スタルヒンは無国籍者だったため徴兵されることはなかった。東京巨人軍は職業野球存続のために、スタルヒンを球界から追放した。

まったく巨人は今も昔も冷たい球団だ。


そして彼の最期は謎である。

1957年1月12日22時40分頃、都内で行われた中学校の同窓会に出席するため、自宅のある港区南青山から自動車を運転し、世田谷区三宿にある国道246号を走っていた。しかし、当時敷設されていた東急玉川線三宿駅付近で、前の車を追い越そうとして二子玉川園行き電車と衝突、即死した。


友人の証言によれば、スタルヒンは同窓会の会場と逆方向へ車を走らせている上、乗っていた同窓生を車から降ろし、電車で行くように指示しているなどしており、いささか不可解な死として伝わる。その直前には友人が経営するボウリング場の開場式典に出席、飲酒しており、泥酔状態ではなかったが飲酒運転だったという。スタルヒンの遺体は秋田県横手市雄物川町に位置する、妻の実家である崇念寺に葬られた。亡命から最期まで無国籍だった。