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2009-09-27

建築系ラジオ発のこたつ問題

03:05 | 建築系ラジオ発のこたつ問題を含むブックマーク

明日の講演会前に考えをまとめておこうと思う。

僕はこの問題を取り上げた記事を読んでいて、対象が作者やこの問題を提起したメディアに向いている事に違和感がある。そこにも論点はあるだろうが、それがこの問題の本質じゃないと思う。この問題の本質は、あのような作品が生まれうる建築界の現況であって、取り上げたメディアもそれを期待していたんじゃないだろうか。あの作品はたまたまサンプリングされただけなのに、「こたつ問題」って名前まで付けられて気の毒だ。もちろん「こたつ問題」としてではなく、駄作としては批判されるべきものなのだろう。

って書きながら思ったけど、この問題をとりあげてる記事って「どこに論点があるか」から始まっていて、すぐに本質(書き手が本質とする部分)から書いてるのって少ないような。

これはmosakiさんがブログで書いていた、

これまで建築メディアが書き手を育てたり発掘したりすることに鈍感で、パっと見ハクのつく建築家や大学の先生に、その都度その都度で「ちょっとコメントしてくらさいお」という軽いノリで「視点」や「思考」を言葉にさせよう、提供させようとしてきた姿勢のツケかもね。

や、yoichikoizumiさんのtwitterでの発言

yoichikoizumi: こたつ問題は結局「みんなのこたつ」という作品自体もしょぼかったのだと思うけど、今の建築界にはやっぱり批評がないんだね。っていう話でおわりそう。

という建築界の批評性に繋がるのかもしれない。

また、この問題をとりあげたブログを色々読む中で、石川初さんの記事がなるほどなと思った。

提案時のプレゼンテーションを見るに、それはいかにも『洗濯物と植物しか描いていない』系(@藤村龍至)のレンダリングではあって、そういう意味で、建築系の人たちとしては、近年のこうしたノリの提案が実際は建築物として実現するにはかなりアクロバティックなエンジニアリングが動員されたりもする、相当なガッツ(と政治力)がないと「具現化・物体化」しないたぐいのものであるにも関わらず、夢想提案だけはわりと簡単にできてしまうし、そういうテイストの提案が持てはやされたりするために、キッズが勘違いしてしまう、という、「建築系内部の問題」と受け止めることは可能である。というか、それのほうが深刻なんじゃなかろうか。「こたつ問題」は、「建築力を伴わないSANAAワナビーを許す建築コミュニティの問題」なのかもしれない(ラ系のパストラル症よりもたちが悪いかもしれない)。

建築を初めて1年半の僕ですら、『洗濯物と植物しか描いていない』系の流行は分かるし、なぜこうしたノリがあるのかも疑問だ。また、戸山芸術展の内装を担当することになった僕にとって、実現可能かの判断の問題はまさに自分にとっても身近な問題だ。これは経験がでかいんじゃないかと考えている。

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