にわか硫黄島ブーム

硫黄島を巡るすさまじい攻防戦が
注目されてこなかった大きな理由は
一般人の上陸ができないことにある。


昭和20年2月〜3月の硫黄島における戦闘で
日本軍の戦死者は20,129人
米軍の戦死者は6,821人


米軍の戦死者は全員収容されたが
日本兵の遺骨で回収されたのはこれまでに約8,500柱。
毎年収集作業が行われているが
今のペースでは作業終了までにあと200年はかかるといわれる一方
3年後には遺骨収集作業が打ち切られるという話もある。
ZAKZAKより改変)


1985年2月
硫黄島戦40周年に当たり
硫黄島において、日本とアメリカ双方の退役軍人ら
400名による合同慰霊祭が行われた。
かつて敵として戦った双方の参加者たちは互いに歩み寄り
抱き合って涙を流したという。


この日建立された慰霊碑には次の文章が綴られている。


「かつての日米軍人は本日ここに
平和と友好の裡に同じ砂丘の上に再会す。
我々同志は死生を越えて
勇気と名誉とをもって戦った事を銘記すると共に
硫黄島での我々の犠牲を常に心に留め
かつ決してこれを繰り返す事のないように祈る次第である。」


On the 40th Anniversary of the BATTLE OF IWO JIMA,
American and Japanese veteranes met again,
on these same sands,
This time in peace and friendship.
We commemorate our comrades, living and dead,
Who fought here with bravery and honor,
and we pray together that our sacrifices on IWO JIMA,
will always be remembered and never be repeated.
硫黄島の戦い Wikipediaより改変)


父島発「硫黄3島クルーズ」があるが
島には上陸できない。


硫黄島探訪」というサイトの作者は上陸している。
旧島民、戦没者の遺族、自衛隊員なら行けるようだ。


でも、一般人が行けるようになっても、僕は行かない。
僕は、悲しくなる負の遺跡には、もう行かないことにしている。


ポーランドには行ったが、アウシュビッツには行かなかった。
カンボジアには行ったが、キリングフィールドには行かなかった。
ひめゆりの塔にも行かない。
靖国神社遊就館には行ったけどな。
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