骨折と夏休み

 きのうの夕方、畳の部屋で子供とサッカーごっこをしていたときのことだ。ラバーボールを蹴ろうとした瞬間、障子の桟に左足をひどくぶつけてしまった。あまりの痛さにうずくまり、足を見たら小指が外を向いている。まずい、折れたかなと思い、救急で診てくれる整形外科を探してタクシーを呼び、レントゲンを撮ってもらったら案の定、小指がぽっきり折れていて薬指も折れていた。うまれて初めての骨折である。麻酔を打たれ曲がった小指をぐいぐい引っ張られて薬指といっしょにテーピングされる。応急処置だから月曜日にまた来てください、冷やしてしばらく安静にすること、ふつうに歩けるようになるには1ヶ月半くらいかかります、うまくくっつかないこともあります、そのときは手術ですね、などと宣告され2日分の痛みどめを持たされて帰る。あーあ、これで今週末の北軽井沢オートキャンプは中止、いくつかの予定もぜんぶキャンセルだ。しばらく家でじっとしているしかない。完全な「夏休み」状態になってしまった。まあ、キャンプは8月上旬に1回行けたからよかったけど。ちゃんと机に向かえということか。
               ★
 読みさしの『現代フランス幻想小説』(M.シュネーデル編、窪田般彌他訳、白水社)を読了し、ノートをとる。ドーテルの「見えない村」を読むために借りた本だが、他の作品も気になって結局ぜんぶ読んだがけっこう骨が折れる読書だった。原著が出たのが1965年、収録された作品の多くはシュルレアリスムの息がかかっている。面白かったものをいくつか。
 まずジョルジュ・ランブールの「ヴェネチアの馬」(1930)。ヴェネチアの路地裏や港の夢幻的描写に犠牲としての馬のエロティックなイメージが重なり退廃したノスタルジーが漂う。決して読みやすくない散文詩だが、精緻な文体の高雅な美しさに惹かれる。コクトーに絶賛されたのもうなづける。
 編者マルセル・シュネーデルの「アルミニウスの墓」(1961)は、「都市文学」が多くを占めるアンソロジーにあって野生的な力にあふれる異色作。必要以上に動物たちを虐殺する山暮らしのアルミニウスが辿る悲惨な結末。妻ミンナの存在も心を締めつける。
 アンリ・ミショーの「犬の生活」(1935)。イメージ連鎖と断絶のスピード感が鮮やか。カフカをスピードアップするとミショーになる(??)。ジャン・フェリーの「虎紳士」(1950)、何が悲しくてトラを飼うのだ。ジュリアン・グリーンの「地上の旅人」(1927)もナラトロジー的に興味深い。切なく孤独な物語だ。