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2006-07-16

[]「ベルギーのクラフトワークテレックス・インタビュー

 先日、20年ぶりのニューアルバム『How Do You Dance』を出したばかりの、ベルギーの老舗テクノポップ・グループ、テレックス。これは、93年にアルファレコードからの依頼を受け、私が復刻監修した初期の2作品『テクノ革命』『ニューロヴィジョン』のPRのために、各雑誌媒体で流用できるように事前にセッティングされたインタビューである。やりとりはフランス語ではなく、英語で行われた。しかし、今でこそ全作品がCD化され全貌が知られるようになったテレックスも、当時は日本ではまだ知名度がなく、各社に掲載をオファーしたものの、私が編集担当をしていた『SPA!』と専門誌の『サウンド&レコーディング・マガジン』にのみ一部が掲載された。まるまるの採録は、拙著のホームページが初めてであり、3回連載で紹介された。

How Do You Dance [Analog]

How Do You Dance [Analog]

Neurovision

Neurovision

マルク=マルク・ムーラン ミッシミッシェル・ムーア ダ ン=ダン・ラックスマン

(1)

ーーテレックスとしてライヴをやったことはあるんですか?

マルク ユーロヴィジョン・コンテストが唯一のステージかな? といっても、歌を除いてはプレイバックだったけどね。

ーーイギリスの『トップ・オブ・ザ・ポップス』には出演していますよね。

ミッシ イギリスに行ったときは、シンセを現地で借りて録画した。あのころとしては、珍しいプレイバックとその形態だったから、気に入られて特別に出たんだと思う。

ダ ン 確か「ロック・アラウンド・ザ・クロック」がヒットしていたころだね。

ミッシ そうだけど、本当はトップいくつかに入っていることが出演条件だったんだけど、そこまで届いてなかったけれど出れたんだよね。

ーー確かこのときは、今のカイリー・ミノーグプロデューサー/マネジャーが世話をしてくれたんですよね。

マルク そう、ピーター・ウォーターマン(ex.ストック・エイトケン・ウォーターマン)。

ダ ン 彼は僕らとずっと行動をともにしていたんだ。確か、僕らの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(アメリカ盤12インチ)をリミックスして、サックスを加えたのも彼だった。まだ彼が有名になる前だったけれど、僕らの精神的支えになっていて、あちこちにエスコートしてくれたんだ。そのとき車の中で、彼はこんな名言を口にしたんだ。「いいかい君たち、もし金持ちになりたかったらシングル盤なんかやるんじゃないぞ」って。彼は当時、歌ものより映画音楽とかに興味を示していたし、そのほうがビジネスとして成り立つといっていた。でも、その後の彼はすごかったね。

ーーテレックスの音楽は「クール」ですよね。

マルク 自分たちはわざと、ダンス用の「モスコウ・ディスコウ」にしても、挑発的な部分を持たせないようなリラックス型の音楽をやってきたと思う。その点では、エレクトロニック音楽だけれど、ハイ・エナジー(ユーロビート)とは一線を画してるし、クラフトワークやベルギーの今のエレクトロニック・シーンとは違うんだろうね。

ダ ン 最近、パリの業界の知り合いにこんなことを言われたんだ。「デビュー・ディスク(ツイスト・ア・サントロペ)はすごいアイデアですね。今、2倍速で聴くとバッチリですよ」って。33回転のものを、彼は45回転で聴いてるって言うんで驚いたら、「えっ、そういうふうに聴こえるように作ったんじゃなかったの?」って(笑)。確かに、あのアルバム(『テクノ革命』)は特に、わざとスローテンポに仕上げたもので、当時から回転数を上げて聴いてるって話はあったよね。するとリオの声に聞こえるって(笑)。

マルク そうそう、1枚目では、(カバーは)原曲より遅めに作るって作業をわざとしてるよね。

ミッシ 「クール」というのを、緊張感のないリラックスという意味で使うとしたら、僕らの音楽には当てはまるね。

ーーテレックスでは、歌詞をどのような機能のものとして考えているんですか?

ミッシ アルバム作りにはいつもアイデアがあって、初期のころは「コミュニケーションの可能/不可能」だったし、すでにそれはグループの名前にも現われていたものだったけどね。

マルク 僕らにとっていちばん大切なものは、主題のコンセプトなんだ。「スパイク・ジョーンズ」では、アメリカの40〜50年代の偉大な音楽へのオマージュが主題だった。でも、歌詞は「スパイク・ジョーンズ!」のみで、音や技術のほうで、その偉大さや楽しさに経緯を表しているね。これは「ビューティフル・ライフ」とかもそうだけどね。

ミッシ 『ルーニー・チューンズ』は、9個の言葉から出発して、それを発展させたものだった。いわゆる文学的な歌詞というよりは、一種のカタログみたいなものだ。

マルク ボブ・ディランのようなものじゃないな。大部分は詩的なイメージでは作られていない。

ミッシ やりたかったことは、他のレコードのように愛の歌を繰り返すことじゃなくて、もっと違うものを違う方法で伝えることだったからね。

ダ ン その点で言えば、3枚目のアルバム(『セックス』)はトゥーマッチだったね。1、2枚目はテレックスとして、ちょうどよい内容でやり方も合っていた。

マルク 『セックス』は、テレックスとしては異色のものだったよね。自分たちじゃないような。

ミッシ 確かにあれは、歌詞が作られ過ぎていたし、多すぎた。

ーー『セックス』の歌詞を、アメリカのスパークスに依頼したのはどんな理由からだったんですか?

ミッシ あれは、フランス語の原詞をつけないで、直接曲ができたところで頼んだんだよね。

ダ ン 最初から英詞でレコードを作りたかったからね。

ミッシ マルクが、リオの仕事を通してスパークスと知り合いだったから。

ダ ン インターナショナルな市場のために、英語で作ろうと思ったんだ。スパークスと知り合ったのは、リオの『美少女リオ』の英語ヴァージョンの制作のときに、歌詞を依頼したのが始まりだった。結局、リオの英語盤は出なかったんだよね。

マルク カナダの企画だったからね。(注/実際はマルク・ムーランがプロデュースしたシングル「モナリザ」などを加えて、『スウィート・シックスティーン』としてカナダでレコード化されている)

ーースパークスから受けた音楽的な影響はあるのでしょうか?

ダ ン 僕はファンだった。『キモノ・マイ・ハウス』。

マルク でも音楽的には、僕たちの世界とは違うよね。

ダ ン その通りだね。歌詞は特に。英語で歌われるものの中では、かなり洗練度の高いものだよね。

マルク 音楽的影響はないけれど、ひとつあげるとすれば姿勢かな。ロン・メイル(キーボード)が、静止した表情で、不動の姿勢の演奏を、ポップ・ミュージックの歴史の中で初めて作り出したんじゃないかな。今じゃ、ペット・ショップ・ボーイズも、彼のそんなところをコピーしているね。ポール・マッカートニービデオ・クリップの中でも、彼にオマージュを捧げていたしね。

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(2)

ーー一方、テレックスの中には、クラフトワークの影響はありますか?

マルク クラフトワークは、あの時代の唯一の最先端をいく音楽をやっていたグループだったし、それが後にテクノポップと呼ばれるようになったわけだけど。それまでと違った、音符の少ない、短い音楽、つまり「テクノポップの哲学」というのを編み出したのは彼らだったから。

ダ ン 僕が最初にいちばん惹かれたのは、アナログのドラムスの音だった。アナログのモジュラー・シンセを使っていたので、自分でも持っていた機械だから、すぐやってみたんだ。あの時代にはまだ、リズム・ボックスでは十分な音が出せなかった。だから、エレクトロニック音楽特有の音が生まれたんだ。僕たちは後にその音を使い続けるかどうか話し合ったんだ。クラフトワークはそのアナログの音を突き詰めていって、ある日、技術的にリン・ドラムができて、本物と同じような迫力のある音がでるようになっても、その音を使い続けたんだけど、僕らは違う方向を探ったんだ。

マルク クラフトワークには、それが合ってたんだよね。ひとつのコンセプトを掲げて、忠実にやってきた。テレックスは、ある日、映画で言えば役者から筋から全部取り替えてしまったことがあるからね。

ーーテレックスが最初ディスコ・シーンから注目されたことについてどうお考えですか?

マルク 最初に僕らの音楽がダンス・ミュージックのメディアで迎えられたことは嬉しかったね。というのも、なぜか僕らの音楽は当時、ラジオでかからなかったんだ。つまり、ディスコを通してのみ、僕らの音楽は存在していた。のちにハウス・ミュージックの創始者として、僕らが知られたことは気分がよかったね。ダンの手掛けたディープ・フォレストもまた、アメリカではダンス・ミュージックとして火が付いたわけだしね。

ダ ン でも、あのころの僕らの音楽は決してダンスを念頭において作ったものじゃなかった。聴いてもらえるとわかるけど、けっこうスローで、ダンス用だからこのぐらいのテンポでなんて考えもしなかった。ディスコで流行ったことは、まったく偶然とはもちろん言えないにしても。

ーーテレックスの機材の変遷について教えてください。

ダ ン まずテレックスは最初8トラックでやっていた。レコーダーはタスカムの80-8BBX。機材はムーグ|||P(ドラムス、ソロ・パート用)、ポリ・ムーグ(コード用)、ゼンハイサーのヴォコーダーかな。2枚目(『ユーロヴィジョン』)のときには、スタジオ・マドレーヌっていうところに場所を移したので、 16トラックになった。機材には以前のものにプラス、OBX。「ヌーヴェル・アヴァンチュール」で活躍したヤマハ、これはもし今見つかったら買い戻したいと思ってる。それにマイクロ・ムーグ。そのころ、最初のリズム・ボックスCR-78を使い始めた。それにローランドのMC-4もこのとき登場したね。3枚目(『セックス』)のときには、24トラックの僕のシンサウンド・スタジオで作業した。ここではデジタルのシンクラヴィアを使ったっけ。ローランドジュピターもあったね。シンセの進化が目覚ましかった。でも肝心なのは、シンクラヴィアを使った以外には、すべてアナログの機材だったこと。その後、デモ制作のときにリン・ドラムと、フェアライト||を使った。4枚目の『ワンダフル・ワールド』はフェアライト||が活躍したね。ところで、僕らは一度もデジタルで録音したことがないんだ。5枚目の『ルーニー・チューンズ』もね。ただ、「ピーナッツ」1曲だけは、全部フェアライト|||のみでやって、コピーもしなかった。

ーーシンサウンド・スタジオが生まれた背景について教えてください。

ダ ン 1枚目のときは、昔の僕の家にあった小さな8トラックの「テレックス・サウンド・スタジオ」と呼ばれるところで作った。13才のころに、今でも取ってある宝物のギターとテープ・レコーダーを貰ったときから、自分の家に小さなスタジオを作ってたんだ。タスカムの8トラックでデモなんか作ってた。マルクはそこに、テレックス結成以前なんだけど、実験的な音楽を作るのにやってきたんだ。そこで、マルクが「エレクトロニックのグループをやらないか」って言ったんで、ミッシェルもいっしょになって、3人でその小さなスタジオでデモを作った。そうしたらすぐにレコード会社が決まって、そのまま発売された。(2枚目は)テレックスとして、もっと技術的な可能性を探るために、16トラックのマドレーヌ・スタジオで1年ぐらい作業をしたんだ。僕のほうは、まだシンセを持ってスタジオに行くっていう、他のミュージシャンのための仕事もしていた。でも、シンセを持ってスタジオに行くのは結構大変だったんで、新しい家を持つのを機会に、自分のスタジオを作ることにした。1980年に家を見つけて、シンサウンド・スタジオができたんだ。その後、シンサウンド・スタジオは今から5年ぐらい前に、ベルギーで初めて32トラックのデジタル・レコーダー(三菱)を入れた。

ーー当時のシンサウンドにあった機材について教えてください。

ダ ン メインはフェアライトかな。1983年にトーマス・ドルビーがフェアライトを買って持ってきたんだ(『地平球』のレコーディング)。当時はフェアライトのみが、シーケンサーサンプラーを同時に使える機材だったんだ。シンクラヴィアは持っていたんだけど、サンプラーはモノフォニックだった。彼が持ってきたフェアライト||は、ポリフォックで、めちゃめちゃ早いし簡単だったんで、威力に敬服して手に入れたんだ。

ーーテレックスにおける、3人の分担作業について。

ミッシ 主にマルクが作曲していて、ダンもやっていた。詞のアイデアは3人で出したけれど、最初のころは僕が多かった。

マルク 論理的な領域は、サウンド・エンジニアと音作りはダン、歌はいつもミッシェル

ミッシ マルクは、ほとんどのキーボードを弾いていた。シーケンサーが登場してからもね。スタジオ作業は、真っ白の状態から始めることもあったね。

ダ ン 覚えてるのは「パクモヴァスト」。ほとんど2行の歌詞しかない、2つのフレーズしかない曲で、いきなり3人でスタジオ作業を始めたんだよね。そしたら、シーケンサーがいきなり止まるというハプニングがあって、偶然でそうなったんだけど、まあそれもいいかもって感じで(笑)。そんなやり方だったから、「ラムール・トゥジュール」なんて26ヴァージョンもできちゃった。

ーー84年に、コシミハルさんのレコーディング(『チュチュ』)で細野晴臣さんがシンサウンドを訪問しますよね。そのときの共同作業はいかがでしたか?

ダ ン よく覚えてる。ちょうどミッシェルは旅行中で、僕とマルクしかいなかったんだけど、いちばん印象に残っているのは、仕事の進め方がまったく同じだったこと。機材もMC-4とムーグもモジュラーが同じだったし。YMOがムーグ|||を使っていたのは知ってた。彼は日本語で、僕らは英語で喋ってたんだけど、言葉を交わさなくても理解し合えた。音楽と仕事のみを通してコンタクトがとれた、素晴らしい3日間だった。彼のプログラミングの速さは目に焼き付いている。自分の頭の中に入ってるかなり複雑な音楽を、キーボードを通さずにいきなりカチャカチャと入力していったんだ。それに、彼は僕らの曲を取り上げてくれたんだよね。

一 同 「ラムール・トゥジュール」!

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(3)

ーーYMOにはどんな印象を持っていましたか?

マルク 大好きだったね。クラフトワークと同じ類の発展の仕方だったし。彼らはシンセやリズム・ボックスなど新しい技術をどんどん取り入れてディスクを作ってたし、斬新なアレンジだった。

ダ ン 僕があの時代にすごいと思ったのは、彼らがコンサートを実現したことだね。フランスで録画したコンサートを観たんだけど、コンサートそのものもよかったね。そういえば、彼らにフランスのテレビ番組の収録のときに会ってるんだよね。まだ、細野氏とは仕事をする前だったんだけど。

ーーリオ、トーマス・ドルビー、スパークスなど、海外のさまざまなミュージシャンと共演した経緯を教えてください。

ダ ン リオはその時代の他の人たちがやっていたこととまったく違う形でポップスをやりたくて、バッキングにエレクトロニックを使いたいって言ってきたんだ。たぶん、「ツイスト・ア・サントロペ」で耳にしていたんじゃないかな。トーマス・ドルビーは、自分のアルバム(『光と物体』)のプロモーションでベルギーに来てたんだ。彼はラジオジングルを自分で持っていたミニ・シンセを使って録音するために、マルクの紹介でシンサウンド・スタジオに来た。そのときのスタジオの雰囲気をとても気に入ってくれて、後にアルバムを録音するためにスタジオを使いたいって電話してきて、本当にやってきた。スパークスも、リオの仕事で知り合ったんだけど、彼らもスタジオを気に入ってくれて。結局、スパークスのレコードは3、4枚ここで作ったのかな。彼らはブリュッセルの街自体もかなり好きだったみたいで、自分たちの出版社の名前に「アヴェニュー・ルイーズ・ミュージック」って付けたぐらいで。

ーー各々の結成前のキャリアについて教えていただけますか? 

マルク 僕は学生時代、ジャズをやっていた。ピアニストだった。そのころヨーロッパにはいっぱい仕事があったんだ。アメリカからソリストだけ呼んで、オーケストラは現地調達っていうのが多かったから。学生の傍ら、自分でもグループ(プラセーボ)を結成してやっていた。あるときから自分でも作曲するようになって、方向性が歌モノになってきた。ジャズメンの中には、そのような歌を「大衆向け」と片付けてしまうやつらもいたね。で、ミッシェルとダンと出会ったところで、第一幕が終わり。

ダ ン でも、テレックスのソロの部分には、マルクのジャズっぽい演奏が残ってたよね。

マルク 特に「パクモヴァスト」とかね。

ダ ン ジャズの時代に、シーケンサーを取り入れて、変な顔されたこともあったね。

ミッシ マルクがジャズのグループの録音をやっていたとき、僕に「グループをいっしょにやらないか」っていってきたんだよね。テレックスという名前はすんなり決まったんだよね。コミュニケーションというのが主題だったから。テレフォン(フランスのロック・グループ)はもう取られていたんで、テレックスになった。

ダ ン 僕は「エレクトロニック・システム」という名前で、VCS-3を買ったばかりのころに、当時流行っていた「ポップコーン」のエレクトロニック・ヴァージョンを早速作ってレコードを出していたんだ。『ココナッツ』というアルバムは、たぶん日本でも紹介されてると思う。これが売れたおかげで、ムーグ|||Pを買うことができたんだ。それで、「ベルギーのシンセの専門家」って言われるようになった。

ミッシ 僕は友人と二人でギターを弾いて、いろんなコンテストで賞を貰ったりしてたんだけど。ギターを手にフォーク・ロックを歌ってたんだけど、3年続いたバンドが解散した、その1週間後にマルクに誘われてテレックスに参加したんだ。

ーー最後の質問です。ベルギーにはクラムドやクレプスキュール、ミュートのプレイ・イット・アゲイン・サムなどの重要レーベルが密集していますよね。ベルギーの音楽シーンとは、どんな感じなのでしょうか?

ミッシ 少々マージナルな存在ではあるよね。ここにしかないものだから、日本でも聴いてくれる人がいるんじゃないかな。かといって、英米のインターナショナル市場に持ち込める部類の音楽ではない。

マルク クレプスキュールやクラムドの素晴らしいところは、市場に合わせた音楽制作を強要しないところだね。特にクレプスキュールは、僕らも少し関係あるけど(アンナ・ドミノのプロデュースetc……)、英米のステレオタイプなロックに走らない、ベルギーのオルタナティヴなポップ・ロック・シーンを作っている。これはフランスにはない、少々探求的で洗練された部分だと思わないかい?

ミッシ 僕自身はソロ・アルバム(『fishing le kiss』)をクラムドから出したこともあるんだよ。

(了)

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