POP2*5(ポップにーてんご) RSSフィード

2006-07-18

[]史上最大のテクノポップDJパーティーシリーズ(イベント)

 これは知る人ぞ知る、小生がオーガナイザーを務めていたクラブイベント。後にシリーズ化され、計6回の数を重ねる人気イベントになった。91年といえばクラブ文化夜明け前のころ。ディスコではなくクラブの名称はまだ普及の過渡期にあり、数少ないクラブ(箱)もまだテクノやレゲエなどジャンルに細分化されていたわけではなかった。当時『宝島』のストリート取材担当だった小生は、ネタ集めのために、酒も飲めないくせに夜な夜な都内を徘徊していたが、まだDJの自己満足的な企画も多く、退屈することのほうが多かった。一方でちょうど同じころ、Wという事務所のGという有名なクラブオーガナイザーがシーンで活躍しており、米国文化の翻訳ではなく、日本流に歌謡曲などを流したりする、そういう芸能チックなイベントも数多く行われていた。だが山本リンダのハウス・ヴァージョンにも、レゲエやダブのようなジャンル限定的なイベントにもいまいち乗り切れなかった私は、「もっと客が楽しめるイベントが自分にもできるかもしれない」と思い、当時渋谷インクスティックDJバーで回していたTOKYO No.SOULSETのオリジナルメンバー、ドラゴン氏にセッティングをお願いし、同所で始めたのがこのシリーズイベントである。一応、私が言い出しっぺで渉外担当をしていたが、『宝島』の同僚だった、現在は音楽評論家である丹羽哲也氏がパートナー役を務めており、DJのキャスティングなどは、彼のアイデアもいろいろ取り入れている。

 実際、「テクノポップをかけるシリーズ」という大枠以外は何も取り決めはなかったが、当時はクラブ文化もまだ未成熟だったころで、コントーションズなどのパンク曲で客が踊れるということを実践して見せたのは、エレクトロクラッシュ・ブームの登場を10年も先取りしていた(なんのこっちゃ)。松田聖子の細野曲などをかけてもらったりするのは全然ウェルカムで、私も大いに刺激を受けたのだが、当時は軟派な歌謡曲DJなども登場しつつあったころでもあり、シリアスなテクノポップ系ファンからはC調だと非難されたりと、周りの無理解も凄まじく、面白悲しいシリーズであった。だが、チラシを毎回、好きなデザイナーに頼んだり(友情価格で受けていただいた皆様に感謝)、スポンサーを回って広告を入れてもらったりと、学園祭気分を満喫できて私的には収穫も多かった。第1回から、薄謝ではあったが、きちんと参加DJ全員にギャランティを支払っていたのも密かな自慢。最後はクラブチッタ川崎に場所を移しての、1000人集客規模にまでイベントは膨れあがり、バンドまで仕込んだりと、一編集者の思いつきのイベントとしては豪勢なものになった。

 その6回のイベントの内容は、参加者有志のおかげで、チラシや写真、ビデオやDATなどで記録として残されている。ここでは、チラシと写真を中心に当時を振り返ってみたい。

■「史上最大のテクノポップDJパーティー」(91年8月25日/日曜日)

於:インクスティック渋谷DJバー

出演:江口寿史(マンガ家)、手塚眞(ヴィジュアリスト)、ケラ(有頂天/LONG VACATION)、山本ムーグ和夫(編集者/ハイパー3 )、戸田誠司フェアチャイルド)、広瀬充(音楽ライター/元P-modelマネジャー)、鈴木惣一郎(エヴリシング・プレイ)、中ザワヒデキ(イラストイレーター)、太田奈緒子(東芝EMIディレクター)

 記念すべき第1回。チラシに「テクノな服を着てきて下さい」などと書いたりしているのは、あさましくも『宝島』のキッズ・ウォッチングのネタに回そうという魂胆であった(笑)。各人が自由なテーマで選曲し、30分づつをリレー形式でつないでいくというのが基本ルール。江口寿史氏は、80年代に西荻ロフトでDJとして人気を博していた伝説を聞きつけて、私がオファーしたもの(下写真は若かりしころの小生と江口氏との2ショット)。松田聖子の「わがままな片思い」はこの時に江口氏に教えてもらったのだが、松田聖子の曲を大音量で流した時の独特なレイヴ感は忘れられないものになった。山本ムーグ和夫となっているのは、今をときめくバッファロー・ドーターのDJムーグ氏の雑誌ライター時代。元々はノンスタンダード・レーベルにも所属していたワールド・スタンダードのベーシストなのだが、出自は編集者/スタイリストで、当時はぴあの音楽雑誌『PMC』のライター業の傍ら、『宝島』で私が担当していたハイパー3なる2人組ユニットの連載を持っていた(もう一人は、現デラウエアの佐俣正人氏)。戸田誠司氏は『TECHII』の編集者時代に連載を担当していた縁。鈴木惣一郎氏はワールド・スタンダードを発展させたエヴリシング・プレイで音楽活動しながら、後期『TECHII』の編集者も務めていた。広瀬氏はP-modelの元マネジャーとしてファンの間では知らぬものがいない有名人で、現在もソニーマガジンズを中心に編集者として活躍中。太田奈緒子氏は元オリジナル・ラヴのアシスタント・ディレクターで、当時は友人のバンド、ハイ・ポジでディレクター・デビューを飾ったばかりのころだった。YMO派だった私は、実は東京ロッカーズ〜ナゴム系に関してはかなり疎く、この時のケラ氏や広瀬氏へのオファーは、パートナーの丹羽氏のアイデアである。が、ケヴ・ホッパーが在籍していたスタンプやXTCなど、筆者好みの選曲ばかりで、その後有頂天から遡ってケラ氏の大ファンになった。シリーズを通して出演に快諾いただいたケラ氏には、今でも深く感謝している。

 30分完結で次々キャストが変わっていく形式には、思わぬ拾いものもあった。ケラ氏、ムーグ氏、戸田氏などジャンル的には関わりの薄そうなミュージシャンたちが、お互いの選曲に関心を持って情報交換する様を間近で観れたのは感動的だった。テクノポップ・ブームのころに田舎で燻っていた私にとって、クラブ文化前夜のこのシリーズは、何か面白いことが起こりそうなワクワクの興奮を味あわせてくれる、第二の青春のような場だったのだ。

 イベントは400人というインクスティック渋谷DJバーの記録を塗り替える成功を収めた。その後、この動員記録を塗り替えたのは、今はアプレミディの経営者として知られる、橋本徹氏が始めたサヴァービア・スウィートであった。

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■「史上最大のテクノポップDJパーティーSUPER」(91年12月1日/日曜日)

於:インクスティック渋谷DJバー 協賛:ソニーレコード、33、アルファレコード

出演:ケラ(LONG VACATION/有頂天)、サエキけんぞうパール兄弟)、石野卓球電気グルーヴ)、良徳砂原(電気グルーヴ)、小西康陽ピチカート・ファイヴ)、巻上公一ヒカシュー)、岡崎京子(マンガ家)、宅八郎(おたく評論家)、宍戸留美+タカハシテクトロニクス、福富幸宏(exソドム)、もりばやしみほハイポジ)、中ザワヒデキイラストレーター)、岸野雄一(コンスタンスタワーズ)、米原康正(出版プロデューサー/元100%プロジェクト)、松蔭浩之(コンプレッソ・プラスティコ)、元YEN遊会会員チーム(福岡邦子+ミーゴ・アミーゴ) 特別ゲスト:A児

 第1回が思いのほか集客がよかったため、あれよあれよという間に実現した第2回。「SUPER」のタイトルは、なんとなく周りに声をかけてみたら豪華メンツが揃うこととなり、せっかくだからと豪華目に打ち出してみたもの。チラシのデザインを前回の出演者、中ザワヒデキ氏が手掛けてくれることになり、初めてチラシの裏に広告を入れるための営業周りも体験した。また前回、自身でターンテーブルを操作できない出演者には私が技術で付いたのだが、素人まるだしでご迷惑おかけしたので、この回からラッパーのAKI氏(AKIプロダクション)が裏方を務めている。また、初めてアコムでプロジェクターを借りて、映像を大幅にフィーチャー。出演者のCM素材などを流したほか、ファニーな映像演出を、パートナーの丹羽氏の友人でもあった、当時SM-TVなる現代美術ユニットで活動していた八谷和彦氏が務めている。ご存じ、あのポストペットの生みの親である。

 変わり種は、当時は太田プロに所属して『たけしの元気が出るテレビ』などでタレント活動が多忙なころだった、宅八郎氏の初DJであろう。その昔、アスキーの名編集者である遠藤諭が発行人を務めていたミニコミ『東京おとなクラブ』の編集部に在籍しており、プラスチックスのファンだったという話を聞いて依頼したら引き受けてもらえた。出演の決め手は、宍戸留美嬢が参加していることだったらしい(笑)。米原康正氏は、現在はヘアヌード写真集などのプロデューサーとして有名だが、CBS・ソニー出版(現ソニーマガジンズ)時代から伝説の編集者として知られていた。ランドスケープ「アインシュタイン・ア・ゴー・ゴー」などは、この時米原氏のプレイで存在を教えてもらった。

 ミュージシャン勢も豪華。ちなみに砂原氏はまだ電気グルーヴに参加したばかりで、クレジットは過渡期のものらしい。石野卓球氏に出演依頼した時にたまたま彼も同席しており、結局電気グルーヴからは2人に参加してもらえることになった。石野氏は確か、アタタックとティックタックのシングルをレコード番号1番から順番にメドレーでかけるという実験的な内容だった。

 この回の初めての試みとして、初のライヴをやっている。宍戸留美嬢は当時、『ドレミファソラシドシシドルミ』というアイドル史に残る名盤を出したばかりで、おそらくこうした非アイドル系イベントへの出演は初めてだったはず。彼女のラジオ番組の構成者を務めていた、リリー・フランキー氏も来場している。この時、彼女のライヴを実現するためにテクノ系の現役グループをリサーチしたのだが(記憶ではおそらく、ゆうゆ+ビブラトーンズ、勇直子+有頂天みたいな路線を狙っていたんだと思われ)、高円寺の某テクノ系オムニバスライヴで紹介された、元電気グルーヴの高橋氏が結成した新グループ、タカハシテクトロニクスがバックバンドを務めてくれることになった。曲は「男の子が泣いちゃうなんて」「地球の危機」の2曲だったが、生の打ち込み演奏はカラオケとは違うド迫力。坂本龍一「E-3A」(『B-2ユニット』)をブレイクビーツにした宍戸嬢のパンキーな歌唱は、後にフリー宣言をして唯我独尊の道を進むこととなる、彼女のアナーキーさがすでに窺える名演となった。

 実は小西康陽氏とケラ氏も、2人が結成した新グループで出演するというのが当初の企画であった。FM番組『ガール・ガール・ガール』用の録音も兼ねての初のジョイントを計画していたのだが、リハーサルスケジュールがLONG VACATIONのハワイ録音とモロぶつかってしまい、実現に至らず。結局仕切り直しし、「細野さんで1曲と言えば?」というような選曲+トークショーで構成することになった。こうした無謀な初企画に味を占めた私は、この後もシリーズの目玉としてあれこれと知恵を巡らせることになった。

 ちなみに、本人の希望でチラシに「ゲスト:A児」と書かれているのは、ご存じ元ヴァージンVSのあがた森魚氏である。お蔵入りになっていたニューアルバムから、美空ひばりの「リンゴ追分」をクラフトワーク風アレンジでカヴァーした秘蔵トラックを、DATからダイレクトに流してもらえたのには密かに感動した。私はヴァージンVSを、心から愛しているのだ。

 現在はゴージャラスとして独自のグラム街道を行く、現代美術ユニット、コンプレッソ・プラスティコのメンバーだった松陰氏の終盤のパフォーマンスには、私は深い感銘を受けた。その後、MORE DEEPなどの水商売系のキャストに参加してもらうようになったのは、理系ガチガチのヲタな私には欠落した、松陰氏のバイタリティに影響を受けてのことである。

 (写真は、左からサエキけんぞう氏、AKI氏)

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■「江口寿史プロデュース 爆発ディナーショー」(92年1月4日/土曜日)

於:ラフォーレ渋谷 協賛:パルコ、三菱電機 

出演:江口寿史(DJ)、小川美潮(司会)、A.K.I.(司会)、サエキけんぞうユニット、LONG VACATIONカーネーション+グランドファーザーズ+スリル・ホーンズ

 これは番外編。第1回で回してもらったマンガ家の江口寿史氏が、PARCOでやる個展に併せて系列のラフォーレ渋谷で有料イベントをやることになり、恐れ多くも江口氏からプロデューサーとして推薦いただいたというもの。客入れのオープニングDJは江口氏が選曲し、あとは小川美潮氏+AKI氏が司会のクイズなどの出し物と、江口氏のお気に入りバンドを集めたライヴショーで構成した。美潮氏の参加は、ご存じ『老人Z』の主題歌「走れ自転車」を歌った縁からである。憧れの美潮氏とはこれが初対面だったが、当時美潮氏のマネジャーだったのが、小生が『TECHII』時代にアーバン・ダンスのA&Rを担当していた、元テイチクのO氏。現在はコーネリアスの事務所の社長さんである。

 サエキけんぞうユニットは、トーキング・ヘッズの初期ナンバーを日本語で歌うという、初期パール兄弟を彷彿させるもの。ケラ氏と元P-modelの中野テルヲ氏、ナイロン100℃の俳優みのすけ氏で結成されたLONG VACATIONは、レギュラーのサポートを加えたバンド形式ではなく、テクノポップ好きの江口氏の趣味に合わせた、完全打ち込みスタイルで参加してもらった。この時、ミュー(三浦俊一/元有頂天)がやっていたリキッド・スカイのナンバーだった「LEGS」を、おそらく初めてLONG VACATIONで演奏しているのだが、それが凄まじく格好良かった! カーネーションは、青山陽一、太田譲のグランドファーザーズの2人に、式田純(カセットマガジン『TRA』の元発行人)率いるザ・スリルのホーンセクションが参加した特別編成だった。終幕は江口氏も大好きな、おなじみのアンコール曲「夜の煙突」でキメてもらった。

 チラシのデザインは、これまた前回の参加者だったコンプレット・プラスティコの松蔭浩之コンピュータ・グラフィックによる5色刷という豪華なもので、予算がかかりすぎてチラシ自体の数を作れなかったため、お持ちのかたはかなりレアである。

 この回の裏話も披露しておこう。実は小川美潮氏は当初、ライヴ出演を予定していた。せっかくならと、バックは板倉文+川島裕二(BANANA)+仙波清彦というスペシャルユニットで出演をお願いしていたのだ(当時、美潮氏のバックバンドだったユーロパは、すでに板倉氏がメンバーから外れていた)。しかし、イレギュラーの編成でやるにはスコア作成などの予算を計上しなければならず、そのためにスポンサーだった三菱電機などに交渉してもらったのであるが、結局予算確保に至らず実現できなかったのが惜しまれる。

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■「史上最大のテクノポップDJパーティー海賊版」(92年4月4日/土曜日)

於:渋谷Jam-Sid

出演:『よいこの歌謡曲』編集部、広瀬充(雑誌編集者)、常磐響(イラストレーター)、AKI(ラッパー)、寺田康彦(アルファレコードエンジニア)、弘石雅和(アルファレコード洋楽部)ほか

 イベントが成功するといろいろ期待もされて、ちょっとプレッシャーを感じていたころ。本編の企画ものから離れて、ヒット曲つるべ打ちののようなファン感謝イベントとができないものかと考え、ずっと裏方として手伝ってもらっていたラッパーのAKI氏や、当時アルファレコード洋楽部にいた弘石氏(今をときめく、日本版ソナーのエグゼクティヴプロデューサーである)への慰労の意味も込めて、少し小さめの箱でやってみたのがこの海賊版である。各レコード会社から当時のテクノポップ・グループのビデオを借りれることになって、イベントのうち3時間はなんと、懐かしのテクノポップ・バンドテレビ出演ビデオ鑑賞会なるものもやってみた。大型プロジェクターで、車座になって全員で観るというのも、昔のフィルムコンサートのようで面白い体験だった。

 『よいこの歌謡曲』というのは、現在は平沢進の関連出版物を手掛けているファッシネーションの高橋かしこ氏と編集部の面々。80年代にサブカルチャーからの視点でアイドル文化を語った主要ミニコミのひとつで、彼らにはオーソリティの視点から、いわゆる「歌謡テクノ」に限定した選曲を披露してもらった。寺田康彦氏には、まだ商品化されていなかったYMO『紀伊国屋ライヴ』のテープをかけてもらったのが、貴重な体験として思い出深い。

 チラシは『TECHII』時代から現在まで、20年来のつきあいである、イラストレーター/写真家の常盤響氏。イベントのコンセプトを深く理解したチープなデザインは、当時の私をコーフンさせた。

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■「史上最大のテクノポップDJパーティー#3」(92年7月12日/日曜日)

於:クラブチッタ川崎  協賛:スペースシャワーTV、アルファレコード、33

DJ出演:戸田誠司フェアチャイルド)、白井良明ムーンライダーズ)、サエキけんぞうパール兄弟)、中野テルヲ(LONG VACATION/元P-モデル)、加藤賢崇(俳優/東京タワーズ)、 コモエスタ八重樫(東京パノラマ・マンボ・ボーイズ)、MORE DEEP

バンド出演:ピチカート・プレゼンツ“女性上位時代S”(小西康陽野宮真貴+中川比佐子+渡辺満里奈(※)+森丘祥子+寺本リエ子)、パールSingsハルメンズfeaturing野宮真貴、スーザンfeaturingオーガニゼーション、LONG VACATION

 前回の新たな試みでライヴ演奏に味を占め、どうしてもバンドを入れたオリジナル企画をやりたいという熱にうなされて、クラブチッタ川崎に場所を移して行われた豪華版。前回は「SUPER」と謳いながら、今度は今度でレギュラーみたいにあえて「#3」とタイトルを打っているところが、天の邪鬼である。ライヴ演奏、DJとも各30分でリレー形式でつないでいくという構成はこれまでと同じだが、今のフジロックみたいにステージとDJブースが、前方、後方で反対に位置しており、30分ごとに民族大移動が繰り広げられるのが凄まじかった。

 “女性上位時代S”(下写真右)というのは、ピチカート・ファイヴのアルバム『女性上位時代』から派生して生まれたグループで、おそらくこれが2回目のライヴ。当時小西氏が事務所から独立しフリーになられたばかりだったので、私がステージ・マネジャーを兼任することになった。コスチューム・デザインもオリジナルでやりたいからと、『宝島』時代の友人で、電気グルーヴの専属スタイリストだった宇山弥和子氏に作り物を依頼。女性陣は全員、プラスティックのカプセルブラを付けた『バーバレラ』風のコスチュームで出演している。曲は、山本リンダ「ミニミニデート」やマン・フレッドマン「5-4-3-2-1」、野際陽子「非常のライセンス」などの名曲を、ジグ・ジグ・スパトニックのようなアレンジでやるというソーゼツなものだった。チラシには渡辺満里奈(※)の名前がクレジットされていたが、当時事務所のドル箱スターだった彼女のこうした“課外活動”は、あくまでTV仕事との兼ね合いという条件付きで、結局、1週間前に急遽決まった『みなさまのおかげです』のハワイロケが入ったために、当日は出演していない。ちなみに、このとき用意されていた曲はなんと、知る人ぞ知る「Birthday Boy」である。

 パールSingsハルメンズというのは、パール兄弟に元ポータブル・ロックの鈴木智文、野宮真貴が加わってハルメンズ時代の曲をやるという画期的試み。ヴィンテージ・シンセを積み上げての、限りなくハルメンズ時代に近いアレンジの演奏は、当時ライヴを体験できなかった世代には感涙ものだった(下写真中央。右から野宮真貴サエキけんぞう)。そして、最近CD復刻されて話題を呼んだ、作者のフェヴァリット・シンガーで、元シーナ&ザ・ロケッツのドラマー、川島氏と結婚されて福岡にお住まいだったスーザン氏を招いての久々のライヴ。バックをやってくれたのは、永田一直氏(ex.ファンタスティック・エクスプロージョン)が当時やっていたグループ、オーガニゼーションである。曲は前半がオーガニゼーションの独演で、オリジナルのほか、ソフト・マシーン、テストパターンのカヴァーを披露。後半はスーザンをフィーチャーした「サマルカンド大通り」「スクリーマー」の2曲という構成である。現役時代、バックバンドのEXがギター中心の編成だったために、ライヴではかなりロック風にリアレンジされていたアルバムの曲を、オリジナルに忠実にYMO風にアレンジしてもらった。これは貴重である。

 この回にも実現しなかった水子企画がある。バッファロー・ドーターのデビューライヴである。当時は、前身のハバナ・エキゾチカが存命中で、そのアナザー・ユニットとして、当初は“ハバナ・エレクトリカ”(編成は同じ、山本ムーグ、ニニョール=大野由美子シュガー吉永)名義で出演する予定だった。途中、“コズミックス”に改名するなど変転を経たが、ハバナの事務所の意向もあって、最終的に数週間前に出演が反故にされた。そのお返しというわけではないが、その後、六本木の某クラブで行われたバッファロー・ドーターのファースト・ライヴでは、小生がゲストDJを務めることとなった。

 集客は、イベント史上最大の1000人余を記録。スペースシャワーTVが協賛することとなり、45分のダイジェスト版としてイベント終了後にCS衛星放送でオンエアもされている。この時の番組ディレクターは、深田恭子の新作映画『天使』でデビューを果たしている女流監督の宮坂まゆみ氏。チラシのデザインは、ミック板谷氏のTABOU出身で、YMO『TECHNO BIBLE』などのアートワークを手掛けている、グラフィック・マニュピレーター(竹本純生)氏が担当した。

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「史上最大のテクノポップDJパーティー最後の逆襲“JAZZ ISSUE”」(92年9月25日/金曜日)

於:インクスティック渋谷DJバー

DJ出演:DR.キャラメル・ニュートロン&山本ムーグ

バンド出演:オリジナル・コンスタンスタワーズ、DVP Island Style

プロジェクター:SM-TV  

 「テクノDJパーティーなのになぜジャズなのか?」。実は大がかりなイベントを成功させながらも、自分自身の音楽観はというと当時まったく別の方向を向いていて、ペリー&キングスレイのような60年代の録音物や、ジョン・ゾーンなどのアヴァン・ジャズにはまっていたころ。それで、フュージョン時代のYMOだとか、古いモーグもののイージーリスニングレコードなどを静かに掛けるイベントということで、あえて「テクノDJパーティー」をジャズ解釈でやってみたというへそ曲がり企画。このころは世の中のテクノ・ブームがどんどんプリミティブなリズムだけに向かっていていったり、あるいはジョン・ロビンソンジュリアナ東京のレイヴ路線だとか、実際には“テクノ”という言葉にも辟易していた記憶もある。

 DJのDR.キャラメル・ニュートロンというのは、ジ・オーブのアレックス・パターソンをもじって付けた小生のこと。30分=1テーマという構成は従来通りだが、この回は山本ムーグ氏と私とで担当を分けて、あくまで「選曲が主役」ということでプレイしている。ムーグ氏は当時、フィッシュマンズのアート・ディレクターなども担当しており(メディアレモラス時代のフィッシュマンズのA&Rだったのが、ムーグ氏の実兄なのだ)、初めてチラシのデザインもお願いした。イラストは『オリーブ』誌やピチカート・ファイヴ関連でおなじみ、森本美由紀氏である。

 バンド出演は2組。ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツの前座などをやっていたコンスタンスタワーズは、当時ティポグラフィカと合体したナマ編成で活動していたのだが、常磐響氏が在籍していたころの打ち込み時代の編成で「デヴィッド・ヴォーハウスみたいなのをやってください」とリクエストしてやってもらった、オリジナル・コンスタンスタワーズ名義のもの。山下毅雄悪魔くん』のテーマやストロベリー・アラーム・クロック「ベアフット・イン・バルチモア」を、精密機械のような松前公高氏のアレンジで演奏したが、小生は当日のリハの音出しの段階で、あまりのカッコよさにノックアウトされてしまった。このバンドは後に、スペース・ポンチというレギュラー・グループに発展し、アルバムもリリース。DVP Island Styleというのは、当時ハッピー・チャームのはしりみたいな音を出していた、後にトランソニックのVAなどにも参加しているハウス・ユニット、DV-Projectの2人。こちらもレギュラー曲ではなく、一夜限りの企画ということで、ディズニーの映画音楽やジーン・ケリー「雨に歌えば」などの曲をペリキン風アレンジで演奏してもらった。オープニングを飾った「エレクトリカル・パレードのテーマ」の場面では、初期YMOみたいにクリスマス・ツリーの電飾でシンセサイザーを光らせたりして、最後の最後は思いっきりおちゃめにやってみた。

 私はすっかり満足して、これでイベント業から心おきなく足を洗うこととなったのだ。

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