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2006-08-06

[]暴論!「サブカルチャーサブカルチャーへの憎悪から生まれた」

東京大学「80年代地下文化論」講義

東京大学「80年代地下文化論」講義

宮沢章夫東京大学「80年代地下文化論」講義』(白夜書房)を読む

 先日発売された新刊をひとつ紹介する。これは劇作家宮沢章夫氏が、2005年に東京大学教養学部で一年にわたって行った、表象文化論ゼミの中の「80年代文化論」というテーマについての講義録である。元々、東大教養学部は、野村万斎氏や青山真治氏といったカルチャーの最前線にいるクリエイターを迎えた実践的な講義をやっていた。監修者は演劇の研究者として知られる方で、宮沢氏は「初めての劇作家」として講師に招かれ、おそらく当初は小劇場ブームなどを軸にした80年代論ということでの依頼だったようだ。だが、宮沢氏の講義は結果、演劇論に止まらず、むしろ音楽やマンガとそれをとりまく若者文化全般の総括になっている。これは80年代考察として、やり方は正しい。以前、アクロスの別冊で宮台真司氏らが執筆した『サブカルチャー神話解体』という名著があったのだが、基本的に80年代論は、音楽、ファッション、経済、文学、と対象ジャンルが多岐にわたるため、それぞれのオーソリティが書き寄るという形でできているものが多い。しかし、80年代のダイナミズムはやはり、それらのジャンルが節操なく横断していたことにあるわけで、だから宮沢氏の講義は、本人の体験から各ジャンルを捉えた個人史という形をとっている。細野晴臣氏が「YMOを解散させたのは、ニュー・アカデミズムである」とよく語っていたけども、これは比喩表現ではなくて、時代の潮流の中で、ダイレクトに音楽と文学の喧嘩し合うような、同じ地平に立って時代を作っていくというような同時代性があったと思う。そんな彼らをひっぱってきたのが、本書でも触れられている「カッコイイ」というキーワードで、まあ平たく言えばそれぞれのジャンルの人が、モテたくて、異種格闘技戦を繰り広げていたわけだ。本書は当然、YMO岡崎京子などについてかなりのボリュームがさかれている。このブログの読者の方には、面白く読んでもらえることを保証する。

 本書でもニュー・ウェーヴの登場が、80年代の東京の風景を変えたということで、重要なキーワードとして扱われている。音楽が軸となって、そこにお笑いやファッションが同時代的にリンクしていく目線は、宮沢氏が原宿のピテカントロプス・エレクトスというクラブのスタッフだったことに起因している。そもそもパンクの時代から、イギリスの音楽の流行は常に、ファッションや経済と切り離せないものだった。グラムだって、ニュー・ロマンティックだってそうだ。映画『LIVE FOREVER』を観れば手っ取り早いが、イギリスの若者文化が、音楽とサッカーとファッションの連帯で成り立っていることがわかる。これはつまり、大学に行けないワーキングクラスが結束して、英国の輸出文化の一翼を担っているという図式である。ちょっと脱線するが、『LIVE FOREVER』はかなりユニークな位置づけの映画で、ブリット・ポップに入れあげていた『ロッキング・オン』少女が観て嫌悪を感じるように、監督が仕掛けているような作品だと思う。同時期にかかっていたファクトリー・レーベルの興亡を描いた『24アワー・パーティー・ピープル』といっしょに語られることが多かったが、あちらはマンチェスターの隣都市で青春を送ったマイケル・ウィンターボトム監督の時代へのラブレターだから。こちらは、ブリット・ポップの象徴だった「ブラーオアシス」の図式を、保守党対労働党の代理戦争だったということで総括している。音楽愛なんてみじんもない。しかもイジワルなのは、その2バンドの対立の節目節目に、ブリストルのマッシヴ・アタックらがのんびりと本音トークしているチャプターが挿入されていて、あくまでブリット・ポップの喧噪は「ロンドンの芸能界」で起こっていたことだとでも言いたげだ。映画はオアシスの勝利で終わるのだが(なんと首相になったブレアが彼らのシンパとして登場したりする)、真のラストには、イギリスのモー娘。みたいなメヌードみたいな子供のグループが、オアシスチャートから突き落とした最終勝利者として、タイトルロールのところで登場してくるという具合。私は性格が悪いので、これを面白いと思ってしまった。

 90年代初頭、友人の『オリーブ』編集者から聞いた話だが、ファッションページの撮影の時、その日のテーマであった「グランジ」が、実は音楽のジャンルから生まれたということを、そのスタイリストが知らなかったということがあったらしい。グランジも確かに、アメリカの音楽とファッションが結びついた流行である。だが、昔ファッション業界から、小暮徹氏のパンク発見や、佐藤チカ氏のプラスチックス結成など、音楽シーンの流行にダイレクトに繋がる動きがあったことを知っている私からすると、その事実は衝撃的であった。それぐらい、ファッション/映画/音楽といったジャンルが、いまは相互に行き来する機会が減ってしまったのだろう。音楽だけをとっても、Jラップしか聴かないとか、モー娘。好きはハロプロ系で手一杯なんていう、タコツボ化が進んでたりするわけだし。不況を背景にした可処分所得の減少というのと、インターネットによる情報の氾濫で特定のジャンルを追っかけるだけで精一杯という、このダブルバインドが、若い世代を追い込んでしまった結果のように思う。

 その格差は、実はこの講義録に出てくる生徒の発言との温度差として、わかるようにまとめられている。会話があきらかに成立していないものもある。よくよく考えれば、宮沢氏が語るピテカンのことなど、25年前にはまだ生まれてなかった生徒達には、歴史の1ページにしか見えないのだろう。普段、ロックなどを聴いて若いつもりでいる私だが、若い世代と会話がかみ合わなくなった時に、やはり生まれ年の違いを確認して、自分の立場に愕然とすることがある(まあ、こんなブログをやってるのも、半分は日々記憶力が失われていることの危機感もあるのだけれど、些末なことでも何か後生に伝えることで、隔世遺伝でもいいから自分らの世代の存在証明になれば、と思っているところがある)。おそらく今後は、“昭和史”という歴史の授業として、サブカル検証は教育の場へと移されていくと思う。大学ほか教育機関規制緩和があって、今年の4月から各大学に芸術学部(学科)、映画学部(学科)が一斉にできたことはご存じだろう。北野武氏が東京芸大で教えることも衝撃的だが、細野氏が多摩美で授業を受け持っているという事実にも驚かされる。音楽評論家の篠原章氏が大東文化大学経済学からメディア学へと移ったり、同じく立川直樹氏が金沢芸大学にロック書架を作ったりしている流れを鑑みるに、いずれ近いうちにどこかの大学にロック学部なんてのもできるだろう。少子化第一世代ということで、来年から全入時代に突入なんていわれていて、各校とも生徒獲得でてんやわんやであるからして。先日も、京都精華大学マンガ学部竹宮恵子氏の授業をテレビでやっていたけれど、『うる星やつら』がギャグマンガの古典として紹介されている構図を見ると、隔世の感があったな。

 とはいえ、80年代研究については、実はかなりの資料がすでに出版されていたりする。70年代と違って、資料がたくさん残されているから、90年代初頭にはまとまったものが容易に手に入ったのだ。しかし、80年代の「心の問題」については、まだあまり踏み込んで総括したものが少ない。大槻ケンヂ氏の『グミ・チョコレート・パイン』も当時の出来事を風景として扱っているが、主軸にあるのは普遍のビルドゥングスロマンみたいなものだし。ケラ氏の監督作『1980』も、当初岡崎京子の『東京ガールズブラボー』を原作として取りかかるつもりだったらしく、結果出来上がったストーリーもどこか「借り物」ゆえに普遍性があるもので、「自分の物語」を語ってはいない(なぜ音楽にP-modelではなく、YMOプラスチックスを使ったかにそれは表れていると思う)。ケラ氏がナゴムの復刻などについて、ある程度の距離を取っているように見えるのは、まだ総括できる心の準備ができていないからのように見える。みうらじゅん氏の場合も、映画『アイデン&ティティ』で語られているのは、70年代の吉田拓郎時代と、80年代後半のバンドブームだけで、80年代初頭がすっぽり抜け落ちていたりする。宮沢氏のこの講義録は、そういう意味で初めての、同時代人が80年代のド真ん中を捉えた通史になっていると思う。10年ぐらい前、幻冬舎の『キャンティ物語』のパロディみたいな読み物で、桑原茂一氏の『ディクショナリー』誌で「ピテカン物語」という連載があったけれど、あれも結局尻切れトンボで終わっていたしね。


■第一ラウンド「サブカルvsおたく

 昨年末のころだったか、『ユリイカ』の別冊で「おたくvsサブカル」という特集があったのを覚えておられる方もいるだろう。私は最初、この二項対立の図式を観て「???」と一瞬考えてしまった。基本的に私の見解は「社会につまはじきにされたものという意味で二つは同族であり、サブカルから教養コンプレックスを抜き取ったのがおたく」という理解だったから(この説明で、わかる人ってどれだけいるんだろう……)。基本的にその本の図式は、『電車男』などのヒットによるおたくの勝利に対して、うかばれないサブカルからの異議申し立てみたいな、「勝ち組vs負け組」の代理戦争になっていた。この感じは私もわからないわけじゃない。とにかく音楽の本なんてサッパリ売れないから。カルチャー経済という大枠の中では、常に頂点にアニメ文化があって、音楽などヒエラルキーの最低層に位置しているんじゃないかと今も思っている。昔は、そこに「モテるか? モテないか?」というテーマが大きく横たわっていたから、音楽とアニメでは、「アニメより音楽がモテる」という順序が不動なものとしてあったと思うんだが、たぶん「モテ? どうでもいいじゃん」という時代に突入してから、立場が逆転してしまったんだと思う。音楽がいかにモテに依拠していたのかという……(笑)。そのモテへのこだわりを捨てたことが、私には教養を捨てたように見えたのだ。しかし、常に経済の中心にいる勝ち組はそちら側だから、未だに門外漢のくせに、私が「マンガ原作やらして〜」とか言ってたりするのもそういうことが理由なのだが。

 我々の世代がきちんと80年代を検証してこなかったことの責任として、先ほどの「サブカルvsおたく」のような奇妙な対立構造が生まれたり、若い世代の一部がいびつなサブカル幻想を抱えたままでいることに気づくことがよくある。例えば私は、『クイックジャパン』という雑誌が好きではない。あれは、往年のサブカルの有り様をトレースしてるだけの雑誌に見える。たぶん、明確なメインカルチャーがある時代じゃないから、カウンターとしての足場がないために、かつてのカウンター文化を尺度にして、自分の立ち位置を決めているんだろう。でも、コミケなどで起こった現象を「かつてストーンズがハイドパークで……」といったロックの神話イディオムで語るのはすごくサブイ感じがする。小沢健二のNYでの突撃レポートも、あれは『電波少年』がやってたからというエクスキューズがあったからできただけだし、タモリの失明のことに触れている部分なども基本的に品がない雑誌だと思う。私はKという人が編集長だったころしか知らないが、彼が卒業して作った『CV』という雑誌を見て、この人は権威にすり寄るだけで「やりたいことがなにもない」人のように見えた。いや、期待して読むから失望が大きいのよ……(笑)。しかも、同業だから、やってる結果から内情など類推できるし。中原昌也氏らの『嫌オタク流』という本も、まったく「嫌」どころかおたくに興味がない彼らを、勝手に焚きつけて本にしたのがこの人だと聞いている。こっちのは面白かったけれど、なにか個人的なコンプレックスがファクターになってるみたいに読めたから、代弁させられるほうはどうなんだろうと思ったが。

 昔、後輩が出版社のUPUにいて、イギリスの『i-D』誌から拙宅を取材させてくれと言われたことがあった。テリー・ジョーンズが編集長をやっている当時のナウな雑誌だが、「OTAKU」を特集したいので、日本のクレイジーなコレクターを紹介して欲しいと言ってきたというので、私が推薦されたのだ。英語しかしゃべれないカメラマン兼ライターが来て、私のレコードやビデオのコレクションのビザール性を見抜き、最終的に田舎のお袋に送ってもらったドテラ(どてらまんである)を来て私はイギリスの雑誌に載ってしまった。これは、当時ソニーにいた知り合いが飛行機の機内で見たら載ってたんでひっくり返ったというほど、私にとって奇妙なエピソードだったのだが、その後、まあ面白かったのか、日本版の『i-D JAPAN』からも取材のオファーがあったのだ。それでまあ、されるがままに部屋を提供してあげたのだが、その時に連れてきたライターというのが、大学のプロデュース研究会を主宰しているとかいう食えないヤツで(笑)。特集は同じ「おたく」だったと思うんだが、それを固定観念から“ネクラ”に読み替えて、やたら取材で「ネクラと言われることについてどう思いますか?」などと聞いてくるのである。私はわりと多弁家だし、剣道をやっていたので声がデカイのが特徴なのだが、これまでにネクラなどと呼ばれたことはほとんどなかったから、このインタビュアーの質問には閉口してしまった。で、違う違うと説明したのに、載っている記事はまんまだった。おたくといっても、いろんなタイプがいるのがわからんのかと。私は、こういう若い世代が、自分の洞察力のなさに謙虚になれずに、過去のサブカル資料をトレースするだけの傲慢さを見るにつけ、いつもウンザリする。

 また90年代の中期ごろ、私が在籍していた週刊誌に「中森文化新聞」という連載があった。私は編集部で唯一のサブカル系人間だったのだが、この連載に関してはかなり冷めていて、私にはこれが、サブカルに憧れて集まる子供達を宗教みたいにオルグして、かつてのカルチャーの残骸と戯れているようなグロテスクなものに見えていた。たぶん中森氏は頭がいいから、カルチャアスタアがここから出てくるなんてこれっぽちも思ってなかったんじゃないかと思う。また同じころ、伝説的な出版物として記憶されている方も多い『週刊本』のメインスタッフだった、A出版社のA氏と仕事をすることがあった。氏が手掛けた、松本人志の単行本『松風95』に関するパブリシティ話を受けてのことだったが、この時のA氏の横暴な態度に私はブチ切れてしまったことがあった。松本氏の事務所に対する奉公心からか、あるいは日頃からの同業者への軽蔑意識がそうさせたのか? 私もマジメな性格なものだから、わざわざ長い手紙にしたためてA氏にお送りしたのだが、それ以来お会いすることもないままに今に至る。まあ、そういうことが続いていたこともあり、ずっと「サブカルうんざりだわ」という気分があったのだ。サブカルの復活なんて心にも思ってもいないくせに、それを商売に利用していることへの嫌悪というか。

 本書にエピソードが紹介されていて知ったのだが、『ゼビウス』というテレビゲームは、唯一サブカルおたくの両者から支持された、シンボリックな存在だったらしい(私はゲームをやらないのだ)。宮沢氏も夢中になったという『インベーダーゲーム』には、実は初期のテレビゲームらしくバグがあって、それに気付いた人々が裏技を発見しながら、驚異のテクニックを競い合ってきた歴史があるらしい。『ゼビウス』は、そのバグが意図的に仕掛けられた初めてのゲームだったという。画面上の世界観や設定された歴史軸の中を巡りながら、バグ探しをする楽しみにユーザーが魅了されてヒットになったというもので、ゲームの土台を支えるのはテクノロジーなのに、極めて情緒的に潜在意識を刺激する仕掛けが講じられているという分析であった。楽器好きで、テクノロジーの進化が音楽の進化を促してきたと信じる私には、合点のいく説明だ。私は、それを読んで思い出したことが一つあった。数年前、『リング』の影響でJホラー映画が話題になった時、「Jホラーとそれを取り巻く環境」というテーマの取材をやったのだ。従来のホラー特集と違っていたのは、『リング』の祟りがビデオテープを媒介していたことから、携帯電話やネットにおけるホラー性に着目したこと。その中で、映画『エコエコアザラク』の佐藤嗣麻子監督が監修したホラーゲームというのを紹介したのだ。実はこれ、ファンの間で一部にバグあったことが知られているもので、ある場面になると、ゾンビが追っかけてくるのに、ボタンがまったく作動せずに主人公がフリーズしてしまうところがあったという。私はそれを「ハイテク仕掛けのホラー手法だな。新しいじゃん」と面白がって記事を書いたのである。ところが、ゲーム会社から「バグにまつわる話は全部NG」ということで、そのあたりのエピソードの一切合切を割愛されてしまったのだ。「商品管理上のシビアな問題があって、そういう余談をエピソードとして回収する余裕がない」というのがメーカーの説明だった。う〜む。ユーモアの欠落という寂しさ。これじゃ、平沢進氏が主張しているみたいに、ジャンル自体がエラーみたいなテクノポップの存在はどうすんのさ……(笑)。

 本書ではまた、80年代の「WAVE」に象徴される西部セゾングループの栄光についても触れられている。堤清二という、経営者でありながら“辻井喬”という文学者でもあった人が経営者だったからこそ、あのサブカルの時代はあったのだと。私の『宝島』時代の同僚を見回しても、永江朗氏は元々池袋のアールヴィヴァンにいた人だし、柳下毅一郎氏だって奥さんは元スタジオ200の受付嬢である。ついでに言えば、私が在籍する週刊誌の先代の編集長なんか元パルコ出版だ。佐々木敦氏や中原昌也氏が元シネヴィヴァンの店員だったり、SEEDホールには常盤響氏、小山田圭吾氏、阿倍和重氏という蒼々たるアルバイトの歴史がある。“テクノDJパーティー”時代の相方だった、現テクノ音楽ライターの丹羽哲也氏や岸野雄一氏、伊藤英嗣氏らも、パルコのライバルだったダイエー系の文化サロン「CSV渋谷」の店員だったという意味では、間接的にセゾン文化の影響を受けていると思うし(なんと、16億円の負債を抱えて倒産! どんなレコード店なのだ)。

 西部セゾングループの凋落を捉え、そうした文化意識の高い経営者がいなくなってしまったということを、サブカル失墜の理由として宮沢氏はあげていた。また、セゾンやダイエーがやっていたようなメセナ(文化支援)を、ライブドア楽天ら今日のIT起業家らが一切興味を示さないことを指摘して「彼らには文化が欠落している」と説明している。前者のライブドアについては、一時期、自分の勤務先が子会社のようになっていた時期があるので、いろいろ思い当たることもある。これは私個人の意見として書くが、ニッポン放送を買収したあたりまでは、好きな人間ではないものの(オン・ザ・エッジ時代に2回取材済みだった)、保守層に果敢に噛みつく姿勢を痛快に思う部分はあった。しかし、ニッポン放送を買収した時に「おっ、ホリエモンオールナイトニッポンとか始まったりして……(笑)」とか、かつてのラジオ世代らしく期待してみたものの、彼はニッポン放送など意にも介さずフジテレビや産経新聞にご執心で、当初のお題目であった“ラジオとネットのシナジー”以上のことは語らなかった。彼にはきっと、人生でラジオに夢中になった時期がないのだろう。御同輩も多いであろう、私もハーブ・アルパート「ビター・スウィート・サンバ」を流して、自分のラジオ番組みたいなものを勝手に作ったりしていた世代なので(笑)。だから、きっと高田さんも上ちゃんもテリーさんの番組も聞いてないんだろうなと思ったら、ちょっと寂しくなった。そういう人間の買収なんて、いくら正論を積み上げたところで、ニッポン放送の社員に受け入れられるはずはない。


■第二ラウンド「おたくvsおたく」と「サブカルvsサブカル

 本書には、「おたく」の語源として中森明夫氏の『漫画ブリッコ』誌の当時の原稿が紹介されている。そもそもこの言葉は、生まれて初めてコミケに行った中森氏が、その異様に見えた光景を捉えて、ある種の蔑視用語として命名したものだ。おそらくこの言説は今、大塚英志の『「おたく」の精神史』(講談社新書)などでも再び取り上げられるなどして、先ほどの若手世代による総括「おたくvsサブカル」の二項対立のサブテキストとして機能しているのだろう。だが、私が中森氏などの仕事を見てきた印象でいうと、彼はむしろおたくに側に立つ人物で、「おたく」の命名も煎じ詰めれば同族嫌悪だと思っているところがある。

 また別のページでは、現代美術家村上隆氏がサブカル側を代表するものとして、彼がコミケに初めていった時のエピソードが紹介されている。村上氏が、自分の作ったフィギュアコミケに出した時に、まわりのプロパー筋から明らかな嫌悪感を抱かれたことが、今の美術活動を規定している部分があるという話だった。実は私、わりと早い時期に村上氏に取材をしたことがあるのだ。私は『ニュータイプ』のような雑誌にいたこともあり、おたくに対してかかなり屈折した愛憎を感じている人間なので、同世代である村上氏を同じようなタイプかと思っていたのだ。ところが、彼の話を聞いていると『機動戦士ガンダム』に夢中になり、アニメ美女に萌え、普通に高校時代からマンガを描いていたという、典型的なおたくであった。極論すれば、彼の作品が海外で「ANIME」の商品としてちゃんと機能しているのは、やはりきちんとおたくの特性を踏まえているからであり、広告代理店のような振る舞いはやり口だけだと思っている(コミケという場が、彼を追いつめるほど特定の価値観の縛りの中にいて、「例外を認めない」という閉鎖空間だったというのはひとつの見方としてあるだろう。ただし私は、それを否定する立場にはいない)。

 以前、『ニュータイプ』時代に目撃した、こんなエピソードもある。この雑誌がアニメ業界に於いて、かなり開かれた存在であることはすでに認知があった。唯一、声優にヘアメイク、スタイリストを付けて撮るなど、アートや若者文化の中心にアニメを据えてクロスオーバーに語ることの意義性があったと思う。しかし、S編集長が抜けた後、こんな特集が組まれていた。「ダサイとバカにされないためのおたくのためのファッション講座」というものだ。「アニメ誌では前代未聞の」「異ジャンルへと目を向けさせる」という意味では、S編集長のやってきたものと説明と変わらない。だが、読者にとってこれは真逆のものだと思った。彼らが『ニュータイプ』を面白がっていたのは、アニメ雑誌を読んで知る、ニュー・ウェーヴ文化やパンク・ファンションという異文化の面白さであって、それはファンタジーに内包されたものであり、「開かれた情報」というのは、彼らを現実社会に引き戻すようなものではないんじゃないかと。

 これらの視線に、一様に「同族嫌悪」があると見えるのは、私の辿ってきた変遷に理由があるかもしれない。私が在籍していた『宝島』という雑誌は、かつてサブカルの総本山と言われていた。一般的なイメージで言えば、クラブのはしりだったナイロン100を経営していた中村直也氏のレコード紹介ページ「100%プロジェクト」や、奥平イラのコミック、藤原ヒロシ氏が高木完氏とやっていたタイニー・パンクスの「LAST ORGY」などが思い出されるだろう。しかし、一方で「VOW」のようなベタな投稿ページもあり、その2つの流れが同居していたところにあの雑誌の魅力があった。宮沢氏は本書の中で、ピテカンなどのスノッブ文化と同列で語れないからと『ビックリハウス』を断罪している。だが、お洒落な一面だけではなく、実はああいった投稿文化が『宝島』を支えていた部分が大きいと思う。女のコの“一人エッチ”のエピソードを集めた当時の連載「プロジェクトC」のアンケートを見たことがあるのだが、パンクファッションに身を包みながら大多数の子が実は性体験がなく、バンドブームを支えてきたのがそうした未成熟な女の子たちであった。そういう意味では、彼女たちがロックに求めていたのはファンタジーであって、アニメ誌の読者と大して変わらないように思う。『オリーブ』などにしてもそうだろう。フリッパーズ・ギターという王子様に入れあげていた女性読者も、最終作『ヘッド博士の世界塔』をキャッチできていなかった。その後に、カジヒデキ氏(実は歳は私と一つしか違わない)がパーフリの2人より上の世代でありながら、半ズボンで颯爽と登場し、まるで『カメラトーク』再びというようなイメージで、『ミニ・スカート』をリリースして40万枚売り上げたというのは、当時のサブカルチャーがそうした保守層によって支えられていたことを証明していると思う。

 私が『宝島』に在籍していたころに聞いた話をもう一つ披瀝しよう。今の『宝島』はもう別雑誌みたいなものだから、時効だろうから語ってしまうが、実はあのころ、宝島社から『ビックリハウス』を復刊するという計画があったのだ。それはお流れになったのであるが、サブカルは廃れつつあったものの「VOW」などの投稿連載は未だに元気で、私はその着眼点に心を躍らせたことがある。実は『宝島』を80年にニュー・ウェーヴ誌にイメチェンしたS編集長は、『ポンプ』(現代新社)編集部から移籍してきた人であった。宮沢氏の本でも紹介されている『ポンプ』は、70年代末期に存在していたペンパル雑誌(この説明で、わかるんだろうか……?)で、ペンフレンド募集や街で見つけたネタなどを文字びっしりに紹介する投稿雑誌だった。私がこの雑誌をよく知っているのは、私がラジオの投稿少年だったからである。『ポンプ』は地方に住みながら日々の悶々とした生活に居たたまれず、将来上京する日を夢見る子供達にとって、他県との繋がる手段を提供してくれる雑誌だった。それは人気連載「VOW」に繋がっていく文化で、いわば宮沢氏がベタとして断罪していたものが、『宝島』のもう一方の面を支えていたのだ。S氏はRCサクセション『愛しあってるかい』を上梓した編集者として、シニアRCサクセションのファンに知られている存在である。むしろYMOなどのテクノ文化を嫌っていたはずだ。この時、私はYMO世代でありながら、クールになりきれないラジオ世代でもあるという、アンビバレンツな存在だった。どちらかというと私は、S編集長に可愛がられてはいなかったので、むしろ「このテクノ野郎!」という感じで疎まれてたのかも知れないと思うところもあるし……(笑)。

 また、あれは『宝島』を去ったすぐ後のころの話だっただろうか。兄妹誌『キューティー』で連載していた岡崎京子東京ガールズブラボー』がまとまって単行本になった。80年代初頭の、ニュー・ウェーヴに憧れていた地方出身の少女のごくありきたりの生活をギャグテイストで描いたものだ。ところが本作は、連載開始時から「事実関係が違うんではないか?」という、当時を知る人間からたびたび指摘を受けていた。それについては、岡崎氏が後年「実はピテカンとか大人ばかりで、怖くて入れなかった」と、かなりの部分が残されていた資料で描いたものであったことを告白している。あの作品は、80年代の“時代の気分”を語ることに意義があるから、細かな史実の再現など私は不問としたい。ただ、今の若い世代が80年代に教科書のようにして『東京ガールズブラボー』を読むという図式があるとすれば、それは作者にとって少々屈折した感情を抱かせる部分もあるのではと思う。なぜ、あの時代に岡崎氏が、ごく普通の若者みたいに夜の東京の街に飛び出していかなかったかについて、明確な理由は知らない。ただ、『宝島』のS編集長や私のように、サブカルの中心のような雑誌にいながら、どこか冷めてるというか、むしろ同族嫌悪のような気持ちを抱えながら、本を作っていた事実があるってことが、少しは理解の手だてになるのではと思うところがある。

 後年、90年代初頭の『別冊宝島』が、特集で「80年代はスカだった!」というコピーであの時代を総括していた。後にこのコピーを巡って、『Invitasion』誌の80年代特集で「かつてのサブカル誌がなにをか言わんや」と糾弾していたのを覚えている。本書で先のコピーを引用した時の宮沢氏の立場も、それは同じだ。しかし、『宝島』に在籍したこともあり、まるで80年代文化によって血肉が築かれた私のような人間であっても、「80年代はスカだったかも……」と言ってしまいたい気分というのが、どっかしらにいつもあるのだ。


■判定負け

 最後にーー。本書では、恥ずかしながら「電子音楽インジャパンを巡って」という拙著を取り上げてもらっている章がある。宮沢氏の影響を多大に受けている私にとって、これ以上の名誉はない。面識がないものだから、ここでとりあえず謝辞を述べさせていただきたい。また、別ページに登場してくる『宝島』91年3月号「ニューウェーヴの逆襲」という特集も、実は私の企画なのだ(笑)。『Techii』でも、今の週刊誌でやったサブカルチャー特集でもマトリクス分析をやっているので、ホントに自分は同じことばっかやってんなあと恥ずかしくなった。ちなみに、このマトリクス分析の手法は、フジテレビの深夜にやっていた『マーケティング天国』という、極めて80年代チックな番組の影響である。

 もうひとつ、宮沢章夫氏の初の小説『サーチエンジン・システムクラッシュ』にテルミンが出てくるのだが、あれは拙著で初めてテルミンの存在を知ったのがきっかけだったと書かれていて、頭から火が出るような思いになった。ふー。宮沢氏はテルミンをご存じなかったのか……。でも、確か『羊たちの沈黙』のレクター博士の趣味が、テルミン演奏とかいう設定とかあったんじゃなかったっけな?


※一部、事実誤認がありましたので訂正しました。