POP2*5(ポップにーてんご) RSSフィード

2006-08-21

[]鈴木さえ子レアトラックス

 昨日のエントリーで、鈴木さえ子が音楽を手掛けている『ケロロ軍曹』の音楽について少し触れた。これはほぼ十数年ぶりになる彼女のカムバック作品で、CDの帯にも「鈴木さえ子」の名前がデカデカと謳われているという異例の扱いになっていた。87年の市川準監督の映画『ノーライフキング』に、女優として出演し音楽を手掛けたことで、一般の新聞でも注目され始めていた彼女だったが、その作品を最後に半引退生活に。そのことを、ファンとしてずっと気がかりに思っていた。おそらく、その後の唯一の話題らしい話題は、アンビエント・ハウスが流行していたころに参加した『ラヴァーズ・ハワイ』というインスト・アルバム2枚ぐらい。だが、これがまた機能性重視の無個性な世界で、鈴木さえ子らしさは皆無だったと言っていい。前作のサントラノーライフキング・ノ・ミュージック』で、それまでのサウンドから一転した実験音楽を展開し、ファンを煙に巻いた彼女だっただけに、よけいにその実像が見えなくなることに不安を感じた。

 中学時代以来、ずっと坂本龍一を信奉してきた私だが、私の心の琴線に触れる要素に、彼のルーツだったフランス近代音楽のエッセンスにあったということを、後に様々な音楽聞いていく中で知ることとなった。そういう意味で、フランス近代音楽のスタイルを継承し、それをテクノロジー音楽に結びつけていた鈴木さえ子の音楽性は、私のもっとも好むところであった。しかし、シネマ、フィルムスなどの過去の参加バンドのプロフィールを見てみても、彼女が主体的にソングライターとして関わっていた時代はない。しかも、それ以前はメデューサというかなり芸能チックなグループにいたらしい。ソロデビューのきっかけも、同社(ディアハート)所属の大貫妙子のバックでドラムを叩いていたことかららしいのだが、それがなぜヴォーカルもののソロでデビューすることになったのかにも、ずいぶん飛躍がある。

 ディアハート〜ミディ時代の4枚のうち、3枚目までが鈴木慶一がプロデュースで関わっているもの。サウンドが激変したインスト主体の『ノーライフキング』のサントラには、慶一氏は参加していない。ごく初期のインタビューで、デビュー作『毎日がクリスマスだったら……』は当初サイコ・パーチズ(鈴木=パーチと、さえ子=PSYCHOのもじり)という、鈴木慶一氏とのユニットアルバムになるはずだったと答えていたが、今から思えば、3枚目までのアルバムは、鈴木さえ子個人のアルバムというよりサイコ・パーチズのアルバムだったと思う。慶一氏はそれまでにも、ポータブル・ロックハルメンズなどのプロデュースを手掛けているが、鈴木さえ子作品の関わり方は少し異なっていたという。結婚後であるから、パートナーという意味では他作品と異なるのは当然だが、特徴的だったのは、彼女はポスト・テクノ世代の中では珍しくシンセサイザーなどの機械関係が不得手だったということ。ピアノによる作曲やドラム、マリンバ演奏のほかは、音作りのほとんどを実質的には慶一氏が手掛けており、その分担から当初ユニットという解釈で進められていたらしい。それが彼女のソロ名義になったのは、それを商品として捉えてみた、慶一氏の判断だったのだと思う。

 私はトニー・マンスフィールドの熱狂的ファンなのだが、80年代中期からトニーに明らかなスランプ期が訪れ、一時はジャン・ポール・ゴルチエのハウス・アルバムを手掛けるなど、完全に職業アレンジャーに失墜していた時期があった。しかし、往時のファンは数多くいて、私も敬愛する太田裕美のディレクター、福岡知彦氏が遊佐未森を手掛けていた時に、プロデューサー外間隆史(元フィルムス)のアイデアで、トニーを2曲に起用したことがあるのだ。その時聞いた話だと、トニーのサウンドの激変は、彼のトレードマークであったフェアライトCMIがスクラップになってしまったことに一因があったようだ。遊佐未森のアルバムは、往時のトニー・サウンドを期待するファンを喜ばせるものに仕上がっていたが、それは実際、外間氏のスタジオでのコントロールに負うところが大きかったらしい。テクノロジーに依存する音楽というのは、その楽器の寿命というのに、かくも左右されるものなのか。カムバックして来日まで果たしたスクリッティ・ポリッティの新譜を聴いてみても、あの『キューピッド&サイケ』のサウンドには遠く及ばない。フェアライトという楽器の魔法に支えられていたことを再認識するだけで、それがこのテクノロジー万能の時代にあって再現できないということに、絶望的な気持ちになる。そういう意味で、『ケロロ軍曹』は、ディレクターやサウンド・メーカーのTOMISIROらによるサポートによる、“鈴木さえ子再結成”のような仕事になっていると思う。慶一氏との蜜月時代の傑作群に通ずる、彼女のブライトサイドを見事に引き出している。

 『ノーライフキング・ノ・ミュージック』のころのインタビューで、前3作との音の激変について、インタビュアーがきちんと問いただした記事がなかったことに当時不満を感じていた。だが、彼女にとっては、こうした大胆なインスト路線への変貌は元から想定内だったらしい。いわゆるローラ・ニーロキャロル・キングに憧れてデビューするような、日本の他の女性シンガーとは大きく違うのだ。ゴドレイ&クレーム、トッド・ラングレンフランク・ザッパなどが好きだと公言する人である。おそらく、彼女の可愛い声をフィーチャーしたラヴリーな路線は、レコード会社プロデューサーの意向だったのではと思う。ヴォーカル曲を書いたのは、そのころに愛聴していたというニック・ヘイワード『風のミラクル』に影響。とすれば『風のミラクル』と出会わなければヴォーカル曲を書かなかったかも知れないし、基本的に彼女はアート・オブ・ノイズのアン・ダドリーのような職人系作曲家に近い資質の持ち主だと思うところがある。だからこそ、ゴドクレやザッパのような好みもきちんと取り入れ、ヴォーカル曲をチャームに仕上げた、初期の3枚のアルバムをサポートした慶一氏の手腕は、改めて敬服に値するものだ。もし別のレコード会社の別のプロデューサーと出会っていたら、案外彼女は普通のニューミュージック系シンガーとして、他の作曲家の曲を歌わされたりするような、別の道を歩んでいたのかも知れない。

 昨日のエントリーにも書いたが、山川恵津子尾崎亜美太田裕美など、女性アーティストでグッと来るサウンドを体得している才能に、私はめっぽう弱い。一時の椎名林檎にも、それを感じていたことがある。だから、Shi-Shonen時代の福原まりや、鈴木さえ子が同時期に登場してきた時には、かなり心が躍ったのを覚えている。しかし、『緑の法則』あたりから、不思議な感覚に感じることがあった。アンディ・パートリッジ(XTC)も夢中にした傑作『緑の法則』は、慶一氏やプログラマーの藤井丈司氏の仕事としてもピークと言えるサウンドに仕上がっている。だがアンバランスなほどに、歌詞がダークなのである。元々心霊体験も多く、ホラーやスプラッタに傾倒していたとは言え、会社やプロデューサーが演出していた「美人で明るいポップ・クリエイター」というイメージと、そのギャップが目立つことが気がかりだった。おそらく、他社のディレクターなら、歌詞を書き直せとでも言われるようなタイプの内省的な詞のように思える。だが、メロディー、声のほかは、完全に慶一氏のプロデュースによる「パブリックイメージとして作られた鈴木さえ子」のようなところがあり、そのギリギリにグロテスクな詞こそが、彼女の本質として主張したい部分だったのかも知れない。その後に出した「ハッピーエンド」というポップなシングルは、彼女が初めてヒットを意識して書いた曲。ところが、それが収録されたアルバム『スタジオ・ロマンティスト』時のインタビューでは、この曲を書いたことを後悔していると語っていた。たしかに、調性を逸脱したアンディ・パートリッジのソロが出てくるアルバム・ミックスのデストロイな仕上がりは、まるで曲自体を断罪しているように聞こえるところがある。

 『ノーライフキング』で監督の市川準が、常連の板倉文にではなく、主演でもあった鈴木さえ子に音楽を依頼したのは、単純にテクノロジー・ポップに関わっていた彼女のプロフィールによるものだったのだろう(当時の板倉氏は、キリング・タイムで反打ち込み路線を求道していた)。だが、普通の映画音楽家ならば、原作に描かれたファミコンのPSG音源などを利用にして、ファンファーレなどを多用したもっと楽しい音楽を書いていたかも知れない。『ノーライフキング・ノ・ミュージック』は、いわゆる普通のサウンドトラック盤と比較しても、極端にファンサービスのないクールな作品である。これをリリースしたのは、彼女というよりレコード会社の判断なのだろう。ただ、そのミニマルな音楽によって『ノーライフキング』は、市川準映画としてかなり異色な呪術的な魅力を醸し出すことになった。これはきっと、市川監督の引き出しというよりは、『血を吸うカメラ』やジャーロなどのヨーロッパのホラー映画に傾倒する、鈴木さえ子の提供したモチーフに負っている部分が大きいと思う。

 ともあれ、彼女を『ケロロ軍曹』で知り、遡って現役時代のアルバムを発見する若いファンも多いらしい。アン・ダドリーじゃないが、アート・オブ・ノイズが本当に再結成してしまったみたいに、この次は前衛サウンドの路線でも復活を果たしてほしいと切に思う。そういえば、アン・ダドリーが初期に数多くのマテリアルを残したアート・オブ・ノイズの初期作品BOXも近々リリースされるんだとか。実はディアハート〜ミディ時代に、彼女は数多くの映画やCM音楽を手掛けていることが知られているが、いっそせっかくだから、そのころの音も先日のシネマのデモテープ復刻みたいに商品化してもらえたら嬉しいな。

 というわけで、今回はそんな商業リリースされていなかった鈴木さえ子作品を、以下主だったものだけ取り上げてみた(『ラヴァーズ・ハワイ』『トッドは真実のスーパースター』を覗く)。なお、彼女の作品について書かれた読み物は本当に少ないと思うのだが、拙著『電子音楽 in the (lost)world』では、レギュラー作品について、かなりそのへんを掘り下げて書いてみたつもりである。興味のある方はぜひ一読を。


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『SANSUI PURESOUND CD』(東芝EMI

山水電気のコンポのオマケに付けられた非売品の試聴用CDで、鈴木さえ子がトータル・プロデュース。小林克也のナレーションでPINK「YOUNG GENIUS」、日向敏文「サラの犯罪」、ザ・ナンバーワンバンド「鉄人ターザンの嘆き」、鳥山雄司などの曲を紹介する構成だが、1曲だけ本人のヴォーカルによる新曲「CD DRIVER」が収録されている。ほか、ラテン風のテーマ、サティ風のピアノ曲など、5種類のつなぎのジングルも書き下ろし。

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『活力(エナジー・リラクゼーション)』(東芝EMI

「沈静」「ストレス」「不眠」「疲労」など、テーマ別にリリースされていた、同社のミューザックCDの一枚。半分が鈴木さえ子、半分がイノヤマランド(ヒカシューの井上誠、山下康のグループ)が担当しており、4曲のオリジナルが収録されている。「SONATINE」「ピッピの大冒険」はフランス近代音楽風のピアノ曲、「バスのマドンナ」は「夏休みが待ち遠しい」の変奏曲風。「AFTER DREAM」は『スタジオ・ロマンティック』収録曲のインスト・ヴァージョン(テイクも異なる)。後にジャケを改めて再発されている。

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JUNK POP No.2』(TDKコア)

高橋幸宏の実兄、信之氏が経営するCM音楽制作会社、スーパー・ミューザックが制作したCM音楽作品集の第2弾。KYON(ボガンボス)、徳武弘文、岡田徹など、ムーンライダーズ周辺のクリエイターの未発表曲が収められている。このうち、「タカラCANチューハイタカラCANチューハイアークティカ」は、鈴木さえ子、慶一、岡田徹が書いた曲をまとめて組曲化したもの。ワールド・ミュージックやサーフ音楽、ロシア民謡などをテクノロジーで再現したような、プログレッシヴな構成になっている。岡田徹のPS2、アシックスなどのCM曲9連発も本作の聞き所。

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『カナディアンワールド〜赤毛のアンふるさと』(東芝EMI

新潮社から出ていた原作をモチーフにした、『赤毛のアン』のイメージアルバム。ディレクターは東芝時代にYMOの復刻を手掛けた西秀一郎氏。このうち「森の信号」が、鈴木さえ子作曲、福田裕彦編曲、野宮真貴ヴォーカルというポップ・チューンに仕上がっている。石嶋由美子の作詞作曲で福岡裕彦が編曲し、作者本人が歌う「心を野バラやきんぽうげでかざる」という、まるで宍戸留美なトラックもあり。ほか、ゼルダのサヨコ、声優岩男潤子(元セイントフォー)、ブライアン・ウィルソンそっくりの謎のアーティスト、Brian Peckらが参加。

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斉藤ネコカルテット『FRENDLY GAMES』(ポリドール特販)

キリング・タイムの斉藤ネコが率いる弦楽四重奏団の初のソロ。ネコカルがお手伝いしていたアーティストから1曲づつ曲を提供してもらったオムニバスで、このうち、近藤達郎が書いたCM曲「リゲインNo.1」がブレイクしたことから、本盤は自主制作でありながら小ヒットを記録。このうち、鈴木さえ子は「産業革命」というバラネスク・カルテット風の前衛曲を提供している。ほか、鈴木慶一麒麟等が歩いている」、矢野顕子「GO AHEAD,MY FRIEND」、板倉文「KIKORI」、清水一登「WALTZ #4」などを収録。現在はジャケットをイラストに改めたものが、ライヴ会場で入手できる。

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映画『ノーライフキング』(キティビデオ)

実は上記の斉藤ネコ氏は、映画『ノーライフキング』で役者デビューを飾っており、本編でも鈴木さえ子と共演を果たしていたりする。今はなきアルゴ・プロジェクト作品で、未DVD化。CGデザインは元ラジカルTVの原田大三郎が担当していたが、当時としてもテクノロジー考証はかなり独自の解釈が入っており、独特のパラレルワールド感があった。