ファンタジー東海道 13日目ー1

人馬の連なる大名行列が通ったなどとは、思われない狭い急な坂を下っていくと、左手の林の中にひげ題目碑がある。 さらに坂道を下って行くと、右側に坂ノ下地蔵堂がある。1700年に、岡部宿の伊東七郎右衛門、平井喜平衛、中野陣右衛門の3人の発願して再建された霊験あらたかと村人や近隣の人たちに信仰されている。
 地蔵堂から南へ2kmほど進むと、十石坂観音堂が右に見える。江戸時代末期の造りといわれ、入母屋造瓦ぶき観音堂で内陣、外陣の境の格子は非常に細かい技巧がほどこされている。この観音堂には2基の厨子が安置されている。その先の岡部川にかかる岡部橋から左折し岡部宿に入り、進んでいくと左に昔風の旅籠屋の柏屋がある。
 その先の左に岡部本陣跡碑がある。碑の後にある内野氏は元禄年間から本陣を勤め、現在の建物は明治になって建替えられたもの。14台将軍家茂上洛の折に社号が与えられが将軍稲荷、井戸、庭園が往時の姿を残しているという。
 約700mの脇道を抜けると岡部町役場前に出る。この辺で宿場はずれとなる。途中、松並木を見ながら進むと藤枝バイパスのガードをくぐるとすぐ右に「従是巌村領 横内」と書かれた岩村藩領傍示杭がある。この杭は江戸時代の1735年から明治維新までの155年間、横内村が岩村藩領であったことを標示した杭を復元したもの。岩村藩美濃国岩村城岐阜県恵那郡岩村町)を居城とし松平能登守が3万石の領地を持ち、駿河国には154村五千石分の飛地の領地を持ち、横内村に陣屋(地方役所)置いて治政を行っていた。
 ここから岡部町から藤枝市に入り、藤枝宿に向かうことになる。