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2013-01-31

「会田誠 天才でごめんなさい展」をめぐるいざこざ

16:01 | 「会田誠 天才でごめんなさい展」をめぐるいざこざを含むブックマーク 「会田誠 天才でごめんなさい展」をめぐるいざこざのブックマークコメント

筒井康隆の昔の短編に「近代都市(角川文庫『心狸学・社怪学』に収録)」というやつがある。
昔(水洗トイレが無かった時代)の国鉄の電車のトイレには汚物タンクが無いやつがあったんですね。
つまり、便器の穴から線路がまるみえ。電車のトイレで用を足すと、糞尿などの汚物が沿線近辺に霧状になってバラ撒かれるというわけ。
「近代都市」という短編では、沿線近くに居を構えた主人公の男性が汚物被害に腹を立て、国鉄総裁に抗議するためにベニヤ板を自宅の窓に立て掛けて霧状になって飛んでくる汚物を貼り付けた。ところがその汚物まみれのベニヤ板を見た芸術評論家が「現代社会批判が背景にある前衛アートだ!」と大絶賛。その芸術作品(糞尿ベニヤ板)につけられた作品タイトルが「国鉄」。
…という話。
 

現代アートとはそのようなものだと思っております、わたくし。
道端に落ちてる犬のクソでも、それなりのタイトルつけて「アートだ」と言い張ればアート扱いするヤツがいるでしょうよ、たぶん。
ゲイジュツ評論家の皆様は深読みが得意だから、勝手に「この作品には○○を背景とした××というメッセージが込められており、これは△△に対するアンチテーゼがどーたらこーたら」とか深読みしてくれるはずです。
 

解釈との関係性において成立すれば、便器だろうと自転車の車輪だろうと、アートと言い切ればアートになります。マルセル・デュシャンの「レディ・メイド」の例を挙げるまでもなく。
 
レディ・メイド - Wikipedia
 
 


まあ「モノの価値」とはプロデュースの仕方次第で如何様にも変わるということです。
村上隆会田誠というひとはプロデュースの仕方で「モノの価値」を変えて商売してるひとです。
村上隆のほうがより資本主義的であり、ビジネスマンですけどね。
 

村上隆とか会田誠の作品に描かれる日本のオタクカルチャーをモチーフにしたもの…具体的にはアキバ系・萌え系へのオマージュ・引用・本歌取り(美少女陵辱、エログロ、暴力)は、はっきり言っちゃうと作品単体で見ればpixivあたりにごろごろ転がってる萌え絵師作品や、ワンフェスに出品されてる美少女フィギュアと大差ない。
が、正統な美術教育を受けた人間が「あえて」それを扱って、アートの看板背負わせれば「アート」になる。
現代アートというのは作品単体で評価されてるのではなく、解釈との関係性まで含めて評価されるので、芸大出の人間が美少女陵辱萌え絵描けば、ロリペドや児ポや都条例違反ではなく、美術業界のアカデミズムに対するアイロニーや既存の芸術作品に対するアンチテーゼになったりするわけ。
  
 
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会田誠「犬」
 
 
 
 
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永井豪「バイオレンス・ジャック」 
 
  

 
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岡本倫エルフェンリート
  
 
 
 
 
 
 
 
ある種の人間にとっては「アート」っていうのは一種の権威なんで。
「アート=権威」というのは、「アートとはエライものであり、凄いものであり、価値があるものである」という思い込みなんですが。「わかんない、理解できない」とうっかり言ったりすると「芸術を理解するセンスが無い奴」というレッテルを貼られるので、「センスが良い人間だと他人から思われたい」ひとがとりあえずわかったフリをすることで成り立ってるジャンルでもあります。
 
好き・嫌いで言えば個人的には村上隆会田誠も嫌いだ。
サンプリングやオマージュやパロディがいかんとは全く思わない。芸術なんて模倣だから。
単にオタクネタや萌えネタをアートのモチーフに持ち込むことに対してなんか抵抗があるんだよな。
いや、何をモチーフにしようと本人の自由だけれども。
なんか「あんたら元ネタ馬鹿にしてね?」って気がすんのな。
いや別に馬鹿にしくさってるものを元ネタとして引用しても、それも「表現」としてはアリなんだけどもさ。
元ネタとして作品に引用する以上はそこにリスペクトが存在しなければならないと思ってるわけでもないんだが。
それでも、どうも不快なんだ、元ネタに対する上から目線が。

 


で、物議を醸してる会田誠展なわけですが。
 
 

「首輪の全裸少女」作品に市民団体が抗議 会田誠展は本当に「性差別」なのか - ライブドアニュース

会田誠展に抗議した『ポルノ被害と性暴力を考える会』とは? - NAVER まとめ

PAPSが森美術館「会田誠 天才でごめんなさい」展に抗議 - Togetter
 
 
  
 


会田誠の作品は女性に対する性暴力・性差別なので抗議する。抗議だけじゃ納得できんので諸作品の撤去を申し入れる」とPAPSという市民団体が騒いでるようです。

あ〜、え〜とね〜。
反社会的だったり、非常識だったり、物議を醸したり、人の心を逆なでしたり、良識的な人の眉をひそめさせたり、そういうものを「あえてやる」ことは「芸術表現」の一手段として大昔から成立してる(というか既に方法論として古い)んで、そういう「正義のひとからの抗議」はおそらく作者側にとっても主催者側にとっても「織り込み済み」なんだと思いますよ〜。
むしろこうやって物議を醸すと却って「アートとして箔がつく」ので、実はこの手の「芸術表現」に本当に抗議したければ「無視」が一番効果がある。良い意味でも悪い意味でも、人の心に波風を立てられないものは「芸術表現」として失敗だから。

ていうか、作者が女性だったらこの市民団体はあの絵を「女性差別」って言わないでしょ。
何度も書いてるけど解釈との関係性において価値が成立するから、女性がああいう作品描けば「フェミニズム」という文脈で受け止められるように思う。むしろフェミアートのほうが性暴力描写多いじゃん。松井冬子とかさ。
松井冬子会田誠じゃ全然違うじゃん、と言われたら「うん、そうかもね」と思う。
でも、松井冬子みたいな絵を描くひとの性別が男性だったら、やっぱりこういう「正義の抗議」をしてくるひとたちが出てくるような気がするんだ。
 
 
f:id:snksnksnk:20130131155625j:image:w360 
松井冬子「浄相の持続」
 
 



ああいう「物議を醸す作品」を描くのも自由、発表するのも自由、それに対する嫌悪を表明するのも自由、抗議するのも自由。
だが、「撤去しろ」と主張するのは自由ではなく圧力。

だってああいうものを見たくないというひとにまで無差別に見せ付けてるわけではなく、きちんとゾーニングされてるわけだからねえ。

「自分が不快だからこの世から消せ」は社会正義に名を借りたファッショです。
わたしは「会田誠の作品が展示される自由」を尊ぶよ。
いや、会田誠は嫌いですけれども。