前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

バチェラージャパンってバブリーな非日常的亜空間で一時的洗脳状態なんだと思うの

家族に付き合ってアマプラの婚活バトル番組「バチェラー」のシーズン3を見てる。
 

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3高(高学歴・高収入・高身長)のイケメン1人を巡って20人の女達が恋愛バトルを繰り広げるというバラエティ番組。

毎回何人か女性が脱落し、最終的に1人が残りバチェラー(この番組における3高男子)と結婚前提で交際できる権利を得る。

 
ありえない規模でバブル臭が凄え。今、令和元年だよね?平成元年じゃないよね?
カクテルパーティ、ヘリコプターデート、気球デート、プライベートジェット、クルーザー貸し切り、水族館貸し切り、フェラーリでドライブ、グアムロケ、…
非日常的亜空間すぎる。なんだこのバブルの亡霊は。
令和の今これやられてもただの茶番。
まあバブル時代はこんな非日常が日常風景だったっていうのがそもそも異常なんだが。
チャラい大学生サークルとかがクルーザー貸し切りパーティー普通にやってたからな。
ええ、ほんとですよ私は当時バイト先でウンザリするほど見てましたバブルに浮かれる人たちを。
バブルの狂乱が終焉して数十年たって、令和の世で今更こんなバブルなぞった茶番見せられんの勘弁してくれりって感じなんだが、まあ、見てるよ毎回…
だって一緒にバチェラー見ないと「面白いから一緒に見ようよ!ちゃんと見てよ!」って家族に怒られるんだもん。
諸行無常栄枯盛衰ってな、無常感しか湧いてこねえよ昭和BBAには。
 
でもさーずっと見ているうちに、なんでこんなにバブル臭プンプンの非日常空間を演出してんのか何となくわかった気がする。
この番組、出演者(一応全員素人という設定)の身柄を2か月間拘束するので、徹底的に非日常を演出しないと出演者が皆正気に戻っちゃうからだと思います。
そう、この番組って参加決定したら2か月間、番組のために身柄を拘束されるんですよ。
だから会社勤めしながら番組出演するっていうのが不可能で、出てる人の職業に自由業が多く、肩書が「社長令嬢」とか「下町ガール」等の怪しい設定が多いのはそのため。
仕事退職して出演してる人もいる。
よくそこまでやるな?
だって勝率20分の1だろ?みんなそんなに我こそ勝者!とか思ってんのかよ?
てか、良く知らん男によくそこまで情熱注げるな?
って謎だったんだけどさー。
あ~これ、言葉悪いけどカルトの洗脳と同じ構造だ~と思いました。
 
洗脳って日常生活の遮断から始まるんですよ。
外出禁止・携帯禁止・日常生活と引き離された集団生活(隔離)。
徹底的に隔離されて教義を吹き込まれる(刷り込み)。
バチェラーの場合は「バチェラー(3高男)の寵愛ゲット!」が唯一の教義ですね。
バチェラーに気に入ってもらうと特別デートに参加出来たり、バラをもらえる(次のターンまで参加者として生き残れる)という「成功体験」が得られる。
バチェラーとの関係が深まる、バチェラーに優しくしてもらえる、バチェラーに選ばれる、というのが全部番組内での成功体験なわけ。
 
いや、ホントに謎でさ。
いくら3高でも、よく知らん男をなんでそんなに必死になって奪い合えるのか、
よく知らん男に執着できるのがわかんなくて。
よく知らん男を女20人全員が熱愛してるなんてありえないだろって。
熱愛じゃねえよ単に優良物件ゲットしてえんだよ!って情熱だとしても、
勝者になって最後の1人に選ばれてもそれで結婚が確定するわけじゃないし。
なんかエネルギーの無駄遣いって気がしてね…
だからヤラセ説が絶えないんだろうけどね、この番組。

(実際多少は演出もあるだろう。半タレントの売名にも使えるし。)
 
でも何となくわかった気がする。
これ日常生活と遮断された非日常空間に隔離されてて一時的洗脳状態にあるから、ガチで奪い合ってんです多分。
非日常空間だからこそ茶番であってもあれだけ疑似恋愛バトルにのめり込めるんですよ。
「こんなとこで何やってんだろ自分」という冷静な判断能力奪われてんの。
売名目的や興味本位で参加した人も、2か月間はガチでやってると思う。

  
違うかもしれんけど。
とりあえず自分的にはそう思っておくことにした。
 
他人の恋バナに1ミクロンの興味もないので誰が勝とうとどうでもいいや~
皆さん頑張ってくださいネ!

オウム真理教に纏わる時代論 バカにしてたら殺されかけました

メディア等でヨガを目にする機会が本当に増えた。ヨガなんて20数年前は「オウム真理教への入り口」としてマイナスイメージしかない健康法だったのに。02年頃「海外セレブに大人気の美容健康法」としてフィットネスジムが大々的にヨガ普及キャンペーンを行い、危険で怪しいものではなくセレブでおしゃれなものとしてすっかりヨガは復権を果たしたらしい。
海外セレブを謳い文句にするのは美容健康界の最強ロンダリング方法だと思う。つかマジで碌な事喧伝しねーよな海外セレブ。海外セレブに大人気の美容健康法って高確率でスピリチュアルとセットだから、代替医療疑似科学と親和性が高い。美容健康法を突き詰めた結果オカルトやカルト宗教に辿り着くのも珍しい事じゃないのだ。若い女性がこの手の美容健康法に嵌るのは個人の自由なのでほっとくが。いや、正確に言うとほっておきたい所だが、「おしゃれだと思って足を踏み入れたら実は本気でヤバい宗教の入り口でした」というケースは未だにある。結構あるので細心の注意を払って足を踏み入れてもらいたい。信じたがってる人は信じたいものしか信じないので外野で何言っても無駄だったりするけどね。
それにまあ「全部のヨガ教室が変な宗教の入り口ではないでしょ?一部だけ見て批判するのはどうかと思う」って言われたらそりゃそーだとしか言えないし。

オウム真理教の記憶ってこうして風化していくのかなと感慨深いが、オウムの後継団体がヨガ教室を勧誘の入り口にしてるのは紛れもない事実なので風化したらいかんのでは?と思い、ちょっと書いてみましたサーセン

 

オウム真理教という団体を知ったのは1987~8年頃だったと記憶している。
当時よく遊んでいた友人の住居が、オウムの道場の近所だったため、頻繁にオウムの勧誘ビラが彼女の家のポストに投函されていたのだ。彼女の家に遊びに行くと、よくそのビラを見せてくれた。あまりにも強烈でツッコミ所満載の内容だったため、これは自分ひとりの娯楽にしておくのは勿体ない!大勢でツッコミを入れるべきだという理由で彼女はビラを捨てずに取っておいたのだという。
実際、強烈な内容だった。普通の宗教団体の勧誘ビラなら「ああハイハイ宗教ね」と捨ててしまうだろうが、オウムビラにはキワモノ的な意味で捨てるのは惜しいと思わせるものが確かにあった。
まず、他の宗教団体に比べてビラに結構金がかかっていた。ハルマゲドンだの最終解脱者だの、キャッチコピーが記憶に残りやすく、幹部信者のホーリーネームなど他宗教にはなかなか見られないオリジナリティがあった。何より、教祖の出しゃばり具合が凄かった。どのページをめくっても麻原麻原麻原麻原。あの汚いおっさんが「俺すげえ人なんだぞ臭」をまき散らしていた。よくここまで自画自賛できますね。アンタどんだけ自分が好きなんですか。と突っ込まざるをえないナルシシズムの垂れ流したるや、尋常じゃなかったよ。その「教団内という狭い世界でのみ通じるナルシシズム」と外野の認識(教団以外から見ればただの汚いおっさん)との乖離がすさまじく、ビラを見た我々は腹がよじれるほど笑った。
「何で解脱したのに年を追うごとにどんどん太ってんだよwww」
「食欲捨ててないじゃんww矛盾じゃん」
「最終解脱者だから例外らしーよww」
「なんだそりゃww教祖に都合よすぎだろwww」
…と、現在のネット用語でいえば大草原、草不可避状態。
一番笑ったのは麻原の座禅ジャンプ「超能力写真」。こんな汚いおっさんが座禅のポーズで飛び上がってる奇跡の瞬間を写した奇跡の一枚のどこが超能力だよ、ていうね…
あの座禅ジャンプ写真は本当にマヌケだった。

 

実を言えば、オウム勧誘ビラを見た印象を率直に箇条書きにして並べると
「気持ち悪い」「胡散臭い」「なんか怖い」「マヌケ」等、色々な感情があった。
「なんか怖い」が大きかったらとても笑う事はできなかったが「マヌケ」が一番大きかったので我々は盛大に笑う事にしたのである。

だがマヌケを侮ってはいけなかった。
あの写真で超能力を信じて入信した人が多かったからだ。
この「マヌケ」がオウムに対する多くの人々の判断を狂わせたと思う。

 

ビラを読む限り、オウム真理教の教義は各宗教のおいしい所だけをとった薄っぺらいものに見えた。
大乗仏教ヒンズー教チベット密教、ヨガ・コミューンのごちゃ混ぜなのになぜかハルマゲドン(キリスト教ヨハネ黙示録)の到来を主張するあたり、非常に無節操で陳腐に見えた。修行すれば超能力を得られると喧伝するのも非常に嘘くさかった。
「ハルマゲドン」「超能力」は非常に胡散臭いタームにもかかわらず、「ある世代」に対しては異常に訴求力がある。
ある世代とは1960年代~70年代初頭生まれの世代。70年代に子供時代を送った人々である。ずばり、私と同世代の方々だ。
70年代のオカルトブーム、超能力ブーム、ノストラダムスの大予言の大流行などを幼少期~小学生時代に体験したため、我々はたっぷりと終末論を刷り込まれていた。70年代のメディアによる終末論の刷り込みはそれほど凄まじかった。石油はあと10数年で枯渇する、米ソで核戦争勃発する、人口増加で食糧危機が始まる、天変地異が起こる…といった明るくない未来観をテレビや雑誌からたっぷりと植え付けられていたのだ。かなりの頻度でマスメディアはそういう特集を組んでいたので、ネットがなかった時代のマスメディアの影響力の大きさを考えたら、これはとんでもないインプリンティングだと思う。
もちろん同世代の人間全員が積極的に1999年に人類滅亡を信じてたわけじゃないと思うが、「あっても不思議じゃないかも」くらいの事を思ってた人は多い気がする。
そういう下地ができていた所にダメ押しくらわせたのが平井和正幻魔大戦」だ。
超能力+ハルマゲドン+新興宗教をテーマにしたSF作品。80年代前半、思春期に平井和正幻魔大戦」を注入された者は程度の差はあれ中二病という厄介な病に罹患した。当時「中二病」という概念は存在していなかったため、罹患者であるという自覚さえ無かったが。我々の世代だと小説版と、83年のアニメ映画版で幻魔大戦を注入された人が多いと思う。「幻魔大戦」はオウム教団側もかなり影響を受けていたはずである。作者の平井和正は一時期GLAという宗教団体に深く関わっていた人だ。麻原はオウム真理教を立ち上げる前に幾つか新興宗教を渡り歩いていたがその中にGLAも含まれていた。
更に70年代末の「ムー」トワイライトゾーン」といったオカルト・疑似科学雑誌の創刊。オウムとオカルト・疑似科学界との関りは深く、初期オウムは「ムー」で取り上げられたことにより信者を増やした事はかなりよく知られている話。


出家した信者家族とオウムがトラブルを起こしていることがワイドショー等で話題になったのはその1年後くらいのことだった。そのあと坂本弁護士一家失踪事件が起こり、ワイドショーや週刊誌でオウムネタは盛り上がりを見せるようになった。週刊誌はトラブルを暴いてオウムと対決姿勢にあったが、この頃のテレビでの扱いは「異常な宗教」程度だったと思う。その少し前にマスコミを賑わせた統一教会やイエスの箱舟と同様に「あなたの知らない世界に潜入!」という感じの見世物的要素が強い扱いだったため、確かに異様ではあるが危険視はまだそんなにされていなかったように記憶している。

マスメディアによるオウム報道の方向性が一気に変わったのは、おそらく1990年の衆議院選挙出馬がきっかけだろう。
ホーリーネームでの幹部25名の大量出馬、麻原のお面をかぶって信者達が歌い踊る選挙運動、例の「ショーコーショーコーショコショコショーコー♪」という歌。
その全てが不気味で、異様で、恐ろしくマヌケだった。
たぶん、だけど。テレビ業界(主にワイドショー)の中の人も「不気味」「怖い」より「マヌケ」が勝っちゃったんだと思う。
「こんなにマヌケな連中だったらイジってもいいんだ」という雰囲気に変わり、オウムは一気にワイドショーの面白ネタになった。マヌケなホーリーネームで選挙に大量出馬の上、全員落選という結末もまた面白すぎた。
落選をきっかけにどんどん武装化していくわけだが見た目がマヌケすぎてオウム内部がまさかそんなとんでもないことになっているとは誰も思わなかっただろう。


タイミングの悪いこととに80年代後半からニューエイジがブームになり、80年代末~90年代初頭には新興宗教ブームが起こった。オウムはそのムーブメントに乗っかって新興宗教界で台頭し始めた。
この頃、別冊宝島で「いまどきの神サマ」というムック本が発売され、オウムは非常にマトモな宗教として紹介されていた。「携帯電話のキャリア、何を選べばいいか」くらいの軽さで色々な新興宗教を比較紹介している事にびっくりした。1991年の「朝まで生テレビ」のオウム出演も本当に驚愕した。オウムの教義については勧誘ビラの内容とワイドショーで得た知識ぐらいしか持ってなかったから、いつの間にこんなに理論武装したのかと心底驚いた。私が知らなかった(知ろうとしなかった)だけで、オウムはかなり早くから理論武装してたらしい。オウム理論武装には80年代ニューアカデミズムが絡んでくるわけで、ようするに中沢新一「虹の階梯」っすね、オウムの元ネタ本の1つ。
いや、「チベットモーツァルト」は流行ってた頃読みましたがね。
オウムとニューアカを結び付けて考えるという発想は当時の私には無かった。
ニューアカは私には「知」をイメージ戦略化したもの、「知」をファッションとして消費したものというイメージが強く、オウム真理教の持つオカルト臭・疑似科学臭とうまく重ね合わせることができなかった。

 


この「朝生」出演以降、オウムは文化人・著名人の支持や擁護を受け、どんどん勢力拡大していった。
ビートたけしのTVタックル」や「とんねるずの生でダラダラいかせて」等のバラエティーに出演したのもこの頃。
オウムを持ちあげた構成だった、オウムの布教活動に一役買ったと言われてるこれらの番組だが、このバラエティのノリはすごくわかる。90年代に入ってはいたが、極めて80年代的なテレビマンの感覚を引きずったノリなのである。麻原をバラエティに出してイジるのはフジテレビが主導した80年代バラエティ番組が作り上げた空気そのもの。80年代は70年代的なものをすべて「ダサい」の一言で駆逐してきた時代。熱かったり真面目だったり暗かったりするものを足蹴にし、不真面目で軽く明るいことが面白がられていた時代。坂本弁護士一家失踪事件に絡んでいるらしいってことは知ってただろうから危険物取り扱い注意とわかってて麻原を番組に出したのである。ヤバいネタをイジるほうが盛り上がるから。そういう時代だった。
だって生ダラなんて、企画がテリー伊藤で監修が秋元康だもん。「本当にヤバいものまで面白がってイジっちゃう俺達危ね~!」っていう。本当にヤバいものでも視聴率が取れればイジってナンボ!っていう。そういうノリだよ。
こういう危険物のポップ化というのは80年代カルチャーの負の遺産だ。

 

そんな「親しみやすいオウム」「著名人も絶賛するオウム」の影で教団は着々と武装化をすすめ、拉致監禁事件だの信者リンチ事件だのホスゲンだのVXだの暗殺未遂だの松本サリン事件だの色々とやらかしてたわけである。
週刊誌では結構オウムの犯罪に突っ込んだ報道がされていたが、私は「まさかあんなマヌケな集団がそんなことまでやるとはちょっと信じがたい」と思ってた。
とか言ってるうちに地下鉄サリン事件が起こり、私はちょうど地下鉄に乗り合わせて現場を見てしまった。
非常に軽微だったが視界がやや暗くなったり、息苦しくなったりといった症状もあった。が、仕事があったのでそのまま普通に職場に行って定時まで仕事をしていた。職場は外の情報が遮断されていたのでニュースなどで大騒ぎになってることも、毒ガスであることも知る由もなかった。「地下鉄の異臭騒ぎで電車が止まり、出勤が遅れた人」が職場に何人かいたが特に大事とも思ってなかった。会社を出て道で号外をもらって大事件であったことを知った。さすがに地下鉄に乗る気にならなかったので遠回りしてJRなどを乗り継いで帰宅した。そのころには「毒ガスはオウムのしわざらしい」という噂が流れていたが、まだ信じられなかった。
「あんなマヌケな連中がまさかそこまでやるとは考え難い」と、この期に及んでもまだ思ってたのである。

でも、もうその日を境に、日本中のマスメディアはオウム一色になってしまった。
阪神淡路大震災が同じ95年の1月にあって、まだその傷も全く癒えていなかったにも関わらず、地震ネタは3月21日以降殆ど報道されなくなった。
テレビも新聞もラジオもオウム、オウム。インターネットはまだ黎明期だったがパソコン通信の会議室でもオウムで盛り上がっていたらしい。
何が異常かって、ドラマと歌以外のテレビ放送はほとんどオウムネタだったということだ。ワイドショーと通常のニュース番組以外でも「報道特別番組!オウム真理教に迫る!」といった特別番組がばんばん作られ、オウムの幹部は各局ひっぱりだこだった。この「オウムをネタとして消費する」メディアの狂乱の状況は、「バラエティで麻原がイジられる状態」の比じゃなかったとだけ言っておく。
犯罪集団らしいということは皆わかっていたが、まだ「疑わしい」という段階であって、完全にクロと決まったわけじゃなかった。「凶悪犯罪の容疑者らしい」という人物をあえてメディアに出してショーにして視聴率を稼ぐというやり方はロス疑惑事件以降、テレビでは普通にあったことだったが、オウムネタの消費ぶりはロス疑惑のはるか上を行っていた。テレビを見ていてうんざりして消してしまった人もいたかもしれないが、当時は大半の国民がオウムウォッチャーになっていたようなもんだったと思う。
また、オウムというのは呆れるくらいのネタの宝庫で…。とにかく幹部のキャラクターといい、スキャンダルといい、ネタが尽きることがまったくなかったのである。非常に不謹慎な言い方をさせてもらえばオウムは役者が揃ってたというしかない。メインの幹部だけでなく、麻原の弁護人に就任した横山弁護士というようなサブキャラまで、とんでもなくキャラが立っていた。犯罪集団だとわかってて、メディアはそれをショーにして流しまくっていたし、視聴者の大半もそれを消費しまくっていた。
当時の山瀬まみの「お父さんのためのワイドショー講座」によればワイドショーの放送時間の95%はオウムネタに独占されていたという。それが数か月も続いていた。
テレビというメディアには「テレビに頻繁に登場する人物は視聴者から親近感を持たれやすい」という特性がある。それはオウムも例外ではなかった。幹部のおっかけをする人達、ファンクラブを作る人達まで現れ、果ては青山×上祐の薄い本(当時はやおい本といったが、今でいうところのBLである)まで作られた。
幹部の1人である村井が右翼団体の青年に刺殺されるという事件が起こったが、これは刺殺の瞬間、救急車で運ばれる瞬間までテレビで実況中継された。興味本位でオウムをヲチしてた一般人はこの一件でかなりマスコミの在り方にドン引きしたと思う。それでもなおオウム報道の狂乱は続いた。オウム出せば視聴率が取れるから、どの局もやめなかったのである。
今だったらコンプライアンスの問題でここまで過剰な報道はされないかもなって気もするが。どうだろう。
私はテレビって基本的にゲスいメディアだと思ってるからその辺全然信用してないんだよね。

 

私は全然現実感がわかなくて、ぼーっとこれらの狂乱を眺めていた気がする。
寧ろ現実感は数年たってからやってきた。
地下鉄サリン事件の再現番組のたぐいが一切見れないのである。息苦しくなっちゃって。
当時の症状は非常に軽微だったし、すぐに回復してしまったため、特に健康被害を気にしていなかったのだが
20年以上たってから色々と体調が狂ってきた。息苦しくなったり視界が急に暗くなったりするのだ。
年も年なので更年期かと思い、検査したが異常なし。眼科に行ったり精神科に行ったりしたが効果なく。
こうなると消去法で出てくるのが「サリンの後遺症」の7文字。
マヌケだと決めつけて何の危機感も持たなかった昔の自分を責めたりもしたが、当時多少オウムに危機感持ってた所で、果たして危険を回避できたであろうか…と考えるとやっぱり答えはノーなのだった。

 

 

成長因子 育毛剤