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前世紀遺跡探訪 <80s-バブル終焉> このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-08-30

米米クラブ - 美熱少年 (1988)

1980年代後半から90年代初頭にかけて日本は「バブル」期だった。
信じられないぐらいすごい勢いで日本中に金が回っていた。
給料も物価もあがる一方、景気は常に上向きで「今より悪くなること」なんて殆ど誰も考え付かなかった。
オタク業界でさえ金に浮かれていた。
「同人バブル」と呼ばれる狂乱の時代があり、キャプテン翼の801二次創作…かんたんにいうとホモ・パロディで、巨万の富を築いた同人作家がこの時期かなり存在したそうだ。同人誌の売上で家建てたとか兄弟の進学費用出したとか、そういう「伝説」がごろごろ転がってる。くっそう、自分もキャプ翼ホモエロ描いてりゃあ今頃、とか色々邪念が沸くな。描いたところで売れたかどうかは全く確証ないのにな。
 
が、バブル期にも関わらずバブルの恩恵を見事に受けられなかった業界もあったのである。
邦画業界だ。
バブル期はどん底だったんだね、日本映画界。ここ見るとわかるけど。
 
青山学院大学 | AGUインサイト -日本の映画産業
 
上記のサイトの「映画館数と入場者数の推移」グラフ見ると、88年から94年くらいまでが日本映画界のどん底。
この時期、やたらと異業種の人間を引っ張ってきて「映画監督」にしてたのは、邦画がどん底で話題性が欲しかったからなんだろう。
バブル期は、タレント・ミュージシャン・小説家などによる、いわゆる「異業種監督」が流行し、次々と映画監督デビューしてたのである。
 

その男、凶暴につき」 北野武(1989)
「家族輪舞曲」 椎名桜子(1989)
稲村ジェーン」 桑田佳祐(1990)
「カンバック」 ガッツ石松(1990)
「風、スローダウン」 島田紳助(1991)
「いつかどこかで」 小田和正(1992)
「河童」 石井竜也(1994)

 
この中で映画監督として「成功」したのは北野武だけか。「稲村ジェーン」って興行収入はかなりあったらしいが映画としてのクオリティ云々という話になると、えーと、むにゃむにゃむにゃ。
わたしはこういう「バブル期の話題性先行の異業種監督」は、映画会社がタレントの知名度目当てでギャラ持参で持ちかける「やとわれ監督」だとばっかり思ってたんだが、「映画の興行失敗でタレント監督が莫大な借金背負った」って話があるとこ見ると、「やとわれ監督」どころか私財持ち出しも実はかなりあったんだろうな。「映画制作の金の流れ」なんてタレントやミュージシャンはまったくの素人だから、いいカモが来たとばかりにさんざん毟られて終わりか。
…なんてことを  
全文表示 | 「米米」石井竜也が壮絶な過去を告白 借金10億、自殺未遂から立ち直ったきっかけ : J-CASTニュース
の記事読んで思いました。
10億かあ…。映画ってハイリスク・ハイリターンだから、素人が下手に手ぇ出すと痛い目みるよな。
カールスモーキー石井というか米米クラブは前身が映研だから、映画やってみたいという気持ちは常にあったんだろうけど。
 
 

米米クラブは1982年に結成され、1985年にCBSソニーからメジャーデビュー(オーディション組でもインディーズ組でもなく、ライブハウスで話題→レコード会社のスカウト、というコース)したファンク・バンドである。
ええ、「ロック・バンド」じゃないんですよ。あれは「ファンク・バンド」です。初期はね。
音楽的にはファンク・ロック・ムード歌謡・ニューウェーブのごった煮。
初期はコントや寸劇もやってて落語やお笑いの影響も強かった。
いかにもアート・スクールの学生が結成しました、という「冗談」が基盤のスタンス。80年代的露悪趣味と「悪ノリ」。
ああいう、「ふざけたことを真面目にやる」「全力でふざける」というスタンスを打ち出したバンドを多数輩出したのが80年代という時代の特異性。
コミックバンドというのはもっと昔から(70年代以前から)存在していたけど、歌謡界やロック界のメインストリームじゃなかったような。クレイジーキャッツとかドリフとか、音楽業界ど真ん中というより、もっと「お笑い」寄りだったような記憶がある。間違ってたらご指摘おねがいします。
70年代の日本のバンドの多くは「真面目なことを真面目にやってた」と思う。「ふざけたこと」をメジャーシーンでやりはじめて、しかもそれがリスナーに受け入れられたのはサザンオールスターズあたり(1978〜)からだろう。YMOがそれに「アート」を加味させ、いかにも80年代らしい「冗談」が基盤のスタンスが出来上がったという印象がある。「ビックリハウス」や「ヘンタイよいこ」などの「サブカルチャー」の流れもおそらくその系列上だ。
あと、「イケメンがおちゃらける」路線のルーツでもあるか、米米って。「イケメンなのにしゃべると3の線」つうのにグッと来る女子は多い。こういう路線のイケメンって男の嫉妬も買わないから二重にオトク。
 
 
 
米米クラブの命名の元ネタが「トムトムクラブ」なのは有名だが、バンドのコンセプトの元ネタはおそらく「kid creole & the coconuts(キッド・クレオール&ザ・ココナッツ)」だと思われる。
キッド・クレオール&ザ・ココナッツはキッド・クレオールことオーガスト・ダーネルが率いるアメリカの大所帯ユニット。「ファンカラティーナ」といわれるジャンルの代表格のバンドである。「ファンカラティーナ」とは「ファンク+ラテン」を指す80年代の造語。「ファンク+ラテン+ニューウェーブ」って80年代初頭に一瞬流行ったんですよ。WHAM!(ワム!)とかも初期はファンカラティーナに分類されてた。でもまあ、キッド・クレオール&ザ・ココナッツがやってたのはいろんなジャンルの混血音楽だな。そもそも「クレオール」とは言語、文化などの様々な要素の混交現象を指す。
キッド・クレオール&ザ・ココナッツは日本でウィスキーのCMに起用されたこともある(1983)ので、CM動画見れば、「ああ、このひとたちかあ!」と当時を思い出すひともいるんじゃなかろか。
 
 
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Kid Creole & The Coconuts on TVCF(1983)
 
 
 
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Kid Creole & the Coconuts - Stool Pigeon (1982)
 
 
 
胡散臭いボーカルとそれに絡むけったいなおっさん、チャーミングな女性コーラス3人組(お色気担当)、バンドとホーンセクションとダンサーで構成される大所帯。
見ればわかるが、キッド・クレオールカールスモーキー石井、コーティ・ムンディ→ジェームズ小野田、ココナッツ→シュークリームシュ。
米米クラブのバンド・コンセプトはまんまキッド・クレオール&ザ・ココナッツの換骨堕胎である。
米米クラブのWikipedia見てたら、下の方の「関連アーティスト」の項目に
 
キッド・クレオール&ザ・ココナッツ(Kid Creole and the Coconuts) - 93年6月、彼らが米米CLUBの楽曲をカヴァーしたアルバム「KC2 PLAYS K2C」をリリース。
 
とあった。ということはリスペクトっつーかコンセプトの換骨堕胎であることを米米クラブ自体が明言してるということか。
米米ってもともと「冗談」「パロディ」で結成されたバンドだしな。
米米クラブも多ジャンルの混血音楽なので、元ネタは多種多様。だが、根幹となる大きな元ネタは上述のキッド・クレオール&ザ・ココナッツと、もう1つ。「P-Funk」だ。
P-Funk」=Pファンク。「Parliament Funkadelic」。ジョージ・クリントンが1970年代に率いた2つのバンド、パーラメントファンカデリック。その周辺のファンクミュージックの総称である。
ジェームズ小野田というキャラ設定や、ライブ演出の元ネタがまんまPファンクなんすね、米米って。
 
 
 
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Parliament Funkadelic - Bring The Funk (1976)
 
 
 
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米米クラブ - 美熱少年 (1988)
 
 
米米のライブ、セットに金かかってんなあ。
さすがバブル時代。
演出・セット・衣装に金かけすぎ。
これ、ライブで散財してCD売上で回収してたパターンだな。
今の時代ではありえん。

 
ファンクやソウルの影響受けた歌謡曲は実は多い。
70年代歌謡曲には特に多い。キャンディーズ「その気にさせないで」「キャンディーズのテーマ」 、岩崎宏美「ファンタジー」 、浅野ゆう子「ムーンライト・タクシー」「セクシー・バスストップ」、アンルイス「恋のブギウギトレイン」、川崎麻世「ラブ・ショック」 、欧陽菲菲「恋の追跡」…
ドリフターズの「早口言葉」も、そういう「ファンク歌謡」の1種である。ラップ歌謡でもあるけど。
 
米米クラブの真髄は「80年代ファンク歌謡」だと、わたしは思ってる。
米米の大ブレイク曲「浪漫飛行」「君がいるだけで」は個人的にはどーでもいい。ファンク色薄いから。
ファンクに合う声質してんのジェームズ小野田だからさ、ジェームズ小野田の活動が縮小して、カールスモーキー石井1人がメインボーカルとってると、あんまし興味がないのね。耳障りが良すぎる曲って引っかからないで右から左に抜けてく体質なんで。カールスモーキー石井メインボーカルのラブソングのが商業的にウケるのはわかるんだけど。まあこのひとたちもいつまでもアートスクールの学生の冗談・道楽でやってくわけには行かず、職業としてやってく以上は食ってかにゃいけないしね。いろいろ大人の事情もあるわな。
 
 
米米クラブは結成当初から全ての楽曲を「作詞・作曲(・編曲) 米米CLUB」とクレジットしていた。
クレジットを個人名ではなくバンド名とするのはギャラをメンバーで等分するためである。クレジットを個人名にしちゃうとね、作詞作曲に関与してないメンバーと、作詞作曲に関与してるメンバーとの間で10倍以上の収入格差が出ちゃうんですよ。で、大概、金の問題で揉めてバンド解散する。それを回避するためのユニット名クレジットなのだ。
が、1993年頃から米米クラブの作詞作曲クレジットがいきなり個人名義となった。
あーこりゃそろそろヤベーなと思ってたら案の定その数年後に解散。
やっぱりなーと思いましたですよ。
再結成後はクレジットを「米米CLUB」に戻してるが、90年代と違って、現代はもうCDが売れない時代なので、あんまし意味がないような気がする。
握手券でもつけないとCD売れないじゃん。
今の時代はもうCDの印税収入をめぐって揉めることなど起こりようがないような。
あ、カラオケ印税ってやつがまだあるか。
 
まあ、音楽家がCD(レコード)出すことで収入を得るという、20世紀後半の現象が今思えば異常だったんですけどね。
 
 
 

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