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前世紀遺跡探訪 <80s-バブル終焉> このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-10-09

ラ・ムー - 愛は心の仕事です(1988)

何度もここで書いてることだが、歌謡曲というのは流行音楽・大衆音楽・商業音楽である。広い範囲で、多くの人に売れることを目的としている音楽をわたしは「歌謡曲」と定義している。
「多くの人に売る」ということを目的としていない音楽は歌謡曲とは言わない。
ロックが偉くて歌謡曲は偉くないだとか、アーティストは高尚で歌謡曲歌手は低俗だとか、そういう対比は意味が無い。
優劣の問題ではなく、目的が違う。「多くの人に売れたい」か、そうでないか。それだけの問題だ。ホントに何度も書いていることだが。
そして、日本文化はリミックス文化であり、「歌謡曲」とは、「外来音楽のいいとこどりと換骨堕胎」と土着音楽の混血音楽である。
これもここで何度も書いていることだが。
 
 
が、バブル終焉(1991年)頃までは、「歌謡曲」と「ロック」は対立概念だった。
なぜ対立概念だったかというと、理由はGSの時代までさかのぼる。
お若い方はご存じないだろうが、GSとはグループサウンズのことである。実はわたし自身もGSをリアルタイムで体験してないので、表象としてしか理解していないのだが、「ビートルズに影響を受けてエレキでバンドを結成した日本の若者グループ」を、1960年代後半は全部「GS」でくくった。音楽的にはロック・ポップス・フォーク・ムード歌謡のごった煮で、音楽志向はバンドによってバラバラだった。GSのピーク時(1968年)には、なんと100組以上ものグループがメジャーデビューしたそうだ。
が、当時の日本の音楽業界というのは、まだまだ旧態依然としていたので「ロック」というものを咀嚼できなかった。そりゃそうですわな。当時は「ロック=若者を狂わせる悪魔の音楽・非行化の原因」ですからね、全世界的に。日本でもGS=不良の音楽でした。
また、当時の日本の音楽業界にはシンガーソングライターという概念が無かったため、「作詞家・作曲家・歌い手」という歌謡曲の構造をそのままGSに持ち込んだ。50年代のロカビリーブームの時はそのエッセンスだけをうまいこと歌謡曲に取り入れて金儲けに成功できたんで、GSもイケると思ったんだろうね。でも、「ロックバンド」という形態を当時うまいこと歌謡曲に換骨堕胎できず、GSはたった2年でポシャってしまった。「ロックバンド」をメジャーな商業音楽にすんの、当時はまだ、すんごく難しかったんでしょうね。
 
以降、レコード業界側にとっては「ロックは金にならない音楽」となり、バンド側にとっては「商業主義に抗うことこそロック」となった。
日本の音楽業界においてロックと商業主義が融合したのは「1980年代中盤〜バブル終焉までのバンドブーム」からである。
が、「ロックと歌謡曲は対立概念」という構造は、1990年代「J-POP」という言葉が定着するまで続く。
「J-POP」という言葉が定着してからというもの、あらゆるジャンルの流行音楽は全部「J-POP」に吸収され、「ロックと歌謡曲が対立概念」なんて旧世代の常識は消滅した。つうか「歌謡曲」という呼称自体が消えてなくなった。
「J-POP」という言葉が音楽業界に定着したのは1993年ごろからだが、これはもうホントーに便利な言葉で、歌謡曲もロックもファンクもレゲエもヒップホップもハウスもテクノもR&Bも全部、包括してしまった。
いまは流行の音楽は何でも「J-POP」で片付く。音楽的にもホンットーにあらゆるジャンルのごった煮で、リミックス文化もここに極まれりという混沌とした様相を呈している。「歌謡曲」以上に滅茶苦茶だよな、「J-POP」って。
 
 
 
が、80年代後半、日本中を席巻しつつあったバンドブームの渦中で、「ロック」も「歌謡曲」も飛び越えたとんでもないバンドがデビューした。
ロックが商業音楽になったとはいえ、まだまだ歌謡曲とロックが対立概念だった1988年のことである。そんなくだらない対立概念なんて枠組みさえ、軽く凌駕するような、鼻先で笑い飛ばすような、臍で茶を沸かすような、本当に恐ろしいバンドだった。
 
「RA MU(ラ・ムー)」。
 
ラ・ムーとは80年代中盤のトップ・アイドル菊池桃子が結成した伝説のロックバンドである。
枕詞ではなくマジで伝説。そのへんはリンドバーグとは比較にならん。
ラ・ムーはあまりにも時代を先取りしすぎていた。それどころか「いまだに時代はラ・ムーに追いついていない」といえば、どれだけ凄いバンドだったかおわかりいただけるであろうか。
その当時はマジだったものが、時代を経ることによってネタ化することは、まま、ある。
バブルファッションなどはその典型。あのぶっとい眉毛も、肩パッドも、トサカ前髪も、現代から考えるとネタにしか見えないのだが、バブル期は「それがかっこいい」と信じてみんなマジでやっていたのだ。
「ラ・ムー」の恐ろしいところは、その当時からネタだったことに尽きる。
今振り返ってもネタだが、渦中にあってもネタだったのだ。
 
 
前回の「リンドバーグ」の項でもちょっと触れたが、80年代後半はアイドルが売れない「アイドル冬の時代」だった。
アイドルに代わって時代を席巻したのは「ロック・バンド」。
80年代中盤より空前のバンドブームが始まり、バブル終焉まで続いた。
そのバンドブームの時期に、アイドルが「ロック宣言」するのがちょっと流行ったのである。
フツーにアイドルやってても売れない時代だったんでねえ、パッケージをロックに変えて売ろうって試みがあったんですよ。
んで、なんと菊池桃子が「ロックバンド」結成。
※「ラ・ムーの主要なメンバーたちは実は誰もロックバンドを名乗ってない」という説もありますが、マスコミは当時こぞって「菊池桃子がロックバンド結成」と報道してたし、夜ヒットでも「桃子ちゃんは今度ロックをやるんですって」と紹介してたし、一般人の認識も「一応ロックバンド」であると思われるので、ラ・ムー=ロックバンドであるという前提で話をしますが。
いやー驚いた。本気で驚いた。
この時の衝撃をどう説明していいのかわからない。
現代の事例に置き換えると「氷川きよしが突然ラッパー宣言」ぐらいのインパクトがあったといえば、お若い方にも伝わるだろうか。
いや、その100倍はインパクトがあったな。
では「成海璃子がモヒカン刈りでパンク宣言」といえば……あっこれはある意味妥当か。
とにかく菊池桃子というひとは80年代中期の、押しも押されぬトップアイドル。
常に直立不動で、腹に力の入らぬささやくようなか細い声で、フォトショのぼかしフィルタかかったような柔らかい笑顔で、可憐なアイドルソングを歌い上げる超清純派。
よく腹を手で押さえるジェスチャーで歌っていたので、「桃子ちゃんは歌っている最中よくお腹を押さえていますが、お腹が痛いのですか?」などというしょーもない質問が視聴者から歌番組に寄せられるような、そんな馬鹿馬鹿しい質問さえネタ化しないという、「アイドル」として格上げされた存在だった。
それが、いきなりのロック転向宣言ですよ。
ロックっつったらシャウトですよ。
桃子のへろへろボイス…いや、ウィスパーボイスで、一体どんなシャウトを。
つか、ロックボーカリストとして一体どんなステージアクトを。
だって桃子は基本直立不動なのよ?
マイクスタンドぶん回して火ぃ吹いて客席にダイブとかすんのか桃子。
いやー不安だったねーいろいろ。
杞憂でしたが。
つか、現物見たら想像以上でした。
何が凄いって、ロックバンドを名乗ってるのにロック演ってねえとこ。
「ロックとは生き様である!セックス・ドラッグ・ロックンロール!」という精神論的な意味での「こんなのロックじゃない」じゃなくて、純粋に楽曲のジャンルとして「ロックじゃない」。
まあ皆さん聴いてみてくださいよ。
 
 
D
 
ラ・ムー - 愛は心の仕事です(1988)
 
 
桃子、それロックやない。ファンクや。
ファンクつうか、ブラコン。ブラック・コンテンポラリー
歌詞は倒置法の多用で意味不明で滅茶苦茶。
謎の黒人バックコーラスはいるし、直立不動だった桃子が右に5歩、左に5歩動くし(当時古舘伊知郎にそう揶揄されていた)。
ファンクにしたって歌唱方法は本来シャウト系のはずなのに桃子は腹に力の入らぬウィスパーボイスのまま。
しかもそのウィスパーボイスでラップまでしてるし。
ファンキーなサウンド&肉厚なバックコーラスにかぶさる、桃子のへろへろボイス。なんというミスマッチ。なんというカオス。
この衝撃をどう説明していいかわからない(2回目)。
おそらくリアルタイムでラ・ムーの衝撃を通過した人間の殆どが「これにどう対処しろと?」という気分になったのではないかと邪推。
Wikipediaで菊池桃子の項を見ると、
 
 
菊池自身は別に脱アイドルを意図したわけでも、ロックバンドを結成したかったわけでもなく、単に「ロック色を強めた楽曲を取り上げたい」とスタッフに話したら、どのように伝わったのか、歌謡ロックバンドに仕立て上げられ、不本意であったとコメントしている。
 
 
と書いてある。
どんな伝言ゲームでそういう展開になってしまったのか、企画会議に紛れ込んでみたかった。
いや、歌謡ロックじゃないだろJK。
歌謡ファンクですらない。
あれはファンク&ブラコン&ラップとアイドルボイスの織り成す歌の宝石箱。
それを「ロックバンド」のカテゴリに無理やり入れた、ロックのIT革命や〜。
筋肉少女帯「パンクでポン」で、大槻ケンヂ
 
本当のロッカーとは! 本当の、ロッカーとはなあ!
「ラ・ムー」のボーカリスト!!
菊池!桃子さんだあーっっっ!!
お前ら桃子さんを見習え! お前見習ってるか桃子さん、オラ
お前、愛は心の仕事だ馬鹿者! 

 
と絶叫したが、その叫びに心の底から同調するよ。

パンクでポン!?大槻ケンヂ?筋肉少女帯 by mystereqwe 音楽/動画 - ニコニコ動画
 
 
 
ネタの賞味期限というのはとんでもなく短い。
一世を風靡したネタも、あっという間に消費しつくされて消えていく。
ラ・ムーは1988年のデビューから現在に至るまでの24年間、ネタとしての鮮度を保ち続けているのだ。
これは本当に凄いことですよ。
ていうかトラックのクオリティが無駄に高いところがなお凄い。
今聴くとファンクにかぶさる菊池桃子の声ってなんだか無機質でボーカロイドみたいだな。
そういう意味でも時代の先取りだったが、バンドブームに浮かれる我々に「ロックとは何ぞや」という問題提起をつきつけ、ロックという既成概念を破壊したことこそ、ラ・ムーの真のロックンロールレジェンドであった。
 
 
 
 
 
 
※追記(2013/1/11)
レジーのブログ(旧) 「ロック」を崇拝し「アイドル」を侮蔑する人々
2013年の時点でも「アイドル」と「ロック」が対立概念になっとるとは思ってもみませんでした。
「J-POP」というめちゃくちゃで混沌とした言葉が「発明」された時点で、既に無意味になったかと思ってた。
つうか、もうずっと、アイドルVSロックという議論はおんなじところをグルグルまわってんだな。
下手すっと四半世紀以上もの間。

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とおりとおり 2015/08/05 06:08 当時はバンドっていうと安直にあの騒がしいロックとか
やるんでしょみたいな感じありましたね。
認識と認知がまだそこまでいってなかたんでしょう。
冗談かもしれないけど、なにかの番組で
久保田敏伸が好きなバンドをらむーあげてました
それだけ業界でも異色というかインパクトあったんでしょうね。
でも意外に私は好きでしたよ。当時はスポーツも音楽も黒人が
席巻してて黒人さんいるとなんか、かっこ良いみたいな雰囲気が
あった気がします。ブラコン+ファンクな音楽に、これまた
なんとも日本的な正当アイドル桃子のルックスと声の融合って
いま、全世界のメタルファンを揺るがしている
ベイビーメタルに近い感じがします。
サウンドはホンモノでセンターにはアイドルという、本来対極で
合間見入れない存在の融合は斬新なアプローチだったと思いますが
結果そう見えただけで当時はそんな深いところまで考えてなかったんでしょう。
使えそうなスタジオミュージシャンをバックに従えてアイドルを
ちょっとアーティスト風にパッケージする。職業作家に指定して
洋楽で流行してるっぽいアレンジ曲をはめ込むという事務所都合の人材細工で
出来上がったバンド。桃子としたら黒歴史なんでしょうけど(苦笑

うさぎうさぎ 2017/06/08 14:03 なつかしーー!
小学生のころかな?『アイドル・菊池桃子』のファンだったのでこの衝撃は本当にすさまじかったです。
でもこの歌はオレンジジュースのCMとタイアップしてたし、2曲目の『少年は天使を殺す』のインパクトに比べるとまだまだかな(笑)
そうそう、全然ロックじゃないじゃん!バンド形式でマイケルジャクソンみたいな衣装着てるだけじゃん!って思ってました。

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