こころの栄養たりてますか?

本の販促コピーなノリで。
読書にもいろんなスタイルがあるけど、その中でも覚えるか、覚えないか、みたいな考え方がある。覚える派は、読書ノート取ったり、何度も読み返したり、記憶術みたいなのを使いながら読んだり、一冊の本から得られるものをすべて絞り尽くしてやるぜー的な、そんなの。
ま、一言で言えば、面倒くさい。面倒くさいけど、でも、覚えなきゃ意味ないよなーなんて強迫観念的なプレッシャーがかかる中、とある本を読んでたらおもしろい考え方が載っていた。それは多読をすすめる本で、読書っていうのは食事みたいなもんで、必要な部分は残るけどいらない部分はうんこみたいに排出されるんだから、忘れることはわるいことじゃなく、むしろ快便快便っつーことで好ましいくらいなんだよ、だって不必要な情報で圧迫されてないということは、多読によって得られたものは、今のあなたに必要なものばかりが残っているってことなんだから、みたいな話。
だいぶ盛ってはいるが、30%も原型が残ってはいない気はするが、ま、だいたいそんなカンジの話。本を食べてるイラストが載っていたが、それを見て「ルサンチマン」に出てきた神を思い出し、なるほどなー、それは有効だわー、なんて妙に納得したもんである。ま、今かんがえるとあの神は明らかに肥大していたのだが。
と、そんなこんなで、栄養的に考える。こころの栄養というよりは、頭の栄養。受験勉強のテクニックでよくある、何冊もの問題集の答えからやってくやつみたいなカンジ。試験によく出る問題はどの問題集にも載っているので、数冊の問題集を終わった時には、実際にテストによくでる問題から記憶に残っているっていうあれ。それに下手な完璧主義に陥ってつまずくよりは、気楽に忘れてもむしろ上等精神で数をこなすほうが結果的にはいいんじゃないかなっと。陶芸クラスで質で評価しますっつったクラスと、数で評価しますっつったクラスじゃ、数で評価するクラスの方が質の高い作品を作った生徒が多かったっつーあれみたいな。
ま、なんだかんだ言いつつも結局は、自分にあったスタイルってことなんだろうなあ。