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2011-08-31 おかげさまで36歳になりました

おかげさまで36歳になりました

お蔭さまで(今年は娘の)夏休みの終わりの今日に36歳になります

家族や妻の家族も祝ってくれました。ありがたい話です。

思えば2年前の今日は、幼馴染の三村和也くんの選挙事務所で開票速報を見守って迎えたのでした。

今年は、小学生のころから実家の最寄り駅でビラ配りをしていて毎週受け取っていた野田よしひこさんが総理になりました。

(今月初頭にツーショット写真を撮ったばかり)


他にも研究室の同期の岡田君も衆議院議員になっていて国政がずいぶんと身近に思えているこの2年間です。


でも別になんか利益にあずかろうというわけでなく実際はこれだけころころ首相が変わりつつも

かずやくんや、おかだくんほどの人材がまだ表舞台に立てないのを見て

あー、もう議院内閣制が賞味期限なんだなー、という思いが強かったりします



最近頭の中で踊っているネタをざっくり項目だけ挙げておきます。


  • 300年後から今を見ると、IT揺籃期。OA(オフィスオートメーション)の時代から、制度オートメーションの段階。次に制度そのものがフレキシブルになる世界が来る
  • いま必要なのは第二の廃藩置県。というか廃県置HAN(Humor Area Network)
  • Webで支出先が多様化した。次は収入先が多様化する
  • 会社という組織の多くはNPOとの合いの子のような形になる
  • 医療も「医者の診断- 検査」式から、「医者と患者の共創型」に。
  • 民主主義は議院内閣制+官僚制の次のステージに。CVS型からGIT型に
  • ボードゲーマーとして見ると、「安保条約」は奇跡のスーパープレイだったことが分かる
  • アメリカをリーダーにしたのも冷戦に勝負をつけた影にも「つき従った日本とその共栄」あり
  • 日本は斜陽になれるレベルまで「逃げ切った」
  • 日本はビジネスの次に行こう。キーワードは「パンと教え子」

「パンと教え子」の話をします。

もちろんローマ時代の「パンとサーカス」のもじりです。

パンは「飯」をパンと読ませますw


ま、要はあと日本に足りていないのは


  • a)別に贅沢しなければ一生分のご飯は日本は作れるよ という安心感と
  • b)自分が生きて来た証が伝わる相手は居るよ、というマズローの自己実現欲

の供給だと思っています。


マスコミとかTwitter、SNSでの「マスの興味」を見ているとこの日本で2つの事だけは持続性があります

  • A)食べ物に関わる話
  • B)政局の話

です。中国の政治がらみの話はすぐに雲散霧消しますが、

冷凍餃子の時はすごく持続していましたね。これはAです。


3.11による影響も地震そのものや節電や東北の惨状はもうあまり話題としてはマイナーになってしまい、話題は放射能汚染がほとんど。A絡みだからです

もうひとつ「政策」よりも「政局」の話が長続きします。これは

「世論」というヴェール(UI)を被せることによって、

あたかも「自分の意思が反映されたかのような感覚」という

B(自己実現欲求)の供給をしていると考えられます。


実は前者Aは「少子化を是」としてしまえばほぼ解決しています。

 ただ、3.11以降と放射能の除染が入りました。

後者のインフラを作るのが私やその周辺の使命だと思ってます。



他のことについてですが、とてもいい状態です。


少し話が飛びますがボードゲーマーにとって終盤に嬉しい状態は

「本当はかなり有利なのだけど、実は周りからはそう気付かれていない」

状態です。)


これは「勝ちたい」場合にも、伝道する立場で「勝たせたい」場合にも

非常に理想的な状態です


さて今の日本、目の前は先行き暗い話ばかりですが、今の持ち物を落ち着いて見てみましょう

たいてい日本で「グローバル」と名乗っている人は「American」なだけなので彼らのいう脅しで暗くなっていてはつまりません

  • いざとなれば自給率100%を超える完全栄養食「米」が作れる
  • 海に囲まれており、魚が十分取れる(マグロは除く)
  • 蛇口をひねれば飲める水がいつでも飲める。(他国から見れば、ミネラルウォーターをお風呂に洗濯、果てはトイレの流水に使うレベル)
  • 清潔な環境衛生がなされており、世界一の長寿国である
  • 治安も女性が1人で夜中歩けるレベル
  • 世界で最も電気製品が溢れておりウォシュレットはハリウッドセレブもできない贅沢
  • 1つのものを複数の用途で用いることに長けている
  • 世界で最もアニメ表現が進んでおり、さらにそれをメタに楽しむ仕組みも完備され散る
  • 最もインターネットを楽しんでいる(blogもTweetも日本語によるものが世界一)
  • 独自の言語が有り、その言語は最高学府で授業ができるレベルの語彙と表現力がある

...etc

な の に もう斜陽であり「あまり攻めとりたい」と思われていない

(最近これに放射能が加わって最凶に)

これはなかなか「奇跡の立ち位置」と言えるでしょう。

荘子に見せたら、眼を剥くのではないでしょうか。

まー、この先、肉とマグロをどうしてもたくさん食べたい人はなんとか外貨を稼がないといけないですが

サンマやイワシをおいしく食べられる人は、もうだいたいのものは自給できてると言えるのではないでしょうか。

となるとパンだけで足りないのは「自分が生きてきた証」を誰かに伝えたいという欲求。

それを解決するカギは「何度も見たくなる映像」を容易に作れる/たどり着ける為の仕組みと思っています。

まぁ詳しくは仕事に微妙に絡むのでここでは書けませんが。特許とかも書いてますよ


そんな風に、超高齢社会を気分よくすごく為の方策を発明しまくっていれば

あと10年でヨーロッパ各国が

20年でアメリカが

30年で中国が超高齢社会になりますので、需要はあります。

日本は世界の一員としてGNPが何位であろうとも尊敬される立場で居られるでしょう。

30年後にはリーダーではないが長老格すら漂わせているかもしれません。ダライラマの立ち位置のようにw


36歳になった日に。

#こんな分かりにくい長文をここまで読んで下さったあなたに感謝

2011-04-07 テレビは光のメディア、映画は闇のメディア

昨年のCEATECで聞いた、大林監督の講演の中でハッとしたことがあります。

「テレビは光のメディア、映画は闇のメディア」という対比でした。


テレビは白が基調で、時間的にも光っている時間の方が長い

映画は黒が基調な上に、少なくとも時間的に9分の5、

つまり半分以上は闇が占めている。

この違いが何を表すか?それは

同じ映像でもテレビが提供するのは映像そのものが持つ「情報」。

視た人は、テレビに映っているそのものを、見る。

一方で映画が提供するのはある意味でその逆。

「映画において、映っている映像は極端に言えば仲介物で、映画が提供しているのはその合間合間の闇にこそある。」

「人は、その9分の5の闇の間に、自己と出会うのだ」

とのことでした。

だから、「テレビは見て"何かが分かる(情報を得る)」ことが大事だけど、

「フィルム映画においては、どんな感情を受けたか」が大事。


そしてこれは物書きさんには遺憾ながら、おそらく奥という男は

「人に爽快感を与える」ことよりも、「人が普段抑圧している、掘り起こすと不安定になる感情」を与える方を狙っている男です。

物書きさんはUSBを「正しく」鑑賞したと言えるのではないでしょうか。

そのことに対して「金銭的価値を感じる」か否かは価値観の相違がありそうですが、原子力に対しての無関心を引き剥く、という行為は、不快ではありますが、今の現状では無価値なものではない気がします。

2011-01-12 【超PF】儲ける国、楽しむ国

半年ほど前に書いた日記を転載。ママチャリGPに触発されて。

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【超PF】儲ける国、楽しむ国

日本は、「プラットフォームを作るのが苦手だ」とよく言われる。

全くその通り。弱点だ。一方で

「プラットフォームを策定者以上に使い込む」

と言うことに関してはどうだろうか?

「描く先がはっきり見えていれば、プラットフォームの想定以上の力を出す」

これが「日本企業のクォリティ」なのだと思う。


そんな話。


例えば、Fortz2というゲームがあります。

詳しくは下記URLを見ていただきたいですが、

ニコニコ大百科

http://dic.nicovideo.jp/a/forza%20motorsport%202

「なんてことだ。俺は仮想世界でも再び日本人から車を買うハメになるというのか!」

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/990118.html

(これらがもう3年も前)


一言でいえば、

「●▲■のパーツだけで女の子の絵を描いて見せた」

という、「プラットフォームの部品で、プラットフォームの想定範囲以上の結果を出した」ということです。


こういう、「きっちりと作られたプラットフォーム」上で、「メタ的に(虚軸方向に)」楽しませている場にニコニコ動画がある。これは運営側(戀塚さん)が積極的に取り入れている面もある。他にも

全自動マリオシーケンサ(特にテラクリボーP)

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%9C%E3%83%BC

MikuMikuDanceで作られるあれこれ

http://dic.nicovideo.jp/a/mikumikudance

などがあります。

さて、これらはネット上の話。リアルな例を見てみましょう。



まず身近なところで"箸"が挙げられます。

渡来当時の最先端国家、中国から輸入されてきた食文化プラットフォームの一部品です。

"箸"を客観的に見れば"少し先が細くなった2本の棒"です。

割り箸に至っては

"どうみてもただの2本の棒です。本当にありがとうございました"

というレベルです。


ところが我々はこの箸をいとも器用に操り、つまむ、切る、刺す、寄せる、口に運びます。それどころか料理の過程でも、混ぜる、はさむ、柔らかさを確認する、と縦横無尽の働きをさせます。

パートナーである"包丁"の縦横無尽さにも、似たものがあります。



でもこれらの例は「国」を背負うほどではありません。

もう少し大きい話を見てみましょう。


日本は幕末〜明治維新で「近代社会プラットフォーム」をこれまた当時の最先端国、欧州から国を挙げて導入しました。

その中には鉄道という部品(サブシステム)。があります。


鉄道のもつ「高速・大輸送能力」は近代化に必須のものでした。


産業革命という大量生産・大量消費社会を支える主幹インフラです。。

特にそうした列強の「植民地支配」の際の最重要パーツであり、日本も満州や台湾に鉄道を敷きました。

土地支配と繋がるので軍事施設として導入される事も多く(例えばイスラム世界にとってはそうでしたし。ナイチンゲールで有名なクリミア戦争でも兵站用に使われた)。

韓国では軍事施設の一端扱いで写真撮影が近年まで自由にはできなかったそうです。


ところが、日本はその鉄道というパーツを国内にも敷きまくりました

マイカーが普及するまで、日本のプラットフォームと呼んでもいいくらいだ。

津々浦々に通し、都心にも敷きまくりました。

そして使い込むことによって、世界に類を見ない「定刻発車」というものを「当たり前」にします。

その果てに、日本は「鉄道」をその「能力」そのものではなく、その「大規模にして精緻なシステム」が生む、「それにまつわるパーツ・周縁部」で「楽しんでいる」、エンターテイメントとして、そしてミームの器として「楽しんでいる」ようになりました。


多分、日本は「鉄道というプラットフォーム」を世界で一番楽しんでいる国ではないでしょうか? また、東京という都市の集積性の特殊性に最も寄与しているのが首都圏の鉄道ネットワークという説もあるほどです。




実は「プラットフォーム」を丸ごと受容した後、パーツを使い込んでミームの器へと転化した例は、日本の歴史の曙から存在すると思います。


日本は、1500年ほど前、当時の最先端国「中国」から色々な「プラットフォーム」を丸ごと輸入しました。漢字伝来の最初とされる「論語(285年)」そして最も大きな「統治プラットフォーム」として「仏教(538年)」や「律令制度」を丸ごと輸入して国の統治に使い始めました。


しかし仏教も、律令制度も、歴史上でみれば、そんなに長くは日本では続きませんでした。


でも、部品というかサブプラットフォームである「漢字」はそうではありませんでした。

律令制度は荘園の増加で10世紀には有名無実化しますが、漢字は先祖たちにより使い込まれ、今も残ります。


それまで日本には文字がありませんでした。

語り部「稗田阿礼」に代表されるように、記憶媒体は口承。「うた」でした。


すると皆様もご存じの通り、我らの祖先は「漢字」を意味を無視して「読み」だけとして使って「うたの記録」を作りました。

そして日本最古の歌集、「万葉集」ができあがります。


そして漢字をさらに使い込み、「ひらがな」と「カタカナ」を作り、

そして「振り仮名文化」というものを作りました。


この振り仮名文化によって、漢字文化圏だけでなく、世界中の文化を摂り入れることができるようになりました。



中国では「歴史書」を書くことが流行りましたが、その後の日本じゃ天皇とか偉い人が編纂するものと言ったら最初は漢詩集。しかも古今集以降は主に「勅撰和歌集」になりました。中国に比べたらすごいゆるさですw


さらに、そうした文字を「絵」と組み合わせて、絵巻物を作ったり、判じ物を作ったり。


一方の中国は、律令制度をしっかりと作り、統治者が変わってもあの広大な大地を統一し、周辺国も冊封体制に組み込んで「儲けました」

その影響でその富を狙われて、異民族からの襲撃を繰り返された。

そして、その余波で今でも国内で富は偏在し、貧富の差は激しい。


日本では荘園の私有化であっさりと律令制度というプラットフォームは有名無実化した。でも、その部品である「文字」は日本中に徐々に普及していった。

そして、江戸時代にはかな絵本などで多くの町民が楽しんだ。

(実は歴史上、農民は他国に比べればひどい暮らしではなかったらしい)





さて、現在に戻り「インターネット」なるインフラについて考えてみましょう。

アメリカがHTTPなるものを定義し、世界中にインフラを敷き詰めてくれました。

ARPANETに始まり、Cisco、Microsoft、Google、Amazon・・・

そして儲けに儲けました。これからも儲けるでしょう。


日本も、このWorld Wide Webというプラットフォームを受容しました。

が、多分ほとんどどの会社も大儲けはしていないでしょう。強いて言えば「IT産業」という業界が「人月仕事」として第二のゼネコン土方業界として「雇用を維持した」程度でしょう。


ところが、「本当はヤバくない日本経済」の中にあるデータによるものが本当であるなら、2006年の「blog、日記」のデータ量は、「日本語」によるものが1位だそうです。人口当たりではなく、データ量で。

日記という「ミームの繁殖形態」として楽しんでいるのは日本人がダントツ。


インターネットで、アメリカは「儲けた」そして周囲を支配しました。

そして色んなところの尊敬と反発を受けています。

一方、日本は・・・楽しんでいる。



短所を克服するべきか、長所を伸ばすべきか?僕は後者の方が好き。

Androidが、鉄道に匹敵するものなのか、MikuMikuDance程度のものなのかは分からない。ただ、言えるのは、


「描く先がなんとなく見えていれば、プラットフォームの想定以上の力を引き出して楽しんでしまう」

これが「日本人企業のクォリティ」なのだと思います。違うかな?

2010-10-22 1円の玉の縁

1年半ほど前に、こんな日記を書きました

守破離】1円パチンコ:よえんさけ ひとをもとめて たまをうつ

数年前から、どこかの店が潰れるとその跡がパチンコ店になっていくのが気になっていましたが、今は「1円パチンコ」が増えていることが気になります。


なぜなら、パチンコに求められているのが相変わらずギャンブル(金儲けとスリル)なら4→20円(スロット)のように掛け金は高額化するはず。

しかし、1円パチンコはその逆です。

ここにパチンコ店の変質。ギャンブル→居場所化 を感じています。

確かめるには自分で打つ(&観察する)のが一番ですが、1ボードゲーマーとして、パチンコ屋にお金を落とすのはちょっと心理的抵抗がありますw(勇気を出すために書いてる面もあり)

でも既に、どなたかパチンコ店通いしていらっしゃる方いたら、この推測があっているのか教えてほしいものです。


景気が悪い、モノが売れない、と言ってますが、今必要とされているものはモノなの?景気なの? 僕は違うものが不足しているのだと思います。

たぶん「誰かから必要とされること」なんじゃないかな、と。


あとは長くなるので自分用メモに読んだ一句x2で代替

「よえんさけ ひとをもとめて たまをうつ」 (パチンカー)

「よえんから ひとにかわりて うつをうく」 (パチンコ台)

1円の玉の縁

と1年前の日記を再掲しているのは、下記の日記と出会ったから。

中のitogさんとは半年前に知り合いました。出会う前から1円のパチンコを見て同じことを思っていたんだなあと。

■IT で元気玉は作れるか?CommentsAdd Star

http://d.hatena.ne.jp/itog/20101006/1286293680


なお、はてブには、ちょっと元気玉な面があると思います。

それの前に、「作ったWebページにリンクを張る」というエネルギーに目を付けたのがGoogle(PageRank)だったりするわけですが。

2010-09-06 贈与格差社会

TwitterのTL上でアプリ制作者たちがgoogleなんちゃらとかmixiなんちゃらに招待されているのを見ながら思ったエントリ。


一言で言えば、「知」に関し、「贈与するものは、より贈与できるようになり、そうでないものはそうでないまま」と格差が広がっていくのではないかな、という予言。

「贈与」については内田樹さんのblogが示唆に富んでいます

http://www.google.co.jp/search?q=%91%A1%97%5E&hl=ja&ie=Shift_JIS&domains=blog.tatsuru.com&sitesearch=blog.tatsuru.com

突然ですが、ボードゲームをやっていると戦略は大きく2つに分かれます。

贈与という言葉を使えば、「収奪モデル」と「贈与モデル」です。

ざっくり言えば軍事力重視で行くか、内政・交易重視で行くか。


勝利条件が定まっている場合(ほとんどのボードゲームがそうだが)

戦略は、収奪モデルの方が立てやすいです。

「自分に必要なもの」をリストアップして、それをどこかから奪ってくればよいからです。

一方で「贈与モデル」の方は難しい。たいていの場合、内政だけでは軍事モデルに負け、交易まで含めると、

「自分に必要なもの」と「交易相手に必要なもの」との把握が必要だからです。

そしてそれはリストアップがより難しい。

#たまに、「場に対してコストを払う」という手法で定式化されているゲームもあります。

リストアップするよりは臨機応変力が問われます。



しかし、多くのボードゲームのような

・勝利条件が定まっていて

・関係する相手が少数で

・短期(数時間)で決着がつくもの

は、収奪モデルが有利ですが、


・勝利条件は定まっていなくて

・関係する相手が多数で

・長期にわたるもの

に関しては収奪モデルは分が悪い。

なぜなら、収奪はゼロサム(むしろマイナス)なので、

収奪を続けていると、収奪物/効率は徐々に減るからです。

一方で贈与モデルは、プラスサムであり、尻あがり型です。

しかも知を贈与した(教えた)ものは、より多くを教わっているものです。

さて、現実世界では今までは「知」よりも「金銭」という基本的にはゼロサムなものが主役でしたから、どうしても収奪モデルが優勢でした。

金銭を贈与する相手は、どうしても数が限られてしまいますから。


しかし、ITによって「知」は「多数の相手に贈与できる」ようになりました。

今はまだ、収奪モデルが幅を利かせていますが、

徐々に贈与モデルな生き方が、分が良くなっていくものと思われます。


そうなったらいいな、という方向は気軽に予言しておきます